失敗
フッと光が消えた途端、里桜は人々の視線に囲まれた中にポツンと立っている事に気づいた。
——ン? どこかな、ここは??
と、瞳をパチクリと瞬きし、辺りを見回した。
なにやら宗教じみた長いローブのようなものを身にまとった人たちがじっと里桜を見つめている。何見てんの? と、瞳を細めて里桜が睨み返すと、先ほどの神社では無く、ここがどこかの屋内だということに気がついた。
大理石の柱に床。石造りの壁。先ほどの神社とはうってかわり、随分と西洋風だと小首を傾げた。
「勇者様の召喚が成功しましたぞ!!」
クリーム色のローブを身にまとった老人がそう叫ぶと、他の者達も皆「勇者様!!」と口々に言った。どうも自分を見て言っているように感じる。
——この人たち、完全にイカレちゃってる……。
と、唖然とする里桜の前に、純白の豪華なローブを身にまとった女性がしずしずと進み出て優雅に跪いた。
金色の長い髪が大理石の床にまで続く。里桜の髪も随分と長い方ではあるが、彼女には負ける。金髪の女性は息を呑む様な絶世の美女だった。黄金色の長い睫毛に、蒼く神秘的な瞳。陶器の様な白い肌。
まるで理想のお姫様像をそのまま実写化したようなその姿に、思わず里桜は見惚れてしまった。
「勇者様。よくぞ我召喚に応えてくださいました」
恭しくそう言った彼女の言葉にポカンと口を開け、里桜は間抜け顔を晒した。
「えーと、勇者って、私? 貴方は誰?」
念のため確認しておこうとそう聞くと、周りに居た者達がざわついた。
「勇者様。この方はですな……」
「私はアシェントリア女王エルティナ・ヴァレイヌ・アシェントリア。此度は勇者様にお願いがあり、召喚致しました」
傍らに居た位の高そうな身なりの老人が言う言葉を遮り、エルティナ女王様とやらが深々と頭を下げてそう言った。
——何なのコレ。ドッキリかなにか? こんなバカげた状況を信じるか信じないか試してるってこと? どこかにカメラが隠れてるのかな?
里桜は脳内をフル回転させて考えた。
「召喚……ねぇ」
ふぅ、と、ため息をつき、面倒だから乗ってやるかという考えに収まった。そしてさっさとこの茶番を終わらせ、宝くじを換金しに行くんだっ! と、意気込むと、さっと手を掲げて悠然たる態度をとって見せた。
「そなたらに召喚されし我こそは、勇者里桜。願いとは何か!」
棒読みでわざとらしくそう言ったというのに、周りがざわざわとざわつき、「勇者リオ……」と、口々に唱えたので、今更に恥ずかしくなり、里桜は顔を真っ赤にした。
しかし、ローブを身にまとった連中達が女王様役の女性を見習うかのように次々と跪いたので、里桜は掲げた手を引っ込める事も何もできず、固まった。
「願いというのは、他でもございません。隣国である、魔国ムアンドゥルガの魔王を退治して頂きたいのです」
——なんてファンタジー的展開。女王様の次は魔王様ですか。わかったわかった。乗ると決めたからにはとことん乗ってあげるよ。
「魔王退治か。承知した。ではさっそく参ろうではないか」
「勇者リオ様。願いを聞き入れて頂き、感謝致します!」
「おお! 勇者様!」
「勇者様!! 勇者リオ様!!」
這いつくばった連中達が、称えるように口々に里桜を「勇者様!」と連呼するので、里桜はむずかゆくなって苦笑いを浮かべた。この人達、ホント、バカみたい……と、心の中で冷笑する。
「ではさっそく旅支度を致しましょう。こちらへ」
促されるまま鉄製の扉の外へと出ると、赤い絨毯が続く長い廊下へと出たので、里桜は頭の上に「?」を沢山浮かべた。
——やけに凝ったセット。ここまで作り込むだなんて、随分なお金をかけているのね。スポンサーはどこかな。
等と思いながら、彼女は騎士風の恰好をした人たちと一緒に先導する、ローブを着た老人の手を見つめ、ヒヤリと鳥肌を立てた。
老人の手の上には懐中電灯があるのかと思いきや、光るボールのようなものが宙に浮き、辺りを照らしていたのだ。
「……ねえ、それ、何?」
「光の魔法ですじゃ」
語尾に『じゃ』をつけて喋る老人なんて、初めて見た。と、笑いそうになるのを必死にこらえ、里桜は続けた。
「光の魔法って?」
「おや、勇者様はご覧になったことが無いのですかな?」
老人はニコリと微笑むと、その光るボールを指先で操る様に空中を漂わせ、里桜の周りを一周させて見せた。
——さ、最近の演出ってスゴイ。どこかに3D映像の投影装置があるのかな?
と、里桜はゴクリと息を呑んだ。
「へ……へえ。光の魔法以外にも、おじいさんは何かできるの?」
「こう見えてワシは王宮魔術師ですからの」
老人は得意げに胸を反らせると、炎の玉や氷の粒を出して見せた。里桜は見てはいけない物を見てしまった気分になり、つっと目を逸らしたが、逸らした視線の先に窓があり、窓の外には彼女の見たことも無い異国の風景が広がっていたのだから、思わず「ひぃいい!!」と悲鳴を上げた。
「?……勇者様?」
「ちょ……ちょっと待って、ここ、何処!?」
「聖王都アシェントリアの王宮です。」
「なんで私ここに居るの!?」
「魔王討伐の為、勇者様を女王陛下が召喚されました。……勇者様、大丈夫ですか?」
「大丈夫なワケ無い!!何それ、どうしたらいいの!?」
「突然召喚されたのですから無理も無いですな。ですが、ご安心なされよ。旅支度は全て整えております」
いや、安心できないから、それ!!
「女王陛下が勇者様の為に、それはそれは見事な甲冑を……。」
と、言いながら、老人はチロリと里桜を見つめた。
「……勇者様は随分と小柄でいらっしゃるので、甲冑はサイズが合わないかもしれませぬな。いや、まさかこのような、一瞬女性かと見まごう程の少年が勇者様とは思いもせなんだもので」
「ちょっと待った、私は……」
そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。里桜の脳裏に今朝の出来事がまざまざとフラッシュバックされる。
震えながら、里桜は叔父に掴まれた手首を見つめた。くっきりと、赤くまだ痕が残っている。殴られた頬の痛みも僅かながら残っている。
身の安全を思えば自分が女性だとバラさない方が好都合かもしれない……。魔王を倒す為の人身御供だとか、何かの捧げものだとか、女性ならではの危険を被る可能性があるのだ。そうなれば、日本に帰れなくなるリスクが高まるばかりか、自分の身を一層危険に晒してしまうと言えるだろう。
まずはこの世界の状況をしっかりと確認しよう。
「それにしても、勇者様のそのお召し物は変わっておりますな。見た事も無い素材ですし、流石異世界より召喚された方は一味違いますな」
「ただのジャージだよ」
「じゃーじというのですか。素晴らしいですなぁ」
——別に素晴らしくもなんともない。大体ね、私からしたらあなたたちの方が異世界なんだってば。
と、里桜は頭痛のする頭を抑えた。
着替えが置いてあるという部屋に通され、侍女らしき方々が出迎えたので、女性だとバレる訳にいかない里桜は焦りつつも冷静に嘘をついた。
「私の背には、魔王を封印する為の強力な印がある為、人に見られては困ります。着替えは一人でさせてください」
「なんと、それは大層な……。承知致しました、皆、席を外すのだ」
ゾロゾロと部屋から退散する侍女達を笑顔で送り出し、部屋の扉をピッタリと閉じると、里桜は一目散に部屋の窓へと駆けた。
——冗談じゃない。魔王討伐だなんて大学受験を控えた一般市民の女子高生の私ができるはずがないでしょ! さっさとここから逃げ出さないと、大変な事になってしまう。ただでさえ不幸だというのに、ここまで不幸になってどうするの私!!
窓の外を見下ろし、里桜は愕然としてペタリと床に座り込んだ。奇しくもこの着替え用の部屋に宛がわれた場所は、王宮の一番見晴らしの良い断崖絶壁に位置していたのだ。これでは逃げるイコール死だ。絶望に打ちひしがれ、彼女は暫く座り込んだ。