第3話 幼なじみ
今夜も玄武殿に来るなんて――。
震える指先を袖の中に隠して、琉克と白蓮の元へと向かった。
昨夜のことは、暗闇が見せた幻だと思えばいい。そう、自分に言い聞かせる。
私は重厚な扉を押し開いた。
「皇太子殿下、愛漓が参りました」
「――遅かったな、愛漓。今夜は私的な場だ。白蓮にも無礼講でと話したところだ。おい、全員下がれ」
琉克の短い命令で、侍女や家臣たちが音もなく退室する。
「さぁ、早く座れ」
琉克に促され、私は二人の正面に腰を下ろした。
琉克は上機嫌で、琥珀色の酒が入った杯をゆったりと揺らしている。そして、その隣。
「久しぶりですね、愛漓様」
鈴を転がすような、清らかで涼やかな声。切れ長の瞳が真っ直ぐに私を捉えている。
「おかえりなさいませ、舞神様」
「やめてください。いつものように、白蓮とお呼びください」
「では……、おかえりなさい。白蓮」
神々しいまでに整った微笑を浮かべる。
月光の下で見る華美な舞台衣装ではなく、今日は深い紫色の衣を纏っている。一輪の清らかな蓮の花そのものだ。
淫らに乱れていた男など微塵も感じさせない。
「しばらく見ないうちに、また美しくなりましたね」
「いえ、ご冗談を」
「いや、本当だよ。縁談もさぞ多いだろうに。琉克様がすべて断っているのかな?」
白蓮の言葉に、兄が低く笑って応える。
「愛漓には、極上の男でないとな。凡夫に触れさせるわけにはいかない」
琉克が杯を傾けると、白蓮は黙したまま酒を注いだ。
その横顔をそっと見つめる。少し尖った顎から、細い首筋へと視線を滑らせるが、そこに昨夜の痕跡などない。
悪い夢でもみていたのだろうか。
「僕の顔に、何か付いているかい?」
不意に白蓮に覗き込まれ、私は飛び上がらんばかりに驚いた。
「いえ、白蓮が綺麗だから、つい見とれてしまいました」
「愛漓様にそう言っていただけるなら、長旅の疲れも吹き飛びます」
白蓮は、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
その笑顔は、幼い頃から優しく高潔な憧れの人の顔、そのもの。
「確かに白蓮の美しさは、この大陸で随一だからな。それに、愛漓は昔から白蓮を好いているからな」
「お兄様、余計なことを言わないでください!」
「今朝も、白蓮のことを案じて鼻血を出していたほどだ」
「もう!違うわ、白蓮!お兄様ったら、お酒が過ぎるのではなくて?」
私は顔を真っ赤にして睨んだけど、琉克は楽しそうに喉を鳴らすばかり。
「ああ、そうだな。少し酔ったようだ。どれ、少し外の風に当たってこよう」
そんなまさか。お酒には強いはずなのに。しかも、どれほど飲んでも顔色ひとつ変わらない。
「白蓮、愛漓の相手を頼んだよ」
「仰せのままに」
白蓮の長い睫が伏せる。
「そうだ、愛漓。あとで白蓮に茶をいれてやれ」
「え?あ、お兄様……」
琉克はそう言い残すと、優雅な足取りで席を外した。
静まり返った広間、大きな食卓。その片隅に、見覚えのある茶筒が置いてあった。




