表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/10

第九話 家族の守護者、武人の剣

 アンダーソンの私室の扉を叩いたマリアンは、息を切らしながらも、冷徹な理性を崩さなかった。


「アンダーソン兄様。ここに情報と証拠を持ってまいりました。父上は不正が露見したことを察知し、私たち女性陣を殺害しようとしています」


 マリアンは、エレナの報告の詳細を、公爵の血を分けた兄として、受け止めざるを得ない事実として突きつけた。


「父上は、ラング商会との関係を絶たれ、冷静さを失っています。裏帳簿もここにあります。『秘密が漏れているなら、殺してしまえ』という、狂気の命令も発せられました」


 裏帳簿や、それを上回る情報を確認したアンダーソンは、真剣な顔で書類を捲った。数字の羅列が示す不正の深さに、彼は目を閉じ、深く息を吐いた。


「卑劣だ……万死に値する。武人の誇り、公爵としての信義、家族の命と愛。全てを金で売り、挙げ句、血を分けた家族を手にかけようとは……」


 アンダーソンは、武人としての厳格な正義と、長男としての責務、そして父への最後の情の間で激しく葛藤したが、マリアンの瞳に宿る不安と命の危機を見たとき、彼の迷いは断ち切られた。


 マリアンは毅然とした態度をとっているが、体じゅうが震えている。あたりまえのことだ。父親から『自分を殺せ』と言われたのを聞いてしまったのだから。


「分かった。マリアン。私が『断罪者』となる。私は今すぐ、国王陛下に父上の不正の告発と、公爵家の内部崩壊を防ぎ、家族の生命を守護する『王命による強制捜査』を請願する。だが、その前に……」


 彼は、エルドリアを動かすための、アンダーソンは震えるマリアンの目線にしゃがみ込み、彼女の手を取った。


「エルドリアの説得をしに行こう。父上が私たちに危害を加える前に、『最強の守護者』として彼に立ってもらうために」


「……兄様!」


 マリアンは、依然と同じように、兄の胸の中で泣き出した。必死の努力、命の危機と恐怖。彼女たちのためなら、伝統も家名も捨て去ると、アンダーソンはマリアンの涙に誓った。




 マリアン達が次に向かったエルドリアの別邸は、深い静寂に包まれていた。


 エルドリアは、先日の拒絶の時とは異なり、簡素な装束で、静かに庭の石畳を見つめていた。彼の傍らには、常に磨き上げられたサーベルが置かれている。


 マリアンは、もはや冷静な議論の必要はないことを理解していた。彼女は膝から崩れ落ちるように跪き、裏帳簿を地面に置き、兄に訴えた。


「エルドリア兄様! 私たちには、もう猶予がありません! 父上は、私たちを殺そうとしています!」


「エルドリア、マリアンの言うことは真実だ。その証拠や情報は、私が確認した」アンダーソンが口を開いた。


「口を封じる準備。それは、私たちを殺すための準備です! 兄様が、子が親を断罪する大罪を恐れているのは分かります。しかし、兄様の武人の道は、『一族を不当な脅威から守る』ことでもあるはずです!」


 マリアンは涙を流しながらも、最後の望みをかけた。


「私たち女性陣は、あなたの家族です! 父上は、武人としての家名を金で売り、その罪を隠すために、家族の命を奪おうとしている。これ以上の『不当な危害』が、どこにありますか!?」


 アンダーソンも続ける。「そのとおりだ、エルドリア。わたしはもう伝統を破り、断罪の罪もかぶることを決めた。お前も決めろ。もし相対するなら戦う。もっとも、お前が相手では一分がせいぜいだろうがな……」


 エルドリアは、静かに、ゆっくりと立ち上がった。彼の右目と、傷ついた体から発せられる威圧感は、嵐の前の静けさのようだった。彼は、マリアンの涙ではなく、彼女の言葉の裏にある怯え、助けを求める心を見据えていた。


「……アンダーソン兄様。私はマリアンに、私の剣を『家名を守るために親を討つ』ことには使えぬ、と言いました」


 エルドリアは、静かにサーベルを掴んだ。そのサーベルは、彼が戦場で、片腕と片足で敵の大隊を打ち破った、正義の剣だ。


「しかし、私の剣は、私の一族に不当な暴力を振るう者から家族を守るために振るわれる」


 エルドリアは、眼帯の下の右目を閉じ、そして開いた。彼の心は決まった。


「父上は、武人の名誉を金銭や侮蔑の言葉で汚した。そして今、家族の生命を脅かそうとしている。もはや、武人の家系の主として君臨する資格はない。アンダーソン兄様、私もともに戦いましょう。そしてマリアン、皆に伝えてくれ、私とアンダーソン兄様はお前たちと戦う、何も心配いらない、と」


 エルドリアが、会ってから初めてマリアンに微笑みかけた。


「財務はソフィアが掴んだ。そして軍備は、この私が掌握する。私の一声があれば十分だ。公爵家が従える全ての武力は、もはや『家族を守る者』のためにある」


 最強の武人エルドリアは、ついに、武人としての最大の大義、すなわち『家族の守護』のために、剣を抜くことを決意した。




 その夜明け。


 アンダーソンが王宮へ向かい、緊急の王命による公爵の権限停止と捜査を請願する一方で、エルドリアは公爵邸に戻っていた。


 公爵が、老執事に命じて女性陣の軟禁と排除の最終準備をさせている、その瞬間。


 エルドリアは、義足を鳴らし、公爵の執務室の扉を開けた。彼の傍らには、七人姉妹と、三人の母が立っている。そして、マリアンの言葉により、長兄アンダーソンが王命を携えすぐにでも戻ってくることを知った公爵は、まるで氷の海に飛び込んだ時のように歯の根を鳴らし、彼には似合わないオークで設えた執務机に寄り掛かった。


「エルドリア……貴様! 何をしに戻った!」公爵は恐怖に震えながら問うた。


 エルドリアは、片腕でサーベルを抜き放ち、その切っ先を、公爵の喉元ではなく、床に向けた。


「父上。私は、あなたを『公爵』としてではなく、『一族に不当な危害を加える者』、つまり、彼女たちを殺害する命令を出した逆徒とみなして、ここに立っています」


 マリアンが、エルドリアのとなりに立ち、声を挙げた。


「父上。私たちは、役立たずの雌犬ではありませんでした。私たちは、あなたの『不正の証拠』を掴み、そして、あなたの『殺人の企て』を知りました」


 エルドリアが、冷徹な声で最終通告を告げる。


「武人の家系の主として、家族の生命を脅し、金銭にてその名誉を売った罪は重い。私は武人として、あなたが一族に危害を加えることを禁ずる。あなたの公爵としての権限は、今この瞬間、停止される。かかってきても構わないが、並みの人間では私相手に一秒も戦えないことは、あなたも知っているはずだ」


 公爵はしばらく視線を落としていた。しかし次の瞬間、公爵の顔に絶望とは異なる、下卑て汚泥のようになった顔から、文字通り女を『雌犬』としかみていない下品で発情した雄のように笑いだした。


「ハハハハ……ッ! 甘いな、脳まで暴力に染まったエルドリア! 貴様らバカな雌犬たちも! 貴様は私の本当の『奥の手』を知らぬ!」


 公爵は、血走った目で執務室の奥、壁に飾られた紋章の後ろを指差した。


「確かに私は不正を働いた。だが、私が握っているのは、国王陛下ですら私に逆らえぬ、公爵家代々の『秘密』! 貴様らが私を断罪すれば、このハウゼンブルク家自体が、根こそぎ滅びることになるぞ!」


 その言葉は、落ちるつららのような、鋭く冷たい衝撃となってマリアンたちの心に突き刺さった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ