箱の中の宇宙
里桜は黒い筐体を見つめながら唇を噛んだ。
——この中に、アルカが居る……
今、どうしているんだろう? たった一人で孤独を味わっていたりしないよね? アルカはいつも笑っていたけれど、凄く寂しがりやで、けれど人一倍優しいから自分を犠牲にしちゃっているんじゃないかな。
心配で堪らないよ、アルカ……。
私、アルカに逢いたい。アルカはそうじゃないの? もう、私には逢いたくないの? 迎えに行ったりなんかしたら、迷惑に思っちゃうのかな。
レアンはマシンルームは冷えるので、里桜に何か温かい物を持ってきますと、席を外した。カタカタとキーボードを叩きながら、里桜はチラリとヴィベルを見つめた。
「忙しいのにごめんねヴィベルさん。私、あんまり役に立てなくて。もっと早くからプログラミングの勉強してれば良かった」
「いえ、とんでもない。むしろこれくらいしか私には取柄がありませんから」
「頼りにしてるぜ。小娘とその叔父。エヴァをどうにかしてやってくれ」
アダムの言葉に里桜は笑った。
「アダムさん、エルティナさんが好きなんだね」
「そりゃあな、オレはエヴァに惚れるようにプログラムされちまってるからな」
ファメールは冷たい目でアダムを一瞥すると、黒い筐体へと視線を向けた。
「エデンを崩壊させるようなプログラムには本来なってなんかいないだろうからね。だから、バグはエルティナの方さ。アダムじゃなく、アルカに惚れるだなんて。
僕はエデンでは正直エルティナに一切興味が無かったし、むしろ嫌いだったけれど、彼女は重要な役割をしていた。
里桜を召喚した彼女の行動は、アルカを救う為に自我が芽生えていたようにすら思える。次にダイブする時も、このバグは役に立ちそうだから、エルティナの復旧が終わった後にダイブするのが賢明だろうね」
「ミシェル、お前俺達を完全にモノ扱いしてねーか?」
「人聞きが悪いね。『モノ』にも満たないただのVR上のゴミデータじゃないか」
「ひっで!!」
「だから愛だなんだと意味も分からない安っぽい事を大事にしたがるんだよ。そういう『プログラム』だからさ。ああ気持ち悪い」
ファメールの言葉に、アダムは少し照れたように鼻の下を擦りながら、言葉を放った。
「俺はエヴァだけじゃなく、小娘の事も愛してるんだぜ。エデンの崩壊前に、俺を認めて抱きしめてくれただろ?」
「え?」
「あの時の温もりが、忘れられねぇんだ」
「懐いてるんじゃないよ! 全く」
キョトンとする里桜を庇う様にファメールが声を発した。
「キミなんかが里桜をどうこうしようだなんて思うなよ。 さっさと消えてくれよ、クズアダム!」
「なっ! 好きになって何がわりぃんだよ!」
「エサを貰ったら誰にでもついて行く犬のようだね、キミは!」
「付いていっちゃわりぃのかよ!?」
「……」
アダムの言葉にファメールは呆れかえり、言葉を交わすだけ無駄だと冷たい目で見つめた後、目を逸らした。
里桜とヴィベルは黙々とキーボードを叩きながら、アダムとファメールの会話に苦笑いを浮かべた。部屋中に香る香木の様な甘い香りにクラクラとする。
「ねえ、どうしてこの花がここにこんなに沢山咲いているの?」
里桜の質問に、ファメールはタブレットを見つめて答えた。
「タイマー代わりの様だよ。三カ月に一度だけ花は閉じるけれど、それ以外の時は枯れない限り咲き続けるんだから。尤も、この花はよっぽどの事が無い限り枯れやしない。花が閉じるのは2160時間ピッタリ。ゼロコンマ一秒すら狂いが無い」
ファメールの言葉を聞いて、里桜はこの筐体がスタンドアロン(単独機能)であることを理解した。
「外部とネットワーク連携ができないから時間を合わせる為に使ってるってこと?」
「時間軸が合わなければ、エデンから現実世界に戻る時に困るからね。エデンでの時間の流れと現実世界の時間の流れは同一なのさ」
「時刻同期のタイミングが、異世界でのアダムが姿を現すタイミングだったのですね」
ヴィベルの言葉にファメールが頷いた。
「そうさ。但し、90日間が三カ月としては、ひと月が30日の時と31日の時。或いは、29日や28日の時もある。その誤差をどうやって埋めているのかまでは不明だね」
「ですが、ネットワークからの遮断は、日本に来た時点でアダムとレアンの手によってなされたのでしょう? 遮断以前から夢現逃花の存在が必要であったのは何故です? ネットワークに繋がっていれば、原子時計を頼りにすれば良かったのでは?」
ヴィベルの言葉にファメールが頷くと、話を続けた。
「正確な時刻というものを外的要因で補う事を嫌ったのかもしれないね。つまり、その外的要因が狂う可能性がある、という事かな。或いは、狂わせる、か」
「地球上に500台以上も存在する原子時計を疑っていると?」
「さぁて、ね。『基準』というものが何なのか。本当にそれは人が操作できないものなのか。世界中の磁場が狂ったとしたら? 夢現逃花がどれほどの精度があるのか僕には分からないけれどね。
ただ、夢現逃花には催眠効果がある。エデンにダイブする為には無くてはならない接続媒体なんだ。眠っていても呼吸はするし、呼吸をすると香りも吸い込むわけだから。この世界と魂レベルでの接続には必要不可欠なのさ。アルカが眠る病室には養父から絶えず夢現逃花の花が差し入れられていた。今思えばこの為だったんだ」
ファメールのその言葉に、彼らの養父の執念を感じ、里桜はゾクリと背筋に寒気を感じた。
「ファメールさんたちの養父って何者……やってることが結構エグい」
「全くだね」
何故アルカに対してそこまで酷い仕打ちをしたのだろうか。名前の事もそうだ。アルカが言った、『誰からも愛されてなんかいない』という言葉が、今更ながらに深く胸に突き刺さる。
——ねぇ、アルカ。貴方はどんな想いで、『周りを変えたければ、自分が変わらないと』って、私に言ったのかな? アルカのこの状況を見ると、その言葉すら痛々しいよ。どんなに努力しても、愛されるかどうかなんてわかんないんだもの。
……ごめんね。私、何も知らないで無頓着な事いっぱい言っちゃったよね。
思えば、アルカが言っていた言葉の節々に自分に対する他からの愛情の欠落を感じる。現実世界で実の両親をすぐに失い、引き取られた養父にはファメールさんやレアンとは明らかに違う扱いを受け、どれほどに彼は深い傷を心に負っていたのだろうか。
何故アルカが軍に入隊していたのか、なんとなく理由が分かった気がする。
そうする事でしか、自分の存在意義を見出せなかったから。銃を握り、戦場に立ちながら『自分はここにいる』と、主張している様に思えてならない。例え殺されてでも、自分の存在を必死に主張しようとするアルカを想うと、悲しくて堪らない。
ヴィベルと共にプログラム解析を進めながら、里桜は唇を噛んだ。
「アルカに比べたら、私はずっと幸せだったよね。そんなことで現実世界を放棄しただなんて、恥ずかしいくらい」
里桜の言葉にファメールが首を左右に振った。
「そお? 結構、というか、キミもカナリだと思うけど。それに、境遇なんて感じ方一つで変わるもの。本人にとって辛いかどうかのレベルが人によってマチマチだろう? キミにとって平気な事でも、他の人にとっては自殺レベルにキツイ事だってあるわけなんだし。同じ物差しで測る事なんか不可能だよ。それに、キミの場合はキミ自身が現実から逃げ出したんじゃなく、エデンで形成されたエルティナがキミを召喚したんだ。アルカを強制シャットダウンさせない為にね。それがバグってわけさ」
「それが、このブラックボックスなのですね」
ヴィベルが額の汗を手の甲で拭いながら画面を見つめた。真っ黒な画面に白や赤や緑、青といった英数字がいくつか並んでいる。
「エルティナの痕跡をみつけました……。ですが、復元可能となるまでのデータがここにあるのかどうか……」
「随分と早いじゃないか」
「痕跡だけですから」
「げ。カタプロだらけ。それに、なにこれ言語が分からない!」
ヴィベルと共に画面共有していた里桜が唸る様に頭を抑えた。
「古い言語から最近のものまで多種多様なうえに、独自の新しい言語が使われている様です。それにメインフレームの仮想まで。接続されたさまざまな言語を練り込んでいるので、ここは触れない方がいいでしょう」
「っていうか、触れないよ」
「厄介ですね……」
多種多様なプログラム言語を操るプロフェッショナルのヴィベルが『厄介』というからには、相当なものなのだろう。里桜は眉を寄せて画面を食いつく様に見つめた。
「このエデンを作った人って何者!? 暗号みたいなプログラムじゃない!」
「これは、常に変化し続けながら構成され……宇宙の様に広がり続けています。まるで生き物ですね。危険でした。ネットワークから隔離しなければ、システムというシステム全てを乗っ取り、この世界そのものがエデンに取り込まれていてもおかしくはありません。常軌を逸したシステムですよ」
ヴィベルの言葉に、ファメールは金色の瞳を細めた。
「世界中のシステムが食われる。人だけじゃなく、人智を越えた魂レベルで吸い上げるから、地球上の全ての時が夢幻の世界に入り込む……まるでビックバンに飲み込まれているようだね」
静かにしかし、耳鳴りの様な音を発する黒い筐体を、その場に居る皆が息を呑んで見つめた。
「バーチャルリアリティーって一体何? 物理を越えて仮想に飲み込まれるだなんて。そもそも物理が無ければ仮想だって存在できないのに。信じられないけど、私も実際その世界に行っちゃったんだよね。改めて考えると違和感しかないなぁ」
里桜の言葉にファメールは「そう?」と、黒い筐体に触れながら言った。
「そもそも『解明されていない起点』から世界というものは始まっているんじゃないかな。
例えば宇宙が始まったとされるビックバン理論はアインシュタインの相対性理論が基礎となっているけれど、そもそもその起点となる爆発以前や爆発そのものについては一体何なのか、どうして起こったのか誰にも分からないんだからね。
そこが『人』という枠の知識の限界なのかもしれない。知識の枠外で起こる現象だからこそ、人知を超えていると表現するけれど、実際枠外に存在している者からすれば、大したことじゃないのさ」
ファメールの言葉に里桜は苦笑いを浮かべ、「ファメールさん、例えが難しすぎてよくわかんないよ」と言うと、「キミの観点から分かりやすく置き換えると……」と、少し考えて、言葉を確かめる様にしながら説明した。
「このコンピュータの中に僕達が住んでいると仮定したら、僕達にとってはこの『コンピュータを作った人』というのは世界の創造主であり、ある意味『神』とも言える存在なのかもしれないけれど、コンピュータの中に居る限り、その『神』を知る事はできないし、世界の起点を知る事もできない。
いつ、どのようにしてそのコンピュータが作られたのか。ひとつひとつのプログラムの歴史は日付を追うことはできるかもしれないけれど、そのコンピュータを作る為には更に歴史があって、それらの知識を流用しているわけだろう?
基盤となるプログラムの作成日付が本当の創造日では無いわけさ。僕達が知りえるのは刻まれている部分だけ。物理と仮想の境目なんてそんなものなんじゃないかな。この地球全体を物理として考えたら、仮想世界なんていくらでも作り出せるものだろう? ……うーん。わかりづらいかな」
日本語での説明は難易度が高いなと愚痴をこぼすファメールに、里桜は頷いた。
「なんとなく分かるような気がする。ファメールさんがファメールさんとしてアルカに創成されてエデンの中で住んでいる時は、外の世界の事が良く分からないのは当然の話で、アルカが創成した世界という枠が壊れた時に、枠外のミシェルさんに記憶が飛んだというのは、そういう事か。広がり続ける小さな世界に、現実世界が浸食されちゃうんだもの」
ファメールは頷くと、ニコリと微笑んだ。
「まあ、そういう事さ。違和感があるといえば、『神』とも言えるアルカやエルティナが創造物である僕達と一緒に生活していたというところなんだけれど、そこが『エデン』の商品としての価値なんだろうね。バーチャルリアリティの世界に身を置き、自分だけの幸せな世界に入り込むというね。
それなのに今このバケモノマシンは自分達の小さな世界だけでは飽き足らず、外の世界である現実世界を食おうとしている。全てを想像の世界にしてしまったら、元も子もないじゃないか。そんなものは商品価値なんか無いに等しい。誰が欲しがるっていうのさ?」
里桜は少し考えて、アダムに視線を向けた。アダムは眠そうにうとうとしており、今までのファメールと里桜の会話はまともに聞いていない様だった。
——現実世界。バーチャルリアリティーの世界。境目の無い……それは、夢や死後の世界にも繋がっている……?
端末を叩きながら、里桜は唇を噛んだ。
——お母さんも、そこに居たりするの? エデンではちゃんと会話ができなかったよね。でも、どうしても聞きたい事があるの。
どうして自殺なんかしちゃったの?
私のせい?
ファメールさんから、お母さんは自殺だと聞いて妙に納得しちゃったけれど、その理由までは分からず仕舞いだった。私、ヴィベルさんを悲しませたくないから、お母さんの事をあまり考えない様にしていたし、口に出さないようにしていたけれど。
本当は私のせいでお母さんが自殺しちゃったんじゃないかって、ずっと思ってた。でも、ヴィベルさんに、お母さんの痕跡も探してなんて、とても言えない……。
キーボードを叩き、ヴィベルに感づかれないように、里桜は母親の痕跡を探った。しかし、あまりにも複雑過ぎる上に膨大なデータ量の中、経験もまだまだ未熟な里桜では到底見つけられるものでは無かった。もっと早くに勉強していれば良かったと、悔やんでも悔やみきれない。
悔しくて見つめるコンソールの画面がぼんやりと滲み、里桜は慌てて瞳を擦った。




