里桜の懺悔
部屋のクローゼットを開けると、新しい服がいくつも追加されていることに私はため息をついた。
……どれも女の子らしく華やかで、けれど清楚で品のいいデザインの洋服ばかりだ。
「里桜っていっつも可愛い服を着てるよね!」
「何処のブランドなの? 今度一緒にお買い物に付き合ってよ」
学校の友人から掛けられる声に、私は曖昧に返事をした。どこのブランドなのか、何処に売っているのか、私は何も知らない。全て母が用意してくれているからだ。
そもそも、私には自由時間というものなど存在しない。学校が終わればすぐに塾や稽古事だ。家に帰れば夕食時に今日一日の出来事を母に報告し、入浴が終われば勉強や稽古事の復習。就寝時間も厳守しなければならない。
部屋のブレーカーが、二十二時きっかりに落とされしまう為、暗闇の中でできる事など無い。部屋から出る事も許されないし、当然スマートフォンも帰宅と同時に母に取り上げられるのだ。
唯一、一日のうちで自分が自由だと思える時は、叔父の運転する車内での送迎時間だけだった。彼は堅苦しい私の生活を察してか、わざといつも遠回りをしてくれた。
「里桜ちゃん、すみません。少し寄りたい所があるんです。付き合って頂けますか?」
「うん! 全然いいよ!」
わざと渋滞している道を選んでいるのか、叔父がそう言う時は決まって渋滞に捕まる。けれど、苛つく様子は微塵も伺い知れず、むしろ楽しそうに私と雑談し、笑わせてくれた。
結局、彼が寄りたいところが何処だったのか、一度も分からないままだった。優しくて正直な彼は、嘘が兎角下手だった。
ある日、思い切って聞いた事がある。
「ねえ、にいに」
二人きりの時、私は叔父を『にいに』と呼んでいた。母の前では『ラファエルさん』と呼ばなければ怒りを買う。
「お母さんは、私の事どう思ってるのかな」
車の運転をしながら、彼はルームミラーごしに私にチラリと視線を向けた。
「どうって?」
「お母さんは、私を嫌いなの?」
彼は僅かに間を空けて、首を左右に振った。
「姉さんは里桜ちゃんを愛しています。里桜ちゃんを守る事だけを考えていますし、里桜ちゃんの為に生きていると言っても過言じゃありません。ただ、とても不器用なだけなんです」
「お父さんと仲が悪いのはどうして?」
「総一朗の仕事に里桜ちゃんを触れさせたく無いのですよ。それなのに、総一朗が里桜ちゃんにプログラミングの勉強も取り入れようと言うので」
「どうして? 私、IT系の仕事に就きたい。お父さんを尊敬しているもの!」
「姉さんは、里桜ちゃんには女性としての幸せを掴んで欲しいと、それだけを願っているんです」
「……私、結婚なんかできなくったっていいよ」
「里桜ちゃんを守る為なんです」
「何から守るって言うの!?」
厳重過ぎる程の家の警備。里桜の部屋のガラスは強化ガラスだった。窓の開閉すらも全てセキュリティ装置が感知する。
「……私にもわかりません。すみません、里桜ちゃん」
シュンと落ち込む叔父の姿に、私は責めてしまった事を申し訳無く思い、俯いた。
「私の方こそごめんね。にいにがいつも優しいから、甘えちゃっただけなの」
夜、就寝時間が過ぎた頃、両親が言い合う声が聞こえてくる。部屋のドアを開ける事もできないので、何を言い争っているのか分からないまま、私はきっと自分のせいだと思い込むしか無かった。
ただ、その日は普段よりも激しく、食器の割れる音が鳴り響いた為、私は居てもたっても居られずにベッドから抜け出し、部屋のドアを開けた。
恐らくリビングにはセキュリティ音が鳴り響いた事だろう。
私がリビングに足を踏み入れた時、両親は揃って私の方へと視線を向けて待っていたので、ぎょっとした。
「里桜、ダメじゃないか。ちゃんと眠っていなさい」
「そうよ。睡眠不足は良くないわ」
取り繕った様に言う二人を見つめ、私は眉を寄せた。母の頬が赤くなっていたからだ。怒りが沸々と湧き上がる。
「お父さん! お母さんになんてことをするの!!」
きっと父が殴ったのだと決めつけて、私はパッと駆けて母の前で両手を広げ、庇う様に身を乗り出した。
「里桜……」
「女性に暴力を振るうなんて、酷い!!」
父から漂う酒の匂い。酔って母に暴言を吐き、その上暴力を振るったのだろう。今思えば、あの優しい父がそんな事をするはずが無いというのに。どうしてだか、あの頃の私は母の言いなりだったのだ。ある種、マインドコントロールでも受けていたかの如く、反抗する事も知らずにただただ服従していた。
父のことも、母のことも決して嫌いというわけでは無かった。寧ろ、愛されたかったのだ。
……何故、こんなに頑張っているのに私は愛されないのだろうかと思っていた。学校の成績、見た目、立ち居振る舞いなんかより、私を見て欲しかった。どうすれば私を一人の人として認めてくれるのだろうか。
「大丈夫よ、里桜。さぁ、部屋へ戻って寝てらっしゃいな」
その言葉にも、私は素直に従う。少しの不満も口にせず、私はコクリと頷くのだ。
そう……出来損ないの娘だから。母の愛に飢えて乞う私は、逆らうという選択肢等無い。
ああ、お母さん。お願い。私をちゃんと見て。着飾らなくても、出来損ないでも、私をちゃんと見て。
独りぼっちに、しないで……。
母が亡くなった日、全てを失ったと思った。開放された? いいや、違う。自由とは怖いものだと知った。自分で考えて動いたことなど無かった私が、突然裸で放り出されてしまったのと変わらない。
転校先で切り刻まれた制服を見た時、まるで自分の心を切り刻まれてしまったように思えた。
『まあ、里桜。なんて可愛らしいのかしら。とても良く似合っているわ! 流石私の娘ね』
私の制服姿を喜んでくれた母の姿を思い、その思い出も私は守れなかったのだと思った。私の人生は、母の死と共に終えてしまったのだ。
「里桜ちゃん!! 何をしているんです!?」
部屋のクローゼットに入っていた服を私は片っ端からゴミ袋に詰めた。
「もう要らないから捨てるの!」
「ですが……それでは服が……」
困惑する叔父に、ふっと笑って見せた。
それは恐らく、ゾッとするほど冷たい笑みだっただろう。叔父の顔からすぅーっと血の気が引いた事がそれを物語っていた。
「自分でバイトして買うからいい。お母さんもお父さんも、もう要らない」
「里桜ちゃ……」
「叔父さんも、もう私に構わないで!」
初めて、にいにを『叔父さん』と呼んだ。彼は酷く傷着いた様な顔をしたのに、すぐに取り繕う様に笑みを浮かべた。私を気遣ってくれているということが突き刺さる様に感じた。
ああ、こんなにも優しいこの人を、私は傷つけたのだ。彼は私を傷付けた事など一度も無いというのに。
罪悪感からどんどん自分を嫌いになっていく。母に与えられた誇りも何もかもを放棄して、自ら真っ黒な沼地の中へと足を踏み入れて沈んでいくようだ。大嫌いな自分を消し去ってしまいたい。
「里桜ちゃん、転校先の学校の制服に買い直しましょう」
「要らない! 叔父さん、私に話しかけないでよ。気持ち悪い!」
極めつけの様に吐いた私の暴言に、流石の彼も深く傷ついた様子を隠す事が出来なかったようだ。ブルートパーズの優しい瞳を悲しみに曇らせる様を見て、私は自分がもう二度と元には戻れないのだと思った。
人を傷つける、どうしようもない悪い人間になってしまった。しかも彼は、とても大切な人なのに。
その日以来、叔父は食欲旺盛になった。以前は本当に食が細く、味がしないのだと食べる事を嫌っていたというのに。恐らく私と一緒に居るのが嫌で堪らないのだろう。私を拒絶するかのように段々と肥え太っていく姿を見る度に罪悪感が増す。
それほどに私は叔父を傷つけたのだ。
どうして? 私は誰も傷つけたくなんか無かったのに。
つっけんどんな態度をとったクラスメイトにも傷ついたに違いない。私の制服がああなってしまったのは、彼らが私に傷つけられた結果なのだ。
私なんか、もう、要らない。それなのに、『誰か助けて!』と、私は心の中で叫び続ける。なんて愚かなのだろう。
……こんな世界。もう要らない! 私なんか、消えてしまえばいい!!
自分の醜さから目を反らし、逃げ込んだ世界に彼は居たのだ。真っ直ぐに、灰色の清い瞳で私を見つめてくれた。彼の瞳は、ただ綺麗なのではなく、世の混沌を知った上で、それでも清く居られるという強さを持っていた。
私には無い強さだった。
アルカ。貴方のその強さと優しさを、私も欲しい。どんなにか努力が必要なのだとしても、頑張ると誓うから。
そうしたらきっと、独りぼっちになんかならないよね?




