僕と親友と剣道小町と ~木刀少女の失望~
栂椹の話を総合すると、こうだ。
現在、剣道部には男子部員は相当な数がいるのだが、女子が少ない。
三年生が引退すると、女子部員は栂椹を含めて三人になってしまうそうだ。三人では団体戦に出られないので、是が非でも女子の新入部員を確保したいのだと言う。
そして栂椹は、一人の新入生に目をつけた。
「その子は中学時代、全国大会で準優勝した子でね。それで、いろんな高校から声がかかってたらしいんだけど、何でか全部断って、この学校に入ったみたいなの」
我が校の剣道部に女子部が出来たのはつい最近で、はっきり言えばなんの実績もない弱小校だと言っていい。
全国大会二位の実績を持つであろうその女子が、何故この高校に入学したのか。もちろん、個人の事情は様々あるだろうけれど。
とにかくその女生徒の噂を聞きつけ、早速栂椹は剣道部に勧誘すべく、教室を訪問したという。
だが、結果は芳しくなかった。
「『私はもう剣道をするつもりはない』って、すげなく断られちゃったのね。でも諦めきれなくて何度も勧誘したんだけど、全然ダメで。理由を聞いても、答えてくれないし」
それでも、女子剣道部のために、その女生徒は喉から手が出るほど欲しい人材だというわけだった。
栂椹は藁をもすがる想いで、生徒会に相談に来たのだという。
「こんなことお願いするのは筋違いだってわかってるんだけど、お願い! 協力してください」
栂椹はそう言って頭を下げてきた。
「なんとしても、あの子が欲しいの!」
栂椹の眼差しは真剣そのものだった。
とは言っても、部活動に入るかどうかは個人の意思の問題なので、難しいのだが。
それでも、とりあえずやれることはやってみることを約し、その日の相談はそれで終わった。
そして、今は下校時刻である。僕と杉村は昇降口まで来ていた。
「とりあえず明日、その子を訪ねてみるよ。一年C組だって言ってたから、凛々恵と同じクラスだし」
「名前、なんつったっけ。その子」
「えーと、確か蘇芳さんじゃなかったか」
蘇芳里和。そんな名前だったと記憶している。
帰ったら、凛々恵にも話を聞いてみるとして……。
「雄漂木、帰りにメイト寄るから付き合えよ」
「またアニメショップかよ。いいけどさ」
特典のポスターがどうのとか、また熱く語るつもりなんだろうか。
それを延々聞かされる僕の身にもなってほしいと思うけれど。
昔に比べれば、幸せなんだろうなあ。
一時期の杉村は、本当に近寄りがたいオーラを放っていたから。
「……あ、やべ」
靴を履き替えたところで、杉村が何かに気づいたようだった。
「財布忘れてきちまった。わりぃ雄漂木、ちょっと取りに行くわ」
「おいおい、大丈夫か」
「多分教室にあるからよ。すぐ取ってくるから待っててくれ」
「分かった」
「わりぃな」
杉村はもう一度室内靴に履き替えると、教室まで走って戻っていった。
僕は腕時計で時間を確かめる。夕飯には間に合うよな……。
今日の晩御飯の献立に思いを馳せつつ、僕が面を上げた時だった。
「ん」
入口に、少女が立っていた。
結った髪が腰下まで届くくらい、長い。顔立ちは端整で、特徴的なのはあとやたらと目つきが鋭いこと。スラッとした長身で、モデル顔負けのスタイルだった。
夕日をバックに佇むその少女は、その手に何か長いものを持っている。
目を凝らしてそれを見ると、その棒状のものは、実際は棒ではなかった。
木刀。
そこまで理解が追いつくのと、少女が手に持った木刀を僕に突きつけるのとは、ほぼ同時だった。
「は」
「……騒がないで。危害を与えるつもりはない」
「……そ、そう言うなら、その物騒なモノを下ろしてくれるかな」
困惑しながらも抗議してみたが、しかし少女は無視をした。なんてやつだ。
「雄漂木悠輔先輩、だな」
「なんで、僕の名前を……」
「質問に質問で返さないでくれ」
木刀の切っ先をぐいっと近づけてくる。ほとんど顔に密着しているような距離だ。
いったいなんなんだ、この状況。
見知らぬ女子に木刀を突きつけられなきゃいけないようなことをした覚えは、まったくないんだけど。
「杉村恭一を、知っているな」
「……そりゃあ、知って、いるけど」
「あなたは、中学時代の杉村恭一のことも、知っている。そうだな?」
「ああ」
相手は凶器を持っていることだし、素直に答えることにする。
何でこんなことをするのか、彼女の意図は未だ読めないけれど。
「かつて『修羅』『鬼』『破壊神』『歩く暴力装置』……色々な異名で呼ばれた彼のことを、私も知っている。だからこそ、信じられない」
「信じられない、っていうと」
「あの人の体たらくが、だ」
少女の声色には、怒りの色がにじみ出ていた。
「もはや見る影もない。堕落しきっている。いったい、彼に何があった」
「何って、言われても」
色々あったんだよ、としか言えない。
それに、紆余曲折を経て、杉村は更生したんだ。
それで、いいじゃないか。
一体何が、気に入らないんだ?
「あの人はもっと、もっと輝いていた。私はそんなあの人を追って、この学校に来たのに。それなのに、あの人は変わり果てていた」
事情は知らないが、この女の子が、『昔の』杉村に憧れていたのだということは察した。
手の付けられない不良であった杉村にも、不良なりのカリスマみたいなものがあった、というのは僕にもなんとなくわかる話だった。
そういう手合いにとっては、確かに『今の』杉村は受け入れがたいものだろう。
「あなたが、原因か?」
「ちょ、ま」
「杉村恭一を堕落させたのは、あなたか。それとも、他の誰かが?」
「待て待て、堕落させたとか何とか、まるで意味が分からないぞ。あいつはもう昔のあいつじゃないんだ。それが事実なんだから……」
「私は」
震える声で、少女は言った。
「私は、あんな杉村恭一を、認めたくない」
そんなことを、言われても……。
杉村が更生したのだって、それは杉村自身がそう望んだから、そうなったのだ。
僕がどうこうしたわけじゃない。
「――おいおい、戻ってきてみりゃ、随分おかしなことになってるじゃねえの」
そこに、杉村が戻ってきた。
下駄箱の前で少女に木刀を突きつけられているこの状況が物珍しいのだろう。苦笑いを浮かべている。
「お前もよく絡まれるよな、雄漂木」
「お前のせいだぞ、今回は」
「す、杉村、恭一っ!」
少女が叫んだ。なんだか声が上ずっているような気がするけど、大丈夫か?
「手紙を無視するなんて、どういうことだ!」
「手紙ぃ? ……まさか、あの果たし状か?」
「……私はずっと待っていたのに」
「お前があの果たし状を出したのかよ。今時古風なことをするもんだと思ったけどな。どうせならラブレターにしてくれよな。そんで、夕日をバックに告白とかしてくれちゃったりしたらもっと嬉しいんだけど」
へらへらと軽口を叩く杉村。
そんな杉村を見て、少女の顔が紅潮していく。
多分それは、失望とか、怒りとか。
いろんな感情が混ざって、どうしようもなくなって――。
「――お前は、杉村恭一じゃない! 偽物だ!」
怒鳴った。
半ば、悲鳴のような怒鳴り声だった。
「……っ!」
少女は鬼気迫る表情を浮かべたが、踵を返し、駆け出した。
ぽかん、としているあいだに少女は昇降口を出て、学校を出て行ってしまう。
僕と杉村が、訳もわからないまま取り残されることになった。
「……なあ、俺って偽物?」
「……いや、紛れもなくお前は杉村恭一だと思うよ」
ただ、あの子の描く『杉村恭一』像からは、かけ離れていたという話で。
「あの子、知り合い?」
「いや? あー、でも、見覚えがあるような、ないような……」
少なくともあの子の方は杉村を知っていた。いや、知っているどころの話じゃあない。
あの少女は、杉村に対してかなり強い想いを抱いている様子だった。それがどういう性質の想いなのかは分からないけど。少なくとも中学時代の杉村に憧れている様子ではあった。
そして、今現在の杉村のことを、受け入れられなかった。
「昔のお前の支持者、ってやつっぽいけど」
「はん。わからんねえ」
心底つまらなそうに杉村は言った。
杉村が、自身の中学時代についてどう思っているか、僕も詳しく知るわけではない。ただ、杉村は自分の過去と決別したのだということは、知っている。だから中学時代の話はあまりしてこなかった。
「……ね、ねえ、雄漂木君、杉村君」
「栂椹」
新たに昇降口に現れたのは、栂椹だった。
時間的に、おそらくは部活帰りだろう。
「今、蘇芳さんがすごい勢いで走っていくのが見えたんだけど、何かあったの?」
「蘇芳? じゃあ今のが……」
昇降口の出口側――校門へと続く方角を見やる。
あの木刀を持った物騒な少女が、蘇芳里和だというわけか。
「ね、ねえ。蘇芳さんに何かしたの?」
恐る恐るといった風に、栂椹が尋ねてくる。
無理もない。
僕ら二人がやや強引な勧誘をしたという風にも取れるシチュエーションだった。
「……栂椹。蘇芳里和に木刀を突きつけられたことはあるか?」
どう答えようか考えているあいだに、杉村が栂椹に訪ねていた。
質問に質問で返すと怒られるぞー。
「ぼ、木刀? どうしてウチが蘇芳さんに木刀を突きつけられるの?」
「ごもっともだ」
「栂椹。蘇芳さんは、常に木刀を持ち歩いているようなキャラだったりする?」
我ながら奇妙な質問だとは思ったのだが、栂椹はさほど戸惑った様子もなく答える。
「いつもじゃないけど、たまに持ってるの見かけるね。そのせいもあるのか、周囲が近寄りがたい空気になってるみたいだけど……」
そりゃそうだろうなあ。
「蘇芳里和について、ちっと調べる必要があるな」
面倒臭そうな顔をしつつも、杉村はそう言った。
僕も同感だった。
剣道部への勧誘どころの話ではない。このまま蘇芳を放っておいたら、次にどんな行動に出るのか分かったものではない。
――あれのどこが剣道小町なんだ、まったく。
僕は心の中で深々と溜息を漏らした。
悪い予感は、よく当たる。