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第二話 長兄への密告と正義の葛藤

 マリアンは、激しい決意を胸に、最も信頼すべき人物、長兄アンダーソンの元を訪れた。


 多くの貴族が部屋を飾り立てる中、アンダーソンの私室は、武人の家系らしく簡素だ。


 鍛錬用の剣と、彼の「優しさを尊ぶ」という信条を示す古い哲学書が並べられている。


 彼は、夜でも凛々しい軍服姿を崩さず、黙ってマリアンの入室を許可した。


「マリアン、どうしたのだ、こんな夜更けに……。用件は何だ?」


 魔道具の明かりに照らされた兄の顔。長兄の声は厳格で、一切の感情を読ませない。


 彼は常に公爵家の規範を体現する存在であり、マリアンにとって協力を得ることは、最大の難関だった。


 マリアンは扉を閉め、深々と一礼すると、感情を押し殺した低い声で話し始めた。


「アンダーソン兄様。今宵、私は父上がローザ母上に対して、どのような言葉を吐かれたか、聞いてしまいました」


 彼女は、父が言った言葉を、一切の脚色なしに、淡々と繰り返した。


「『女ばかり産みおって、この役立たずどもめ』。『欠陥品を生み出すだけの雌犬どもが』――これが、私達の母上方、そして私達七人の娘に対する父上の評価です」


 アンダーソンの表情が一瞬にして硬直した。


 彼の顔は、厳格な武人として知られる彼のどの表情よりも、激しく歪んだ。


 それは怒り、あるいは深い悲しみの色だった。


「……ありえない。いくら父上でも、そこまで侮辱的な言葉を……」


「事実です」マリアンは畳みかけた。


「父上は、ハウゼンブルクの女性たちを、公爵家の名誉を守るために存在する人間ではなく、ただの『男子を産むための道具』としか見ていません。武人の家系であるはずの公爵が、アンダーソン兄様が尊ぶ『家族の絆』と『人としての優しさ』を、踏みにじっているのです」


 マリアンの言葉は、アンダーソンの最も深い部分、彼が武人として信奉する「正義」を直接突いた。


 しかし、彼の苦悩はすぐに言葉となって表れた。


「マリアン、お前の気持ちは痛いほど分かる。私はずっと、父上の女性陣への冷淡さを正すべきだと考えていた。だが、父上に逆らうということは……」


 アンダーソンは室内に飾られた先代の甲冑を見つめた。


「『子は親に逆らってはならない』。子が親に異議を唱えたり、ましてや刃を向けるということは、我々の国における一番の大罪だ。もし私が表立って父上を弾劾すれば、公爵家は内部分裂で崩壊し、私もお前も『逆賊』として地位も名誉も、そして命さえも失うことになる。それはハウゼンブルク家全体の破滅を意味する」


 彼は自らが背負う責務の重さに、苦しんでいた。


 正義を尊びながらも、家族全体の存続を優先せざるを得ない、彼の武人としての誇りと、長兄にして長男としての重荷。


 マリアンは、アンダーソンの苦悩を予想していた。


 彼女は一歩踏み出し、冷徹な理性を武器に、彼の前に立つ。


「兄様。私が望むのは、兄様を破滅させることではありません。そして、ハウゼンブルク家を崩壊させることでもない。父上の過ちを正し、この家を『武人の誇り』と『家族愛』を取り戻した、本来の姿に戻すことです」


 彼女は、計画の核心を静かに告げた。


「だから、兄様は『動かないで』ください」


 アンダーソンは目を見開いた。


「兄様は、これまで通り父上の忠実な長男として、『表の顔』を完璧に維持してください。父上に最も信頼されている兄様が動かなければ、父上は私達を警戒しません。そして、外の誰にも、私達が結託していると知られることもありません」


 マリアンは強く言い切った。


「動くのは、私たち『女性陣』です。父上が『役立たず』と見下した、七人の娘と三人の母。私達は、父上が想像もしていない場所で、想像もしていない手段で、父上の失政、不正、そしてごうを裏付ける証拠を見つけます」


 彼女の瞳は、蝋燭の炎のように揺らめきながらも、決して揺るがない。


「兄様には、水面下で集めた証拠を『受け取る者』となっていただきたいのです。そして、『これは公爵家の名誉を守るために、長男として正すべきことである』という大義のもと、最終的な『断罪』を下す。これこそ、絶対の信頼を受け、武人たるを完全に体現したアンダーソン兄様にしか果たせない、正義の剣です」


 アンダーソンは、マリアンの冷静な分析と、大胆すぎる決意に息を飲んだ。


 彼の葛藤の核心――公爵家の存続と、父の行いへの正義――。マリアンの提案は、その二つを両立させ得る唯一の方法に思えた。


「……裏をとる、ということだな?」


「はい。父上は今、エルドリア兄様の武功を貶めたばかりか、次兄を利用して何か画策しているようです。その全てを、この家で最も侮蔑され、最も自由に動ける立場にいる私たちが、明るみに出してみせます」


 マリアンの言葉は、もはや末っ子の訴えではない。それは、復讐劇の総指揮官による、静かな宣戦布告だった。


 アンダーソンは深く息を吐き、静かに剣に手をやった。そして、決意を込めた眼差しでマリアンを見据えた。


「分かった。マリアン。もしお前たちの集めた『裏』が、父上が公爵としての資格を失うに足るものであるならば……私は、ハウゼンブルク家の名誉のために、その剣を振るおう」


「ありがとうございます、兄様」


 マリアンは、復讐計画の最初の、そして最も強固な協力者を得たのだった。


 彼女の視線は、既に次のターゲット――父に媚びへつらう次男へと向けられていた。


(つづく)

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