僕と会計と新歓期間と ~腐れ金~
「やあ、七竈さん。それに雄漂木君も。パトロールかい? ご苦労様だね」
弓道場に入った僕らを迎えたのは、弓道部二年の藤。短髪の爽やか系男子である。まさにスポーツマンという感じで、どんなスポーツをやっていても様になりそうだ。
山桜桃が言うには、次の弓道部部長は彼になる目算が強いらしい。弓道の腕はかなりのもので、また成績も優秀と来ている。教師陣の受けもよく、次期クラブ評議会議長に推されているとか。
「こんにちは、藤さん。弓道部の勧誘は順調ですの?」
「ぼちぼちかな。まあ初日だしね」
うちの学校の弓道場は、体育館に隣接する形で作られた小さなものだ。そんなに広くもないし、一度に多人数が入るのには無理がある。
「そちらは?」
藤は僕と七竈の後ろに立つ凛々恵の姿を見つけ、尋ねてきた。
僕が紹介しようかと思ったが、凛々恵は一歩前に出て、自ら挨拶する。
「新入生の雄漂木凛々恵と申します」
「これはどうもご丁寧に。弓道部二年の藤栄作といいます。どうぞよろしく」
名門女子校で培われた(僕の想像だけど)凛々恵の所作からは、上品さを感じる。外見も相俟って、どこかのお嬢様みたいだ。一方で、藤もかなりのものだ。白い歯を見せて笑う彼からは、人柄の良さみたいなものがあふれ出ている気がする。
「うん? すると君は、雄漂木君の?」
「妹です。兄がお世話になっています」
「へえ。そうなんだ」
どう見たって血の繋がりは無さそうな兄妹であるが、藤は特に触れては来なかった。頭が良いし空気も読める奴だから、わざわざ聞くまでもなしと判断したかな。
「今日は、見学に来てくれたのかな? もしよければ体験入部も出来るけど」
藤の後ろの方で、他の弓道部員たちがこちらを見ている。やはり気になるのだろう。ましてやって来た新入生が凛々恵みたいな美人なら尚更だ。
僕も義兄として鼻高々である。
「今日は見学させて頂いても宜しいでしょうか。弓道というものを、生で見たことがないので……」
「勿論、大歓迎だよ。おーい、誰か座布団を……」
「――それには及ばないわ」
藤の声を遮り、僕らの背後――弓道場の入り口から、何かがやって来た。
何か、っていうか、まあ正体は分かりきっているんだけど。
「凛々恵ちゃん、ようこそ来てくれたわね我が弓道部に」
入ってきたのは誰あろう、『歩くアルヴァレスト』こと櫻井山桜桃だ。
何故か弓道着ではなく、着物姿なのだが。しかも、超ミニの。これじゃあ花魁じゃないか。
「櫻井。今日は茶道部の方に行くとか言ってなかったか」
藤はやや驚いた表情で言った。山桜桃の衣装に若干戸惑っているようでもある。
「ええ、それで勧誘をしていたんだけどね。凛々恵ちゃんの匂いがしたから追ってきたわ」
犬かお前は。
「うふふふ。まさか凛々恵ちゃんが来てくれるとは思わなかったわ。私が手取り足取り、弓道とは何たるかを手ほどきしてあげるわ」
気持ち悪いくらいニヤニヤしている山桜桃。よっぽど嬉しいのな。
というか神聖な弓道場で、その格好はどうなんだ。生足めっちゃ見えてるし。やたらと胸が強調されてるし。風紀委員は何をしている! けしからん!
「櫻井さん。いつから茶道部は芸者の集まりになりましたの? 校内でそのような破廉恥な格好をするのは如何なものかと思いますわ」
そんな山桜桃に棘のあるコメントを発したのは、七竈だった。
彼女の表情は険しく、山桜桃をキッと睨みつけている。
「……あら七竈さん。いたのね。気づかなかったわ。相変わらず薄いわね。何が、とは言わない辺りに私の優しさが垣間見えているところなのよ」
余裕の笑みを浮かべる山桜桃の目線は、七竈の胸に真っ直ぐ向いている。確かに七竈は貧乳だ。うちの生徒会の女子は貧乳しかいないのだ。
「相変わらず下品ですわね。脂肪が胸とお尻にしか行かないせいで脳みそに養分が足りていないのではなくて?」
「そういうあなたは全身に慢性的に養分が足りていないようだけど、大丈夫かしら? いい医者を紹介するわよ。整形外科の。あ、ごめんなさい整形だなんて、あなたにはNGワードだったかしらね。芸能界のタブーに触れた気分だわ」
「口の減らない女ですの……!」
「お互い様ね」
二人はにらみ合う。山桜桃なんかは口元が笑ってるんだけど、眼があまりにも笑ってなさ過ぎて怖い。
「……あの二人は、仲が悪いのですか?」
僕の側で凛々恵が囁く。
「何か、昔からのライバルなんだってさ」
山桜桃の祖父母の家は、七竈家と交流があり、山桜桃は祖父母に連れて行かれていた茶会などで七竈に会っていたらしい。その頃から犬猿の仲なんだとか。
「やれやれ、あの二人が鉢合わせるといつもこうさ。しばらくは長引くと思うから、雄漂木さん、こっちにどうぞ。見学していってよ」
藤はすっかり見慣れたという様子。座布団を用意して、凛々恵を手招きしている。弓道部の面々は慣れているのか、山桜桃と七竈が罵詈雑言をぶつけ合う現場には眼もくれず、見学に来た新入生の前でいいところを見せようと張り切っている。
「……どうしたもんかねえ」
一人残された僕は、溜息をついて肩をすくめるくらいしか、できることがなかった。
パトロール、一人で行こうかな。
結局、パトロールは一人で行った。
午後五時くらいになり、人ごみのピークが過ぎた辺りで、僕は弓道場へと戻った。
凛々恵を迎えに行くためだ。何だかんだ言って凛々恵は目立つから、一人で歩かせるのは怖い。
弓道場に入ると、弓道部はまだ練習をしていた。が、見学をしているはずの凛々恵の姿がない。
代わりに、七竈が座布団に正座していた。彼女の家は結構な名家で、幼い頃から礼儀作法を叩き込まれたらしく、その正座も見事なものだった。
いや、今は七竈の正座に感心している場合じゃない。
「やあ雄漂木君。ひょっとして妹さんをお探しかな」
声をかけてきたのは、やはり藤だった。どこまでも気がつく男だ。
「妹さんなら、櫻井がどこかに連れていっちゃったよ。多分、茶室じゃないかな」
新入生を欲しているという面では、弓道部よりも茶道部らしい。山桜桃が言うには、このままでは存続も危ういとか何とかかんとか。
「そうなんだ、サンキュ。ところで、七竈は何を?」
パトロールもせずに何をやっているのか、と少しばかり気になる。
「ああ、僕の方からお願いしたのさ。弓道部の練習を見ていってくれないか、とね。彼女の名誉のために言っておくけど、彼女はちゃんと生徒会の仕事をしていたよ。ここに戻って来たのはつい十五分くらい前だ」
何だ、そうだったのか。
真面目な七竈が、生徒会の仕事を放り出すとは思えなかったから、これですっきりした。
「……でも、何で七竈に練習を?」
「身も蓋もないことを言えば、予算のためさ」
藤は真面目な表情で、そう言った。
確かに身も蓋もない言い方で、ともすれば彼がまるで守銭奴のように思われるかもしれないが、藤の言葉には真摯さがある。
「弓道部は部員数も多くはないし、目立った実績もない。唯一、櫻井が個人戦で関東に出場したくらいのものさ」
「それでも弓道部の成果には違いないだろ。そこまで心配することはないんじゃないか」
少なくとも著しく予算を減らされたりは、まずしないだろう。
僕の言葉に、藤は頭を振った。
「今のままじゃ、駄目なんだ。足りない予算をやり繰りしているけど、道具や弓道場を維持するのが精一杯でね。ろくに遠征にも行けないし、大会にも出られない」
部活動というのは、何をするにも結構金がかかるものだ。弓道とかだと、昇段審査にも審査料とかかかるらしいし。
そう言えば山桜桃から聞いた。藤は本気で弓道に打ち込んでいる人間であり、全国大会も視野に入れているのだと。
「僕はまだお世辞にも弓道が上手いとは言えないけどね。それでも弓道が好きだし、僕は本気で弓道をやって行きたいんだ。櫻井山桜桃に負けっぱなしでは、いられないのさ」
そう語る藤の言葉には、熱が篭っている。
「分かるかい、雄漂木君。だから彼女には僕らがいかに本気かを、練習を通じて見てもらいたかったんだ。姑息な真似だというのは百も承知さ。だけど、三年の先輩たちとやれる最後のチャンスなんだ。だから少しでも……」
「あなた方の熱意は十分に分かりましたの、藤さん」
いつの間にか、七竈香子がすぐ側にいた。
僕と藤の話を、聞いていたのかいないのか。何にせよその表情は真剣そのものだ。
「しかし、それで私が予算案をあなた方にとって都合の良いほうに改変するということは一切ない、ということについては、お分かりいただけますわね」
「……ああ」
藤は苦々しく頷いた。
藤だって本当は分かっているのだろう。今年度予算は、前年度の部活動の実績、普段の活動、そして今年度の新入部員数を考慮したうえで決定される。今更、弓道部の練習風景を見せたところで、七竈が手心を加えることはありえない。
「……ところで藤さん、私があの女――忌々しいあの櫻井山桜桃のことが大っっっっ嫌いなことは、知っていますわね?」
「は? あ、ああ。もう嫌と言うほど君たちの口喧嘩は見てきたしね」
突然の七竈の問いに、藤はやや面食らっていた。
「私は一度でいいから、あの女の鼻っ柱を折ってやりたいんですの。ですから、あなたがそれをやってくれるというのなら、個人的に、私はあなたを応援致しますのよ?」
「そりゃあ、どうも……」
曖昧な苦笑を浮かべる藤に対して、七竈はニッと笑みを浮かべる。
「そのためにも、あなた方には力をつけてもらわないといけませんわね。先ほど仰った遠征の件ですが、私の方から先生にお伺いを立ててみますわ」
「ほ、本当か?」
「ええ、やる気のある人に機会を与えるのは私のポリシーですもの。予算を大幅に増やしたりすることは出来ませんが、橋渡し役くらいにはなれますのよ?」
藤の表情に、喜びの色が広がっていく。今にも感動で泣き出すんじゃないかという位に目を見開いて、頭を下げた。
「ありがとう、七竈さん……!」
「お礼を言うのは早いですのよ? あなた方が遠征に行けると決まったわけでもないですの。弓道部顧問の楢橋先生なら、コネをお持ちのはずだから、大丈夫かとは思いますけれど。
あとは新入生を沢山入れて部員を増やして下さいませ。そうすればその分予算も増えるのですし」
「十分だよ。本当に感謝する……!」
何度も何度も頭を下げる藤を見て、僕は改めて、この生徒会にいることが出来てよかったなあ、なんてことを思ったのだった。
「にしても、あんなことしてよかったのか? 特定の部に便宜を図るような真似してさ」
弓道場を辞してから、僕は七竈にそんなことを聞いてみた。
別に彼女のやったことにケチをつけるわけじゃない。ただ、純粋に聞いてみたかっただけだ。
「……やる気のある人たちが報われないのは、あんまりでしょう? 彼らは努力をしていますの。相応の機会を与える手助けがこちらには出来るのだから、すべきですの」
「でも、他の部も同じようなことを言って来るかもしれないぜ」
やる気があるのに報われない――それが弓道部だけとは限らない。
そして、その場限りの嘘で七竈を騙し、不当に利を得ようとする部だってあるかもしれない。
「だからこの期間中、私は全ての部を回るつもりですわ。最終審査、というわけではないですけれど……この眼で直に見ることは、予算案作成の上で役に立つはずですの」
「結構、大変だと思うけど」
「やってみせますわよ。それくらいのことをしないと、私はあの女に勝てませんもの」
山桜桃のことか。
七竈は、本当に山桜桃のことをライバル視しているよな……。
何でなんだろう。
「さて、私は生徒会室に戻ってから帰ろうかと思いますけれど、雄漂木さんはどうなさいますの?」
「あ、ああ。茶室に寄って凛々恵を迎えに行こうと思う」
「そうですの。では、ここでお別れですわね」
気づけば、僕と七竈は昇降口のところまで来ていた。生徒会室に向かうべく、七竈は中に入っていこうとする。
「あ、そうだ雄漂木さん」
はっと何かを思い出したようで、七竈は急に振り返った。
「次の会誌は、BLから離れて、血の繋がらない兄妹モノにしようと思いますわ。もちろん、フィクションですので文句のつけっこはなしですの」
「は? え、あ、おい!」
悪戯っぽく笑って、七竈は走り去ってしまった。
……まあ。
杉村とのホモ同人のネタにされるよか、一億倍マシだわな……。