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夢現逃花 —ムゲントウカ—  作者: ふぁる
アルマゲドン編
72/169

選択と傷

 水族館に到着すると、夏休みということもあり、館内はかなりの混雑ぶりだった。


「シロクマ! 大きい。かわいい!」


里桜がはしゃいで言うと、レアンがふむ、と頷き、突然解説を始めた。


「Ursus Maritimus。ホッキョクグマですね。一見白く見える体毛ですが、実は透明で、太陽光を通しその下の黒い皮膚を温める為の様です」

「え!? じゃあ、毛が無いと真っ黒なの!?」

「そうなりますね」

「ええっ! シロクマじゃなくて、クロクマじゃないっ!!」


里桜は感心しながら分厚いガラスの向こうに居る白い巨体を見つめた。飼育員から与えられた氷をバリバリと頬張り、愛らしい姿を披露する様子を見ようと、沢山の家族連れが群がっていた。


「ずっと寒いところに居る熊って、冬眠しないのかな?」


里桜が不思議そうにつぶやくと、レアンはニコリと微笑んで「歩きながら冬眠するそうですよ」と教えてくれた。


「え!? 歩きながら寝るって事!? 余計お腹空いちゃいそう。それって冬眠の意味あるのかなぁ? 食べ物に困っちゃうじゃない」


ただでさえ目立つ三人が解説めいた会話を始めた為、周囲の客達の耳はレアンの話にくぎ付けになった。レアンはそうとは知らず、解説を続ける。


「ええ、時には子熊を襲う事もあるそうです」

「子供、食べちゃうの!? 共食い!? 怖っ!」


「え!?」と、周囲の客達含め、里桜は驚愕の表情でレアンを見つめたが、レアンは「そうです。自然界ではさほど珍しい事ではありませんが」と、サラリと言った。


「体の小さな雌を、雄が捕食する事もあるそうです」

「……」


ゴクリ、と、息を飲み、家族連れ達は皆気まずい思いでホッキョクグマの展示コーナーから退散していき、ふと人気の無くなったその場を怪訝に思い、レアンは小首を傾げた。


「おや? 突然空きましたね」

「う、うん。そうだね」


苦笑いを浮かべる里桜の横で、ファメールがホッキョクグマを悠々と見つめながら、ふっと小さく笑った。


「子孫繁栄の為に、栄養源として雌が雄を捕食する事が自然界では多いのかと思っていたけれど、さすが絶滅危惧種というべきかな。彼らは自ら絶滅の道を歩んでいるようだね」

「ファメールさん、子供も居るんだからこれ以上妙な事言わないで!」


里桜はレアンの手を引くと、別の展示場所へと移動した。哺乳類はダメ! と、考えて、食べられる魚も妙な事を言うかもしれないし、熱帯魚コーナーならば綺麗で良いだろう、と、ぐいぐいとレアンの手を引いた。


「ミモだ! ミモ!」


子供たちが大喜びで色とりどりの熱帯魚達が回遊する水槽を覗き込み、叫んだ。「ミモ?」と、小首を傾げるレアンに、里桜は「アニメ映画のキャラクターだよ」と、スマートフォンでその画像を見せた。

 レアンはふむ、と覗き込み、水槽とを見比べて小首を傾げた。


「その、『ミモ』とは、このカクレクマノミを示して言っているのですか?」

「うん。かわいいね」

「それは誤解です。『ミモ』はカクレクマノミではなく、オレンジクラウンフィッシュです」

「……え?」

「見てください。カクレクマノミには白とオレンジとの境に黒いラインが無いのです」

「あ、ほんとだ!」


またもや他の客達の耳がその会話にくぎ付けになる。ファメールはくすりと小さく笑い、水槽を覗き込んだ。


「カクレクマノミはその映画が流行ったせいで乱獲されたそうじゃないか。とんだとばっちりだね。本人とは全くの無関係なところで、更に間違えられるだなんて、不幸過ぎて目もあてられない。面白い生き物だね」


 周囲に微妙な空気が流れる。家族連れ達がすごすごとその場を去り、里桜は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 アルカやアダムなら、ただ単純に『うおー! でっけぇ! かっこいい!』『めちゃくちゃ綺麗だな!』『うひゃー、すっげぇ!』と、子供の様にはしゃぎ、感動するのだろうな、と、溜息をつく。


 水族館を選んだのは選択ミスだったかと思ったものの、館内を見て回り、レアンの解説やファメールの毒舌に苦笑いを浮かべながらも、彼らが思いのほか夢中になって水槽を覗き込んでいる様子に、里桜はここに来て良かったなと思った。

 里子だった彼らが、どんな幼少期を送ってきたのかは知らないが、水族館に来るのは初めてだと言っていた。

 過去は取り戻せない。起きてしまった残酷な事柄も、無くす事は不可能だ。けれど、これから一緒に楽しい時間を過ごす事ができれば、ほんの少しだけでも彼らの人生に『幸福な時間』を増やせればいい。


 ——アルカ、貴方とも一緒にその時間を分かち合いたい。だから、どうか帰って来てね。

 と、里桜は心の中で願った。

 

「楽しい時間はあっという間ですね」


茜色の空を見つめながら言うレアンに、里桜は頷いた。


「また来ようね!」


 そう言って微笑む里桜の笑顔が美しく、レアンとファメールはドキリとし、互いに気まずい思いをして目を反らした。

 ブブ…ブと、里桜のスマートフォンが振動し、画面を覗き込むと、ヴィベルからのメッセージが入っていた。



「えーと、あ、あった! コレだっ!」


 里桜は古いノートを数冊、机の引き出しから取り出すと、大事そうにパラパラとページを捲った。ヴィベルに頼まれて、以前ヴィベルがプログラミングの勉強中に使っていた資料を取りに、自宅へと戻ったのだ。


「紙媒体での資料だなんて、電子化しておいたほうがいいだろうに」


チラリと里桜の手に持つノートを見つめてファメールはそう言うと、書棚の隅の本を一冊手に取った。


「電子化できない秘伝書なんじゃないかな」

「この部屋が本だらけな理由は?」

「ヴィベルさんは紙が好きなの。字もとても綺麗なんだよ」

「なるほどね。分野問わず様々な本が置いてあるじゃないか」


 綺麗に整頓されたヴィベルの部屋は、壁のほぼ全てに書棚が設置されており、隣室の書斎は完全に書庫と化している程の質量だった。その為に床を補強し、相当な重さに耐えられる様にと改築している程、並ではない本の量だ。

 ファメールが手に取った本をパラパラと捲ると、「あれ?」と、小さく声を発して、本に挟まれていた封筒を里桜に見せた。


「あ! ファメールさん、そういうのダメだよ!」

「ヴィベルの秘密、興味無いかい?」

「ヴィベルさんに悪いよ!」

「でも、興味あるだろう?」

「ファメールさん!」


里桜が止めるのを聞かず、ファメールは封筒の文字を読み上げた。


「ドナー提供後レシピエント経過報告書?」

「……え?」


 聞き覚えはあるかというファメールの視線に、里桜が首を左右に振った。


「キミの家族内でドナー提供をした人は居ないのかい?」

「うん。知らない。私の病気の治療には臍帯血を使ったし。ひょっとして、私が知らないだけで、お父さんやヴィベルさんからドナー提供をしてもらってたのかな?」


不安げに眉を寄せる里桜を見つめ、ファメールは小さくため息をついた。


「やれやれ。ちょっと揶揄うだけのつもりが、僕の意には反するけれど」


ファメールは封筒を開封し、文面を目で追った後、金色の瞳を見開いて押し黙った。


「ファメールさん?」


何も言おうとしないファメールに心配になって里桜が声を掛けると、ファメールは僅かに頷いた。


「ドナー提供者はリタ。キミの母親さ」

「え? じゃあ、お母さんは亡くなった後に誰かに……」

「いや、そうじゃない」


ファメールは瞳を細め、眉を寄せた。


「……ドナー提供は七年前だ」

「七年前!? そしたら、お母さんはまだ現役で医者として働いてたはず。あ、でも腎臓とか二つあるから……」

「いや、提供したのは心臓だよ」


驚愕の表情を浮かべる里桜に、ファメールは戸惑いながら文面を説明した。


「レシピエント。つまり、これはドナー提供を受けた側の人の経過報告書さ。経過状態はComa。昏睡状態にあるようだよ。この報告書の日付は、去年のクリスマスだ。定期的に報告書は送付されているだろうから、これが最新かどうかは分からないけれど。当然、どこの誰かまでの情報は書かれちゃいない」


「生きてる人が心臓を提供するだなんて、そんなことできるの!?」

「普通はできないだろうね」

「待って、じゃあ……」


里桜は混乱しながら、母親が自殺した日の事を思い出していた。貫かれた胸から流れ出る夥しい量の鮮血。


「お母さんが死んじゃったのは四年前。それよりも三年も前から、心臓を誰かに提供していたって事?」


母が自ら貫いた心臓は、別の誰か。もしくは人工心臓であったということなのだろうか?


「一体どうして!!」

「分からない。ヴィベルに確認するかい?」


首を左右に振った里桜の頭を優しく撫でると、ファメールは封筒を本に戻し、その本を書棚のあった場所へと差し込んだ。


「見なかった事になんかできないけれど、でも、ヴィベルは何か悪い事を企む様なタイプでは無いと思うよ。それに、もしかしたら彼自身もこの事を良くわからないからこそ、里桜には伝えていない可能性もある。今は少し様子を見ようか」


頷く里桜の頭を優しく撫で、ファメールはヴィベルの部屋から出て行った。


 ——ファメールさんの言う通り、ヴィベルさんが隠し事をするのは、私の為を思ってなんだと思う。だから、ヴィベルさんを問いただす様な事はできない。

 でも、どうして? お父さんはこの事、知っているのかな? ファメールさんが居てくれて良かった。私、一人でこんな悩んでたらどうにかなっちゃいそうだもん……。


 ヴィベルに頼まれたノートを持ち、リビングへと向かうと、スーツケースに自分の荷物をしまい込むファメールの姿があった。その様子を眉を寄せて見つめ、里桜は顔を強張らせた。


「ファメールさん、荷物をまとめてどこかに行くの?」

「何日もキミのところに居候するわけにはいかないからね」

「え!? 居てくれたらいいのに!」

「そういうわけにはいかないさ」


クスリと小さく笑うファメールに、里桜はきゅっと拳を握りしめた。


「折角逢えたのに、家に居て欲しいのに」


スーツケースの爪をパチンと止めると、「別に逢えなくなるわけじゃないだろう?」と、不思議そうにファメールは片眉を吊り上げた。

 里桜は遠慮がちに「そうだけど……」と、俯いて、駄々をこねる子供の様にファメールの服の袖口を僅かに掴んだ。


「どうしても行っちゃうの?」

「里桜……?」

「ねえ、私、洗濯もアイロンがけもご飯も作るから」

「……キミは僕の妻かい?」

「エデンの時みたいに小間使いでも何でもするよ! だからお願い、行かないで! お母さんのドナーの事もあるし、不安でたまらないの。お願い、ファメールさん!」


ブルージルコンの潤んだ瞳で見上げられ、ファメールは困った様に大きなため息をついた。


「あのねぇ、キミは女性としての自覚が足りな過ぎるよ」

「自覚? どういう意味?」

「僕に襲われたいのかい?」

「ファメールさんがどうして私を襲うの?」


不思議そうに瞬きをする里桜を抱き寄せると、ファメールはその唇にキスをした。ゆるりと舌を差し入れて、彼女の柔らかく小さな舌先を犯す様に撫でると、里桜はふっと甘い息を吐いた。


「……ほら、襲われるだろう? どうも僕はキミを前にすると意地悪をしたくなるようだよ」


 何故だろうか、里桜を前にすると、彼女の全てを手に入れたい衝動に駆られるのは、と、ファメールはため息をつき、里桜から手を離した。が、里桜がファメールにぎゅっと抱き着いて、顔を真っ赤にしたまま見上げた。


「私、ファメールさんならいいもん。だから何処にも行かないで!」

「え?」


ファメールはまた玩具扱いして揶揄っているだけだろう。それでもいい。離れたら、また逢えなくなってしまうのではという不安が恐怖として里桜に降りかかり、その恐怖が衝動として里桜の背を押していた。


 逢えなくなるのは嫌だ。一人になるのは……


「キミ、自分が何を言っているか分かってるのかい?」

「分かってる」

「キミが好きなのはアルカだろう?」


 ——アルカ。アルカが好き? わからない。だって、彼は今私の側には居ない。嫌だ。置いて行かないで。一人にしないで。怖い……


「そんなのわかんないもん! ファメールさんが居なくなっちゃうのが嫌なの!」

「……どうしたのさ? 会えなくなんかなったりしない」

「約束なんかできないでしょう? 居なくなっちゃったら……」

「居なくなんてならないさ」

「わかんないじゃない!」


小刻みに震えながら、里桜は俯いた。


「お母さんに、もう二度と会えなくなっちゃったもん。アルカとも会えなくなって。折角、折角ファメールさんと再会できたのに、また離れ離れになっちゃうなんて、絶対に嫌!」

「だから、別にフランスに帰るとも言ってなんかいないし、逢えなくなるだなんて言ってもいないじゃないか。キミ、ちょっと落ち着きなよ」


ため息をつき、里桜の背を撫でるファメールに、呆れられたのかと里桜は唇を噛んだ。


「ごめんなさい。自分でもめんどくさい奴ってわかってる。でも、離れたくないの。アルマゲドンにダイブするまででいいから家に居て? お願い、ファメールさん」


金色の瞳を反らし、小さく「ヴィベルが結婚できないわけだよ」と悪態をつくと、ファメールは彼女から離れた。スーツケースに手を掛けて、里桜を見つめる。


「僕は、キミの側に居る事はできないよ、里桜」


泣きそうな顔をする里桜に、ファメールは僅かに瞳を細め苦しそうに微笑んだ。


「誤魔化していたようだけれど、キミの高校の頃のクラスメイト。彼女達にキミは虐められていたんだろう?」


どうして、今その話をするのだろう? と、里桜は強張った顔をファメールに向けた。


「キミは、結局のところ何も変わっちゃいないじゃないか。アルカに言われたんじゃないのかい?『周りを変えたかったら、自分が変われ』って」

「変わろうと努力したよ? 友達だって出来たもの!」

「じゃあ、どうして彼女達の前ではああして元に戻ってしまうのさ?」


言いよどむ里桜に、ファメールはため息をついた。そのため息が里桜には呆れられたのだと感じ、ズキリと心が痛む。


「歳を重ねたところで記憶が消えるわけじゃない。解決しなければずっとしこりとして残り続ける。キミはそのままでいいのかい?」

「よくない……けど……」


もうどうでもいいと、蓋をして仕舞い込んでしまいたい。その考えを指摘され、尤もではあるものの前向きになんかなれない、と、里桜は俯いた。


「僕はキミを慰めてなんかあげられない。そんなに甘くない。分かっているだろう?」

「慰めて貰いたいわけじゃ……」

「ただ側に居ろって? そんな我儘に答えてやる義理は無いよ」


 ファメールは、押し黙る里桜を見て何故反論しないのだと、責めたくなった。だが、そうする事で彼女を傷つけ、嫌われる事をファメールは恐れた。傷つけるくらいならば離れた方がいいと思ったのだ。レアンなら、彼女を優しく慰めるに違いないのにと考えて、そうできない自分の性格になんとも言えずにため息をつく。

 完璧主義の自分の考えを押し付けるわけにはいかない。誰もが同じ物差しで考えるわけではないのだから。


「さあ、行こう。レアンが車で待ちわびているよ。ヴィベルもキミがその資料を届けに来る事を首を長くして待っていることだろうさ」


 彼女の側を離れた方が無難だ。と、再びスーツケースに手を掛けたファメールに、里桜は尚も食い下がった。


「ファメールさん……お願い」


ファメールが厳しい人だということは知っている。傷つこうとも構わない。一人になる恐怖に比べれば、そんなことは些細な事だと里桜は思った。


「キミは、レアン相手にも同じ事をするつもりかい?」

「え?」


瞳を上げた里桜にファメールは言葉を続けた。こんなことを言ってはいけないと思いながらも言葉が止まらない。


「もしも、ここに来たのが僕じゃなくレアンだったのだとしても、キミは同じように引き留めた。そうだろう? キミのその思いは、寂しさという増強剤による偽りの感情さ。僕じゃなくても構わない。誰でもいいから側に居て欲しい。いや、むしろレアンの方が優しく慰めてくれるだろうさ。だから、僕はそんな思いに応える訳にはいかないよ」


絶句する里桜に困った様に眉を下げてため息をつくと、ファメールはふわりと踵を返した。プラチナブロンドの髪が揺れ、向けられた背が拒絶された様に感じ、里桜は唇を噛んで俯いた。


 自分の我儘で、ファメールを傷つけてしまったのだと罪悪感でいっぱいになった。

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