大切な人
目覚ましをセットしていたスマートフォンが鳴り響き、里桜は手を伸ばして止めた。あと五分だけ微睡もう……と、スマホを握りしめたまま再びうとうととすると、いつもと違う枕の様子を訝し気に思い、手で触れた。
——ん? これは、枕じゃない。なんだろう? それになんだか窮屈なような……
と、瞳を開けると、金色の瞳が里桜を覗き込んだ。
「やあ、おはよう里桜」
「!!!!!」
枕の感触が違うのは当然だろう、ファメールの腕枕なのだから。慌てて飛び起きようとすると、頭に頭突きを食らわせ、ファメールが悶絶した。
「あ。ごめんなさい!」
「キミ……石頭なのかい?」
「っていうか、なんで一緒に寝てるの!?」
「キミを抱き上げてベッドまで運んだら、キミが抱き着いたまま離してくれなかっただけさ」
——ファメールはその時の出来事をサラリと説明し始めた。
「里桜、リビングで寝ては風邪を引きますよ」
起こそうとするヴィベルを制し、「いいよ。僕が運ぶから」と、ファメールは軽々と里桜を抱き上げた。
「全く、子供じゃないと言いながら困ったものです。あまり甘やかしてはいけませんよ」
「まあ、今日くらい構わないさ。色々な情報をいっぺんに頭の中に流し込んだだろうからね。記憶整理の為にはゆっくり寝かせてやらないと」
階段を上がり、里桜の部屋へと運び入れると、机の上に飾られている写真を見て、ファメールはパチクリと瞬きをした。
プラチナブロンドの髪に金色の瞳の男が、不機嫌そうに睨みつけている写真。新惑星発見の記者会見でのファメールだ。同様の写真が大きく引き伸ばされて、額縁に格納されたものがベッドの横にも飾られており、なんだか気恥ずかしくなって苦笑いを浮かべる。
大昔の貴族達は自身の肖像画をデカデカと飾り、皆よっぽどのナルシストだったのだろう、と、溜息をついた。
美しい顔立ちをしているというのに、ファメールは写真を撮られる事を酷く嫌う。一見女性の様な顔が彼にとってはコンプレックスでしかなかったからだ。
——やれやれ。里桜にとってはアルカへの唯一の手掛かりが僕のあの記者会見だったわけなんだろうけれど、なんだかむず痒いったらないね。
と、さっさとここから退散すべく、部屋の奥にあるベッドへと里桜を運んだ。
そっと優しくベッドへと寝かせて、ファメールは布団を掛けてやろうと手を伸ばした。
「……ん」
寝返りを打ったのかと思いきや、里桜はするりとファメールの肩に両腕を回して抱きしめた。
「行かないで」
「……は?」
「待って。お願い」
「里桜? 寝ぼけているのかい?」
やれやれとため息をつくファメールを、里桜は更にぎゅっと抱きしめた。柔らかい胸に顔を押し付けられて、ファメールは咄嗟に里桜の腕を振りほどき、ベッドから離れた。
「キミ、僕を揶揄っているのかい?」
ドキドキと鼓動する心臓に困惑しながらファメールが言うと、里桜は瞳を閉じたままニッコリと微笑んだ。
「お寿司!!」
「!?」
「ウニ!!」
「はぁ!?」
「イクラ!!」
「……」
「行かないでー」
——なんなんだよ、もう。完全に寝ぼけているじゃないか……
と、ファメールは呆れたと共に、ピキピキとコメカミに怒りを露わにし、里桜の眠るベッドの上へと上り、シュっとネクタイを緩めた。
「全く、腹立たしいったらないね。どうしてこの僕がキミなんかに翻弄されなきゃいけないのさ? 少し痛い目に遭ってもらおうじゃないか」
すっと顔を近づけて、ファメールは里桜の首筋にキスをした。ちゅっと強く吸い、赤い痕をつけると、里桜が小さく声を発した。
里桜が再びするりとファメールの肩に両腕を回した。
今度は何の寝言を言う気だろうか。ウニ、イクラとくれば、マグロだろうとカツヲだろうと何でも来い、と、ファメールが身構えていると、里桜は柔らかそうな桜色の唇を僅かに動かした。
「……シャリ」
……この女っ!!
——と、説明を終えてニコリとファメールは微笑んだ。
「まあ、そんなワケで? 僕はキミにとって寿司ネタの様な存在だったというワケだ」
その話を聞いてあまりにも恥ずかしくなり、里桜は顔を真っ赤にした。
「え!? あの、ちょっと待って!? で、でもだからって一緒に寝てるって変でしょ!?」
「そお? 気にしなくても平気さ。どうせ僕は寿司ネタだしね」
「ファメールさんに言ったワケじゃないんじゃないかなっ!?」
喚いている里桜を抱き寄せて頭を撫で、ファメールは小さく笑った。
「まあ、いいさ。まだ眠いだろう? 時間も早いし、もう少し寝たら?」
「寝れないよ!」
「ホラ、寿司ネタだと思ってお構いなく」
「寿司ネタと一緒に寝る人なんて居ないでしょ!?」
「そうかい? じゃあ試してみたら? ほら、キミはシャリだよ」
「ねぇ、どうしてそんなに日本語が堪能なの?」
「いいから、ほら」
ポンポンと布団を叩かれて、まるであやされている気分になって里桜はため息をついた。子ども扱いして、私は二十歳なんだけどなぁ、と、不満そうにファメールを見つめた。
ファメールにとっては、自分を女性として見る事は決して無いのだろうなと里桜は思った。
それも当然だろう。銀髪の様なプラチナブロンドの髪に金色の瞳のファメールは、女性顔負けな程に美しいのだから。長く艶やかな睫毛が瞬きの度にふさふさと揺れ、里桜はついじっと見とれた。
「ファメールさんてホント、綺麗だね」
「寿司ネタなのに?」
「もう、意地悪言わないで!」
「綺麗なのはキミじゃないか」
ちゅ、っと額にキスをされ、里桜は恥ずかしさで布団に顔を埋めた。ファメールがくすくすと笑いながら里桜の頭を撫でて、耳にキスをした。
「わ、私綺麗なんかじゃない! 止めてったら!」
「どうして?」
「ど……どうしてって……! もう、ファメールさん意地悪しないでよ! 寝ぼけた事は謝るから!」
「そんな風に言われたら、増々虐めたくなるじゃないか」
「!!!!」
「気にしなくていいよ。現に寝ているキミには何もしなかったわけだし」
「それって、寝てると単純に反応がつまらないからじゃないの?」
「当たり。良く分かってるじゃないか。キミ、僕の事好きなの?」
「ファメールさん、私なんか女性として見て無いくせに!」
「さぁ? 試してみるかい?」
「へ? 試すってどう……」
スルリとパジャマの中に手を入れ、里桜の細い腰を撫で、胸に触れた。
「ちょっ! 待って! だめっ!」
柔らかい感触を味わいながら、ファメールは里桜の首筋にキスをした。「ひゃ!」と声を上げる里桜が堪らなく可愛らしく思うと同時に溜息をついた。
恐れからか、里桜の肩が小刻みに震えている。
ああ、まずいな。これは……と、思っていると、里桜が顔をファメールに向け、ブルージルコンの瞳で真っ直ぐと見つめた。……やっぱり怒らせちゃったか、と、ファメールは眉を下げた。
「すまない」
「ファメールさんてば、ホント、困った人」
「うん。怖がらせてすまなかった、もう止めるよ。嫌われたいわけじゃないしね」
と、離れようとした時、里桜がファメールの顎の辺りにキスをした。「え?」と驚いている間に、ファメールの背に手を回し、彼の胸に顔を埋めた。
「嫌ったりなんかしないよ。怖かったのはそうだけど……」
小刻みに震える里桜の温もりを味わいながら、ファメールは予想だにしなかった事態に唖然とした。
「里桜?」
小さく息を飲み、彼女の震える肩を包み込むように手を当てた。
「二年間、ずっとずっと逢いたくて堪らなかった。録画したファメールさんの映像や、ネットに残ってる画像も画面が焼き付いちゃう位に見てたの」
「……まぁ、僕がアルカへの唯一の手掛かりだっただろうからね」
「逢えて本当に嬉しくて、上手く言えないけれど、なんだかもう、心臓がどうにかなっちゃいそうな位に嬉しくて! ファメールさんのつけてる香水。金木犀の匂い。私、金木犀が香る度にいつも思い出していたんだよ。こんなにも逢いたくて堪らなかったのに、『アルカへの唯一の手掛かり』だなんて、そんな言い方しないで」
「じゃあ、どう言えばいいのさ? キミにとって僕は何だと言うのさ? アルカのおまけかい?」
押し黙る里桜に、ファメールはため息をついた。
——やれやれ、時間の無駄だ。彼女はまだ自分の気持ちの整理ができていない。アルカを想うあまり、僕を放したくないだけの子供じゃないか。
「そうじゃないよ。そんな風になんか思ってない」
「『手がかり』でも『おまけ』でも無く、僕の写真をこうも飾るのはどうしてさ?」
「ファメールさんは、ファメールさんだよ。アルカはアルカだし、レアンはレアンだもん。何にも例える言葉なんか無いよ。私は、ファメールさんにも、アルカにも、レアンにも逢いたかったもの。例えば最初に来てくれたのがアルカだったとしても、ファメールさんにもレアンにも逢いたくて探しに行ったと思うもの」
「僕がアルマゲドンに閉じ込められていたとしたら?」
「ダイブして探しに行くよ。当たり前でしょ?」
「危険だとしてもかい?」
「勿論っ! ……ねぇ、どうしてそんな当たり前の事聞くの?」
「当たり前の事?」
頷く里桜を見つめ、首を傾げた。
「大切な人に会いたいと思うのは当たり前の事でしょう?」
「大切? 僕がかい?」
「うん」
「家族でも無いのに?」
「うん。大切だよ。家族以外を大切に思う事はおかしな事なの?」
「え? いや、どうだろうか……」
——驚いた。里桜はてっきりアルカだけを想っているのだと思っていたけれど、そうじゃないのか?
金色の瞳を瞬きさせながら、恐る恐る里桜の頭を撫でた。里桜はそれを受け入れる様に、ファメールの背に回した手にぎゅっと力を入れた。
「逢えてすっごく嬉しいこの気持ち、少しは分かってくれた?」
自分の胸に顔を埋める彼女を戸惑いながら見つめる。
人の心はなんて複雑なのだろう、と、思いながら、ファメールが里桜を優しく抱きしめた。その瞬間、今まで味わった事もない幸福に包まれて、空っぽの心が温かい何かで満たされていくような感覚に陥った。
——今、彼女は間違いなく僕の腕の中に居る……。
幸福感に満たされながらも、人の心の移ろい易さ故に不安も同時に押し寄せて、ファメールは里桜のパジャマのボタンに手をかけた。
「え!? ちょっと待って」
「待てないよ。こんなチャンス、もう二度と無いかもしれないじゃないか」
「え!? チャンスって何!? ファメールさん!?」
スルリと上半身を脱がされて、慌てて胸を両手で覆い隠す里桜の背にファメールが手を差し入れて、いとも簡単に下着のホックを外した。
「ちょっと、待ってったら! なんか、器用過ぎ!」
「待てないって言ってるじゃないか」
「ダメっ! 勘違いしてない!?」
「勘違いって何をさ?」
「色々!」
「よくわからないけれど、勘違いのままでいいよ」
「良くないよ!?」
「キミが僕を想ってくれていることは分かったし、いいじゃないか」
「へ? えーと、なんかやっぱり勘違いしてる気が!」
慌ててファメールから逃れる様にベッドから降りて、パタパタと駆けて部屋のドアの前へと行くと、タイミング悪くトントン、と、部屋の外からドアがノックされた。
全身の毛を逆立ててまずい! と思ったものの、金縛りにでも遭ったように身動きが取れなくなった里桜の前で、ゆっくりとドアが開かれた。
「里桜、まだ寝てい……」
ヴィベルの前に、上半身が素っ裸のまま、両手で胸を抑えた里桜が顔を真っ赤にした状態で凍り付いており、ヴィベルは思わず持っていたコーヒーをダバーっと零した。
「熱っ!!!」
「わ! ヴィベルさん大丈夫!?」
「大丈夫じゃありません! いえ、じゃなくて、すみません!!」
「やれやれ、何やってるのさ?」
大慌ての二人の様子をベッドの上から肩を竦めて見つめたファメールに、ヴィベルは驚いて口をパクつかせた。
「ファメール!? どうして里桜の部屋に居るんです!? しかも何故ベッドで寝ているんです!?」
「一緒に寝たから」
「ファメールさんっ!!」
里桜は涙目になって反論した。
「ヴィベルさん、違うの! 私、寝ぼけてて、お寿司が。ファメールさんで!」
「里桜、言っている意味が全く理解不能です!」
「あ、あの! えっと、朝起きたらファメールさんが居て、それでね!?」
「あんまり里桜がかわいかったから脱がせただけさ。大丈夫、未遂だから。キミ、邪魔するのが趣味なのかい?」
「!!!!!」
顔面蒼白になったヴィベルを見つめながら、ファメールがケラケラと笑った。
「ファメールさんっ! ああもう! とりあえず着替えるから二人とも出てってよ!」
里桜は混乱しながら叫んで、二人を強引に部屋から追い出した。




