幻肢痛
一面に咲き乱れる夢現逃花の白い花の中、灰色の長い髪を肩に零し、寂しげに瞳を細める男性が里桜を見つめている。
「アルカっ!!」
彼の姿はゆらりと影の様に揺らいだ。早く捕まえなければ消えてしまう、と、里桜は無我夢中で駆けた。足がもつれて転び、白い花びらがパッと舞う。むせ返る程に甘い香木の様な香りを肺一杯に吸い込んで、里桜は急いで起き上がった。
「あ……」
揺らぐ影の様なアルカは、苦しそうに眉を寄せた。苦しむのも当然だろう。彼の胸には深く剣が差し込まれているのだから。
「アルカ……嘘……」
里桜は自分の両手が血に塗れている事に気づき、驚いて見下ろした。夢現逃花の白い花がアルカの血で朱に染まる。真紅の花びらがハラハラと零れ落ち、里桜を中心にわっと広がる様に、全ての花が散って消えていった。
まるで、アルカの存在が散ってしまったかの様に。
「嫌っ! そんな、アルカ!!」
私が、アルカを刺してしまったから。私が、アルカを殺してしまったの!?
「アルカ、お願い! 死なないでっ!」
アルカに触れようと伸ばした手が空を掻いた。真っ赤に染まった沼の中へと彼が沈んでゆく。
「待って!」
再び伸ばした手は届かずに、アルカは沈んでいった。里桜は悲鳴を上げ、泣き崩れた。
「一人にしないで…お願い……」
——コツコツ、と、マシンルームの壁が叩かれて、顔を上げるとファメールの姿があった。
いつの間にか居眠りをしてしまったようだ。明け方までレアンの端末復旧をしていたのだから、無理もない。
悪夢から覚めてほっとする里桜を、ファメールは腕を組み、溜息をつきながら金色の瞳で見つめている。
「全く。ここは空調の設定上冷えるのに居眠りするだなんて、風邪を引いても知らないよ」
「っくしゅん!」
「ほら、言わんこっちゃない。応接室に戻って何か温かいものでも飲んだ方がいい」
「うん。ありがとう。あ、ヴィベルさんは?」
「ヴィベルなら仮眠室で爆睡中だよ」
ハッとして里桜はスマートフォンを取り出して時間を見た。
「あ。もうこんな時間なんだ。ヴィベルさんお仕事も忙しいのに、昨日徹夜で組んでくれたプログラムが、コンソールの表示上でサクサク検索進めてるよ」
「……なんにせよこちら側の人間が身体を壊してたんじゃあ元も子もない」
ファメールは室内へと足を踏み入れて里桜の肩に肩掛けを掛けてやると、そのまま里桜の肩を抱き寄せた。
「ファメールさん?」
「体が冷え切ってるじゃないか」
「ごめんなさい。ちょっと寝不足だったから」
冷たくなった手を取り、包み込む様に握りしめられて、ファメールの温もりにドキリと心臓が反応した。夢現逃花の香木の様な甘い匂いに混じって、微かに金木犀の香りが里桜を包み込む。
『キミのその思いは、寂しさという増強剤による偽りの感情さ』
以前彼に言われた言葉が再び里桜の脳内に響く。
——どうしよう。なんだか、今はファメールさんと顔を合わせるのが、ちょっと気まずい。
「あ、ありがと。もう大丈夫だから!」
里桜は複雑な心境を誤魔化す様にファメールから離れて立ち上がると、ぐっと伸びをした。
「な、なんかね。ここで居眠りしてたら、アルカの夢を見たような気がする」
照れ笑いをしながらそう言うと、ファメールは頷きながら「アルマゲドンの世界と夢の世界は近しいだろうからね」と、黒い筐体をコンと叩いた。
「レアンやアダムさんは?」
「レアンはキミが復旧した端末の設定をしているよ。アダムはまたゲームでもやっているんじゃないかな」
「そっか」
——あの夢。やっぱり私がアルカを聖剣で刺しちゃったから、アルカは……。
「里桜?」
暗く俯く里桜を見て、ファメールは里桜の落ち込む理由をなんとなく察した。先ほど言った『アルカの夢』は、きっとあまりいい夢では無かったのだろう。黒い筐体をスルリと長い指で撫でると、再びコツリと叩いてため息をついた。
「……アルカの奴、隠れるのは苦手だったはずなのに」
「かくれんぼ? ファメールさん達もやってたの? 意外! そういう遊びしなそうなのに」
「まあね。小さい頃はやった覚えが無いけれどね」
「え? 大人になってからやってたの?」
「大人ではないよ。十四歳頃かな。探すのはいつも養父だった。養父から隠れて、見つかったら負荷を掛けられるんだ」
……それ、何されるのか知らないけれど、めちゃくちゃ怖い!
「僕は隠れるのが得意でね。アルカはバカだから、クシャミをしたりしてすぐに見つかってしまうんだ」
ふっと笑うと、「まあ、わざと見つかっていたんだろうけれどね」と、溜息をついた。
「全く。バカがつく程お人よしだからね。そのくせ人一倍泣き虫で、見ている方もどうしようもなく罪悪感に駆られるんだから、狡いったらない」
アルカらしいな、と思いながら里桜はふっと微笑んだ。
「もう皆に酷い事する人は居ないし、ファメールさんもレアンも生きてる。アルカはきっと、今帰って来たら幸せになれるはずだよね?」
「……どうだろうね。心についた傷は簡単には癒えないから」
筐体に乗せた手を、ファメールがぎゅっと握りしめた。皮の手袋が擦れる音が発せられる。
「過去は変えられない。消す事はできない。どんなに今が自由なのだとしても、僕達は一生養父の呪縛に囚われている」
「ごめんなさい。なんか、軽はずみな事言っちゃって」
心の傷に触れるような、気分を害する発言をしてしまったのだろうと里桜が慌てて謝ると、ファメールは首を左右に振った。
「いいや。キミにだって、目を背けたいけれどそうはできない過去の一つや二つ、あるんじゃないのかい? 僕達に限った話じゃないさ。誰だって多かれ少なかれ心の傷はあるものだろう?」
ファメールの話を聞きながら、里桜も自分の過去。母親の死の事を思い浮かべ、俯いた。
そうだ。彼の言う通り、過去は変えられない。母親の死が自殺だったのだとすれば、そこまで思いつめさせ、結果的にそうさせてしまった家族としての責任はついて回る。
どうして死んでしまったの? と、心の中で母親に問う度に、自分の責任だという思いは拭い去れない。
アルカもきっと、養父が亡くなって身の回りが平和になったのだとしても、傷つけられた心の痛みを常に抱く。眠りにつけば悪夢にもうなされるだろう。それはいつまでも消える事が無い。過去は変えられないのだから。
「エデンは居心地のいい世界だった。恐らくアルマゲドンもアルカが創成したのだから、居心地がいいだろうね。自分が作り出した理想の世界に、理想の自分として存在できるんだから」
「でも、アルカと約束したの。アルカと、ファメールさんと、レアンと私と四人で出かけようって。アルマゲドンはどんなに居心地が良くても仮想世界でしかないよ。たとえ傷が癒えなくたって、現実世界も悪く無いって思わないと。そんなの、なんだか不幸でしかないじゃない」
いつも笑顔を絶やす事の無かったアルカが、本当はどれほどの痛みを胸の内に秘めていたのかと考えて、里桜はズキリと胸が痛んだ。
心が通い合ったかの様に思えて、もしかしたらアルカはずっと前から里桜との別れを予測していたのかもしれない。里桜を見る度に、エデンへと巻き込んでしまった事に罪悪感を感じていたのだろうか。里桜の想いを受け入れてくれたのは、その罪悪感から……?
里桜の頬を涙が伝い、顎先から零れ落ちて、白い夢現逃花の花びらを揺らした。
「里桜?」
ファメールが訝し気に声を掛けると、里桜はふっと声を漏らしながら尚も涙を零した。ポタリポタリと零れ落ちる涙が白く輝く花を揺らす。
「そうじゃないの……ただ、私。アルカに帰ってきて欲しいだけ」
——様々な理由や言葉を定義してみたところで、本当の望みは変わらない。結局のところ、私は……。
「ファメールさん……私、アルカに逢いたい」
消え入りそうなか細い声で言った言葉を聞きながら、ファメールは金色の瞳を伏せた。
……そんな事、分かっているよ。と、心の中で応え、唇を噛みしめる。
「逢いたいよ。アルカ……」
あの笑顔を、もう一度見たい。何故こんなにもアルカの顔が脳内に浮かぶのだろうか。ふとした時間にも頭の中に思い描き、それが当たり前の様になっている自分がいる。
「過去が消えないなら、エデンでの思い出だって消えないもの。消えるどころか日に日に大きくなっていくの。アルカに逢いたい。逢いたいよ……」
ファメールは里桜から顔を背けると、黒い筐体をカツンと叩いた。
「ふざけるなよ、アルカ。早く戻って来なよね。全く、苛つくったらないよ」
カツカツと更に叩くと、ファメールはうんざりした様にため息をついた。
「いつまでも逃げ続けられると思ったら大間違いなんだからね」
突然のファメールの言動に里桜は驚いて瞬きした。
「逃げるって、ファメールさん……?」
「ああ。一人勝ち気取りなんて狡いったらないね!」
「一人勝ち?」
「アルカがこの中に居る限り、キミも前に進めない。アルカへの想いを断ち切る事だってできやしない」
え? と、ファメールを見つめると、金色の瞳は細めて苛立った様に更にガツンと筐体を殴りつけた。
「そして、僕とレアンもだ。アルカへの罪悪感が拭えないまま、一生背負っていくだなんてゴメンだね。アルカは僕達全員の足かせだよ。全く。何様のつもりなんだか。かくれんぼが下手くそなくせに、逃げ足だけはいつも早かったからね」
唖然とする里桜の前でファメールは更にコツコツと筐体を叩いた。
「ちょっと、アルカ。聞いているのかい? 出てこないとこっちから探しに行ってやるんだからね。キミなんか直ぐに見つけてやるさ。覚悟していなよね!」
ぷっ! と、里桜は笑って、ファメール同様にコツンと黒い筐体を叩いた。
「アルカ。帰らないわけにいかないんだからね! 皆待ってるんだから、隠れてないで出てきてね」
「言うじゃないか」
ファメールがふっと微笑んで、優しく里桜の頭を撫でた。艶やかなブラウンの髪に指をすっと通し、軽く握ると髪にキスをした。その行動にドキリとして、里桜は唇をすぼめて俯いた。「里桜」と、声を掛けてファメールが覗き込み、プラチナブロンドの髪がサラリと肩から零れた。
「僕が必ずアルカを連れ戻す。だから、そんな風に泣かなくてもいいよ」
「ありがとう。信じてるよ、ファメールさん」
『信じてる』と、ファメールは里桜の言った言葉を頭の中で反芻した。こんな汚れた僕にそんなに綺麗な言葉をぶつけてくれるのはキミくらいだろう、と、ファメールはため息をついて里桜を見つめた。
「キミが僕を『信じてくれる』のなら、僕も全力で応えるさ」
熱い金色の瞳に見つめられ、里桜は困惑して顔を背けた。心臓が苦しい程に強く鼓動する。
「どうかしたのかい?」
不思議そうに片眉を吊り上げたファメールに、里桜は曖昧に首を傾げた。
——まいったなぁ。ファメールさんが綺麗過ぎて、なんか、ドキドキする。やっぱりまだまだ男性に対する免疫が足りないんだ。
「あの、ね! 大丈夫! ファメールさんには迷惑かけないように私頑張るから!」
「……は?」
「ちゃんと我慢する!」
「どういう意味さ?」
「ファメールさんに甘えない様にするから、大丈夫だから!」
「言っている意味がさっぱりわからないんだけれど?」
「あの、だからね? 私、ファメールさんと居ると心臓がもたないの! 緊張して迷惑かけちゃうから」
——僕と居ると緊張するだって?
と、ポカンとしているファメールに、里桜は更に続けた。
「だから、ちゃんと免疫力を高める特訓するね!」
「……ふーん? 特訓って、レアンとかい?」
「うん!」
「それ、必要かい?」
「うん! だって、迷惑かけたくないもの!」
どうして、こう苛々させてくれるんだろうか、と、ファメールは考えて、溜息をついた。もどかしくて堪らない。もう、いっそ里桜を自分のものにしてしまえば……
そうとも。今、里桜の感情も全て僕に向けるようにしてしまえばいい。そうすれば、こんな風に苛つく事も無くなるのだから。さほど難しい事ではない。少しばかり強引にしてやれば、里桜は自分に気持ちが向くだろう。
「私、頑張るから、だから安心して!」
意気込む里桜のその肩を引き寄せて、キスをし、キミに僕の存在を刻み付けてしまえばいい。僕のものになってしまえと、アルカに見せつけるように、ここで……そうすれば、里桜はもう二度と、アルカに自分から近づこうとしなくなるだろう。
自分は、僕に汚されたのだ、そう思って……
ファメールは、里桜の肩に触れようと手を伸ばした。
——汚れてしまえ。そうすれば、僕と揃いだ。誰にも邪魔させるものか。
「里桜、起動しないアプリケーションがあるのですが……」
レアンがマシンルームの中へと入って来ると、まるでファメールから逃げる様に里桜はレアンの元へとパッと駆けて行った。
「きっとバージョンが違うからかも。互換性の問題じゃないかな」
「直せますか?」
「うん! 任せて!」
レアンの端末を手に取ると、「ここは寒いから向こうの部屋で設定するね」と、パタパタと駆けて行った。
ファメールが里桜を捕まえ損ねた手を僅かに握り締めると、レアンは「兄上」と、小さく言葉を吐いた。
「里桜を傷つけないで下さい」
「……どういう意味さ?」
「里桜に、アルカへの想いを封じさせたまま自分の気持ちを押し付けようとしているのでは?」
「言っている意味が分からないな。僕が里桜に気があるとでも言いたいのかい?」
「誤魔化すのは止してください!」
そうやってはぐらかすのは悪い癖だと言わんばかりに言うレアンに、ファメールは不快そうに眉を寄せた。
「……分からないんだよ」
ファメールが金色の瞳を伏せた。長いプラチナブロンドの睫毛が寂しげに揺れる。
「……すまない。本当に分からないんだ。僕が彼女をどう思っているのか。愛しいとも思うけれど、何故だか同時に憎しみも沸き起こる気がするんだよ。レアン。このざらついた感情は何だ? 幸福感よりも罪悪感が勝るんだ。キミも彼女に同じ様に感じるのかい?」
レアンは首を左右に振ると、ファメールを不憫そうに見つめた。
「いえ。私はただ、里桜を守りたい。自分などどうなろうとも構いません。この身体や心が打ち砕かれ様とも、ただ、彼女さえ幸せで笑ってくれるのなら、それが私の幸せだと思っています」
「エデンの時から変わらないな、キミは」
フンと鼻を鳴らしてそう言った後、ファメールは自らの額を手で押さえた。
「……いや、僕も変わらないな」
ふっとレアンが笑うと、ファメールもため息交じりに残念そうに微笑んだ。
「アルカが帰って来ない事には何も進まない。けれど、僕達の時間は止まっちゃくれない。それなら、前に進むしかないじゃないか」
ポン、と、レアンの肩を叩くと、ファメールはやれやれとため息をついた。
「それなら僕も、彼女の『特訓相手』とやらになってやろうじゃないか」
「……兄上の特訓は不安を覚えますが」
「どうしてさ?」
……絶対、普通じゃない気がする。とは言えないなとレアンは苦笑いを浮かべた。




