太陽を追いかけろ!
赤く揺らめく太陽は一日の仕事を終えて西の山に姿を隠そうとしています。
その陽射しに夕暮れの街並みは優しいオレンジ色に包まれました。
少年、拓人は疾走します。
少し大きめのヘルメット。
乗れるようになったばかりの真新しい自転車。
まだ幼い華奢な身体で茜色の風を切って、逃げていく太陽を力の限り追いかけます。
背後に長く伸びた影が肩を揺らします。
瞳に写る太陽のその眩しさに目を細めます。
心にあるのは遠い日の夕暮れ時のお父さんとの思い出。
「今日も一日が終わるなぁ。夜になったらお天道様も山に籠ってお寝んねの時間だ。お月様と交代だな」
それは何気ないお父さんの呟きでした。
一日を働き終えた太陽が夜のお休みの時間だな、というだけのお話でした。
夜になれば必ず姿を消してしまう太陽。
太陽は夜、どこで何をしているのでしょう。どこで休憩してどこで眠るのでしょう。
太陽にはきっと誰も知らない秘密の隠れ家があるはずです。
拓人は太陽が夜に休んで眠るための秘密の隠れ家を探し出そうとしていました。
拓人のお父さんは調理人です。世界中を旅する旅客船に乗ってシェフをしている、つまりは旅人たちのための料理人です。
旅は何週間にも、長ければ数ヶ月にもおよびます。一度仕事に出かけてしまえば当分の間は家に帰って来ません。
久々に家に帰ってきた時には、いつも、とっておきの最高に美味しい料理を作って、食卓はとっておきの世界中の珍しい話に華が咲きます。
見たこともない信じられないような景色。
触れたことのない想像を超えた文明と文化。
様々な国に暮らす楽しく愉快な異国の人たち。
とてつもなく広大な世界の想像も及ばないお土産話に、拓人はいつも驚き、心をときめかせます。
今日は待ちに待った旅客船の帰港する日です。お父さんが仕事を終えて家に帰ってくるのです。
今年、小学校に入学して小学生になった拓人。自転車も乗れるようになったし、もう、少しだけ一人前な気分です。
今日は帰ってきたお父さんに逆に驚く話を聞かせてやろうと、拓人の初めての一人の小さな冒険でした。
「ミーン、ミーン……、」と忙しなく鳴く蝉たちに「急げ! 急げ!」と急かされるように、拓人は小さな体で少し大きめの自転車を汗を滴らせながらこぎ続けます。
オレンジ色に染まった街並みがまだ街灯の明かりに変わってしまう前に拓人は山の坂道を登り切りました。
きっとそこには太陽の隠れ家があるはずだと信じていました。
でも、そこで見たものは、もっとずっとずっと遥か遠くの山の向こうに沈んでいく、揺らめいてとろけた赤い太陽でした。
拓人はじっと立ちすくんだっきり、真っ赤な太陽が遥か遠くの山に沈む切ってしまうまで見つめていました。
山の上にあると思っていた太陽の隠れ家は、まだまだ遥か遠くの山の向こうだったようです。
拓人は薄暗くなった山道をうつむき加減に、ゆっくりと家に向かって自転車をこぎ出しました。
涼しくなった風が全身をすり抜けます。
山の麓まで坂道を下ると、自転車で巡回中の白髪混じりのおまわりさんとばったり出会いました。
「あれ? 拓人くんじゃないか。どうしたんだ? こんなに暗くなった時間に一人で危ないじゃないか」
おまわりさんはそう言って拓人の家に電話で連絡を入れると、しょぼしょぼと走る拓人を見守るように家まで送ってくれました。
帰宅した拓人は「ただいま」とだけ、しょぼくれた小さな声で言いました。
「おお、おかえり。俺も今帰ってきたところだ」
大きなたくさんのひまわり模様のシャツにサングラス、麦わら帽子を被って日焼けした、派手で陽気な男が出てきました。
「お父さん」と拓人は飛びつくようにしがみついて泣き出しました。
「そんなに俺が恋しかったか」
お父さんがそう言うや否や、
「お父さんの嘘つき! 山の上になんて太陽の眠る場所なんかないじゃないか!」
と叫んで拓人はドンドンとお父さんのお腹を両手で叩きました。
「……? ……そうか。拓人は太陽の眠る場所を探して冒険をしてきたんだな」
拓人は黙ってうつむいたっきりでした。
「実はな、太陽はずっとずっと向こうの山のもっと向こうにある海の穴に沈んでいくんだ」
お父さんはにこやかな顔で語り続けます。
「だって山に沈んだら山火事になっちゃうだろ。わっはっはっはっ。」
豪快な笑い声です。やがてその瞳は真剣な眼差しへと変わると、お父さんは拓人の両肩を掴んで拓人の目を見つめました。
「俺はな、船に乗って今もその海にあるはずの太陽の隠れる穴を探しているんだ」
そう語るお父さんの目はキラキラと輝いています。
真剣な眼差しはすぐににこやかな笑顔に戻りました。
「未開の地を拓く人。 拓人、それがお前だ。太陽の眠る場所、どちらが先に見つけるか俺と勝負だぞ」
そう言うとお父さんは家の中に入って行きました。
その時のお父さんのとっても小さな独り言。
「朝昇る太陽に火をつけてるのは誰なんだろうな? 海に沈む時に燃えてる太陽は一度消えちまうはずだからな」
白髪混じりのお巡りさんが
「お前のことは子供の頃から知っているが利口なのか馬鹿なのか、さっぱり分からんやつだ」
と、くすくすと笑いをこらえていました。
お母さんはその一部始終をただただ優しい笑顔でずっと見つめていました。
食卓ではお父さんの料理作りが始まっています。
「拓人、今日はお前の人生初めての冒険だったんだろ? お祝いだ。今日は今までにないような最高の料理を作るぞ!」
ここからがお父さんの魔法の時間。
鍋はグツグツ。フライパンはジュージュージュー。
香ばしい薫りを伴って料理は美味しそうな音楽を奏でます。
これが拓人の大好きな時間です。お腹をぐぅぅと鳴らしてテーブル椅子に腰掛けながら、視線はお父さんの魔法に釘付けです。
お父さんはフライパンを炎に翳しながら拓人に語りかけました。
「俺はな、太陽を追いかけていたらたくさんの宝物を見つけたんだ」
「宝物? それって宝石? 隠された財宝?」と返す拓人。お父さんは「ニヒヒッ」と笑い返します。
「拓人、宝物を見つけた時、人はどんな気分になると思う?」
「とっても嬉しい」
お父さんは鍋をかき混ぜながら言葉を続けます。
「もっと具体的には?」
「ワクワク! ドキドキ! ハッピー!」
「そうだ。宝物を見つけた時にはな、きっと誰もがそんな気分になる。お父さんはな、毎日がドキドキ、ワクワク、ハッピーだ。 そう思えるものこそが宝物なんだ。
お前も今日、太陽を追いかけたんだろ? それはきっと、お前の一生忘れることのない想い出になるはずだ。お前は今日、一つの宝物を手にいれたんだ」
お父さんの話はまだ拓人にはよく分かりません。
「出会い。発見。信頼。知識。ずっと一緒にいたい大切な人。他にも、もっともっと。
全てが宝物だ。拓人、おまえはそんな宝物をいっぱい集めろ。世界は宝物に満ちているぞ」
きっと、お父さんは今までに経験してきた全てのことが宝物だと言いたいのでしょう。
「お前の宝物はお前自身のその眼で探し出せ。俺はこれからも太陽を追いかけ続けるぞ。拓人、お前はどうするんだ?」
拓人は負けたくないと思いました。そう、負けてはいられません。
「俺は生涯現役の冒険者だ! いつか金銀財宝を探し当てて大金持ちだぁぁ。ニヒヒヒッ」
お父さんは嫌らしく笑いました。その顔は少し悪い人の顔になっていました。
「ぼくも宝物を探すぞ! 冒険者だ! お父さんには負けないぞ。まだ知らないたくさんのことを見て知って、目指すは心の大金持ちだ!」
「財宝を見つけてもお母さんには絶対に内緒だぞ!」
「いやいや、全部、お母さんに聞こえてるよ」
お母さんはただただ優しく笑っていました。お母さんの笑顔がとても幸せそうでした。
世界は数え切れないほどの宝物に満ちています。
そんな宝物を拓人もお父さんもこれからも追い続けていくのでしょう。
『太陽を追いかけろ!』
これが拓人とお父さんの二人だけの合言葉です。
ワクワク、ドキドキ、ハッピーな二人の冒険はこれからもずっとずっと続いていくのです。
この日の晩の拓人の家の食卓は、世界中の食材をふんだんに使った豪華な料理とお父さんの宝物のようなお土産話に華が咲き、素敵で楽しい一時になったことは言うまでもありません。
おわり。