僕と親友と剣道小町と ~剣道少女の相談~
「部活動の新歓期間も終わったし、生徒会業務も残すところ僅かだね」
放課後。
生徒会室の一番奥、生徒会長席に鎮座する岩千鳥携先輩が、そんなことを言った。
通称たずにゃん先輩。
愛くるしいルックスとロリロリっとした萌えヴォイスで数多くの男性を魅了してやまない、スーパー生徒会長である。
「あとはゴールデンウィークが明けたら、五月は生徒総会。同時に、生徒会役員選挙。そこで、あたしたち生徒会執行部は解散となります」
先輩のその言葉で、生徒会室にはしんみりとした空気が流れる。
解散。
引退。
代替わり。
もうそんな時期だった。
「……思えば、あっという間でしたわね」
入口から見て右奥側の会計席に座る七竈香子が言った。
しみじみと。
「もう一年経つのか。ホントにはえーな」
七竈の向かい側、副会長席に座る杉村も、感慨深そうに言う。
それを隣で聞いていた僕も、頷く。
あの生徒総会から一年。この執行部が発足してからというもの、色々なことに着手してきた一年だった。
「三年のあたしと松風君は、これで引退。残る君たち二年生組は、引き続き立候補してもよし。ここで退いてもよし、なんだけど」
生徒会執行部役員の任期はきっかり一年。毎年、五月の生徒総会で選挙を行い、役員を選出するのがルールだ。
立候補資格は一年生と二年生に限定されているため、今年で三年生になった岩千鳥先輩と松風先輩は、自動的に引退が決定している。
二年生の僕、杉村、七竈には立候補する権利があるが、あくまでも自由だ。そしてほかの候補――いればだけど――と同じ条件で選挙に臨む。
「一応、意思確認をするね。次期生徒会執行部役員に立候補するつもりの人は?」
「ほい」
真っ先に手を挙げたのは、意外というべきか、杉村だった。
彼の副会長という役職を考えれば、意外でもなんでもないのかもしれないけれど……。
それでも、僕にとっては意外だった。
岩千鳥先輩の引退と同時に生徒会を辞めると言い出してもよさそうなもんだと思ったんだけどな。
「俺、次の生徒会長職に立候補するわ」
「まあ、本当ですの?」
僕と同様に、七竈も驚きを示していた。
「意外ですわ。杉村さんは、そういう役職には興味のない方かと」
「あー……いや、別に興味があるわけじゃねーんだけどな」
照れくさそうに頭を掻く杉村。
「ただ、俺が立候補しておけば、選挙の注目度は嫌でも上がるだろ。それに、『杉村にやらせるくらいなら自分が』っていう層もいるかもしれねーしな」
杉村が副会長になる時でさえ、それなりの反発はあったのだ。ましていわんや、会長となれば。
「それじゃ、実際にはお前は生徒会長をやるつもりはないってことか?」
それは岩千鳥先輩の望む形ではないと思うんだけど……。
しかし僕の不安に対し、杉村は首を横に振った。
「いや、そうでもねーよ。生徒会長になったらなったで、やりたいこともあるしな」
「やりたいこと?」
「ああ。とりあえず、下駄箱に手紙を入れる行為は全面禁止にする」
「私怨じゃねーか」
まだ引っ張ってるのか、それ。
気持ちは分からなくもないけどさ……。
「なにそれー? 杉村君、下駄箱にラブレターでも入ってたん?」
「ラブレターならまだ良かったんですけどね。入ってたのは果たし状でした」
ぷっ、と。
女子二人が同時に吹き出したのが聞こえた。
「は、果たし状……今時果たし状……」
「どんだけ古風ですの……」
「笑いたきゃ笑えよド畜生!」
もうやめて! 杉村のライフはとっくにゼロよ!
「……まあ、それは置いといてだな。生徒会長をやるのも吝かじゃねーっていう、そんだけの話だ。
それより、雄漂木。お前はどうなんだよ」
「ん。僕も立候補はするつもりでいたけど、生徒会長は考えてなかったなあ」
あの岩千鳥携の後任を務める覚悟が、僕にはなかった。
「私は、もう先輩にお話した通り、漫画研究会の方の会長に就任しますので、引き続き会計職で立候補させて頂こうと思いますわ」
「ん。おっけー。まあ、雄漂木君も、時間の許す限り考えてみてね。悪いようにはならないからさ、きっと」
「はい……。あの、そういえば松風先輩は?」
僕の向かい側の席――『書記』と書かれた札の置いてある席。
そこは今、空席になっている。
「ん、もうすぐ来ると思うけど。遅いねえ」
生徒会執行部書記職、松風好。
とても自由闊達な人で、こうして会議に遅れてきたりすることは日常茶飯事である。書記がそれでいいのかと思わなくもないが、しかし業務に著しい支障が出たという話はあまり聞かない。
書記職は、議事録をつけたり、書類の管理などを担っている。クラブ評議会や各種委員会との連携においても重要な役割を持つ職である。
「なんていうか、松風先輩って自由ですよね。猫みたいっていうか」
何となしにそんなことを言ってみたら、岩千鳥先輩は「言い得て妙だねえ」と頷いた。
「松風君は、ほら、ああいう感じだからね。ゴーイングマイウェイなんさ。でも協調性がない、という意味では全然ないんだけどね。自分をしっかり持っているというのかな……」
「人当たりはいいですものね、松風先輩は……。男女を問わず慕われているとお聞きしていますの」
「イケメンだからねー、松風君。まああんな感じだから、モテモテかっていうと微妙なんだけどね」
慕われている、というのは、どちらかと言うと「尊敬されている」という方の意味合いらしい。
友達が多いタイプというか。集団で中心になれるタイプというか。
僕も、すごく頼りにしている先輩なのだ。
ただ、ちょっと変人なところがあることは否定できない。
と、その時だった。生徒会室のドアがノックされたのは。
「はーい、どうぞー」
岩千鳥先輩が明るく言うと、ドアがそっと開かれた。
「あの、すみません。折入って相談があるんですけど……」
ドアの向こうに立っていたのは、一人の女生徒だった。
すらりと背が高く、黒髪をポニーテールに纏めている。
見たことあるような、ないような?
「えーと、確か二年の、栂椹茉莉さん、だったかな?」
来訪者が名乗るより早く、岩千鳥先輩がその名を言い当てた。
さすが、全校生徒の顔と名前を把握しているだけのことはある。
っていうか、普通に人間業じゃないよなソレ……。
「突然すみません」
その女生徒――栂椹は、ペコリと頭を下げた。
「いえいえ、あたしたち執行部は生徒のためにいるんだから。いつでも歓迎だよー。どうぞ、座って?」
岩千鳥先輩は、部屋の隅にあるソファに栂椹を案内した。
いわゆる応接スペースであり、生徒会室に来客があればこっちに案内するようになっている。ソファと小さめのテーブルがあるだけのこじんまりとしたスペースであるが、生徒ウケはいい。
岩千鳥先輩が会長になってからというものの、生徒会室を訪れる生徒は実はそれなりにいる。一日に一人か二人くらいではあるのだが。
それでもこの学校においては大きな変化だ。生徒会が形骸化していた昔に比べれば。
栂椹はソファに腰掛け、その向かいに僕椅子を持ってきて座る。七竈は既にお茶を淹れにかかっていた。仕事の早いことだ。
生徒会室に相談者が訪れると、その対応はもっぱら庶務である僕が行う。たまにほかの人を指名する生徒もいるけど。
「えと、栂椹さん?」
「あ、二年B組の栂椹茉莉です。えと、A組の雄漂木君だよね」
お隣のクラスだったのか。それじゃあ見覚えもあるわけだな。
でも、僕の名前を知ってるのか。
「雄漂木君、っていうか、生徒会の人たち、有名だから」
「そうなの?」
意外だなあ。
僕以外の奴らはともかく、僕なんて地味めなのに。
「みんな、今年の生徒会は一味違うって。そう言ってる。だからウチも、今日、来てみようと思ったんだけどね」
向かいに座る栂椹は、やや緊張した面持ちだ。七竈が淹れたお茶にも手をつけず、そわそわと落ち着かない様子で生徒会室の中を見回している。
「栂椹さんは、生徒会室に来るのは初めてだよね」
「う、うん。友達に勧められて。学校生活のこと、相談に乗ってくれるって聞いたから」
一応学校にはスクールカウンセラーもいるわけだが、意外と大人には相談しづらいこともある。そういう悩み事を聞いてあげるという仕事を、我が生徒会執行部はやっているわけだ。大きく喧伝しているわけではないので、知らない人もいるけれど。
ちなみに直接話すのが恥ずかしいという人のために、生徒会室の前には目安箱も設置してある。
「いいのかな、会議の途中とかだったんじゃ?」
申し訳なさそうに言う栂椹に対し、僕は首を横に振った。
「ぜんぜん。さっきまで雑談してたしね。放課後は結構、お喋りしてお茶飲んでるだけだったりするから」
これは結構マジである。
学校行事前以外は、ぶっちゃけ生徒会執行部はそこまで忙しくない。ただ、定期的に生徒会室に集まることだけは欠かしていない。仕事があろうとなかろうと、だ。これは岩千鳥先輩の意向である。
「栂椹さんも、お茶どうぞ。結構旨いんだ、これ」
「あ、じゃあ、いただきます」
七竈の家は結構な名家らしく、よく高そうなお茶っ葉を持ってきては淹れてくれる。一緒に持ってくる和菓子も、高級店の一品じゃないかというようなものばかりを持ってくる。おかげでだいぶ舌が肥えた気もするくらいだ。
「……ホントだ、おいしい」
「おかわりもありますのよ? 和菓子も召し上がって下さいの」
会計席から七竈がにこやかに言った。
「――えっと、それじゃあ話を聞かせてもらおうかな。まあ、話したいことを気楽に話してよ。その桜餅、すごく美味いんだ。食べながら、ゆっくりと……」
旨い茶で、少しは栂椹の緊張もほぐれたようだし。
早速、仕事に入るとしますかね。