第五話 次男の浅はかさと裏の帳簿
協力者を得てから数日、マリアンは行動を急ぎたい衝動を理性で抑え込んでいた。計画の初期段階は、全て『情報収集』に費やなければならない。情報こそ、戦にもっとも必要なものだ。
ソフィアは、毎日明け方まで公爵家の膨大な財務書類と対峙していたが、結果は芳しくなかった。
「表の帳簿は完璧よ、マリアン」ソフィアは密談の場で、苛立ちを隠さずに言った。
「父上は最低の人間ですが、金銭に関しては驚くほど慎重です。全ての数字が公爵家の出納として正確に記録されています。魔術で探りを入れても何も得られなかった。これでは、国王陛下の監査が入っても、何一つとして不正は見つからないでしょう」
ローザ母上は、三兄エルドリアに手紙を送るための準備を始めていたが、エルドリアが軍部の重鎮として務めているため、細心の注意を払っていた。うかつな文面は計画を露見させこちらの破滅を招いてしまう。
計画は、最初の関門である『確たる証拠の確保』で足踏みをしていた。
「けれど、一つだけ妙な点があるわ」ソフィアは声を落とした。「それは次男の動きよ」
父に媚びへつらう次男は、公爵家の中では最も無能で、父の権威を笠に着てほかの人間を蔑む最低の存在だった。
彼は実務能力に欠けているはずなのに、最近になって、父の執務室に頻繁に出入りし、何かしらの書類のやり取りをしているという。
「次兄は父上の指示で、どうやら公爵領の辺境にある特定の『魔鉱石の鉱山開発』に関わっているらしいの。その報告書が、公爵家の正式な帳簿とは完全に切り離されている。そして、その書類の処理を、なぜか次兄が担当しているの」
マリアンは身を乗り出した。
「それは、父上が不正を隠すために、次兄を利用しているということでしょうか?」
「ええ。父上は次兄を信頼しているのではないわ」ソフィアははっきりと頷いた。
「『無能だからこそ、自分の意図したこと以外はできない』と見下し、罪を被せるための『イケニエ』として飼っているのよ……わ、わたしたちのように……」
ソフィアが苦しそうに言うのを見て、マリアンは気が落ち着くように、彼女の背中をさすった。
落ち着いたソフィアは再び話し始めた。
「あの鉱山事業は、表面上は国益に繋がるように見せかけているけれど、私はその裏で、父上が個人的な利益を『公爵領外の協力者』と分け合っていると睨んでいるわ。その証拠となる裏帳簿は、次兄が持っている、もしくは、次兄が関わる場所にある可能性が高い」
マリアンは、父に認められたい一心で媚びへつらい、金銭に執着する次兄の性格を思い出した。彼は常に、長兄や三兄の功績に嫉妬し、手柄を焦っている。
もっとも、そんな手柄など挙げられる人物ではないのだが……。
「ソフィア姉様。父上が次兄を罠に利用しているなら、私たちはその罠を『次兄の野心』で開始させてやりましょう」
マリアンは、冷たく、計算し尽くされた目で笑った。
「次兄が求めているのは、父上の承認、そして『金』です。彼は父上の計画の全容を知らない。知っているのは、目の前の小さな利益だけ」
「つまり、どうするつもり?」
「次兄に、父上の計画を超える『特大の利益』の機会を見せてやるのです。それも、『父上に内緒で』実行できる、秘密の儲け話として」
マリアンは、次兄が担当する鉱山開発に関する偽の情報を、誰にも悟られぬよう流す計画を立てた。
それは、鉱山の輸送ルートに、まだ父が知らない『別の高い価値のある鉱石』が埋蔵されているという、根も葉もない噂だった。
「次兄は、父上に内緒でその鉱石を横取りしようとするでしょう。手柄を独り占めするために、父上が信頼しているはずの『裏の協力者』にも手を出すかもしれない。そうすれば、父上は公爵領外の協力者との関係が崩壊し、私たちに証拠を突きつけられる前に、自滅への道を進み始める」
ソフィアは、マリアンのその冷徹な発想に背筋が寒くなるのを感じた。
「あの男の浅はかな野心を煽り、父上との共倒れを誘発させる……。あなたは本当に聡明だわ、マリアン」
「ソフィア姉様。私たちは『雌犬』として扱われたのです。ならば、私たちを軽蔑した父上と次兄を、野心という餌で釣り上げて、食い破ってやる。そうでなければ、私たち……『女性たち』の怒りは鎮まりません」
マリアンは、計画の最初の仕掛けを次男に実行させるため、公爵家の使用人や、父の執事の些細な行動を観察し始めた。
全ては、次兄の耳に、偶然を装って、『特大の餌』を届けるために。
(つづく)




