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夢現逃花 —ムゲントウカ—  作者: ふぁる
アルマゲドン編
70/169

里桜は誰のもの?

「お疲れ様でした」


すまなそうに出迎えたレアンに、里桜は「すっごく疲れたっ!」と、涙目になって抱きついた。むにゅっと柔らかい里桜の胸の感触が伝わり、レアンは『里桜は下着をつけていないのか!?』と、驚いて硬直した。

海水に濡れ、着替えを買おうにもアダムを連れての下着コーナーへは行きづらかった為、里桜はブラを付けていなかったのだが、当の本人はそんな事をすっかりと忘れていた。


「あの、里桜……」

「レアン、アダムさん変だよ! 海で素っ裸になろうとするんだよ!?」

「仕方ねーだろー? 俺はこの世界の事しらねーんだし」

「この世界云々ってより、もうちょっと常識を身につけないと!」

「かてーこと言うなよー」

「ちっともかたく無いっ!」

「んだよ、めんどくせーなー」


頭を掻きながら苦笑いを浮かべるアダムに反論すると、里桜はレアンを見上げた。


「レアン、アダムさんとずっと二人きりだったなんて、大変だったね!」

「ええ、まあ……」


 ——それよりも、抱き付くのを何とかして頂きたい。里桜も結構常識が……

 と、レアンは顔を真っ赤にしてため息をついた。


「ファメールさんは?」

「自社に電話をしている様ですが、すぐ戻ると思います。喉が渇いたでしょう。何か飲み物を用意します」


 レアンは大きな手で里桜の頭を撫でると、机の上に置かれたタブレットを叩き、お茶の用意をするようにと命じた。

 アダムと最初に会ったビルの最上階の部屋に里桜は来ていた。アルカが養父から受け継いだ会社、ジグラート社の本社がこのビルの上層階と地階を借り上げているらしい。

お茶が来るまで黒い皮張りのソファに座って待つ様にと促されて腰かけると、里桜は目の前に広がる薄紅色の夜景にほぅっとため息をついた。


 都内を一望できる高層ビルの最上階から見る夜景は、高速道路のオレンジ色の光が、煌めくガラス張りのビル群を縫う様に見え隠れし、車のヘッドライトやブレーキランプが連なり、すぐ側には赤く堂々たる東京タワーが光り輝いていた。


「大変な思いをさせてしまい、すみません」


気遣う様に言ったレアンに、里桜はふっと笑って頷いた。


「疲れたけど、楽しかったよ。子供達もとっても可愛かったし!」

「子供達ですか?」

「うん! 海で遊んでる子達が沢山いたの! 夏休みだもんね。可愛かった!」

「里桜は子供が好きなのですね」

「見てるだけで癒されるじゃない。アダムさんも縮んでくれたらいいのに。そしたら張り切って遊んであげられるのになぁ」

「確かに、アダムは見た目と中身のギャップが激しいですからね」

「レアンとも一緒にお出かけしたい! エデンで街の市場に一緒に行ったの、覚えてる?」

「勿論です」

「今度は私が日本の観光名所、色々案内するよ!」

「是非お願いします。楽しみですね」


里桜と二人。エデンで市場に行ったときの事をレアンは思い出した。あの頃はまだ里桜を男性なのだと思っていたが、可愛らしい見た目と、女性らしい仕草から嫌に心臓が反応するので、自分は妙な気でもあるのかと疑った位だった。里桜が女性であると発覚して、正直ホッとした部分もあった。


「どこに行きたいとか、要望ある?」

「里桜の案内でしたらどちらへ行っても楽しいと思います」

「じゃあ考えておくね!」


嬉しそうに笑う里桜を見つめ、レアンも微笑んだ。里桜はレアンのその微笑みを見つめ、どうしてこの人はこんなにも優しく穏やかな笑みを向けられるんだろう、と、嬉しくなった。

 ——現実世界でレアンがお医者様だなんて、きっと患者さん思いで優しくて思いやりのある素敵なお医者様に違いないだろうなぁ。


「レアンの担当する患者さんは幸せだね」


里桜の言葉にレアンは小首を傾げた。


「何故ですか?」

「カッコよくて優しくて思いやりがあるもの」

「ガブリエルの奴はダメだぜ?」


アダムが口を挟むと、ガシガシと頭を掻きながら欠伸をした。


「どうして?」

「女の患者がダメだからな」

「あ……」


 やっぱりそうなんだ、と、里桜がレアンを見上げると、レアンは困ったように眉を下げて頷いた。


「流石に男の患者専門なんてできねーしな。けどこいつ、技術自体はものすげーからな。ジグラート社製の義肢を神経系統に繋ぐのは、ガブリエルの奴が一番早くて正確なんだぜ。俺はガブリエル無しじゃあ五体満足にはならねぇってワケだ」

「しかし、医者としては致命的です」


扉がノックされる音がし、レアンが対応に向かった。恐らく先ほど注文したお茶が届いたのだろう。その背を見つめながら、里桜はレアンのトラウマについて不思議に思った。

 どうして女性がそれほども苦手なのだろうか? それも養父からの虐待のせいなのだろうか? 一体どんな酷い事をされたのだろう、と、逞しく広いレアンの背を見つめながら不憫になって唇を噛んだ。

 ——こんなに優しくて素敵な人を傷つけるなんて、レアン達の養父って鬼!? もし生きてたら、乗り込んで行って殴ってやるのにっ!

 と、考えてぎゅっと拳を握りしめた。

 そしてフト、『ファメールにも何かトラウマがあるのだろうか?』と、考えた。ファメールだけではない。アルカにも、だ。彼ら三人は、養父からの虐待のせいで心に深い傷を負っているのだから、なにかしらのトラウマを抱えているのは確かだ。

 アルカも、ファメールも、レアンも、恵まれた容姿と頭脳を持って生まれてきたというのに、どうしてこれほどまで悲しい目に遭わされなければならなかったのだろうか。

 エデンやアルマゲドンは、養父にとって一体何だったのだろう。そうまでして作り上げたかったシステムは、何のためだったのだろうか……。


「なぁ、小娘」


里桜の隣にアダムが腰かけて、ニッカリと笑った。


「今日はありがとな! めちゃくちゃ楽しかったぜ! また一緒に海行ってくれるか?」

「いいよ。今度はちゃんと着替え持って行こうね」

「ああ!」


満面の笑みを浮かべる無邪気なアダムが可愛く見えて、里桜は困った様に微笑んだ。アダムと居ると大きな子供を相手にしている様な気分になる。ただただ無邪気で、瞳をキラキラと輝かせてはしゃぐ姿が妙に可愛らしく感じるのだ。


「里桜」


突然アダムに名前で呼ばれ、里桜は戸惑ってアダムを見つめた。


「な、何……?」


アダムが里桜の後頭部を片手で強引に抑え、唇にキスをした。ふんわりと、香木の様な香りが里桜を包む。


 ——アルカ……? いや、違う。アダムさん、だよね? え?? 


 ガシャン!! と、何かが割れる音と同時に、里桜が慌ててアダムを突き飛ばし、「ちょっと! なんで!」と、離れると、アダムはキョトンとした後に笑った。


「なんでって、キスは好きだとするんだって言ったじゃねぇか。男同士じゃねぇからいいだろ?」

「良いワケないだろう!!」


いつの間に現れたのか、ファメールはスパコ————ン!! と、スリッパでアダムの頭を殴りつけて、ハンカチで里桜の唇をゴシゴシと拭いた。

 レアンはアダムと里桜の様子に驚いて落としてしまったカップの破片を、ハッとしたように拾い、拾いながらどんよりと項垂れた。


「ふぁ……ふぁめーるひゃん、いひゃい(ファメールさん、痛い)」

「ああもう! クズアダムのくせに里桜を汚してくれちゃって!!」

「なんだよ! キスくらい別にいいぢゃねーか! 減るもんでもなし! お前にもしてやるぜ!?」

「誰がキミなんかとするものか!」

「ケチくせーこと言ってんなよ。お前、女装したらめちゃんこ色っぺーぜ? 唇も柔らかそうだなぁ」

「死ね!! 気味の悪いことを言うんじゃないよっ!! ああ忌々しいっ!!」


金色の瞳を三角にして喚き散らすと、ファメールは低いガラス製のテーブルの上へとタン! と飛び乗り、ソファに座るアダムの顎を長い脚で蹴り上げた。


「万死に値するね!」

「ってぇえええええええ!!」

「ちょっと、ファメールさんやりすぎ!」

「何しやがんだよ!! 舌噛んだぢゃねぇかっ!!」

「だまれ! クズアダムめ! 里桜に二度と触るなっ!」

「小娘はおめーのモンじゃねぇだろうがっ!」

「僕のものだっ!」


「!!!!!!」


ファメールの言葉にレアンと里桜が瞳を見開いた。ファメールはハッとして、視線を逸らした後に咳払いしながらガラス製のテーブルの上から降りて、「いや、今のは言葉の綾さ。僕の玩具だと言いたかった。そんなことよりもヴィベルはまだ来ないのかい? まったく、のろまは困ったものだね」と、誤魔化す様に早口で言い、レアンの落としたカップを片付ける手伝いをした。


「なんだ、ミシェル。お前小娘が好きなのか?」


アダムの言葉に部屋の中がシン……と沈黙した後、カップの破片がヒュン! と、アダムの顔面すれすれを掠って飛んできた。


「ああっぶ!!」

「今、何か言ったかい?」


破片を放ったばかりの手を振って、金色の瞳を三角にして睨みつけるファメールに、アダムは死を意識し、首をプルプルと左右に振った。

 二人の様子に里桜は苦笑いを浮かべ、ため息をつくと、やれやれと伸びをした。


「ファメールさんが私なんかを好きになるわけが無いじゃない。すぐ揶揄うんだから。玩具扱いして楽しんでるだけだよ」


 全く、アダムといいファメールといい、外国人の文化は良く分からないなと、自分もハーフであることを棚に上げて肩を竦め、「私、ヴィベルさんが来る前にプログラム作成の準備だけしておこうかな」と、マシンルームのドアの方へと視線を向けた。


「里桜、これを」


レアンが銀色のカードキーを取り出して「このキーがあればマシンルームもこの部屋へのアクセスも自由ですから」と、里桜に手渡した。


「それと、マシンルームは空調が利いていて冷えますから。風邪など引かれては困ります」


厚手のひざ掛けを差し出すレアンに、相変わらず優しいと微笑んで礼を言い、里桜はマシンルームへと一人向かった。


 廊下を通り、部屋のドアを開くと、むせ返る程の甘い香木の様な香りが里桜を包み込んだ。


 脳裏に浮かぶ灰色の髪と瞳の男性。里桜は瞳を閉じ、その存在を感じようと想像した。

 エデンから帰って二年間。アルカ恋しさに幾度となく繰り返し瞳を閉じる度、想像の中のアルカは決まって同じ笑顔を向けてくれる。


 想像ではなく、本物のアルカに逢いたい。


 ——アルカ、約束したよね? 皆でどこかに出かけようって。今まで話せなかった事をちゃんと話そうねって、約束したよね。ファメールさんとレアンと、夢現逃花の咲き乱れるあの丘の上で、ピクニックに行こうって話してたんだよ。

 きっと楽しいと思う。現実世界には夢現逃花のお花畑は存在しないかもしれないけれど、それに代わる素敵な場所を、私、探しておくね。

 だから、お願い。アルカに逢わせて。一緒にこっちに帰って来て。アルカにとっては辛い事だらけの現実世界だったのかもしれないけれど、皆で一緒に居たらきっと大丈夫。私もアルカを守るよ。アルカが私を守ってくれたから。今度は私が手を差し伸べる番だね。


 里桜は黒い筐体を優しく撫でた。むせ返る程に強く、甘い香木の様な香りが里桜を包み込む。まるでアルカが、『オレはここにいる』と主張しているかのように感じられた。



「よぉ、小娘の叔父。待ちわびたぜ」


 ヴィベルが最上階ルームに入って来ると、アダムがホッとした様に出迎えた。レアンとファメールの二人は不機嫌そうにソファに腰を掛け、お茶をすすっている。なんとも微妙な雰囲気にヴィベルは何かあったのかと小首を傾げたが、気にしない様にしよう、と、咳払いをした。


「里桜はどちらです?」

「先にマシンルームに向かったぜ」

「そうですか」


ヴィベルは持っていた鞄から小さな工具セットと端末を取り出すと、「アダム、少しいいですか?」と、アダムの義手に触れた。


「あん? 何する気だ?」

「うちで提供しているアプリケーションがジグラート社の義手に流用されていると思われますので、確認したいのです」

「痛ぇのはやだぜ?」

「大丈夫ですよ。プログラムの確認をするだけですから」


 ヴィベルはアダムの義手の保護プレートを外し、そこに配線を接続すると、端末へと繋ぎ、パチパチとキーを叩いた。画面に映し出されたプログラムを見て、「やはり」と頷くと、小さくため息をついた。


「うちのアプリケーションですね。ジエルという社員が開発したプログラムです。彼は自己主張が強いので、いたるところに自分の証跡を残したがるので、一目瞭然です」

「そんなものを顧客に納品していいのかい?」


ファメールがソファに座ったまま突っ込みを入れると、「表向きは見えませんから」と、困った様に苦笑いを浮かべ、ヴィベルは更にキーを叩いた。


「バージョンを最新にアップデートしておきましょう。よりスムーズに動く様になるはずです」

「お! そいつぁ助かるぜ! 今日はちょっとばかし杖を使わずに無理しちまったからな」

「これからも杖は不要になると思いますよ。情報伝達速度が向上しますから」

「ついでに自爆装置でもつけてくれると助かるんだけど」


ファメールの言葉に、アダムが慌てた様に首をぶんぶんと左右に振り、ヴィベルが「いくらなんでもそれは」と笑ったので、ファメールがツンと片眉を吊り上げた。


「アダムはさっき、里桜にキスをしていたけれど、それでもかい?」

「……なんですと?」


ヴィベルの表情がピシリと固まった。


「困りますね、アダム。私の可愛い姪に手を出されては……」

「へ!? いや、だって! 好きならキスするもんなんだろ!?」

「同意が必要でしょう!!」


いきり立つヴィベルに、レアンが「全くです!」と頷いた。


「不意打ちも無理やりも変わりませんよ! 相手に失礼でしょう! 里桜の拒否権は無視ですか!?」


生真面目に里桜の事を想って怒り出すレアンの側で、ファメールが苦笑いを浮かべた。


「しまった。僕も不意打ちしかしていないな」

「……兄上?」

「ファメールもお仕置きが必要の様ですね……」


ヴィベルの言葉に、ファメールはすかさずに言葉を続けた。


「でも、そうだとしたら里桜にもお仕置きが必要なんじゃないかな?」

「何故です?」


小首を傾げたレアンに、ファメールはクスリと小さく笑った。


「レアン、エデンで里桜はキミに不意打ちのキスをしたと言っていたじゃないか」

「!!!!」


顔を真っ赤にするレアンを見て、ヴィベルは口をパクパクとさせて動揺した。


「里桜からですか!?」

「そうらしいよ」

「あれはですね! エデンでの私はヴァンパイアでしたから、牙が邪魔ではないという証明をしてくれただけですよ!」

「理由が何にしろ、里桜からだなんて、なんだか悔しいじゃないか」

「そんなことを蒸し返すのは止めてください!」


 この中で里桜とキスをしていないのは、つまり自分だけという事だ……と、ヴィベルは考えて、いやいや、何を考えているんだと慌てて首を左右に振った。


「まったく、皆油断のならないっ」


ヴィベルの悪態をつく姿を見て、アダムが笑った。


「なんだ、おめぇ毎日一緒に居たのにしてねーのか? あんな柔らかくて心地良いってのに、勿体ねぇやつ!」

「黙りなさい!」

「なんかちょっと甘い良い匂いするしよー。まぢで一回もしてねぇのか!?」

「胸も柔らかいし、肌も触り心地が良かったね」


勝ち誇った様に言うファメールに、「触ったんですか!?」と、ヴィベルがバスンと頭から湯気を出した。ファメールの横でレアンが複雑な表情で再び顔を赤らめるので、「レアンまで!?」と、ヴィベルはパニックになってガシャリと端末を落とした。


「あ! ちょっ! お前、バージョンアップ!」

「バージョンアップなんかどうでもいいです! レアンまで何なんですか!?」

「誤解しないでください! 触れたというより、里桜がすぐ抱き付くので!」

「今日なんて、あれはノーブラじゃないのかい?」

「ファメール! どこ見てるんです!?」

「別に、服装を見たらたまたま気づいただけさ」

「ミシェル! お前ちゃっかりしてやがんなぁ! 俺にはあれほど怒ったじゃねぇか!」

「キミなんかと一緒にして貰ったら困るね!」

「俺だって触りてぇのにっ!」


「誰だって触りたいですよ!」


ヴィベルが怒鳴り散らす様にそう叫ぶと、「何を触りたいの?」と、小首を傾げて佇む里桜の姿があった。皆気まずい顔をして目を反らしたが、アダムが無邪気に笑った。


「小娘、お前のおっ……」


スパコーン!! と、ファメール、レアン、ヴィベルが同時にスリッパでアダムの頭を思いきり殴りつけ、アダムは涙目になってその場に蹲った。


「え? 何? 何の話?」

「里桜、心配要りません。私が悪の手から守りますから!」

「ヴィベルさん、何言ってるの?」

「気にしなくても大丈夫です!」


必死の思いで涙目になって話すヴィベルを見て、ファメールは『これだから里桜はいつまで経っても子供のままなんだよ』と、うんざりしたようにため息をついた。

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