第五章:不思議な出会い ——熱を分かつ——
ナギの村の入り口。古い井戸のそばで膝を抱えていた少年ナギは、三人の影が近づくのを感じるなり、立ち上がって石を投げつけた。
「来るな! 出ていけ!」
少年の瞳は、スノーの雪原よりも冷たく、凍てついていた。海は驚き、足を止める。彼女は琥珀色の目隠しを透かし、心眼の光で少年の魂に触れようとした。だが、ナギの周囲には厚い氷の壁のような拒絶が渦巻き、彼女の温かな「赤」い波動を跳ね返してしまう。海という名前さえも、ナギにとっては母を奪った憎しみの対象でしかなかった。
海が村の長老と話をするため席を外した、ある晩のこと。
ナギの家の土間には、少年と、巨大な雄犬カイだけが残されていた。
外は小雨が雪に変わりつつあり、しんしんと冷え込んでいる。ナギは膝を抱え、少し離れた場所に寝そべるカイを、刺すような視線で睨んでいた。
「……お前も、あの女も、みんな嘘つきだ」
ナギの低い声が、静かな部屋に響く。「母さんが紅葉の光になったなんて、そんなの、ただの慰めだろ。死んだら終わりなんだ。冷たくなって、動かなくなって……それで全部消えるんだ。あの日、海が全部持って行ったんだ」
カイは吠えなかった。ただ、琥珀色の瞳をじっとナギに向け、深く、重い吐息を漏らした。その瞳は、まるで「お前が言いたいことは、全部わかっている」と語っているかのようだった。
「なんだよ、その目は」
ナギが立ち上がり、カイを追い払おうと一歩近づいたときだった。
カイが、ゆっくりと巨体を起こした。ナギは身構えたが、カイは襲いかかるどころか、無防備にナギの足元へ歩み寄り、どさりとその場に横たわったのだ。そして、あろうことか、ナギの冷え切った裸足の上に、自分の温かくて重い前足をそっと重ねた。
「……っ、どけよ」
ナギが足を引こうとしても、カイは動かない。それどころか、少年の足の甲に自分の顔を押し当てた。その時、ナギの鼻を突いたのは、懐かしい匂いだった。濡れた犬の毛の匂い。土と草が混じった、生きている獣の匂い。それは、かつて母シオンが外から帰ってきたときに纏っていた、あの「生命の匂い」そのものだった。
「お前……」 ナギの手が、震えながらカイの硬い毛並みに触れた。カイの身体は、驚くほど熱かった。その熱は、絶望で凍りついていたナギの足先を包み込み、パキパキと音を立てて心の氷を溶かしながら、ゆっくりと、けれど確実に心臓へと登ってくる。カイは静かに、ナギの掌を一度だけ、温かな舌で舐めた。
その瞬間、ナギの心眼が、海の琥珀の目隠しを借りたときのように微かに開いた。心眼に映ったのは、かつて泥の中で独りぼっちだったカイの記憶。そして、その泥の中から自分を引き上げてくれた「海」の温かな手の記憶。カイは言葉の代わりに、自分の血潮を巡る「感謝」と「生」の感覚を、ナギに分け与えていたのだ。
「旅は、旅人が去ったとき、その人への思いが深まり……」
ナギの目から、一雫の涙が溢れ、カイの眉間に落ちた。
「……お前も、寂しかったんだな。お前を助けたのが、あの『海』だったから、お前は今、こんなに温かいんだな」
ナギは、もうカイを拒まなかった。彼はカイの首筋に顔を埋め、その大きな身体を力いっぱい抱きしめた。カイはナギの重みを受け止め、静かに目を閉じる。そこには、「不思議な出会い」が、一つの命と一つの命の間に、確かな形として結ばれていた。
翌朝、海が部屋に戻ったとき、そこにはカイの背中を枕にして、穏やかな寝顔で眠る少年の姿があった。傍らでは、ソラが満足げに小さな羽を整えている。
ソラはナギが幼い頃に母から聞いた子守唄を空から降らせ、少年の夢を守っていた。海は琥珀の目隠しの下で、優しく微笑んだ。
「よかったわね、カイ。あなたの熱が、あの子の新しい姿をうみださせてくれたのね」




