決定
翌日、太陽が西へと傾き始めた頃、ハルタは森の外れにある小さな丘へと戻ってきた。
足取りはいつもより重く、息もわずかに荒い。それでも手には、いつものように食料の入った籠を持っている。
鎧には細かな傷と埃が残り、つい先ほどまで任務に出ていたことを物語っていた。
丘に近づいた瞬間、ハルタの視線は自然と一本の木の前へ向けられる。
そこにいたのは、ショーンだった。
彼は人の姿で、休むことなく体を動かしている。
腕立て伏せ、スクワット、跳躍。
そして空を殴るような動きは、次第に無駄が消え、洗練されていった。
呼吸は乱れていない。汗は流れているが、限界を感じさせる様子もない。
ハルタは思わず立ち尽くした。
「……ショーン?」
声をかけると、ショーンは動きを止め、振り返る。
ハルタの姿を見た瞬間、目を輝かせた。
「あ、もう来たんだ」
「……いつから、そんなことしてるんだ?」
ハルタの声は自然と低くなり、そこには心配が滲んでいた。
「朝から」
「朝から!?」
ハルタは慌てて駆け寄る。
「休んでないだろ!?」
ショーンは小さく微笑む。
「大丈夫だよ」
「それは無理してるって言うんだ!」
ハルタは拳を握りしめた。
「人間の体には限界があるんだぞ!」
ショーンは静かに動きを止め、ハルタを見つめた。
声を荒げることも、反論することもない。
「わかってる」
穏やかな声だった。
「でも、目的があるんだ」
ハルタは言葉を失う。
「強くなりたい」
ショーンは続けた。
「人間として生きたい。歩いて、戦って、自分の身を守れるように。それに……回復魔法で疲労は消せる」
否定しようとして、ハルタは口を閉ざした。
その瞳は、あまりにも真っ直ぐだった。
「……本気なんだな」
ショーンは小さく頷く。
しばらく沈黙が流れた後、ハルタは大きく息を吐いた。
「……せめて、少し休め。飯を食え」
一瞬迷った後、ショーンは頷いた。
「わかった」
二人は木の根元に腰を下ろした。
ハルタは籠から食事を取り出す。
ショーンは空腹だったのか、しっかりと、しかし行儀よく食べていた。
ふと、ハルタは思い出したように口を開く。
「ショーン。約束、覚えてるか?」
ショーンは顔を上げる。
「魔法を教える、ってやつ?」
「そうだ」
食事の後、二人は再び立ち上がる。
ハルタは、できるだけ噛み砕いて魔法の基礎を説明した。
集中、魔力の流れ、そして発動前のイメージ。
「何を作りたいか、はっきり思い描くんだ」
ショーンは真剣に聞いていた。
真剣すぎるほどに。
「……理解が早すぎるだろ」
ハルタは思わず呟く。
ショーンは弱いわけじゃない。
ただ、最初から不利な場所にいただけだ。
そう思った。
火の魔法を試した時、異変が起きた。
何も起こらない。
集中も、魔力の流れも問題ない。
なのに、炎が生まれない。
「……あれ?」
ハルタは眉をひそめた。
「おかしいな……」
しばらくして、はっとする。
「もしかして、火属性の適性がないのか」
他の属性を一つずつ確かめていく。
結果を見て、ハルタはしばらく言葉を失った。
「土、水、風、光……」
そして回復魔法。
「……回復は、異常なほど強い」
ショーンはきょとんとした顔で見返すだけだった。
その日は、土魔法を重点的に教えた。
地面を硬化させ、小さな壁を作り、石を動かす。
気づけば夜になっていた。
焚き火のそばで休んでいたハルタに、ショーンが近づく。
頼まれもしないのに、疲労を癒していた。
「ショーン。お前も休め」
「平気だよ」
そう言って、彼はまた訓練に戻った。
何度か説得を試みたが、すべて柔らかな笑みで返された。
結局、疲れ切ったハルタは、またショーンの木の上で眠ってしまった。
その木は温かく、葉は柔らかく、心を落ち着かせる香りがした。
その間も、ショーンは動き続けていた。
止まることなく。
翌朝、目を覚ましたハルタの視界に映ったのは、まだ訓練を続けるショーンの姿だった。
強化魔法によって、筋肉は目に見えて成長している。
「……ショーン」
ハルタは呆然と呟く。
「感心と心配を同時にさせるとか、反則だろ」
ショーンは一度動きを止めた。
「回復が早いんだ。眠気もあまりない……本当に限界になるまでは」
「……悪かった。甘く見てた」
ハルタは苦笑する。
「お前、相当イカれてる。いい意味でな」
その日もハルタは任務へ向かい、夕方に戻ってきた。
風、水、光の基礎魔法を教える。
どれも初歩止まりだ。ハルタ自身、高度な魔法は扱えない。
夜。
ショーンはまた訓練を続け、ハルタは焚き火のそばで眠る。
ショーンは静かに彼を木の上へ移し、再び動き出した。
そんな日々が続いた。
――ある日の夕方までは。
ハルタは足を引きずるように丘へやってきた。
顔色は悪く、息は荒い。
それでも、手には食料の籠があった。
順位を賭けた決闘。
相手の攻撃は重く、容赦がなかった。
耐え続けた末、押し切られて敗北した。
丘に着いた瞬間、ハルタは立ち止まった。
木が――ない。
地面は荒れ、根こそぎ引き抜かれた痕跡だけが残っている。
「……ショーン?」
籠が手から落ちた。
ハルタは駆け寄り、震える息で周囲を見回す。
「ショーン!?」
返事はない。
その場に、長い時間立ち尽くした。
風が静かに吹き、丘はやけに広く、空虚に感じられた。
「……冗談だろ」
震える声で、そう呟く。
彼らが出会って以来、初めて。
ハルタは、本気で「失う」ことを恐れていた。




