第3話 鑑定の力
「キャッキャ!」
キンキン声が聞こえる。聞こえた声に反応してまた大きな声が……。
いや、他でもない私の声なんだけどね。自分で声を出して自分で反応してる。まるで誰かと喋ってるみたいに。赤ん坊の頭はとにかく刺激に敏感で思考がまとまらない。おまけにすぐに疲れて眠くなる。思考する時間がない。けど楽ではある。動物的に生きるということは人間にとって楽なのだ。
「あああああ! あああああ!」
これまた耳障りな声が。泣くと誰かが反応してくれることを学習したから余計に泣く。何度も経験したからか、なんとなくわかっていた。やがて誰かに抱き上げられる。いまだ視界がキラキラしてはっきり見えないけれど、目の前に居るのが母親かななんて思う。
ちゅっちゅ――とひたすらに母乳を飲む。赤ん坊の脳に支配されているからいいけど、記憶や思考がしっかりしていたら、とても他人の母乳なんて飲めない。これが若さか!――などと改めて思う。
げっぷ――背中をトントンと叩かれ、母乳と一緒に飲み込んだ空気を吐き出す。そんなことさえできないのが赤ん坊だ。私にも子供がいたら、こんなことをしていたのだろうかと思う。思うがすぐに思考が途切れて眠くなる……。
◇◇◇◇◇
ある程度、動物的な感覚から離れ、思考ができるようになってきたのは4歳になった頃から。この世界は数え年だから日本で居た頃なら3歳かな。それまでの記憶は脚が立った頃の朧げな記憶が残っているくらいだった。
創作では赤子の頃からチート能力を発揮して色々できるものかもしれないけれど、実際にやるのは骨だ。生き物本来の性質からは逃れられない。ただ、思考ができるようになると、かつての記憶にもアクセスできるようになる。正確にはその余裕が生まれるといったところだろうか。
(よし、今度の人生こそは魔術を覚えて使えるようにしよう)
鑑定――と心の中で唱えると、周囲の物品の名前のついたタグが示される。その名前を凝視するとスクリーンが表示される。――GUIってこんな感じ?――なんて女神さまが言っていたけど、グラフィカルというには程遠い、昔のゲームみたいだ。
白い枠線の中にはシンプルに文字だけ――日本語で情報が示されている。英文字と数字はかっこいいセリフ書体なのに、なぜか日本語だけ丸ゴシックだった。スクリーンをさらに凝視していると詳細な情報が表示される。
たわし――『これで磨けば何もかも綺麗に落ちるという。ああ、だが、オグノスよ。なぜ、お前の血と記憶は消えてくれないの?』
(誰よ、オグノスって……)
女神さま、わざわざ鑑定結果におかしなフレーバーテキストを斜体で付け足してくれている。ときどき、その内容に何か思い出せそうなこともあるのだけど、大体は意味のないテキストだった。
(女神さま、これ別に要らないと思うんだけどね?)
女神さまからの返事はない。あれは私の妄想だったか――などと思うくらい返事がないときもあれば、気安く返事をしてくれることもある。
たわし――イズミという名の少女が最初に作った柄のないブラシ。小さく手に収まるため、炊事場で重宝される。
(なんだ私か……)
そう言えばそんなことをしたことがあったのかもしれない。けど、その記憶は私の中には無い。前世で勇者を導いて魔王を倒したことは何となく覚えていた。でも、勇者の名前や、どうやって倒したか、どんな一行だったかを全く覚えていなかった。
確実に残っている記憶は、女神さまの事と、女神さまが直接教えてくれた事、その会話。それから、技術的なものは継承される。たわしの作り方は実物を見ればすぐにわかった。原材料にはこの世界では荒目の麻か、シュロに似た植物が使われる。それまでは皆、ロープの束を使っていた。
そしてもうひとつ。魔術も継承されると聞いた。この異世界では技術的な物として確立されている。超能力的なものではない。けれど――
(魔法があるなら超能力だって――)
目の前のマグに入った水をお湯に変える!――そう念じた。熱は分子の振動だ。その振動をイメージするんだ!
20分? 30分くらい? 時計が無いからわからないけど、いくらやっても水はお湯にならなかった。いや、そもそも振動を加えるって、単に熱してるだけじゃない。いずれにせよ、水は一向にお湯にはならなかったし、もちろん氷にもならなかった。
諦めてマグの水は飲んだ。
「まずい……」
石灰質の硬水の味だ。日本の軟水に慣れた私にはおいしくない。お腹を壊すこともあるので、この辺りではそのまま飲むことは少ない。子供でも甘酒のような葡萄酒で割るか、一度火にかけてから飲むことが多い。