アダムの意思
「おおっすっげぇ! これが海ってやつか! 初めて見たっ!!」
満面の笑みを浮かべてはしゃぐと、アダムはスーツのパンツの裾を無造作にたくし上げ、革靴と靴下をポイポイと放り投げた。砂浜で戯れる子供やカップルに混じって大はしゃぎで海の中へと入っていくと、「この水変な匂いすんなぁ!」と、無邪気に笑った。
ファメールの頼みというのは、レアンと共に筐体の調査をしている間、アダムをどこかへ連れ出しておいて欲しいというものだった。何やらアダムには知られたくない事を調査するらしいが、どちらかと言えばレアンとあれこれ話したい事があり、それをアダムの耳には入れたくないという事が大きいだろう。
——アダムさんたら、子供みたい……
と、里桜は笑った。周囲でキャッキャと声を上げて遊ぶ子供たちに視線を向けて、その無邪気な可愛らしさに瞳を細める。よちよち歩きの子供が小さな手で貝殻を拾い上げ、母親にキラキラとした目を向ける様子を見つめ、子供って可愛いなと、ほのぼのとしてため息をついた。
私にも弟や妹がいたら良かったのに、と、里桜が子供たちを見つめながら思っていると、アダムが「おーい! 小娘、お前も来い!」と、水の中からブンブンと手を振った。
「小娘って言わないでよ。私には里桜って名前があるんだから」
全く、自分よりも年上なあんな大きな弟は要らない、と、溜息をつくと、アダムは相変わらず無邪気な様子で叫んだ。
「ああ、里桜。なぁ!」
里桜……。
アダムの口から自分の名を呼ばれ、里桜はドキリと心臓が高鳴った。
——アルカと同じ声。同じ顔……
バシャ! と、アダムに水を掛けられて、里桜は瞳をまん丸くした。
「信じらんない! ちょっと! 着替え持ってきてないのに!」
「隙だらけだぜ! 小娘っ!」
指をさして大笑いするアダムに、里桜は頬を膨らませて怒った。こんなことする様な人、確かに邪魔者扱いもされるよ! と、両手を腰に当てる里桜に、アダムは更に水を掛けた。
「もう! 止めてったら!」
「うべ! しょっぱ! なんだこの水!」
「海水は塩辛いの! 乾くとべたべたになるんだからね!」
「お!?」
砂に抜かるんで、アダムがバッシャン! と音を立てて座り込んだ。高価そうなスーツがすっかり水浸しだ。里桜はうんざりして「あーもー……」と、項垂れたが、アダムは「つめてー!」と、大笑いした。
「な、な! 小娘、こっちこっち!」
「だから小娘って呼ばないでってば!」
アダムに近づくと、ぐいっと手を引かれ、里桜も一緒にバシャリと音を立てて海の中に膝をついた。大笑いするアダムに「ちょっと!!」と、怒ると、アダムが里桜をぎゅっと抱きしめた。
ふわりと香木のような甘い香りが里桜の鼻をくすぐった。
「すっげー楽しいぜ! ありがとな!」
——アルカ……!!
里桜の脳裏に浮かぶ灰色の瞳に灰色の髪をした男が、ニッと笑い、手を差し伸べるその姿に、狂おしい程に胸が締め付けられる。
——アルカに、逢いたい……
「どうした?」
「え?」
ブルージルコンの瞳から涙を零す里桜を、アダムは心配そうに覗き込んだ。
「わり、どこか痛かったか? すまねぇな、俺は加減ってもんが……」
「ううん! 全然平気! 海水が目に沁みただけだよ」
手の甲で瞳を擦り、里桜は立ちあがった。誤魔化すように服の裾を掴みながら、「あーあ、びっしょびしょ」と、唇を尖らせた。
「ああ、脱げばいいじゃねぇか」
と、アダムがスーツのジャケットを放り投げ、Yシャツを脱いだ。金属製の義手がギラリと光ると同時に、胸に刻まれた手術の痕が露わとなったが、本人は全く気にもせずに無邪気にはしゃいでいる。
随分と大きな手術痕だ。一度ではなく、何度か開胸したのではと思えるようなその痕に、里桜は眉を寄せた。
——異世界で、アルカの胸にはあんな傷は無かったはず。
ふと、周囲の人達が上半身裸ではしゃぐアダムの姿を異様な者を見る目で見つめていることに気づき、里桜はヒヤリとした。
大の大人で、しかも外国人で背が高く、綺麗な顔立ちのアダムなのだから、目立つ事この上ないのは確かだ。その上金属製の義手など、当然見慣れないものなので、周囲の子供らは「すっげぇ! ロボットだ!」と騒ぎ、親から諫められていた。
「ちょ、ちょっと、アダムさん! 服着て!」
「だって濡れちまったじゃねぇか。ほら、お前も」
里桜の服を脱がそうと手を掛けたので、里桜は慌てて「ちょ! 止めて!!」と、アダムの手から逃れた。
この人常識全く無い! と、ゾッとして「アダムさん、パンツ脱いじゃだめ!!」と、大慌てでアダムを止めた。
「なーんかめんどくせーんだなぁ」
ちっと舌打ちするアダムに里桜はぐったりと疲れ、テーブルに項垂れた。
海水浴場のシャワーで潮を落とし、新しい服を買って着替えた二人は、近くの喫茶店に入ったのだ。
「もうちょっと社会勉強しようね」
「別にいい。どうせ俺はこの世界の人間じゃねぇし」
「どの世界に居ても真っ裸はダメだと思うけど……」
「そうか? 生まれたては皆真っ裸だし、妙なもの着てんのは人間だけぢゃねーか。便所行きたかったらするし、Hしたかったらするだろ?」
「法に触れるから止めてっ!」
アダムはあっけらかんと「法律とか、俺は気にしねーもん」と、言いながら大きな欠伸をした。
「ねえ、胸にあった手術痕って、事件の時のものなの?」
アダムは「え?」っと声を発して自分の胸を擦ると、「いや、知らね」と、曖昧に首を捻った。
「多分、義肢つける時になんかやったんじゃねーか? んな記憶ねぇけど」
「全身麻酔だと記憶無いと思うけど……」
「あ? なんだそれ?」
だめだ。聞くだけ無駄だ、と、里桜は苦笑いを浮かべた。
「……アルマゲドンにダイブしたら、アダムさんはどうする気なの? もうこっちの世界には来ないの?」
ストローを使わずにアイスコーヒーを飲んで、アダムは「苦ぇ!」と、言った後、慌てて水を飲んだ。
「こんな変な世界になんか戻るかよっ! カインの奴に体を引き渡して、俺はアルマゲドンに残るぜ」
「そっか……」
それはそれで寂しいなぁ、と、里桜はアイスコーヒーを一口飲んで、アダムを見つめた。
黒髪のアルカの顔。白人特有とはいえ、白すぎる程に白い肌に、すっと通った高い鼻。灰色の瞳。神秘的で美しいな、と、見つめていると、アダムがニヤリと笑った。
「なんだ、小娘。俺に惚れたか?」
「惚れて無いよ」
即答した里桜に、アダムは驚く程にシュンとして、「なんだよ、くそつまんねー」と、フンと鼻を鳴らした。
「そんなにカインの奴がいいのかよ。同じ面だってのによぉ」
「アダムさんはアダムさんだし、アルカはアルカだもん。顔が一緒だからって好きになったりしないよ」
「お前、それは結構ショックな発言だぜ!? 俺を完全否定じゃねーか!」
「完全否定っていうか……大体、アダムさんのことそんなに知らないもん。ちゃんと会話したのなんてほんの少しでしょ? それなのに好きとかなんないよ」
「俺だって、お前のことそんな知らねーけど、好きだぜ?」
「その『好き』は違う『好き』な気がするけど」
「『好き』に違いってあんのか!?」
アダムに指摘され、里桜は小首を傾げた。
「そうだね、たぶん。基準も無いし、曖昧だけどあると思うよ。私もあんまり知らないの。彼氏できたことも無いし」
「わっけわかんね!」
「んー……。じゃあ、例えば、エルティナさんを思う気持ちと、レアンやファメールさんを思う気持ちって違うでしょ? レアンやファメールさんにキスしようだとか思わないでしょ?」
アダムは「あー」と、視線を上に上げて、頬杖をついた。
「別にしてもいいけどな」
——この人、やっぱり変!!
「そうか、なるほど。あいつらにキスすりゃ、俺の事もっと好きになってくれるのか!?」
「だめ! 嫌われるから絶対だめ!!」
「……んだよ。わっけわかんねぇなぁ……」
「男同士ではしないでしょ!? ファメールさんにしたら殺されるよ!?」
「そうか? ミシェルの奴なんて、女より色っぽいじゃねぇか。あの色気、たまんねーよな。絶対気持ちいいぜ?」
里桜は頭の中で、ファメールとアダムのキスシーンを想像し、慌ててかき消した。
「変な事言うの止めて!」
「なんだよ、小娘。なんか嬉しそうだな」
「嬉しくないっ!!」
「あ! なぁ、小娘! ありゃ何だ!?」
里桜の後方にある窓の外を指さして、アダムがはしゃいだ様に立ち上がった。
太陽の光を浴びて光り輝く球体をいくつもぶら下げて、ゆっくりと回転をする巨大建造物を見つめながら、アダムは喜び勇んで駆けた。
「あ! ちょっと、アダ……」
ガン!!!!!!
窓ガラスに顔面を強打し、アダムが悶絶して蹲った。ああ、言わんこっちゃない。と、里桜は苦笑いを浮かべて、アダムの背をいたわるように撫でた。
「大丈夫?」
「ってぇーー!! ガラスあんの忘れてた」
つっとアダムの鼻から血が垂れて、里桜は慌ててポケットティッシュで押さえた。アダムは長い漆黒の睫毛を揺らしてパチクリと瞬きをし、里桜を見つめた。
「痛かったでしょ。大丈夫?」
心配そうに向けるブルージルコンの瞳を見つめ、アダムはポカンとした様子で座り込んだまま動こうとしないので、里桜は増々心配になって、強打したと思われるアダムの額や鼻にそっと触れた。
「どうしたの? 強く打ち過ぎちゃったのかな。痛い?」
「いや。そうじゃなくて」
ふいにアダムの瞳から涙が零れ落ち、里桜はぎょっとしてハンカチを取り出した。
「大変! 痛いの? 病院行く!?」
「違う。そうじゃなくて、なんつーか……」
——なんで、カインの野郎じゃねぇ俺なんかをそんな風に心配してくれるんだ?
……なんで、こんな心臓がバクバクいいやがるんだ?
「どうしよう、ファメールさんかレアンに連絡入れた方がいいかな」
「だ、大丈夫だって!」
困惑する里桜にアダムは誤魔化すようにガラスの向こうを指さした。
「なぁ、小娘! 俺、あれに乗りてぇっ!」
「観覧車? いいけど。でも、本当に大丈夫なの?」
「なんてこたぁねーよ! 行こうぜ!」
「うん……心配だなぁ」
「平気だって!」
心配そうに眉を寄せながら、里桜はバッグを持つと、その手をアダムが強引に引っ張った。里桜の華奢な手の感触に驚いて、アダムは強く引っ張り過ぎた事を後悔し、力を緩めた。
「ちょっと、急がなくても観覧車は逃げないよ!」
「わり、手が……」
「手がどうかしたの?」
「いや、何でもねぇよ! いいから、ほら、早く行こうぜ!」
アダムは里桜の手を引きながら、ぎゅっと唇を噛みしめた。
「ねぇ、ホントに大丈夫? 急に倒れたりなんかしないでよ?」
「ンなヤワじゃねぇよ!」
——俺が、カインの野郎の身体だから気遣ってくれてンのか?
アダムはそう考えて、チラリと里桜を盗み見た。
——けど、さっきお前は、俺がカインの野郎の顔だからって、俺に惚れたりなんかしねぇって言ったよな? じゃあ、その、向けてくれる優しさは、俺への……?
観覧車に乗ると、アダムは子供の様にはしゃいで立ち上がった。
「アダムさん! 座って! 揺れるからっ!!」
「揺らした方が楽しいじゃねぇかっ!」
「ダメだったらっ!」
里桜とアダムの乗るカゴだけが激しく揺れ、里桜はアダムを押さえつけるように腕にしがみついた。アダムはピタリと動きを止めると、急に大人しく椅子へと座ったので、里桜はホッとしてため息をついた。
「……小娘」
ポツリとアダムが言葉を発した。
「ごめんな」
「もう揺らさなきゃそれでいいよ」
「そうじゃねぇよ! カインの野郎のことだ」
アダムは灰色の瞳で里桜を見つめると、悲し気に眉を寄せた。
「絶対、何が何でもあいつをお前に会わせてやるからな! もし、よぉ。あいつらがアルマゲドンから帰って来なかったりしたら、お前に頼みがあるんだ」
「頼み? どんな?」
「もしな、あいつらが帰れなくて困ってンだとしたらよ、俺を殺して欲しいんだ」
「……え?」
「元々エデンでそうするはずだったんだからな。そしたら、あいつら全員現実世界に帰れるだろ?」
照れ笑いを浮かべながらアダムは言うと、鼻の下を擦った。
「小娘の大事な奴らを、もう奪ったりなんかしねぇからさ」
「……何言ってるの? 嫌だよ、そんなの!」
里桜はブルージルコンの瞳でアダムをじっと見据え、少し怒った様に眉をキッと寄せた。
「アダムさん、私、アダムさんの事も大事だよ。だから、そんな事言わないで」
アダムはポカンとして里桜を見つめた。
「大事? 俺が?」
「うん」
「俺は、だって、ただのデータだぜ?」
「言ったでしょ? 逢えて嬉しいって。それなのに、私がまた大事な人を手に掛けるだとか、そんな事絶対にさせないで!」
里桜は悲しそうに眉を寄せると、涙を堪える様に俯いた。
「もし、また聖剣なんかで刺さなきゃ現実世界に帰れないんだったら、私もアルマゲドンにダイブする。それで、皆でアルマゲドンで暮らすよ」
「ちょ……そりゃあダメだ! 小娘、不幸がなきゃ幸せだって来ねぇ。カインの野郎が陽なら俺が陰の様にだ。どちらか一方だけなんてのはねぇだろう? だから不幸は俺が受け持つ。その為に生まれて来たんだからな!」
「不幸になる為に生まれてくる人なんていないよ」
里桜の言葉にアダムはドキリとして瞳を見開いた。
「望まれずに生まれて来る人なんていない。どんなにか不幸な人生を歩んだとしても! 少なくとも私はアダムさんもアルカも、二人とも大事だって言ってるの。皆が幸せになったっていいじゃない。誰かが不幸にならなきゃいけないなんて、そんなの変だもん。アダムさんが不幸になっちゃうなんて、嬉しい訳ないじゃない」
アダムは泣きそうな顔をして瞳を細め、俯いた。
「俺なんか、小娘にとって邪魔でしかねぇ存在なはずなのに、どうしてそんな風に思ってくれるんだ?」
「どうしてって……別に邪魔だなんて思ってないもん。っていうか、どうしてアダムさんのこと邪魔だって思う必要があるの?」
「俺がカインの野郎の代わりに、こっちの世界に来ちまったから」
俯くアダムを見つめ、里桜は首を左右に振った。
「逢えて嬉しいって言ったじゃない。私、嘘なんかつかないよ。アダムさんの事だって、ずっと気になってたんだよ。幸せになってくれてたらいいなって、ずっと」
「小娘、俺なんかを? お前、お人よしにも程があるだろ……」
笑った瞳から再びポロリと涙を零すアダムに、里桜はハッとして声を掛けようとすると、アダムが里桜をぎゅっと抱きしめた。
仄かに香木の様な甘い香りが里桜を包み込む。
「ありがとな。めちゃくちゃ嬉しいぜ」
「アダムさん……?」
「俺さ、こんな風に大事にして貰うなんて、エデンに居た時には一度だって無かった。だからなのか知んねーけど、なんだかよ、お前と居ると幸せになった様な気がする」
「そ、そう? それは良かったけど」
「小娘……俺……」
アダムの発する低い声が里桜の体に響く。アルカと同じ声。同じ顔。同じ温もり。
里桜はぎゅっと胸が締め付けられる思いで、アダムを突き飛ばした。
「お、女の子をそんな風に気軽に抱きしめちゃダメっ!」
「は? けど、小娘だってガブリエルに抱きついたりしてるじゃねぇかっ!」
「レアンはいいのっ! それに抱きついてるんじゃなくてハグだもん!」
「ハグだぁ!?」
いや、どう見てもあれは抱き着いてるだろ。と、アダムは負けじと食らいついた。
「じゃあ俺のだってハグだなっ!」
「アダムさんは違うのっ!」
「なんでだよっ!? ガブリエルとはハグなのにか!?」
「えーと、レアンは安全だから?」
「安全って……」
「と、とにかく! アダムさんはダメっ!」
「ケチくせぇ! ちょっとくらいいいじゃねぇか、減るもんでもなしっ!」
「大体、アダムさんはエルティナさんが好きなんでしょ!?」
「小娘がエヴァを創ったんだろ? だったら一緒じゃねぇか!」
「違うでしょ!? アダムさんとアルカが別人なのと同じっ!」
不満そうに唇を尖らせて、アダムはじっと里桜を見つめた。里桜は顔が火照るのを隠そうと手の甲で頬を押さえつけて、溜息をついた。
香木の様な甘い香りが里桜の鼻をくすぐる。
「なあ、小娘……」
「な、何?」
アダムがそっと手を伸ばし、里桜の手首を掴んだ。灰色の瞳で見つめられ、里桜はその瞳に吸い込まれそうな程に目が離せなくなり、思わずじっと見つめ返した。
「一回だけでいいからヤラせてくれ!」
「バカッ!! 絶対嫌っ!!」




