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夢現逃花 —ムゲントウカ—  作者: ふぁる
アルマゲドン編
92/169

大天使ガブリエル

 俯き、すっかりと落ち込んでしまった里桜にアリエルはため息交じりに声を掛けた。


「えーと、困ったわねぇ。ミカエル様は潔癖症なのよ。あまり怒らせないでね。私までとばっちり受けちゃうんだから」

「ごめんなさい。私、すっごく嫌われちゃったよね?」

「そうかしら? ミカエルは誰にでもあんな感じだもの、皆が嫌いなんじゃないかしら?」


 ヒリヒリと痛む手をじっと見つめていると、二重三重にぼやけ、ポタリと涙が零れ落ちた。


——ファメールさんじゃないって分かってるけど、拒絶された気持ちが晴れないよ。叩かれた手が痛い。お願い、ファメールさん、早くこっちに来て。ミカエルさんじゃない貴方に会いたい。会ってこの不安を払拭して欲しい。


「ねえ、泣かないでよ。面倒だわ」


うんざりしたように言うアリエルに、里桜は慌てて瞳を擦った。


「ごめんなさい。どうしよう。私、どうしたらいいんだろう。一人じゃ何にもできないなんて、かっこ悪……」

「人間なんてそんなもんじゃないかしら? だから集団で生きるんでしょう?」

「そんなことないよ。私がダメダメ過ぎてなんだか自己嫌悪。最悪」


 『私もアルマゲドンに行きたい』だなんて言っておきながら、いざダイブすると一人じゃ何もできないなんて、情けない。足手まといにしかならないんだから、レアンが残れというのも頷ける。アルカを連れ戻すんだなんて言いながらこんな状態は情けないにも程がある。なんて我儘で馬鹿だったんだろう。

 考えてみれば、エデンに召喚された時だって何にもできなくて、アルカに助けて貰ったんじゃない。それなのに、そのアルカを探して連れ戻そうだなんて、思い上がりもいいところだった。


「とりあえず神殿にいらっしゃい。ついてきて」


 アリエルがすっと手を翳すと、黄金色の草原から瞬時に場所が移動され、辺りは白い大理石製の巨大な柱が何本も聳え立つ、神々しい程にどこもかしこも真っ白な建物の中へと切り替わった。

 突然変わった風景について行けず、里桜がべしゃりと倒れ込む。


「痛ぁっ……」

「やだ、間抜けな子ねぇ」


倒れている里桜にお構いなしに長い廊下を歩きだすアリエルの後ろを、はぐれてはまずいと慌てて着いて行くと、彼女はため息交じりに言葉を放った。


「それで? 貴方、どうやって天上のエデンまで来たの?」

「……わかんない」


アルカの(もや)が現れて、それに触れたからなのだろうか? しかし、そんなことを言ったところでアリエルに理解をしてはもらえないだろう。


「わからないって、どういうことなの?」

「ホントにわかんないんだもん……」

「なにそれ? ミカエル様がイラつくのも無理もないわ」


「アリエル! ミカエル様を見かけませんでしたか!?」


男性が廊下をパタパタと駆けて来たかと思うと、ブルートパーズのような瞳をアリエルに向け、慌てた様に声を放った。


「見かけたけど、どこに居るかは知らないわ。執務室に居ないの?」

「それが、報告の時間だというのに執務室にも自室にも何処にもいらっしゃらないのですっ!」


——ヴィベルさんだ……。

 と、その男性を見つめる里桜が全く視界に入っていないようで、彼は「ああ! 困りました、困りました!」と言いながら廊下を駆けて行った。慌て過ぎて視界に入って居なかったとも考えられるものの、やはり彼もこの世界で創成されたヴィベルであり、里桜の事を知らないのだろう。

 大慌てで去っていくヴィベルの後ろ姿を眺めてアリエルはため息をつき、肩を竦めた。


「ラファエルったら、大慌てで可哀想に」

「なんだか忙しそうだね」

「貴方、能天気ね! ラファエルの報告すら聞かないくらいにミカエル様を怒らせちゃったってことなのに」

「え!? 私のせい?」

「それ以外無いでしょ? 人間が天上のエデンに来る事自体が赦されない事だもの。地上のエデンからですら、追放されて久しいから。ミカエル様に即刻消されなかっただけでも不思議なくらいよ」


 天上のエデン、地上のエデン……? なにそれ。ここって『アルマゲドン』って世界なんじゃないの?

 ……あれ? でも、『エデン』に居た時は国が存在してたよね? だとしたら、『アルマゲドン』の中の国の名前が『天上のエデン』とか『地上のエデン』なのかな? いや、ちょっと待って。確かエデンって楽園の名前だったような…??


 旧約聖書のエデンの園の話を必死に里桜は思い出した。


 アダムとエヴァがエデンから追放されたのは、禁断の果実を口にしたから。エヴァが蛇にそそのかされて、アダムにも禁断の果実を勧めた。結果神の逆鱗に触れ、エデンから追放されて、百二十年の寿命にされた……んだったような? あれ? 百二十年って随分長生きじゃない? 大昔なんて五十歳まで生きれば十分な時代もあったでしょ? 信長だって『人間五十年~』って踊ってたじゃない。敦盛、だっけ?


「貴方、名前は?」


……やば、どうでもいいこと考えてた。と、ハッとして「里桜です!」と、応えると、アリエルは「ふ~ん」とサファイアの様な瞳で覗き込んだ。


「当然天使には居ない名前だし、人間にしても珍しいわ。男性名みたいだけど」


はいはい。どうせ『川』ですよ……。


「でも、結構可愛い顔してるじゃないの。『リオ』ね。その服もとっても素敵!」


 ひょっとして、スカートを穿いていなかったらエデンの時同様男性と間違えられたのだろうか、と、里桜は考えて、私ってそんなに男っぽい顔してるかな? と、苦笑いを浮かべた。

 ああ、でもファメールさんも女性的な顔立ちだし、だからこそアルカは私を男性だろうとすんなり受け入れたのかもしれない。


「あの、アリエルさん……あ、アリエルさんって呼んでいいのかな?」

「別に構わないわ。なぁに? リオ」

「私って男っぽい?」


アリエルはポカンとした後に、つっと視線を里桜の胸へと向けた。


「貴方、男性なの?」

「へ? あ、ううん! 違うけど! その、前に男性に間違えられた事があったからっ!」


アリエルはケラケラと笑うと、里桜の大きな胸にペタリと触れた。


「女性として完璧なスタイルをしてるのに、男性に間違うなんて、そいつ、よっぽど頓馬(とんま)なのね! こんなに触り心地いいのに!」


揉み揉みと胸を揉まれ、里桜はいくら女性同士だと言ってもなんだか恥ずかしいよ!? と、顔を真っ赤にした。


「あの、えーと、アリエルさん…」

「アリエル!」


怒鳴りつける様に叫び、アッシュブロンドの髪をサラリと降ろし、背の高く筋肉質でがっしりした体形の男性がアリエルの手を掴んだ。


「お客人に何をしているのです!?」


マリンブルーの優しそうな瞳をキリリと細めるその顔はレアンそのものだったが、当然彼もこちらの世界で創成されたレアンなのだろう。里桜は口を閉ざし、遠慮がちに俯いた。


「別にいいじゃない。拷問よりマシでしょ?」

「無礼を働いてはなりません!」


レアンに似た男性がいつもの生真面目な様子でアリエルを(いさ)めて、アリエルは面倒そうに「お客人ってワケじゃないんだけど」とため息をついた後、パッと彼の手を取った。


「聞いてよガブリエル! ミカエル様ったら酷いのよ!? 私を小間使いにするんですものっ!」

「……はぁ」

「この子を尋問しろですって! こんな可愛い子相手によ? そんなの力天使の私がすることかしら!? ねぇ、替わってくれない!? ガブリエルならミカエル様と兄弟なんだし、尋問なんかしなくても文句も言われないでしょ?」

「兄上も強引ですね。わかりました。引き受けましょう」

「助かる! 恩に着るわ! 流石ガブリエル、話しが分かる~!」


 ちゅっ! とガブリエルの頬にアリエルがキスをし、ガブリエルが嫌そうに顔を顰めて「やめなさい!」と諫めた。

 アリエルは気分良さげに手を振ってその場から立ち去っていき、里桜は困った様にチラリとガブリエルを見つめ、すぐに視線を逸らせた。


 レアンは誰にでも優しい人だけれど、女性が苦手なんだよね。それなのに、アリエルさんにキスをされても拒絶反応めいた素振りが見えなかった。あれ? でも、現実世界のレアンもアリエルさん相手には拒絶反応が無かったような? 困ったなぁ。どう接していいかわかんない……。


「アリエルが無礼を働いてすみません」

「え!? あ、別に……」


少し恥ずかしかったけど……。と、瞳を反らす里桜に、ガブリエルは申し訳なさそうにため息をついた。


「兄上への報告もありますので少々話を聞かねばなりません。私の部屋へどうぞ」

「え? 独房に入れるんじゃないの?」

「まさか。そんな事はしませんよ」


優しい微笑みを向けるガブリエルに、里桜は少しだけホッとして、彼の後を着いて行った。


 例えアルマゲドンで創成されたレアンなのだとしても、彼の元々の人格的に見知らぬ他人相手にも冷たい対応をとるタイプには思えない。だからこそアルカもエデンではファメールを避けてレアンに里桜を預けたのだ。

 ファメールは、根は優しい人だということは分かっているが、初対面のミカエルには警戒し、少し距離を置いておきたい、と、里桜は思った。


 考えてみれば、エデンではファメールさんに殺されかけたり、強姦されそうになったりしたんだよね、と、苦笑いを浮かべる。その行動のどれもがファメール自身の利益ではなく、アルカの為であったり、エデンの為であったりするわけだが。


 真鍮色の扉を開き、ガブリエルが「どうぞ」と室内へと促した。室内もどこもかしこも、家具ですら真っ白に統一されており、ランプ等の灯りがあるわけでもないのに明るく、落ち着かない部屋だな、と、里桜は思った。

 とりあえず椅子に掛け、「何を尋問するの?」と、半ばヤケになって言った里桜の前に、ガブリエルは(ひざまず)くと、瞳を細めて僅かに頭を垂れた。


 大天使様がどうして私に跪いたりなんかするんだろう? と、里桜が呆気に取られていると、「尋問などするはずがありません」と、ガブリエルはため息交じりに言った。


「リオ、どうやら私と貴方だけが先にアルマゲドンにダイブしてしまったようです」


彼が言った言葉を頭の中で反芻(はんすう)し、真剣な眼差しで見つめるマリンブルーの瞳を見つめ返した。

 まさか、ひょっとして……? と、恐る恐る里桜が口を開く。


「……レアン?」


 ふわりと微笑んで頷く彼の様子を観察するようにじっと見つめる。


「ええ。心細い思いをさせてしまいすみません。もう大丈夫ですから」


 その言葉に、里桜はふっと緊張の糸が切れ、レアンに抱き付いた。


「ごめんなさい! 私、一人でどうしたら良いのかわかんなくて、とっても怖かった!」

「必ずお守りしますから、安心してください」


 冷たく拒絶したファメールとは裏腹に、里桜の背を優しく撫でるレアンの手が温かく、みっともないのを承知の上で甘える様にレアンの胸に顔を埋めた。レアンは何も言わず、里桜が落ち着くまで宥める様に背中を擦ってくれた。彼の優しさが滲みる程に心地よい。


レアンは里桜が落ち着くのを待ちながら、きゅっと唇を噛みしめた。

——予定外に里桜がアルマゲドンにダイブしてしまったが、自分も一緒であった事がまだ救いだ。今度こそ、必ず里桜を守り抜く。例えこの身がどうなろうとも構わない。

 レアンはそう心の中で強く思った。


「……レアン」


 レアンの腕の中で里桜が小さく声を発し、レアンは小さく返事をしながら里桜を見つめた。自分を見上げるブルージルコンの瞳が堪らなく愛しい。


「私、アルマゲドンに突然一人でダイブしちゃったんだと思ってパニクっちゃったけど、これからの事ちゃんと考えなきゃね。レアンはこの世界で創成されたってことなの? だとしたら、記憶が引き継がれてこの世界がどんな世界なのかわかるのかな?」


 レアンは頷くと、里桜の頭を優しく撫でた。


「そうですね。仮説は正しかったようです。ここで創成された大天使ガブリエルの記憶を引き継いでいますから、貴方にこの世界の事を説明可能です」

「創成者はアルカって事だよね?」

「そこは、少々違和感を覚えます。アルカが創成者ならば、私達の名前が本名だというのが妙ですので。ですが、アルカ以外にアルマゲドンを創成できるはずが無いので、不可解極まりないといったところでしょうか」

「天使の世界って、エデンと違い過ぎるもんね」

「……ええ」


里桜はレアンが詰襟を着込んでいる様子を見たあと、自分の衣服を見下ろして、ファメールから買って貰った白いワンピース姿であることに小首を捻った。


「レアンは創成されているけれど、私は創成されていないって事なんだよね? この世界の事も何にも知らないし」


 里桜は唇を噛み、俯いた。それはつまり、アルカは自分の事を創成してくれなかったということなのだろう、と、寂しくなった。


「私、アルカに嫌われちゃったのかな……」

「そうでは無いと思います。もしかすれば、現実世界で会った事のある人間のみを創成できるのかもしれませんし、そうだとするならリオとはエデンの中でしか会っていないので創成できないのかもしれません」

「そっか、そうだといいけど」


 立ち上がり、辺りを見回してそのだだっ広い様子に里桜はため息をついた。


「この部屋はレアンの部屋なの?」

「正確にはガブリエルという天使の部屋の様です」

「なんだかすごい設定ね。エデンの時とは大違い。レアンはヴァンパイアじゃなくなったって事なの?」

「……ええ。能力は上書きされている様ですね」


 里桜の頭を優しく撫でて、レアンは里桜の首筋を見つめた。噛み跡が残っている事に眉を寄せ、フワリと手を翳すと、白い光が発せられ里桜は首筋が仄かに暖かく感じた。肩に薄っすらと残った傷痕にも手を翳し、レアンは祈る様に瞳を閉じた。


「魔法?」

「ええ。癒しの魔術です」

「すごい! 天使っぽい! って、そっか。天使だものね」


噛み跡や肩の傷が消えた事にホッとしたものの、現実世界の肉体にはまだ残っているのだろうと考えて、レアンはため息をついた。そもそも過去というものは消す事はできない。傷をつけてしまった事実は一生残るのだ。


「どうしたの?」


 落ち込むレアンをブルージルコンの瞳で見上げて、里桜は小首を傾げた。


「いえ、何でもありません」

「何でも無いって顔してないよ。レアン」


ふっと笑う里桜が可愛らしく、レアンも微笑んだ。噛み跡のあった首筋に優しく触れ、「消えて良かった、と。思っただけです」と、寂しげに言った。


「気にしてないって言ってるのに」

「すみません。私はどうしても気にしてしまいます。大切な貴方に傷を負わせてしまったわけですから」

「じゃあ、お嫁に貰ってくれる?」


里桜の発言にレアンは「えっ!?」と声を発すると、里桜はチロリと舌を出した。


「冗談だよ。ゴメンネ。大丈夫、本当に気にしていないから。レアンが気にしちゃうと私も気になっちゃうから、気にしないで欲しいの」


 レアンは小さくため息をついた。『責任』という名目で結婚をするのは望まない。里桜が本当に自分を求めてくれるのであれば、直ぐにでも応えたいとは思うが、と、寂しげに眉を寄せた。


「リオは、自由ですよ。誰を想い、伴侶に選ぼうとも。その傷が貴方を束縛するような事は決してありません」

「レアン?」


キョトンとした里桜の頭を優しく撫ぜて、レアンは微笑んだ。


「それ程に貴方は魅力的な女性だということです」

「……ありがとう。レアン」


一緒にダイブしたのがレアンで良かった、と、里桜は思った。この優しさにどれほどに救われることか。


——けれど、ね。私が結婚できないのは、別に理由があるの。

 と、里桜は暗く沈みそうな気分を振り切ろうとパッと顔を上げた。

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