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第六話 野心への餌と裏帳簿の影

 マリアンは行動を開始した。


 彼女が選んだ『餌』は、公爵家の使用人の間で囁かれる『噂話』だった。


 彼女は、父の執事の私的な部屋で働く、口の軽い下級のメイドや、調子に乗りやすい執事に目をつけた。


「そういえば、あの辺境の鉱山、最近お父様はあまり関心がないようね。でも、この間、鉱山から戻った馬車から、見たこともないほど『青く輝く石』が落ちていたのを見た人がいるとか。ただの銅鉱ではない、『珍しい鉱石』かもしれないのに、誰も気にしていないなんて、不思議よね」


 マリアンは、使用人たちに、ごくさりげない形で、次男が関わる辺境の鉱山事業にまつわる『情報』を漏らすことに成功した。


 この情報は、マリアンの創作であり、根拠は一切ない。しかし、次男の耳に入れば、彼の下卑た野心に火をつけるには十分な要素を含んでいた。




 父の関心がないということは、父に内緒で動けるということ。


 珍しい鉱石ということは、莫大な金が手に入るということ。


 誰も気にしていないということは、金と手柄を独り占めできるということ。




 噂が次兄の耳に入ると、効果は即座に現れた。


 その夜、ソフィアはマリアンに報告した。


「かかったわ、マリアン。次兄は今朝から明らかに動揺している。父上の執務室に駆け込み、父様が鉱山の存在を知らないのを確認すると、すぐに鉱山担当の部下を呼びつけて密談を始めたわ。彼の目は、『隠された利益』しか見ていない」


 次兄は、父に知られることなく、その『青く輝く石』の存在を確認し、独断で利益を得ようと焦り始めたのだ。


 彼の頭の中は、父への忠誠心よりも、『兄たちを出し抜く手柄』と『金』で埋め尽くされていた。


 ソフィアの監視の目は、次兄の日常の動きから、彼の心理状態と裏帳簿の所在を絞り込んでいった。


「次兄は、公爵領外の協力者との秘密のやり取りを、父上に知られることを極度に恐れている。そして、逆に父上は次兄の行動をいつでも確認できる場所に保管させているはずだわ」


 ソフィアは、数日間にわたる次兄の行動パターンを分析し、一つの奇妙な場所に気が付いた。それは、公爵邸の裏庭にある、ほとんど使われていない古い温室だった。


「次兄は夜更けに一度だけ、今は使われていない温室に書類を持って入るの。そして、必ず同じ本――『公爵領の農業発展の歴史』という、退屈極まりない、誰も興味を示さない本を持って出てくる。おかしいわ。彼は農業に全く興味がないはずなのに」


 マリアンとソフィアは、次の夜、暗闇のなかをかいくぐり、古い温室へと向かった。埃と枯れた植物の匂いが充満する温室の中で、二人はソフィアが目星をつけていた場所、放置された年代物の書棚を調べた。


「これよ」ソフィアは言った。


 彼女が書棚の右端にある、装丁の分厚い『公爵領の農業発展の歴史』を抜き取ると、書棚の背板の一部がわずかに緩んでいることが分かった。


 二人が協力して背板を外すと、そこには、乾燥から守るために厳重に油紙に包まれた、一冊の分厚い帳簿が隠されていた。


 帳簿の表紙には、鉛筆書きで小さく『辺境開発』とだけ記されている。


 マリアンは震える手で油紙を剥がし、中を開いた。帳簿の数字と名前をざっと見ただけで、その内容がどれほど致命的であるかを理解した。


 公爵個人の秘密口座への巨額の送金記録。


 公爵領外の怪しい商会との不透明な取引記録。


 公爵が公的な資金を、次兄を介して横領している決定的な証拠。


「これよ、マリアン。これが、父上を公爵失格にできる、裏の帳簿だわ」ソフィアは、興奮と緊張が入り混じった声で囁いた。


 マリアンは、その裏帳簿を胸に抱きしめた。重い、しかし、希望に満ちた証拠の重さだった。


「これで、第一段階は完了よ。父上は、武人としての品格を失っただけでなく、公爵としての信義も金で売っていた。アンダーソン兄様が、これを『正義の剣』として受け取らない理由はないわ。それに、これは裏帳簿だから、私たちが持ち出しても父上や次兄は誰にも話すことができない」


 マリアンの計画は、次兄の浅はかさと、父の不正を餌に、最初の、しかし決定的な武器を手に入れたのだ。


(つづく)

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