美園の勘違い
フローライト第百話
「美園ちゃんは最近の何かハマってるものある?」
「えーと・・・料理かな?」
「えーそうなんだ?どんな料理?」
「卵焼き」
「アハハ・・・そうなんだ。美園ちゃんの作った卵焼き食べてみたいな」
美園は晴翔の顔を見つめた。今日は晴翔の番組にゲストとして出ていた。
「普通の卵焼き?こだわりある?」
「こだわりって?」
「例えばだしをいれるとか、砂糖をいれるとか・・・」
「何も入れない」
「アハハ・・・そうか。それもこだわりだね」
番組の収録が終ると、晴翔が「美園ちゃん」と後ろから追いかけてきた。美園が振り返ると「今、ちょっといい?」と言われる。
「いいですけど?」
「あ、ちょっとこっち」とテレビ局の廊下の片隅に連れて行かれる。
「何ですか?」と聞くと、「こないだの話、考えてくれた?」と言われる。
「・・・晴翔さん、前に言ったけど・・・同じです」
「そうか・・・でも、何か最近悩んだりしてない?」
「してないですけど・・・」
「曲がさ、そんな感じだったから・・・」
「そうかな・・・」
「ま、また誘うよ」
晴翔がそう言ったので美園は晴翔の顔を見た。晴翔が笑顔で「じゃ、またね」と言って去って行く。その後姿を見送りながら、幼い頃から大好きだった晴翔が、まるで絵画の一つのように動かない思い出となって壁に飾られているだけなのを感じた。
高校を出て本格的に芸能活動を始めてしばらくして、晴翔と番組で一緒になった時に、「また付き合ってくれない?」と言われたのだ。でももちろん断った。もう晴翔とのことは、美園にとって遠い昔のことだったのだ。今更付き合うとか考えられなかった。
(曲・・・そんな感じだったのかな?)
今回の曲も美園のオリジナルだった。朔と連絡が取れなくなってから、美園はひたすら曲を作っては発表していった。その中の一つがテレビアニメの主題歌に使われてから、美園はテレビ番組に呼ばれることが多くなった。美園は今日みたいなただのトーク番組だろうが、バラエティー番組だろうが、片っ端から出た。そうしていればきっと朔がどこかで気がついてくれる。そう思ったのだ。
自分の情報はSNSで常に発進した。次のライブ、最近のこと、何でも良かった。けれど美園の努力も虚しく、朔からの連絡はなかった。もしかしたらこっちの連絡先がわからなくなっているのかもしれないと思った。なのでSNSのコメントの類は全部チェックした。もしかしたら朔が何かくれるかもしれないと思ったからだった。
○○デパートの壁面にある大きな電光掲示板に、美園が広告している化粧品の広告がでるようになった。夜、ふとその電光掲示板を一人で見上げた。最近ではすぐに声をかけられるので、サングラスに帽子まで被っている。
(朔、これ見てくれてるかな・・・)
そう考えていたら急に涙が浮かんだ。
(バカ、泣くな)
美園は自分を叱咤激励してから歩き出した。人生史上初、朔がいなくなったあの時に大泣きしてから美園は次に朔と会うまでは泣かないと決めていた。
そうして美園はもう二十歳になっていた。
「ただいま」とマンションに帰る。でも誰の返事もない。実は美園は一か月前に家を出ていた。一人で暮らして見たかったのと、咲良も奏空もいないところで自分を見つめて見たかったのだ。
マネージャーさんがいいところを紹介してくれたけれど、美園は2LDKでさほど広くなくて、交通の便もあまり良くない静かなところを選んだ。ただセキュリティだけは万全のマンションだ。
電気をつけてから昨日食べたものがそのままのってるテーブルを見て「はぁ・・・」とため息が出た。そしてそこに今日買って来たコンビニ弁当をのせる。
(料理か・・・)
卵焼きしかできないし・・・と冷蔵庫を開けて缶ビールを出した。
パソコンを広げたテーブルでコンビニの弁当とビールを飲む。毎日そんな繰り返しだ。自分のユーチューブとSNSをチェックした。いつも通り変わり映えしない。
<一番好きな曲です>
誰かのコメントを読む。
(ふうん・・・)と思ってから、自分の曲をかけてみた。
── ほんの一行でもいいんだ・・・君からの言葉が欲しいんだ・・・いつまでも待っているから・・・春の冷たい夜風にあずけてメッセージ・・・(Yui CHE・R・RY)
(肝心な人には届かない・・・と)
ご飯を口に入れてからユーチューブを閉じた。思いついて明希の店のインスタを開く。昔、朔が明希と撮った写真・・・それくらいしか朔の写真がなかった。気が付いて見れば自分は朔の写真も持ってないし、一緒に撮った写真もないのだった。
ついでに自分のインスタも開く。実は最近のインスタに朔の絵をのせたのだ。以前お友達が描いてくれた私というタイトルをつけて。<宝物です>とも書いておいた。
(あ・・・)と一つのコメントに美園は釘付けになった。
<ありがとう>
それしか書いてないのだ。美園はそこから感じ取れるだけエネルギーを感じ取ってみた。
(朔・・・)
朔かもしれない・・・そう思った。リンクで飛べるようになっていたので、そのコメントをくれたアカウントに飛んでみた。
(あ・・・)と思う。
そこには朔の絵があった。最近始めたらしいアカウントの投稿は、すべてあの懐かしい朔の絵だった。
(朔・・・)
美園の目から涙が溢れた。あれからどのくらいたったのだろう?思えば朔に気づいてもらうために、ただひたすら芸能活動をしてきたといっても過言ではなかった。
美園はすぐにそのアカウントにコメントとメッセージを入れた。
(朔が気づいてくれますように・・・)
次の日は仕事の合間に、朔からインスタのメッセージの返信が来てないかばかりチェックしていた。けれど返信はなかなか来ない。もしかしたらもうくれないのかもしれないと思って、いやそんなはずないと美園は思い直した。
(きっとくれる)
美園は信じながら待った。
三日後、テレビの生番組の出演が終わってから控室でスマホをチェックすると、インスタに返信があった。
<絵を大事にしてくれてありがとう>
それだけだった。特に何か連絡先が記されてもない。美園はがっかりしたがもう一度メッセージを送った。
<連絡先変わってないです。もしわからなかったら教えるのでもう一回メッセージを下さい>
その返事は帰宅するためのマネージャーさんの車の中で見た。
<連絡先、覚えてます>
それだけだった。
(もう・・・じゃあ、どうしてくれないの?)
美園はまたすぐに返信をした。
<じゃあ、いますぐ電話をかけて!>
叫ぶような祈るような気持ちだった。
<わかった>
またそれだけの返事がすぐにきた。それからすぐに美園のスマホが鳴った。
(朔・・・?)
以前の番号とは違うようだったが、すぐに美園は電話に出た。運転している新しいマネージャーさんがこっちをチラッと見た。
「もしもし?」
心臓がドクドクと鳴った。
「もしもし?」と相手が言う。その声は以前より少し低くなっていた。
「ほんとに朔?」
「うん・・・」と言う。
「バカ!どうして連絡先覚えてるならどうしてすぐに連絡くれなかったの?」
「・・・うん・・・ごめん・・・」と朔が言う。
「ずっと私・・・」とそこで涙が溢れてきた。バックミラー越しにマネージャーさんに見られたが、そんなことにはもう構ってはいられなかった。
「美園?泣かないで・・・」
朔が昔と同じ言い方で言う。
「うん・・・」と美園は涙を拭いた。
「どこにいるの?」
「・・・東京に戻って来た・・・○○区」
「どこか違う所にいたの?」
「うん・・・」
「今はどこ?」
「家・・・」
「一人?」
「うん、そう」
美園はマネージャーさんに○○区に行って欲しいと頼んだ。「えっ?」とマネージャーが驚いている。「お願い」と美園は言った。マネージャーが黙って車をUターンさせた。美園の雰囲気に何かを察した様子だった。
「場所、教えて」
「○○区だよ」
「その続き」
「○○区の○○町二丁目・・・えーと・・・マンション名がわからない・・・来たばっかりで」
「番地言って」
「二番地十三かな」
「今から行くから」
「えっ?でも・・・」
「待ってて。一人なんでしょ?」
「うん・・・一人」
「何階?」
「二階」
「わかった」
「じゃあ・・・」と朔が電話を切ろうとしたので、美園は「切らないで」と言った。切れてしまったらこれは夢だと言われそうな気がした。
「・・・うん・・・」と朔も言う。
「テレビ・・・」と朔が言う。
「うん・・・」
「テレビ出てたでしょ?」
「うん・・・」
「見たよ」
「うん、どうだった?」
「すごいね。前よりもっとすごくなってるね」
「そんなことないよ」
「そんなことあるよ」と朔が笑った。
「朔のインスタの方がすごいよ」
「すごくないよ」
「絵、描いてたんだね」
「うん・・・それしかできないから」
「・・・今、何やってるの?」
「今?」
「仕事とか、学校とか・・・」
「・・・仕事」
「そう。何の?」
「アルバイトしながら絵を売ってる」
「そうなの?すごいじゃん」
「すごくないよ」
そこでマネージャーさんが「〇町の何丁目?」と聞いてきた。
「二丁目、二の十三」と美園は伝えた。
「美園、一回でよくわかるね」とその声を聞いていた朔が言った。
「わかるよ」
忘れないようにと聞いたからだ。
朔のマンションに着くとマネージャーさんに「自分で帰るから」と言った。マネージャーさんは「わかりました」とそのまま帰って行った。
美園はスマホを耳に当てながらマンションの階段を上った。四階建ての小さなマンションだった。
「朔、何号室?」
そう言ったら一つの扉が開いた。そして水色のTシャツに黒いズボンを履いた男性が出て来た。一瞬美園は誰だかわからなかった。髪は少し赤茶に染めていた。その男性が美園に気が付いてこっちを向いた。
「美園」と笑顔を向けてくる、その笑顔は朔のものだった。
(朔・・・)
美園はそのまま朔は立っている場所まで歩いて行った。
「部屋、まだ片付いてないけど・・・」と朔が言った。
「うん・・・そんなのはいいよ」と美園は言った。
「どうぞ」と言われて部屋に入ると、まだいくつかの段ボールと、無造作にいくつかの絵が壁に立て掛けられていた。
「椅子とかないんだよね」と朔が言って、少し床の物をよけた。
美園は「気にしないで」と言って床に座った。
「飲み物は・・・」と朔が冷蔵庫を開けた。
「あ、スポーツドリンクとビールしかないや・・・」
「いいよ、何もいらない」と美園が言うと、朔がこっちを向いてから冷蔵庫を閉めた。そして美園の隣に座った。
「連絡、どうしてしてくれなかったの?」と美園は言った。
「うん・・・ごめん」
「そうじゃなくて・・・何があったの?」
「・・・色々・・・」
「私、ずっと待ってたのに・・・」
「うん・・・」
朔がうつむいている。美園は壁に立てかけられているキャンバスに描かれている絵を見つめた。
「絵・・・売ってるの?」
「うん・・・」
「どこで?」
「ネットで」
「売れる?」
「うん・・・少し仕事の依頼も来てて・・・それでもう一人でやろうかなって・・・」
「今までは?」
「父親と一緒」
「そうなんだ・・・」
そこで沈黙になった。朔は何があったとも言わずに黙っている。
「美園は歌とかドラマとか・・・すごくいっぱい出てるね」
「見てたの?」
「うん、見てたよ」
「・・・じゃあ、どうして?」
美園がそう言うと朔が美園をみつめた。
「どうしてって・・・」
「朔が連絡くれると思って、私ずっと芸能活動してた・・・」
「えっ?」と朔が驚いている。「俺の・・・?」
「そうだよ」と美園は朔の方を向き直った。
「朔が連絡もくれないでいなくなるから、私を忘れさせないためにテレビもどんどん出てたんだよ」
朔はまた驚いた顔をしてから「美園を忘れるわけない・・・」と言った。
「でも忘れてたでしょ?」
「忘れてない・・・」
「忘れてたから連絡も何もなかったんだよ」
「忘れてない」
「忘れて・・・」と美園の目からまた涙が溢れてきた。今日の日ためにずっと出たくもない番組にも無理して出てきた。
「美園・・・泣かないで」と朔が言う。
「バカ!」と美園は朔に抱きついた。嗚咽を我慢して朔の首に腕を巻き付けた。
「美園・・・泣かないで」と朔が美園の背中に手を回してくる。
「泣くよ・・・今日は。朔に会うまで泣かないって決めてたけど、会ったらもう泣いていいんだから」
そう言って美園は腕の力を緩めて朔の顔を見つめた。以前より少し大人っぽくなった朔の目がそこにあった。
「美園・・・何だか前より可愛くなったね」と朔が笑顔になった。
「・・・・・・」
美園は自分から朔に口づけた。朔がそれを受け止めて深く口づけてきた。舌を入れてきて絡めてくる。そのまま口づけながら二人は床に倒れた。
朔が舐めるようなキスをしてくる。そしてその手が美園の膝に伸びてきた。
「美園の膝は・・・変わってない・・・」と膝を強く撫でてくる朔。
「変わったよ・・・」と美園は朔を見つめた。
「変わってない・・・・」と朔が美園の履いていたGパンを下ろしてきた。そして膝に直に触れてから「やっぱり同じ・・・」と膝に口づけてきた。
しばらく膝に舌を這わせていた朔が、下着の上から舐めてきた。
「美園・・・していい?」と朔が聞いてくる。
「いいよ・・・」
美園は起き上がってブラウスと中に着ていたTシャツを脱いで下着姿になった。朔がそれをじっと見つめてから自分もTシャツとズボンを脱いだ。
「美園」と名前を呼びながら激しく突いてくる朔は、やはり以前とは少しエネルギーが変わっていた。ブラジャーを乱暴に押し上げられて舌で舐めてくる朔からは、かなり強いエネルギーを美園は感じた。
後始末が終わって美園が下着に手を伸ばすと「シャワーかける?」と朔が聞いてきた。
「ううん・・・後でいいよ」
「そう?明日は仕事?」
「うん・・・まあ・・・」
「・・・まだいれる?それとも帰る?」
朔の顔を見つめると朔が少し切なそうに美園を見ていた。
「まだいていい?」
「うん」と朔が嬉しそうに言った。
「美園、俺のスケッチブック、大事にしてくれてありがとう」
二人は並んで壁にもたれていた。朔がそういって美園の手を握ってきた。
「当たり前じゃない。大事にするのは」
美園が答えると朔が嬉しそうに続けた。
「ずっと美園のこと見てたけど・・・もう遠い人になっちゃったって・・・そう思ってて・・・でも、あのスケッチブック大事にしてくれてたんだって思ったら・・・すごく嬉しくて・・・」
「遠くなんかないよ。すっと朔のこと思ってたんだから」
美園の言葉に朔が驚いた表情を見せた。
「俺のこと?」
「うん・・・そうだよ」
「そうなの?ほんとに?」
「ほんとだよ」
朔がまた嬉しそうに握る手に力をこめた。
「朔、もう勝手に消えないでね」
今度は美園が朔の手を握り直した。
「うん・・・でも、美園はスターだから・・・俺とは・・・」
「スターって何よ?私は何も変わってないよ。変わるはずないんだよ」
「・・・うん・・・」
「お母さん・・・亡くなったって聞いたけど・・・」
「・・・・・・」
「事故だって?」
「うん・・・」
「それでお父さんと・・・?」
「うん・・・」
朔はそれ以上の話をしない。それはかなりつらいことだったのだ・・・。そんな風に朔から感じるエネルギーがひどく頑なになった。
「美園・・・俺・・・」と朔が言いにくそうにしている。
「何?」
「美園のそばにいていいのかな?」
「いいよ。当たり前でしょ?」
「でも・・・」
「でもなんてないよ。一緒にいよう」
「俺・・・美園が好きだから・・・今度はきっと離れられないよ・・・」
「いいよ。もちろん。離れないで」
そう言ったら朔が口づけてきた。そのまま床に押し倒されてから朔が言った。
「ほんとは・・・美園のことばかり考えて・・・考えすぎてて・・・おかしくなりそうだったんだ・・・」
「私もだよ?」と美園が言うと朔がじっと美園を見つめてきた。
「・・・俺・・・父親・・・殺しそうになったんだ・・・」
朔の言葉に美園は驚いて朔を見つめた。
「どうして?」
「・・・お母さんが・・・死んで・・・おかしくなった・・・」
「お母さん・・・どうして?」
「お母さん・・・自殺した・・・」
「・・・・・・」
美園は驚いて朔の目を見た。悲しそうでもつらそうでもなく、むしろ淡々とした目をしていた。
「それで・・・どうしても許せなくて・・・でも・・・」
そこで朔が辛そうに顔をゆがませて美園の胸に顔をうずめた。
「だから・・・俺・・・美園に会ったらダメだと思って・・・でも・・・会いたくて・・・」
「うん・・・」と美園は朔の頭を撫でた。
「会いたくて・・・会いたくて・・・」と朔が繰り返す。
「私も会いたくておかしくなってたんだ」と美園は朔の頭を撫でながら言った。
朔が突然消えてからの年月、美園よりもつらい日々を朔は送っていたのだ。その日美園は、遅くに自宅に帰宅した。次の日の朝、目が覚めて美園は何だか昨日朔に会ったことが夢じゃないかと思った。けれどスマホには朔からの電話の履歴が残されていたし、ラインも教えてもらっていた。
美園は朔にラインをしてみた。
<おはよう。昨日はありがとう>
時刻は朝の七時・・・まだ寝てるだろうか・・・?
美園が仕事へ行く準備をしているとスマホが鳴った。
<おはよう、これからバイトだよ>
ああ、ほんとに朔とまた会えたんだなと実感が湧いてきた。
<そうなんだ。じゃあ、頑張ってね>
返信を送るとすぐに返信がきた。
<今日は会える?>
<今日は九時くらいまで仕事、その後なら会えるよ>
<じゃあ、その後来て>
<わかった、またラインするね>
何だか朔、積極的になったなと思う。以前ならこんな強引な感じに誘ったりはしなかった。
その日はレッスンと歌番組の収録、雑誌のインタビューなどをこなして帰路についたのはやっぱり夜九時を過ぎていた。マネージャーさんに昨日の場所まで頼むと「誰のところ?」と聞かれる。
「友達です」
美園が答えると「それならいいけど」とマネージャーさんが少し訝し気に美園を見た。
朔の家のインターホンを鳴らすと、すぐに朔が出てきていきなり口づけられた。そんなことは昔はなかったので、美園はびっくりした。
「お疲れ様」と言われる。
「うん、朔もお疲れ」と言ってから部屋に入ると、テーブルの上に水彩画があり、パソコンが開かれていた。
「絵、描いてたの?」
美園が聞くと「うん、そう」と朔がテーブルの上を少し片づけた。
「パソコンでも描いてるの?」
美園はパソコンの画面上の朔の絵を見た。
「うん、どっちかっていうと、電子の方が売れるんだ。でも、やっぱりアナログのも欲しいって言う人はいるから」
「そうなんだ」
美園は感心してパソコンの画面上の朔の絵を見た。それはイラストで以前は見たことのない画風だった。
「絵、変わったね」
「そう?」
朔が冷蔵庫を開けて「何か飲む?あ、ご飯は?」と聞いた。
「あ、食べてないけどいいよ、気にしないで」
「でも、お腹空くでしょ?あ、うちで咲良さん作ってるの?」
(あーそうか、朔にはまだ言ってなかったっけ・・・)
朔には一人で暮らしていることをまだ言ってなかったことに気がつく。
「私、今一人で暮らしてるんだよ」
美園の言葉に朔が「え?そうなの?」と驚いている。
「うん、家を出て一人なの」
「どうして?」
「んー・・・一人で色々考えてみたかったのと、一人暮らしがしてみたかったからかな」
「そうなんだ・・・じゃあ、ご飯一緒に食べようよ」
「朔も食べてないの?」
「うん、実はコンビニのお弁当買ってあるんだ」
「そうなんだ、私もいつもコンビニのお弁当が多いよ」
「そうなの?美園ならもっといいもの食べれるんじゃないの?」
「お金はあっても腕がないから料理はできないし、夜は一人で外食もできないから」
「そうなんだ、じゃあ、このお弁当一緒に食べよう」と朔がテーブルの上にコンビニで購入したものを並べた。
食事を終えると朔がすぐに口づけてきた。それからズボンの上から膝を触ってきた。
「美園・・・していい?」
切羽詰まったような言い方で朔が言う。
「いいよ・・・」
「ベッド、あっちの部屋なんだ」と朔が美園の手を引いた。
ベッドに入るといきなり上からのしかかって口づけてくる朔。
(やっぱり朔、変わったかも・・・)
以前朔から感じていたエネルギーとはまるで違う感覚だった。昨日よりかなり激しく美園にぶつけて来る性欲のエネルギーは以前とはまた違う気がした。
「美園は彼氏いないの?」
セックスが終ると朔が聞いてきた。
「いないよ」
「ずっといなかった?」
「いないよ。朔は?」
「彼女じゃないけど・・・」
朔がそこで言葉を切る。
「彼女じゃないけど何?」
「誘われたことしちゃった・・・」
「・・・そう」
「でももうその子はいないから」
「そうなんだ」
美園は起き上がった。この三年間、気にしていたのはもしかして自分だけだったのかなと思い始めた。必死で仕事をして、朔にメッセージを送っていたけれど、朔にとってはただ遠い存在になっていたのかもしれない。そう考えたら一気に冷めていくような気がしてきた。
(私は晴翔さんの誘いも全部断って、他の人からの誘いも全部断っていたけど・・・朔はそうだよね、男だもんね・・・)
「美園?」
朔が少し不安そうな声を出した。そうだ、そんな声だ。高校の頃一緒だった朔はいつも少し不安そうで・・・でも、純粋で・・・自分のことばかり追いかけてくれていた。
(いつのまにか私の方が追いかけてたけど・・・)
「帰るよ」と美園は下着に手を伸ばした。
「帰る?泊まっていって」と朔が言う。
「明日も仕事だし・・・」
「泊ってよ」と朔が強く言う。
美園は朔の顔を見つめた。以前と同じようでいてまったく違う朔がそこにはいた。
「美園・・・他の子としちゃってごめん・・・」
朔が美園に抱き着いてきた。
「いいよ。気にしないで」
「気にする。もう他の子とはしないから」
「いいよ。したくなっちゃうんでしょ?」
「いい・・・しないよ。美園とだけする」
「いいって」と美園が言うと朔がまた抱きしめてきた。
「帰らないで・・・」
「朔・・・朔も仕事でしょ?」
「そうだけど・・・美園といたい・・・」
「・・・・・・」
「俺・・・美園にほんとに会いたかった・・・もう離れたくない・・・」
朔が美園を抱きしめる手に力をギュッとこめてきた。
「朔・・・じゃあ、もう少しいるよ」
美園が言うと「泊まって」という朔。
「泊まると私が困るんだよ」
「・・・・・・」
朔が口づけてきた。それから「いない時は我慢できたのに・・・会っちゃったらもう・・・ダメ・・・絵もなかなか手につかない・・・」と言う。その弱々しい声の朔は、以前の朔だった。
「朔、一人で寂しい?」
美園がそう言うと、朔が手を緩めて美園から身体を離した。
「・・・寂しいよ」
「・・・・・・」
美園が見つめている目の前にいる朔は、きっと以前のままなのだ。なのに自分の方がそれを感じられなくなっている。
(でも、やっぱり朔といたい・・・)
「じゃあ、一緒に暮らす?」
そう言うと朔がすごく驚いた顔をした。
「一緒に?」
「そう・・・だってどうせ二人とも一人暮らしなんだし・・・一つにしてもいいんじゃない?」
「・・・ほんとに?」
「うん・・・あ、朔はでもここ借りたばっかりか・・・契約とかあるよね」
「うん・・・だけど一緒に暮らしたい」
「んー・・・朔のところより私のところの方が広いから・・・私のところの方がいいよね。新しく借りたりするとまた目立つから」
「うん・・・契約は何とかする」
「んー・・・じゃあ、何かあったら教えて」
「うん」
その日は一緒に暮らす約束をして美園は朔のところには止まらず、自分の部屋に戻って来た。
(やっぱり奏空に相談しようかな・・・)
あんなに会いたかった朔とようやく出会えたのに、朔の中に以前の朔を見つけられない。
(きっとそれは私のせいだ)と思う。
次の日のラインで<いつから一緒にいれる?>と聞かれた。
<いつでもいいよ。まずうちに来る?>
そうラインを送ったらすぐに返信が来た。
<うん、少し荷物片づけて持って行っても大丈夫?>
<いいよ、大丈夫>
その日の夜、朔が少しだけ荷物を手に美園のマンションに来た。珍しそうに部屋の中を見回してから、「広くてきれいだね」と朔は言った。
「アルバイト先のスーパーまで遠くなるね」
朔は自分の部屋からすぐのスーパーマーケットで品出しとレジのアルバイトをしていた。
「うん、でもそんなのは大丈夫だよ。本業は絵の方だから」
「そっか、パソコンがあればとりあえず仕事はできるんだね」
「うん、でもアナログの方の依頼もあるから、それも仕上げないと・・・」
「そうなの?すごいね」と美園が言うと朔は「全然すごくないよ。美園の方がすごいよ」と朔が言う。
食事をしてから朔がパソコンに向かっているのを横から眺めた。
「何かのデザイン?」と美園は聞いた。綺麗なグラデーションを朔が作っていた。
「うん・・・何か会社のパンフレット・・・」
「へぇ・・・そういう仕事なんだ」
「うん・・・やっぱり油絵だけじゃ限界で・・・イラストをいっぱい描いて、ネットの中で宣伝したんだ。昔、美園がやりかた教えてくれてたからできたよ」
「そうだっけ?」
「うん」と朔が笑顔になる。
その日は朔は遅くまでそのパンフレットのデザインにかかっているようだった。美園は眠くなったので先にベッドに入った。
朝方背中に温もりを感じて目が覚めた。朔が背中から抱きしめていた。
「今までやってたの?」
「うん・・・」
「今日、仕事?」
「うん・・・でも昼から」
「そう・・・」
朔が口づけてくる。その口づけを受けながら(ああ、そうか・・・)と思った。
朔は以前よりかなり大人になったのだ。母親を亡くし、あの偏屈な父親と一緒にどうやって暮らしてきたのだろう。
(それに、父親を殺しそうになったって・・・)
朔が首の辺りを舐めてくる。それから着ているTシャツをめくり上げてきた。
「朔、私もう起きないとならないから・・・」
「ん・・・」と朔が胸を手で撫でてくる。
美園はそのまま身体を起こしベッドから出た。
「美園・・・」と朔が寝たまま手を伸ばしてくる。
「何?」
「今日は何時頃帰る?」
「んー・・・わかんない。今日のスケジュール把握してなかった」
「そう・・・俺、今日遅い・・・」
「そうなんだ。ご飯は?」
「休憩時間に食べるから」
「そう」
身支度を整えて寝室をのぞくと、朔がぐっすり眠りこんでいた。その寝顔は以前と変わらない。美園はそのままテーブルに合鍵を置いて<これ、使って>という手紙と共に置いておいた。
マンションの下にはマネージャーさんが迎えに来ている。車に乗り込むと「おはようございます」と笑顔で言ってくる。
「おはようございます」と美園は挨拶して後部座席に乗り込んだ。
「今日は天気いいですね」とマネージャーさんが言う。
「そうですね」
美園は車の窓からパールブルーの空を見上げた。そして朔が大人になったのなら自分はどうだろう?と思っていた。




