畏怖
立ち去ったファメールと、その背を不安げに見送ったレアンを見つめて、里桜は小首を傾げた。
「あまり似ていない兄弟だね」
ベッドの上に座り込んだままポツリと言った里桜に、レアンはふっと笑った。
「兄上と私は血が繋がっていない義兄弟ですから」
失礼な事を言ってしまったかと、里桜は「ごめんなさい」と、慌てて言って俯いた。レアンは気にも留めていなかったのでニコリと笑い、「何でも気になった事は訊いてください」と言った。
「私とてリオの境遇等分からない事だらけなのですから。貴方を傷つけてしまったり、失言だったりをこの先してしまうと思います」
「……私は……」
そう言って、里桜は口を噤んだ。正直混乱していた。アシェントリアから魔王討伐として魔国に送り出されたものの、魔国で出会った魔族達は皆、里桜に対して親切なのだから。そもそも、魔王を倒せば本当に日本に帰れるのかもわからない。
「無理に話さなくても大丈夫です。いずれ話してくれれば。時間はいくらでもあるのですから」
「ごめんなさい」
「謝る必要だってありませんよ。リオ、ここを自分の家と思って構いません」
「皆、どうしてこんなにも優しくしてくれるの?」
「人に親切にするのは当たり前の事です。理由などありませんよ」
サラリとそう言った後、レアンはしまったと思った。その当然であろう環境に、里桜は恐らく居なかったのだ。では何故自分は今まで虐げられていたのだろうと言われてしまえば返答に困る。
「すみません。貴方の気持ちも考えず、適当な事を言ってしまいました」
里桜にはレアンが何故謝ったのかが分からなかった。けれど、レアンが何かしら自分を気遣ってくれたのだろうということは分かった。
「レアンさんは……」
「『レアン』で構いません。私も、『リオ』と、呼んでいるのですから」
「……レアンは、すごく優しいのね。アルカも、ファメールさんもそう。私、ここのところこんな風に優しくしてもらったことが無かったから、嬉しいけれど戸惑ってばっかりでごめんなさい」
レアンは優しく微笑むと、「また謝ってますよ」と、笑った。
「恐らく、リオの周りの方々は、余裕が無かったのでしょう。人を思いやる余裕が無くなる程に、自分の事で精一杯になっていた。それだけの事ですよ」
「余裕?」
「心の余裕です。私には、兄上やアルカ。それに騎士団の皆や邸宅に仕える使用人達が居て、皆で支えあっています。そして、私は皆に心を許しています。互いを理解しあい、信頼しあえれば、自然と優しくもできるのでしょう」
里桜は唇を噛んだ。皆が優しくないから、自分は一人で生きて行こうと必死に頑張った。それなのに、全部台無しにされた。けれどそれは、私自身に余裕が無かったからなのか? と、里桜は納得がいかず、ぎゅっと拳を握りしめた。
「理解し合いたいなんて、思ってないもの。そうしたら、傷つくもの」
「ここに、リオを傷つけるような者は居ませんよ。恐れや警戒は相手にも伝わり、同じように恐れ、警戒されます」
ハッとして、里桜はレアンを見つめた。
——アルカにも、自分が変わらなければと言われたばかりだ。それに、差し伸べようとしてくれたその手を払ったのは、私なのかもしれないのに。
里桜の脳裏に、ボロボロにされた制服を握りしめている自分の姿が浮かんだ。その里桜に、『大丈夫……?』と、心配そうに声をかけてくれた女生徒がいた事を思い出す。
キッと、里桜は彼女を睨みつけた。どうせ、貴方もこんな酷い事をした人たちと同類なのでしょう? 哀れむフリをして、面白がっているんだ! こんなところの連中になんかと関わるものか。
『私に話しかけないで』
里桜は彼女にそう冷たく言った。だって、私に関わると、『貴方も虐められるかもしれない』じゃない。それを見るのだって、辛いんだから。
「リオ?大丈夫ですか?」
心配そうに声をかけるレアンに里桜は頷いた。
——頼れなかった。誰にも。でも、本当は、ずっと誰かに助けてもらいたかった。けれど、ただ、心の中で『誰か』に助けを求めてばかりいた。今、この不思議な世界に来て初めてその『誰か』を見つけた気がする。それは自分が声を出し、『助けて欲しい』と意思表示したからなのだろうか。
レアンは里桜と話しながら不思議に思った。レアンはどちらかというと普段は無口な方だった。それなのに、里桜を前にしてから良くしゃべる自分に気が付いたのだ。
まるで説教でもしているようで随分と偉そうだ。それは里桜があまりしゃべらないからなのだろうか。だが、互いに無言で居ることだって別にどうということもない。
では何故か? と、考えて、やはり分からずにうーんと唸った。
「レアン」
子猫が泣く様な声で、里桜は小さく言葉を発した。
「あの、私は何をすればいいの? お手伝いできることならなんでもします。レアンが優しくしてくれるのなら、私も何かしないといけないと思うの。だから……お願い。ここに置いてください。お願いします」
変わりたい。今が最後のチャンスなのかもしれない。人を信用したい。私も頼りたい。人並みに互いに信用しあい、信頼を築いていきたい。一人で生きる事なんか不可能なのだから。
深々と、額をこすりつけるかの様に頭を下げる里桜を、レアンは唖然として見下ろした。
自分を変える事はとても勇気のいることだ。いままで積み重ねて来た『自分』という功績を覆さなければならないし、その『自分』を守る為に堅牢に張った分厚い心の壁を自ら取り壊さなければならないのだから。
それは当然の事ながら恐怖と痛みを伴う。里桜は不安で震えていた。
体の小さい里桜が震えるその姿が余りにも痛々しくて、レアンは騎士としての志を今一度刻み込むかの様に、自らの胸の上でぎゅっと拳を握りしめた。
「……リオ。誓いましょう。決して、貴方をぞんざいに扱ったり等しないと。ですから、そんな風に怯える必要もありません。私は貴方を信頼し、守ります」
レアンの言葉に里桜は溢れる涙で言葉を詰まらせた。他人を信用することは怖い。けれど、今はレアンを信用し、頼る道しか残されていない。やはりどうしてもそんな風に考えてしまう自分の愚かな思考に嫌悪する。けれど……
怖いのだ。どうしても。そう思ってしまう。体の震えが止まらない。レアンがいくら優しく微笑みかけてくれていても、その笑顔には何か裏があるのではないかと、信用しきれない自分がいる。
「ごめんなさい」
零れる涙を服の袖で拭いながら、里桜は嗚咽を漏らし何度も謝った。
「ほら、また謝ってますよ。今日は疲れたでしょう、ゆっくりお休みください」
レアンは里桜の環境が突然大きく変わったのだから仕方がない、落ち着くまで一人にしてやろう、と、部屋から出て行こうとした。
「待って!」
レアンの服を掴むと里桜はベッドから降りて立ち上がった。じっとレアンを見上げる里桜のブルージルコンの瞳に、レアンは迂闊にも心臓をドキリと鼓動させた。
「あのね。レアン」
カッと顔を赤らめる里桜にレアンは戸惑い、タラリと汗を垂らした。
——この激しく鼓動する心臓は何だろう。自分はおかしくなったのか?
と、不安に駆られながら「どうしました? リオ」と、言葉を口にするのが精いっぱいだった。
ぐぅうううう~
「その、お腹が空いちゃったの……」
だって、昨夜から何も食べてないんだもん! と、里桜は顔を真っ赤にした。
「それは気が利かずすみません」
レアンはニッコリと微笑むと、「一緒に食事としましょうか」と、里桜を廊下へと促した。
石造りの廊下を歩きながら窓の外を見て、日がいつの間にか沈んでいることに気づき、里桜は随分と眠っていたのかと恥ずかしくなった。




