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夢現逃花 —ムゲントウカ—  作者: ふぁる
アルマゲドン編
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大天使カフジエル

 ふんわりと甘い蜜の香りが広がる中、大はしゃぎの少年の天使達に囲まれて里桜は忙しそうに焼き菓子を配っていた。


「リオのお菓子は美味しいね!」

「うん! 美味しい美味しい!」

「マナよりもずっと美味しい」

「うん! 美味しいね!」

「毎日食べたいくらい美味しいね!」


少年の天使達はわいのわいのと里桜の焼き菓子を頬張って、一つ、また一つと手を伸ばしては次々と胃袋を満たしていった。

 レアンは大天使ガブリエルとしての仕事があると留守にしており、暇を持て余して神殿内を探検していた里桜の目に、全く使われなくなって久しいキッチンが飛び込んだ。

 大喜びで掃除をし、少年の天使達に頼み込んで材料を集めて貰い、焼き菓子を作ったのだ。焼き菓子は思いのほか彼らに好評で、少年の天使達だけではなく、他の沢山の天使達も集まってきた。

 普段はどこに居るのか、ほとんど姿を見せる事のない大人の姿をした天使達もわらわらと集まって来たのには里桜も驚いた。その中には最初に出会った、アルカにそっくりな灰色の髪の天使、エルの姿も在った。


 レアンに言われた事を思い出し、里桜は何となく天使達の首元を見つめた。少年の天使達も含め、ほとんどの者が『F』と刻まれている。それはつまり、彼らは現実世界ではすでに亡くなっているという事を意味している。


 『F』の文字を見る度に、里桜は複雑な気分になった。まるでこのアルマゲドンの世界は、死者たちの楽園の様だと思ったからだ。


「エル! 両手に二つも持ってずるい!」

「早い者勝ちだな」

「ずるいったらっ!」

「まだ沢山あるから、大丈夫だよ」


クスクスと笑う里桜に、天使達は「まだまだおかわりする!」と、皆嬉しそうに焼き菓子を頬張った。


「リオは料理が得意なのだね」


エルが嬉しそうに焼き菓子を頬張りながら言った。彼の首元は窮屈そうな詰襟で隠れており、何の文字が刻まれているのかが確認できない。


——流石に、ちょっと見せてなんて言えないよね……?


「得意というか、作るのが好きなの」

「そうかそうか。良い事だね。その上謙虚で素晴らしい」


エルの口調に里桜はなんだか随分年配の人と会話している様だと思って、クスクスと笑った。見た目はアルカにそっくりだというのにと、つい可笑しくなったのだ。

 里桜の笑う様子にエルは片眉を吊り上げて、「欲張って食べ過ぎたかな?」と不安げに言ったので、里桜は慌てて首を左右に振った。


「全然! 沢山作ったから、食べてね!」

「嬉しい限りだね。リオが居てくれればずっと楽しめるというわけだね」

「お姉ちゃん、ここに住めばいいのに!」

「そうだよ、人間の世界に戻るなんていやだっ!」

「ボクもいやだっ!」

「ずーっと居てねっ!」

「ねー?」


少年の天使達が口をそろえて言い、里桜は少し困って愛想笑いを浮かべた。


——流石にずっとは居られないかなぁ……。きっとヴィベルさんやファメールさんも心配してるよね。突然ダイブしちゃったから、ファメールさんはもしかしたら怒ってるかもしれない。『勝手な事してくれちゃって!!』って。でも、不可抗力だったんだよ!?


「おねーちゃんがここに居るなら、僕達とっても幸せ!」

「なんだかお母さんみたい!」

「お母さんってなんだか知らないけど、そうみたい!」

「ねぇー?」


少年の天使達の言葉に里桜は「え!」と、照れた様に顔を赤らめた後、にっこりと微笑んだ。その笑みは優しく包み込む様な笑顔で、少年の天使達は思わず里桜に見惚れてしまう程だった。


「……私も、皆みたいな子供が居たらすっごく嬉しいなぁ」


里桜のその言葉に、エルが灰色の瞳を優しく細めた。


「リオは子供が欲しいのかね?」


エルの言葉に里桜は一瞬戸惑った。……まあ、現実世界じゃないし。身近な人って訳じゃないしいいか、と、里桜は「うん」と答えると照れた様に笑った。


「ずっとお嫁さんになるのが夢だったけれど、本当は『お母さん』になるのが夢だったの」

「そうか。男の子と女の子、どちらが欲しいと思うのかね?」

「んー、両方かなぁ。女の子なら強く逞しく育って欲しいし、男の子なら優しく可愛く育って欲しいし」

「リオ、それは性別と印象が逆ではないのかな?」

「え? そうかな??」


 レアンやアダムさんは子供が好きだと言ってたっけ。ファメールさんは嫌いなんて言っていたけれど、きっとファメールさんの子供は可愛いだろうなぁ。ヴィベルさんは……どうなんだろう。私にプロポーズしてくれたんだよね。でも、それって……


「必ず夢は叶うとも。良い母親となるだろうね」


エルが穏やかに言った言葉に里桜は曖昧に微笑みを浮かべてかわした。


「おっと、そろそろ戻らなければ。焼き菓子が余りに美味しくて時間を忘れてしまうところだった」


エルが「ご馳走様」と紳士的にペコリとお辞儀をした。

 アルカにそっくりな顔で紳士的な態度を取られると、なんだかむず痒いなと思いながらも、里桜は「どういたしまして」とお辞儀を返した。


 自分の本当の夢の話を初めて話したものの、そのいたって平凡な夢を彼は『つまらない』等と揶揄(やゆ)することなく、励ましの言葉をくれた。きっと優しい人に違いない。もしも彼が現実世界にも存在しているのなら、良い友人になれるだろう。そう思うと、首の刻印が気になってしまう。


「こら! ちょっと何をしているのさ!?」


 エルが去ってすぐに、まるで入れ替わったかのように金色の瞳を三角にしてミカエルが飛びこんで来ると、少年も大人も天使達は皆キャッ!! と悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らす様に逃げて行った。

 それはそれは素早いもので、里桜とミカエルを残して一瞬のうちに誰一人居なくなってしまったので、今までの彼らがまるで幻でも見ていたかの様に感じられる程だった。

 よっぽどにミカエルが恐ろしいのだろうか? 里桜はポカンとした後、ミカエルにおずおずとお菓子を差し出した。


「ミカエルさん、よければ召し上がりませんか?」

「結構だよ!」


バシッ! と里桜の差し出したお菓子を手で叩き落とし、ミカエルは怒り狂ってまくし立てた。


「そんな人間の食べ物なんかを天使達に食べさせるだなんて! キミはやはり堕天させる為に地上から来た悪魔じゃないか!! ガブリエルは一体何をしているんだっ!!」

「え!? お菓子を食べると堕天するの!?」


里桜はミカエルに払い落とされたお菓子を拾い上げ、唖然として瞳を見開いた。


「どうしよう! 皆沢山食べちゃった! 大変!!」


大慌てでオロオロとする里桜に、ミカエルは深いため息をついた。


「お菓子を食べるとって訳じゃないけれどね。天使に地上で堕落した生活を送りたいなんて、甘い考えを持たせるきっかけになるんだよ。行動には気を付けて貰わないと困るよ。もしも神の怒りを買うことに繋がれば、一瞬のうちに堕とされてしまうんだからね」

「ごめんなさい。知らなかったの」


シュンとする里桜を前に、ミカエルは額に手を充てて俯いた。


「今日は金曜日だからガブリエルは啓示の仕事に向かったのか。それなら尚更にキミには大人しくしていて貰わないと困るよ。僕の立場も理解してくれ」


ミカエルは様子を見る為、暫くの間里桜が天上のエデンに身を置く事を許可した。しかし、里桜の天真爛漫さはミカエルの計算外だった。普通はもう少し大人しくしているものだろう、と、うんざりする。

 ガブリエルが留守のうちにやはりこの娘を消してしまおうか、と、ミカエルはジロリと金色の瞳で里桜を睨みつけた。


「ごめんなさい。大人しくしていたつもりだったんだけど」


しょんぼりと俯く里桜の姿を前に、ミカエルは杖を握りしめる手に僅かに力を入れた。


——そうとも、このまま消してしまえばいい……。不穏因子は少ないに越した事は無いのだから。ブルージルコンの瞳の少女が何だというんだ。彼女がサマエルの言った少女だから何だと言うんだ。


「キッチンがあったから、つい嬉しくなっちゃって」


パッと顔を上げた里桜の瞳を見て、ミカエルは僅かに戸惑った。そして何故戸惑ったのか自分でもよく分からずに、もやもやと納得のいかない気分を無理やりに押し込めると同時に、杖を握る手が緩んだ。

 コホン、と咳払いをし、里桜を消そうとしていたことを誤魔化す様に口を開いた。


「……この設備は人間がエデンから追放される前のものだね。地上のエデンと天上のエデンは鏡の様なもの。地上にあるものは、天上にも存在するけれど、だからといって僕達天使には必要の無いものさ」


 鏡? と、里桜はミカエルの言った言葉に小首を傾げた。そもそも『エデン』が二つある、という事を里桜は知らなかった。同じものがあるというのなら、そこに住まう『人』だったり、『天使』はどうなのだろうか……?


「ねえ、ミカエルさん。堕天使ってどうしたらなるの?」


ポツリと言った里桜の言葉に、ミカエルは不愉快そうに眉を寄せた。


「神の教えに背けば堕ちるのさ」

「神の教えって? 堕天使になるとどうなるの?」

「神の慈愛を受けることができなくなるんだ。限られた寿命でしか生きられなくなる」


——ああ、聖書かなにかのエデンの園の話で、人間の寿命が120年になったってやつかな。そんなに長生きしたいと思わないけれどなぁ。


「そして、七つの大罪に苛まれて生きる事を余儀なくされる。恐ろしい事じゃないか」


 七つの大罪? と、里桜は考えて

——確か食べる事についての何かがあった。お菓子を嫌ったのはそのせいかと頷いた。


「七つの大罪ってどうしていけないの?」

「何だって?」

「だって、生きる事が罪って言っているようなものじゃない?」


ザザ……ザザザ……と、ミカエルの脳内にノイズが入り込んだ。慌てて頭を押さえ、ミカエルは自らの意思とは関係なく、まるで自動再生の様に口を開いた。


「『神』ノ教エハ絶対ダ。神ノ子デアル全テノ命ハ『神』ノ愛ヲ乞イ、ソシテ忠誠ヲ誓イ教エニ従イ生キル事ガ義務ダ」


 ミカエルは自らの口から言葉を放ちながらも、その内容に違和感を覚えていた。

——なんだ、僕達は、神の奴隷じゃないか? 神の為に生きる。生かされている……?


「義務なんだ? なんか、それって幸せなの?」

「天使ハ見返リヲ求メテハイケナイ」

「なんだか、報われないのね」

「……報われない?」


——どうにもおかしい。この娘の発言は当然と思えた()()()()を覆す。神の為に生きるのも、見返りを求めない生き方も、天使として当然の事だというのに、何故今更そんなことに疑問を持つのだろうか。


 いや、待て。()()()()……?


 僕は、自分でその考えを生み出したのだろうか? 僕という存在がこの世に生まれた時から刻まれた考え方ではないか? 


……やはり早々に消すべきだろう。こんな風に考える事こそが神への冒涜(ぼうとく)に違いない。この娘は危険過ぎる。

 ぎゅっと杖を握りしめ、ミカエルは里桜を睨みつけた。

 大したことではない。何も命を取るわけではないのだ。この天上のエデンから追放させる、それだけの事だ。


「天使だって、幸せになったっていいじゃない」


里桜の言葉にピクリと眉を動かして、ミカエルは自身のその反応に苛立った。躊躇する必要は無いはずだというのに、何が自分をこうも引き留めるのかが理解できなかったのだ。


「天使ニトッテノ幸セトハ、神ニ愛サレル事」

「神様以外にも愛された方がいいんじゃないの? その方がきっと楽しいし、寂しくないよ?」


 里桜は自分の言葉を自らの経験に重ねながら話していた。

 お母さんに愛されていなくったっていい。友達や、他の皆がいたら、私は幸せだから。


 ミカエルは小首を傾げ僅かに考えたが、すぐ肩を竦めて「僕には必要ないな」とそっけなく返した。

——そう。どうでもいい。この娘の戯言に感化されるなど、熾天使(してんし)ミカエルともあろう者がどうしたというのか。危険因子は消してしまおうじゃないか。


「おー。なにやら良い匂いっスねぇ!」


 ミカエルが里桜に手を伸ばそうとした時に、茜色の緩やかなくせ毛をした男性がひょいと現れて、里桜の手からお菓子を奪い取った。七大天使特有の詰襟のコートを羽織り、首元には長い深緑色のストールを巻き、天女の羽衣の様にひらひらとたなびかせていた。


「カフジエル!」


ミカエルから『カフジエル』と呼ばれた男性に、里桜は見覚えがあった。会社で偶に父親と行動を共にしていたフランス支社のエンジニアだ。確か『ジエル』と皆から呼ばれていたと記憶している。


 彼はパクリとお菓子を頬張って「美味い!」と言い、ミカエルは怒り狂ってプラチナブロンドの髪を逆立てた。


「止めないか! 全く! 大天使は誰もかれも皆僕の言う事を訊かずに困るったらないね! 僕が直々に雷で罰を与えてやろうか!」

「ひえ! それだけはご勘弁っ!」

「あの、カフジエルさん……?」


里桜がおずおずと口を開いた。


「その、ね、カフジエルさんが食べたお菓子、落としちゃったやつなの……」


申し訳無さそうに床を指さして言う里桜に、カフジエルは全く気にしないといった風に笑った。


「無問題! だってここは天上っスよ? ゴミ一つ落ちて無いし、土だって食べられる位に綺麗っスもん! ばい菌ウイルス(ゼロ)の超清潔潔癖世界っス!」

「土は食べられないよ。カフジエル、キミ、ちょっと黙っていてくれないか」


 全く、頭が痛い、と、ミカエルは額に手を充てて大きなため息をついた。


「何言ってるっスか。ミカエル様も食ってみたらいいんスよ。死ぬワケでもあるまいに、潔癖過ぎっス」

「そういう問題じゃないだろう!?」

「超頭硬いっス! そんなんじゃあ一生損しますよ? 自分の知らない間に皆は幸せどんなもんだっス。そんなの悔しいでしょう? ほーら!」


カフジエルがミカエルの口にお菓子を押し込み、里桜はサァっと血の気が退いた。


——やばっ! ミカエルさんが激怒する! 私がお菓子なんか作っちゃったせいで、こんなことにっ! レアン、ごめんなさいっ! 迷惑かけちゃうかも!

 と、頭を抱えたい気分になっていると、ミカエルがもぐもぐと口を動かしてゴクリと飲み込んだ。


「……美味しい」

「でしょ!? ほーら、食って良かったっしょ!? 幸せっしょ!?」

「キミの手で触った物だと思うと吐き気がするけれどね!」

「あ、手ぇ洗って無かった!」

「最悪だ……」

「大丈夫っスよ! ここは天上なんスから! ばい菌も雑菌もウイルスもなんも無いっス!」

「言っている意味が全くわからないよ……」


 フト、ミカエルは涙ぐんでいる里桜の様子に気づき、(いぶか)し気に片眉を吊り上げた。


「何さ?」

「うん、ちょっと嬉しくて、感動しちゃった」

「は!? 何が? 僕は最悪な気分なんだけれど!」


里桜は瞳を擦るとふっと笑った。


「だって、ミカエルさんが私の作ったお菓子、食べてくれたから。嬉しくって」

「何それ? まさか、毒でも入ってるだなんて言うんじゃないだろうね!?」

「入ってるかもしれないっスねー」

「はぁ!?」

「惚れ薬が。あ、ミカエル様、彼女に惚れちゃダメっスよ!?」

「バカな事言うな! 絶対にありえないねっ!!」


 まさかファメールでは無くミカエルが食べてくれるとは、と、里桜は心が熱くなった。

——カフジエルさんの手を振り払う事だってできたはずなのに、やっぱりファメールさんってすごく優しいんだ。それが堪らなく嬉しい!

 と、里桜は感激のあまり瞳に涙を浮かべた。


「どうしよう! すっごく嬉しい! ミカエルさん、有難う!」

「……」


 里桜のあまりの感激っぷりに面食らい、ミカエルは顔を真っ赤にした。そして何故こうも顔が熱くなったのかの理由が全く分からずに、パッと里桜から視線を外し頬を掻いた。


「……煩いな。とにかく僕は最悪な気分だよ。全く、酷いったらありゃしない」


ブツブツと呟く様にそう言うと、「ちゃんと片づけておくように!」と、言い残し、ミカエルはふっと姿を消した。


——やばい。ミカエルさんが可愛過ぎ。あの照れた様な感じを隠して怒る様子とか、ファメールさんらしいというか……。

 ファメールさんにもお菓子、食べて貰いたいなぁ……。美味しいって言ってくれるかな? ミカエルさんが言ってくれたんだもん、ファメールさんもきっと言ってくれるはず。ああ、もうどうしよう! すっごく幸せっ!


 里桜は嬉しくてニマニマと頬を緩ませた。

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