僕と親友と剣道小町と ~不良少年の郷愁~
蘇芳里和。
一年C組。
部活動には所属していない。
中学時代は剣道部に所属。剣道歴は長く、中学一年生の時点でレギュラーに選ばれるほどの実力者だった。
三年生の夏、全国大会で個人戦準優勝、団体戦優勝という華々しい実績を残す。にも関わらず、全国各地の剣道強豪校からのオファーをすべて断り、剣道弱小校であるこの高校に、一般入試で入学。
成績は上々。四月に行われた新入生テストでは、クラスで二番目の成績を叩きだしている。ちなみに、一位が我が愛すべき義妹の雄漂木凛々恵であるというのは、まあ余談。
友達はいないようだ。少なくとも誰かと行動を共にしているのを見たことがない、というのが一年C組担任の楢橋先生の話。
僕の世界一可愛い義妹の凛々恵が言うには、
「誰が話しかけても、まともに取り合ってもらえない、というか。あちら側がかなり強固な壁を築いてしまっている感じですね。今ではもう、誰も蘇芳さんに話しかける人はいなくなってしまいました」
とのこと。凛々恵も何度か話しかけたそうだが、無視されるか邪険にされるかのどちらかだったそうだ。
「……ってな感じだよ。そっちはどうだ」
後輩に木刀を突きつけられるというショッキングな体験の、翌日。
放課後、僕は杉村の家を訪れていた。
学校から歩いて五分ほどのところにあるマンションの一室に、杉村は住んでいる。実質一人暮らしであり、しばしば僕も泊りがけで遊びに来たりしたものだ。
「蘇芳と同じ中学の奴を何人か当たってみたがな。どうも、雄漂木の言う人物像とは噛み合わねえな」
僕と杉村は、リビングで互いに得た情報を交換しあっていた。
杉村はソファに寝そべっており、僕は床に座布団を敷いて座っている。いつものスタイルである。
「……ポニーテールって、いいよな」
「は?」
いきなり何を言い出すんだこいつ。
「最近いろんな髪型があるけどよ、やっぱポニーテールは格別だと思うわけよ。シンプルながら普段とのギャップが際立つし、ちらりと見えるうなじもポイント高い。
小学生の頃俺サッカーやっててよ、地元のチームに所属してたんだが、一人だけ女の子がいてな。その子のポニーテールにときめいて以来、俺はポニーテールを崇拝してんのよ」
何でいきなり杉村のフェティシズムについて一席ぶたれないといけないんだろう。
まあ、今に始まったことでもないけど。
「何だ雄漂木。お前はツインテール派か」
「いや、ポニーテールは僕も好きだけどさ」
今はその話をするタイミングか?
僕の疑念に答えるように、杉村は言う。
「剣道小町といえば、ポニーテールだろうが」
「いや、知らねえよ」
「そうなんだよ」
そうなのか。
「丁度今やってるエロゲに、まさに剣道小町、って感じのキャラがいるんだがな。黒髪ポニーテール。鉄板だ。で、だ。雄漂木、蘇芳の髪型、覚えてるか?」
「ポニーテールでなかったことは確かだな。でも、髪は結ってた」
背中の辺りで結っていた。あれはポニーテールとは言わないよな……。
あれ、あの髪型、何て言うんだろう。
「あれは一本結びって言うんだよ。ポニーテールよりも結う位置が低く、ポニーテールとは区別されるな。おばさん結びだのオバンテールだの呼ばれることもあるが」
「へーっ」
たまにエリカさんが長い金髪を結っているのを思い出した。いやいや、エリカさんがおばさんだと言っているわけではないぜ。あの人まだ30代だし。
「つまり今の蘇芳は剣道小町じゃないってことだ。そうだな、その意味では栂椹は剣道小町そのものといっていい」
「何だその乱暴な理論」
ポニーテールじゃなきゃ剣道小町じゃないって。
別に剣道小町って、剣道美少女くらいの意味合いじゃないの?
「中学時代はな、剣道部じゃ明るくて、礼儀正しくて、美人で。先輩からも可愛がられてたし、後輩からもかなり慕われてたみてえだな」
「どういうことだ……?」
「何かが、あったんだろうよ」
さして面白くもなさそうに杉村は言った。
中学の頃と変わった自分を、後輩に重ねているのかもしれなかった。僕の想像に過ぎないけど。
「何が、あったんだろうな」
「さあな……。ただ、蘇芳のあの口ぶりから察するに、俺が関わってるんじゃねえか」
泣く子も黙る不良少年と、誰もが慕う剣道小町。
まるっきり接点が無さそうであるが、蘇芳は杉村に憧れていたようだ。
蘇芳はいったい、杉村の何に憧れたのだろう?
中学時代の杉村の近寄りがたさは、それはもう尋常ではなかったけど。
「何か思い出せないのか?」
杉村と蘇芳とのあいだに何があったのか分かれば、話は早い。
しかし杉村は、中々蘇芳との接点を思い出せないようだった。
「全然。しかし、どうするかな」
正直言って、あれは前代未聞の問題児だよ。
木刀って。
「栂椹は蘇芳の実力を買って、剣道部に入れたがってるみたいだけど、あの調子だと無理なんじゃないか」
「でも剣道やりたくないって言うわりに木刀振り回してるし、何かありそうだな」
何かのっぴきならない事情があって、蘇芳は剣道をやめざるを得なくなった……か?
わざわざ推薦を蹴ってうちに来るほどなのだから、よほど剣道から遠ざかりたかったのだろう。だったらそもそも剣道部のない学校へ行けという話だけど。
「何故、蘇芳里和が剣を捨てたのか。それが分からないことには、剣道部の勧誘どころじゃねえし、それにいつ襲われるか分かったもんじゃねえな」
杉村が嘆息した。
厄介なのに絡まれた、とでも言いたげだ。
「あの子、杉村が『堕落した』って、言ってた」
「『堕落』ねえ。そう言われるのは初めてだな」
苦笑する杉村。更生したと褒められこそすれ、堕落したと言われるのは心外だろう。
「お前はどう思う? 俺って堕落した?」
「二次元から帰って来られない、という意味なら」
僕は皮肉ってやった。杉村は声を上げて笑う。
「お前が言うなら間違いねーな。……ま、蘇芳のことは、本人に話を聞くのが一番だろーぜ」
「……なら、僕が話を」
「あん?」
「杉村、お前が行ったところで、蘇芳はまた逆上するだけだ。冷静に話し合いをするなら、僕が行くほうがいいよ」
これは僕の中で既に決めていたことだった。
何があるかは知らないが、杉村恭一と蘇芳里和との間に何らかのしがらみがある以上、当事者同士を面会させるよりも間に僕という第三者が入ったほうがいい。
でないと、本当にケンカになる。
「向こうは武器持ってんだぜ。ケンカになったらお前じゃ勝てねえ」
「しないよケンカなんて」
木刀なんて持ってはいるけど、別に蘇芳だって本気で人を殴りたいわけでもなかろう。
何のために持ち歩いているのかは知らないが、あの木刀が僕の命を脅かすことになるとは、考えていない。
「明日、蘇芳里和に会いにいくよ。話を聞いてくる。お前は待ってろよな」
「……オーライ」
杉村も別段ことを荒立てるつもりはないようだ。まあ、高校に入ってから杉村は暴力とは縁遠い生活をしているから、当然といえばそうなのだけれど。
「飯、食ってくか?」
「いや、帰るよ。家にご飯あるし」
「……よかったな、雄漂木」
話し合いも終わったところでお暇しようとした僕に、杉村がそんなことを言った。
よかったな、とは?
「家で飯作って待っててくれる家族ができて、よ」
「……お前も食う?」
「やめとくわ。一家団欒って柄でもねえし」
杉村は苦笑した。
僕は中学時代を思い出す。あの頃は凛々恵もエリカさんもいなかった。父は仕事で家を空けることが多かったから、僕は杉村と夕食を取ることが多かった。
杉村は杉村で家庭の事情があって、このマンションで一人暮らしをしている。だから僕はしょっちゅう杉村の家で晩飯を食べては夜ふかしして遊んでいた。今思えば、半ば家出状態だったかも。
「大事にしろよな。まして金髪巨乳の義母と義妹とか超レアだし」
「そういう俗っぽい括りはやめてくれ……」
「実際、どんな気持ちだ? あんな美少女とひとつ屋根のしたって」
「愚問だな。僕は紳士だぞ。いかに血が繋がっていないとしても、僕たちは家族なのだ。家族に対して欲情するなんて下衆の極みも極まれりといった感じだぜ。ありえないね。妹萌えとかほざいてる連中は倫理観が致命的に欠如しているといっても過言ではない。そういった奴らに僕は持てる語彙のすべてを駆使して説教してやりたいところなのだが如何せん僕は多忙で」
「本音は?」
「理性の限界に挑み続けてます」
「……金髪巨乳ヒロインのエロゲ、持ってく?」
「拝借させて頂きます」
思春期の男子を舐めてはいけない。
最近は凛々恵も警戒心がめっきり薄れて、無防備極まりない感じになってるからな。
たまんないよ、もう。
「お前も苦労してるんだな」
「こればっかりは種の本能だからね。抗うしかないんだけどさ」
「……お前、あの櫻井と幼馴染なんだろ。巨乳耐性はあるんじゃねえの」
櫻井山桜桃。僕の幼馴染。Gカップ。
やたらと羞恥心に欠けるところがあり、僕の前でも平気で裸になるような女である。
不本意だが、僕は山桜桃のそうした振る舞いを何度も目にしているが故、今更凛々恵を見てどぎまぎする必要は、なさそうなものだ。
「言われてみれば、確かに。でも、別に慣れっこというわけではないからな、僕は……」
そこまで枯れてはいない。
僕は靴を履いて、立ち上がる。腕時計を見ると七時を回っていた。晩御飯、もう出来てるかな。
「……ふと思ったんだけどよ。蘇芳の親って、どんな気持ちなんだろーな」
「ん?」
「いや、蘇芳って家じゃどんな感じなのかと、ふと気になってな」
どんな感じ、か。
家ではまともなのかも知れない。あるいは家でも壁を作っていて、家族仲は良好でないのかもしれない。
考えればキリがない。
「何でそんなことを?」
「言ってなかったかもしれねえけど、蘇芳家ってのは結構な家柄なんだよ。多分、櫻井とか七竈あたりなら知ってる」
そうだったのか。
「森王市にはいくつか名家があるのは知ってるだろ。櫻井家や七竈家がそうだが、蘇芳家もそれに匹敵する力を持ってるんだとよ」
「そういえば、山桜桃から聞いたことあるような、ないような」
「ま、ああ見えて蘇芳里和は良家のお嬢様ってこったよ。それがああなるって、どうなのかなと思うわけだ」
なんとなく、杉村の言わんとすることが分かった気がした。
……杉村家もまた、『結構な家柄』だものな。
「馬鹿なことを言ったわ。忘れてくれや」
「……じゃ、また明日な」