夢
シルヴァリア大陸には、さまざまな種族が暮らしていた。
都市を築き、数を増やし続ける人間。
生まれながらに魔力を宿すエルフ。
本能に従い大地を駆ける獣人。
そして、差別と偏見の中で生きる亜人たち。
しかし、そのどれにも属さず、世界からほとんど姿を消した種族がいた。
――アーボリアン。
彼らは奇妙で、静かな種族だった。
一つの命に、二つの身体を持つ存在。
一つは人の姿。
もう一つは、樹としての姿。
樹の身体こそが彼らの本体であり、命そのものだった。
人の姿は自由に現したり消したりできたが、本体の樹から二メートル以上離れることは決してできない。
極端に内気な性質のため、ほとんどのアーボリアンは人の姿を隠して生きていた。
その結果、人々は彼らをただの木だと思い込み、何も知らずに伐採した。
やがて――
世界に残ったアーボリアンは、一人だけになった。
彼の名は、ショーン。
ショーンの樹は、小さな丘の上に立っていた。
見下ろす先には、最近できたばかりの人間の村がある。
彼は毎日、そこを眺めていた。
人々が働き、話し、笑い、時に言い争う姿を。
時折、彼は人の姿となり、根に腰を下ろしたり、枝に身を預けたりした。
――自分も、あんなふうに生きてみたい。
自由に歩き、旅をし、笑い、誰かと話す。
だが、それは叶わない願いだった。
彼は樹から離れられない。
二メートル以上、進むことができない。
それは、生まれてから一度も破れたことのない檻だった。
ある日の夕暮れ。
森の中に、一人の人間が現れた。
苛立った表情で歩く、若い女性だった。
ショーンは慌てて人の姿を消し、ただの樹として沈黙した。
女性はふらふらと近づき、ためらいもなく、その幹に抱きついた。
「……最悪。あんな男、信じた私がバカだった」
震える声。
怒りと悲しみが入り混じっていた。
彼女は、まるで友人に話すかのように、樹に向かって愚痴をこぼし続けた。
彼女の名は、ハルタ・ルーテンデル。
そのことを、ショーンはまだ知らない。
元恋人はランクBの戦闘士。
裏で何人もの女性と関係を持っていたこと。
問い詰めた末、あっさりと捨てられたこと。
心を落ち着かせるために森へ来た結果、たまたまこの樹を抱きしめたこと。
ショーンは、ただ静かに聞いていた。
やがて、ハルタは森を後にした。
それを確認してから、ショーンは人の姿を現した。
「……人間は、こんなにも感情に満ちているんだな」
小さく、そう呟いた。
翌晩。
ハルタは、また森を訪れた。
相変わらず不満をこぼしながら、同じ樹に話しかける。
ショーンは、まだ勇気が出ず、姿を隠したままだった。
ふと、彼女が深く息を吐く。
「誰か、話を聞いてくれる人がいればいいのに……」
その言葉が、長い孤独に沈んでいたショーンの心を強く揺らした。
彼は、決心した。
「……僕でよければ」
静かな声。
「ずっと、友達が欲しかったんだ」
ハルタは飛び上がるほど驚いた。
「えっ!? ど、どこから出てきたの!? 昨日はいなかったでしょ!」
ショーンは気まずそうに頬をかいた。
「……いたよ。僕が……この樹なんだ」
「……は?」
疑う彼女に、ショーンは幹を指さした。
ハルタは半信半疑のまま、ナイフで樹皮を軽く突いた。
次の瞬間、ショーンの腕に薄い傷が走った。
「ひっ……! ご、ごめん! 信じる! だから血出さないで!」
傷はすぐに塞がり、樹皮も元に戻った。
ハルタは顔を赤くし、視線を逸らす。
「……昨日の話、全部聞いてた?」
「……うん」
「忘れて!」
それから二人は、長い時間話した。
ショーンは自分のことを。
ハルタは別れのことを。
やがて、ショーンは正直な気持ちを口にした。
「……友達になってくれないかな。僕は遠くへ行けない。人間みたいには生きられない。だから……時々でいい。会いに来てくれたら、嬉しい」
ハルタは少し黙り込み、やがて柔らかく微笑んだ。
「……いいよ。私も、話し相手が欲しかったし」
次の日から、彼女は食べ物と話題を持って森を訪れた。
人間の生活。
ランク制度。
戦闘学校。
魔物討伐。
そして、自分自身の悩み。
ショーンは目を輝かせて聞いた。
こうして、彼女が毎日訪れるようになり――
長い間、孤独だった森は、少しだけ賑やかになったのだった。




