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千紫万紅  作者: リゾット
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僕と親友と剣道小町と ~木刀少女の懺悔~

 そこそこ質素な生活を営んできた僕も、金持ちの家がどんなものかは知っている。

 僕の幼馴染・櫻井山桜桃の実家は、市内でも有数のお屋敷なのである。櫻井家といえば辿っていけば華族にルーツがあるくらいの家柄なのだとか。

 代々女性が本家当主を務めるという櫻井家の伝統に則り、現当主は山桜桃の叔母さんが務めているそうだ。そして、山桜桃の家族は本家を離れ、我が家の隣に一軒家を構えて暮らしているのである。山桜桃の母親は現当主の妹で、山桜桃の父親は婿養子として櫻井家に入った。

 とはいえ別に本家と絶縁したわけでも何でもなくて、折に触れては本家の方に遊びに行ったりもする。僕もお隣さんの縁で一緒に櫻井本家に行ったことがあるのだが、大層でかい屋敷だったことばかりが印象に残っている。庭に池とかあるんだぜ。

 そして、その櫻井家に匹敵する名家が、いくつか存在する。

 例えば、鴻巣神社の七竈家。

 例えば、この辺一帯の山林を所有する山吹家。

 例えば、地元の名士である岩千鳥家。

 例えば、警察一族の蘇芳家。

 そして僕は今、その名家のお屋敷を訪れているのである。

「……まあ、ご立派な家ですこと」

 屋敷、というのは些かな語弊があったかもしれない。櫻井家は純和風のお屋敷だったけれど、蘇芳家はもっとモダンな造りをしている。というかまあ、ちょっと大きくて奇麗な一軒家だ。そうは言っても並の家よりは遥かに大きい。ガレージに停まっていた車は高そうな外車だったし、広い庭もあるし。中に通されてみれば高そうなインテリアがずらり。割ったら損害賠償を支払うのに十年単位でローンを組む羽目になりそうな壺とかもあった。迂闊に動き回らないようにしようという決意を僕が固めるのにそう時間はかからなかった。

 そして今僕は、蘇芳家の応接室の椅子に座り、借りてきた猫のように大人しくしている。お茶を出されたが手をつけていない。この高そうなティーカップに万が一のことがあったらと思うと……。

「お待たせして申し訳ない、雄漂木先輩」

 応接室で待たされること数分。やけに高そうな扉を開いて現れたのは蘇芳里和だった。

 制服から着替えたのであろう、簡素なブラウスにロングスカートという出で立ち。なるほど、一昨日とは打って変わってお嬢様っぽい雰囲気が出ている。キツめの目つきや、そして何よりその手に握った木刀があまりにもミスマッチで物々しいが、しかし中学のころ剣道小町と呼ばれていた面影があるような気もする。

「客の前で木刀を握るという非礼についてはご海容頂きたい……。事情が、あって」

「まあ、僕の頭がそれでかち割られるようなことにならなきゃ」

 物怖じしたと思われないように、僕はつい皮肉を吐く。

 機嫌を損ねるかと思ったが、蘇芳はおかしそうに笑った。

「その心配は必要ないよ、雄漂木先輩。私がこうして木刀を持つのは、人を傷つけるためではないから」

「木刀にほかにどんな用途が……?」

「はは、ごもっともだな。しかし先輩、木刀はいいぞ。握ってると落ち着くし、あと部屋に飾っても粋だ」

 怖いわ。

 蘇芳は僕の向かい側のソファに座った。

「……まずは、わざわざ家まで来てもらって申し訳ない」

 開口一番、蘇芳は僕に頭を下げてきた。

 今日、僕は昼休みに一年C組の教室を訪れた。愛しの義妹と昼食を共にするため、ではなく、蘇芳と話をするためである。教室の隅っこで一人ぽつんと弁当を食べる蘇芳に話しかけたところ、無視された。

 その場はとりあえず諦めて引き下がったのだが、放課後、蘇芳から接触してきた。この間のように、木刀を携えて。

 そこで、

「ゆっくり話がしたい。家まで来てくれ」

 と言われ、こうして家まで招かれたのである。

 僕としても、他人に聞かれる心配をせずに話せる環境があるのはありがたい。

「僕もゆっくり話がしたかったところだから、ちょうどいいよ」

「ありがとう。……それで、どこから話したものかな」

「蘇芳は、どうしてあそこまで杉村に拘るんだ?」

 一昨日、昇降口で見せた蘇芳の激昂。あれは、ただごとじゃなかった。

 蘇芳里和にとって、杉村恭一という存在がいかに重要か。

 その理由を、僕は知りたい。

「……杉村恭一が、私のとっては心の支えだったからだ」

「心の、支え?」

「順を追って話そうと思う。少し長くなるかもしれないが、聞いてくれるか?」

 僕は頷いた。

「……私は、幼い頃から剣道をやっていてな。うちは一家代々警察官の家系なんだけれど、剣道家の家系でもあるんだ。父も祖父も有段者でね。そして家には子供が私しかいないから、期待もされていた。

 決して自慢をするわけではないけれど、私には多分、才能があった。中学生になる頃には、私の周りにはほとんど敵がいなかったんだ。私の中学は剣道部が全国区だったが、一年生で私はレギュラーを掴み取ったよ。

 純粋に、私は剣道が好きだった。練習は辛かったけれど、それでも試合で勝つたび、私は強くなっている実感を得ることが出来た。それがたまらなく嬉しくて、私は練習に明け暮れたんだ。脇目もふらず、というやつだ。ひたすらに剣道ばかりやっていた。放課後に友達と遊ぶ、という当たり前の体験を私はほとんど得ていない。

 でも、あるとき気付いてしまった」

「気付いた、って何に?」

「己の欺瞞に、だ」

 蘇芳は俯く。口元には、嘲るような笑みが浮かんでいるのが見えた。

「私は、自分が剣道が好きで、だから剣道に打ち込んでいるのだと思っていた。己を高め、日々精進していく……そんな自分が誇らしくて自己陶酔していたとさえ言える。

 でも、違ったんだ。私が剣道を続けていた根本的な動機は、まったく違うところにあったんだ。雄漂木先輩、先輩は、喧嘩をするか?」

「喧嘩? 殴り合いの喧嘩ってことなら、全然……」

 そうだろうな、と蘇芳は頷いた。

 僕は肉体労働には向いていないのだ。暴力なんてもってのほかである。

「人を殴ったことは?」

「冗談で頭をはたくくらいかな」

「雄漂木先輩は、暴力が嫌いか」

「好んじゃいないなあ」

「そうか。私は好きだ」

 視線を上げて、まっすぐ僕の目を見て、蘇芳はそう言った。

 私は暴力が好きだ、と。

 よろしい、ならば戦闘だ。……蘇芳もそこまでは言ってないし、僕も言うつもりはないけど。

「私が酔っていたのは、己を高めることなんかじゃない。もっと単純なものなのさ。相手を打ちのめす。ただそれが楽しくて楽しくて、私は剣道に打ち込んでいたんだ。警察官の家系に生まれた私が、どうしてこんな危険な性分をしているのか分からない。でも、楽しいんだ」

「剣道が好きなのは、合法的に安全に、相手を叩きのめすことのできるスポーツだから、か?」

 蘇芳は頷いた。

 剣道は防具をつけている。それ故に、思い切り力を振るうことができる。

 己のもてる全力を相手にぶつけ、叩きのめす。そして勝利の快感を味合う。蘇芳にとって、それこそが至高の悦びだったのだという。

「……雄漂木先輩。もしも身の危険を感じたなら、逃げ出してくれて構わない。でも、私は今は、人を殴ろうとは思っていないよ。さっきも言ったけれど、私がこうして木刀を持つのは、人を殴るためではないのだ」

「なら、何でそんなもんを?」

「それも後で話そう。さて、そう、中学生の頃さ。部活の帰りだったかな。夜、私は、街中で不良に絡まれる機会があった。雄漂木先輩ならご存知だろうが、その当時、不良生徒が多く、治安が悪かったんだ」

 その話はよく知っている。

 そういう環境の中で生まれたのが、『修羅』と呼ばれた杉村恭一だったのだ。

「私は不良に絡まれた。何で絡まれたのかはよく覚えていない。だが私がそいつらにどういうことをしたのかは鮮明に覚えているよ」

 僕にも、分かった。

「お前はそいつらを、返り討ちにしたんだな」

「竹刀でボコボコに叩きのめした。はっきり言って過剰防衛が成立するかどうかも怪しいものだよ。不良どもが何人いたかは覚えていないけれど、そいつら全員、半殺しくらいにはしたかもしれない」

 どういう状況だったのか僕は知らないけれど、蘇芳のやったことは間違いなくやりすぎ、だ。

「私は自分よりも年上の男を叩き伏せることができた。雄漂木先輩は引くだろうが、快感だった。私は強い、その実感を得ることで、世界が輝いて見えた。そして、もっと強い人間を叩きのめしたくなった。

 そして、私は一人の男に目をつけたんだ。当時、札付きの不良として知られていた一人の中学生に」

「それが、杉村か」

 『修羅』。

 『鬼』。

 『破壊神』。

 『歩く暴力装置』。

 曰く、ヤクザの事務所を一人で壊滅させたとか。

 曰く、熊と一騎打ちして勝ったとか。

 とにかく中学時代、杉村恭一は手のつけようがない不良少年だった。

「私は杉村恭一に勝負を挑もうと思ったんだ。杉村恭一に勝って、自分の強さを証明したかった。我ながら質の悪いことだと思う。

 私は、杉村恭一に果たし状を送った。……笑わないでくれ、雄漂木先輩。私にとってはあれが礼式なのだ」

 ボケじゃなかったのか、あれは。

 今時果たし状はないだろう。

「とにかく、私は杉村恭一を呼び出したんだ。でも、来なかった。夜まで待って、私は仕方なく帰ることにした。そしてその帰り道だった。人気のない空き地で、私は遭遇したんだ。杉村恭一に。

 厳密に言えば、杉村恭一が、何十人といるであろう不良の集団を一人で薙ぎ払う現場に、だな」

 驚かない。昔の杉村は本当にそれくらいのことはやる奴だった。

 僕は喧嘩をしないけれど、杉村が本当に強いのだということは、知っている。

「私は陰からその光景を見ていた。釘付けになった。空いた口が塞がらなかった。

 杉村恭一の暴力は圧倒的だった。問答無用に向かってくるものを粉砕する。美しいとすら感じた。私は興奮を抑えきれなかった。きっと、プロのスポーツ選手のスーパープレイを間近で見るような、そんな興奮だったのだろう。勝てる気がしなかった。でも、挑んでみたくなった。私は自分がどこまでやれるか、試したかったんだ」

 その想い自体は、とてもまっすぐなものだ。剣道というスポーツの範囲に収まっていれば、きっと大きなエネルギーになるだろう。実際、蘇芳は全国大会で実績を残している。

「私は竹刀を手に、杉村に襲いかかった。ちょうど杉村は敵を全員ノックアウトした後だった。そこに現れた私は、彼の目にどう映ったのか、定かではない。でもきっと敵だと思って、向かってくると思ったんだ。そうしたら杉村は、どうしたと思う?」

 僕は想像する。

 あの頃の杉村なら、たとえ相手が女子だろうと容赦はしなかった?

 いや、違う。

 杉村は暴力的ではあったけれど、暴虐的ではなかった。

「……戦わなかった。そうだろ?」

「正解だよ。流石だ、雄漂木先輩。そう、杉村は戦わなかったんだ。『おとなしく家に帰れ』。私の一撃をいともたやすく受け止めて、そう言い放った。一瞬にして私は、戦意を喪失してしまった。勝てない。杉村にとり私は戦うに値しない存在だった。私が陶酔していた暴力は、あまりにちっぽけで取るに足らないものだ。――そう思い知らされた」

 それが、蘇芳里和と杉村恭一との馴れ初めってわけだ。

「私は思い知った。自分の無力さに。そして、自分が振るってきた暴力が、いかに恐ろしく、そしていかに矮小なものだったかを」

 杉村恭一という圧倒的な存在を目にして、蘇芳は、自分もあんな感じだったのか、と顧みたそうだ。

 人のふり見て我がふり直せ。

 蘇芳は、自分を客観視する機会に恵まれた。

「私は悔い改めた。暴力は暴力でしかない。不良を殴って悦に入っていた自分が途轍もなく恥ずかしくなった。こんな自分に剣道を続ける資格なんてない。途端に私は剣道を続けることが、楽しくなくなっていた。

 惰性で続けていたけれど、私は中三の夏を最後に、剣道をやめた。結局、私は剣道が好きなのではなく、暴力に酔っているだけの矮小な人間だった。そんな私に剣道を続ける資格はない。全国大会に出たのは、周りへの義理立てに過ぎなかったんだ」

 それで全国大会準優勝なら、大したものだ。

「けど、私は自己修練は怠らなかった」

 剣道は辞めたが、トレーニングはひたすら続けたという。

 そして全国各地からのオファーを蹴り、地元の公立校への進学を決めた。

「杉村恭一との、再戦のために」

 僕には、一昨日蘇芳が激昂した理由が分かった気がした。

「杉村恭一は、私にとっては憧憬の対象であり、そして恩人なんだ。彼に出会わなければ、私はどんな間違いを犯していたやもしれない。杉村恭一に完全敗北をしたことで、私は己の過ちに気付いた。そして私は、思ったんだよ」

 蘇芳はまた、僕の目を見る。強く、強く。

「杉村恭一は、己の過ちに気づいているのだろうか、と」

 暴力に身を委ねていた当時の杉村。

 その過ちを、蘇芳は正そうと考えた。

「だから私は、杉村恭一と戦おうと思った。暴力を否定するために暴力を用いるとは何とも矛盾しているが、しかし、毒を持って毒を制すしかない、と思ったんだ。だから私は必死に自分を高めた。あの時、私は杉村に相手にすらされなかった。けれど、私が強くなれば。あの男が私に気付かせてくれたことを、今度は私があの男に気付かせる番だと、そう思った。思っていた。でも……」

 蘇芳は高校に入って、そして知ってしまった。

 杉村恭一が、変わったことを。

「私が出るまでもなかった。杉村恭一は『更生』していたんだ」

「喜ぶことじゃないか」

 更生したんだ。

 まあ、ちょっと行き過ぎて二次元に浸かっちゃってるけど。

「そう、喜ぶべきなんだよ。私は杉村恭一の更生を喜ぶべきだった。なのに私は、失望してしまった。私が何かするまでもなく、杉村恭一は更生したのに、だ。一体どうしてだろうね?

 ……先輩、お茶のおかわりは必要か?」

 気付けば、僕は出されたお茶を飲み干していた。

 ティーカップの値段は、もう気にならなくなっていたのだろう。


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