刻々
「世の中って変な記念日ばっかり」
大学生になったばかりの頃、里桜が少しいじけた様に唇を尖らせながら言っていた事をヴィベルは思い出していた。
「そうですか?」
小首を傾げたヴィベルに、里桜はコクンと力強く頷くと、椅子の上に体育座りをした。ヴィベルは里桜の隣の椅子に座り、持ち帰った仕事をテーブルの上のノートパソコンで処理していたところだった。
「だって、父の日や母の日、端午の節句、桃の節句があるのに、どうして家族の日は無いの?」
ヴィベルはふっと笑うと、「クリスマスやお正月、お盆等は家族と過ごす日では?」と、答えた。
「じゃあ、兄弟の日とかもあればいいのに」
「兄弟は……いる人いない人の差がありますし」
「父も母も男の子も女の子も同じじゃない」
どうしてそんなことでいじけているのだろうか、と、ヴィベルは不思議に思って里桜を見つめた。
母親は里桜が高校一年の時に亡くなり、父親は去年出所してからすぐにアメリカへと渡ってしまった。とはいえ、普段から両親とも忙しく、留守がちだった。親が恋しくなる程に両親に思い入れがあったとも思えないが。
「心配しなくても来年の成人式には、きっと総一朗も帰ってくると思いますよ」
「そ、そういうことじゃなくって!」
里桜はカッと顔を赤らめてため息を一つ着いた後、コトリとテーブルの上に少し大きめの箱を置いた。黄土色をベースにしたパール色の包装紙ににオレンジ色のリボンがかけられている。
「なんかの記念日とかじゃないと、ヴィベルさんは受け取ってくれないんじゃないかなって思って。その、前はにいにって呼んでたでしょ? だから、その……兄弟の日があればなぁって。ヴィベルさん、自分の誕生日知らないって言うし」
「私にですか!?」
里桜が頷き、ヴィベルはじわじわと沸き起こる歓喜に唇を綻ばせ、「開けてもいいですか?」と聞いた。恥ずかしそうに頷く里桜の隣で瞳を輝かせ、まるでクリスマスの朝に枕元に置かれたサンタクロースからのプレゼントを開ける子供の様に、期待と嬉しさでいっぱいになりながらリボンを解いた。
几帳面な性格のヴィベルは包装紙を破る事無く丁寧に開いた。リボンも包装紙も全てが里桜からの贈り物だ。大切にとっておこう、と考えたのだ。
凝ったデザインの箱をそっと開くと、中には艶やかな紺色の生地が敷かれており、里桜からのプレゼントとなる主役が大切なものであると言わんばかりに丁寧に格納されていた。
そっと手に取ると、光を反射して角度によって淡い銀色を放つ文字盤がセンスの良さを醸し出している。竜頭に触れると秒針がすぅっと動き出した。
「その時計。一応、というか。ウェアラブルなの」
見た目の重厚感よりも持った感じは異様なほどに軽い。カーボン製の様だ。
「ヴィベルさんは普段時計つけないでしょ? 重いのが嫌なのかなぁって思って」
「机に当たるのが嫌なんです」
「あ、そうなんだ……。じゃあ、お仕事がお休みの日だけでもつけてくれると嬉しいな」
時計に傷がつかないように保護する何かを買おう、とヴィベルは考えて「いえ、毎日つけます!」と答えた。
ああ、服の袖を少し長めのものに新調しよう。着古したスーツはどれも出来合いの安物で、フランス人の自分には袖が少し短いのだ。太る以前のものを引っ張り出して着ていたのだから無理もないが。
「有難うございます。里桜。大切にします……」
里桜が自分の為に一生懸命プレゼントを考えてくれたというだけでも嬉しい、と、ヴィベルはその時計をじっと見つめた。見た目は普通のアナログ時計の様だが、里桜の言う通りウェアラブルの要素があるらしい。
スマートフォンと連動させれば、恐らく心拍数等の健康状態を確認する事ができる仕様となっているのだろう。
「ヴィベルさんはお仕事頑張り過ぎちゃうから。ちゃんと食事も忘れずに摂って欲しいし、睡眠時間も少なすぎるから……」
「そんな、私は働き盛りなのですから。今が頑張り時なんですよ。心配させてしまってすみません。でも……」
ヴィベルは今すぐ立ち上がり家の周りを何周か走って来たい程に喜びで満ち溢れていた。
「もう、この喜びをどう表現したらいいのか分からないくらいにパニクってるんですけど」
里桜は笑うと、「良かった。喜んでくれて」とブルージルコンの瞳を細めた。
——あの時、感極まってプロポーズするのを抑える事が出来た自分を誉めたいくらいだ。
里桜から貰った時計がヴィベルの左腕で時を刻む。それに視線を向けた後、溜息をつきながらキーボードを叩いた。マシンルーム内は甘い香木の様な香りが充満している。
身体を案じて里桜がプレゼントしてくれたこの時計を身に着けて、自分は今、アダムを殺すプログラムを組んでいるのだ。
里桜に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。これは彼女に対する裏切りではないか? アダムに対しても里桜はいつだって優しく振舞い、現実世界が楽しいものなのだと知って貰おうと一生懸命だった。そのアダムを殺してまで、アルカを生かして本当に良いのだろうか? 里桜にとってアルカは誰よりも大切な人なのかもしれないが、そんな事は赦されるのか?
いくらアダムがプログラムなのだと言っても、これは明らかに殺人ではないか……?
メギトへの命令は、本当にアルカでなければ解除できないのだろうか……?
「ヴィベル、進捗はどうだい?」
スッとマシンルームのドアが開き、ファメールが顔を出した。入り込んで来た風で夢現逃花がふわりと揺れる。
「……え? なんだ? これはどういうことだ!?」
ファメールが突然放った声に眉を寄せ、何のことだとヴィベルは瞳を上げた。が、その視線はすぐに下げられて、白い花々へと向けられた。
ゆっくりと夢現逃花がその可憐な花びらを閉じているのだ。淡い光を放っていたせいか、僅かに室内が暗くなった様にすら感じる。
「今日は三か月に一度の花が閉じる日なのでしょうか?」
「いや、そんなはずはないよ。閉じたのは二カ月程前だとレアンから聞いて……」
ファメールがハッとした様に自分の腕時計に目をやり、「しまった。こっちの時計は日本時間に直していなかった」と、苦々し気に呟いた。
ヴィベルは里桜から貰った腕時計に視線を向けた。0時一分。ということは、花が閉じ始めたのは丁度正子だろう。
「どうやら日付が変わると同時に閉じた様ですね……」
ドタバタと騒がしい音を立てながらアダムがマシンルーム内へと入って来ると、閉じかけている花の様子にも気づかずに大慌てでファメールへと詰め寄った。
「おい、ミシェル! 今見たらよぉ、義手に表示されてる数字がめちゃくちゃ少なくなってやがんだっ!」
ファメールがアダムの義手を見た後、コンソールの画面上に表示されているカウンターを見つめた。確かアダムの義手とシステムはリンクしているはずだ。
ぶつぶつとファメールが呟いた後、すっとしゃがみ込み夢現逃花をぷつりと一輪摘み取った。
「この花が再び開く時間は、恐らく十二時間後だろうね」
「一体何が……!」
「わからないよ!」
疑問を唱えるヴィベルの言葉にかぶせるようにファメールが言い放つと、悔しそうに金色の瞳を細めた。
「とにかく、カウントダウンの数字が四十五分の一まで減少している。つまり、三カ月に一度閉じるはずの夢現逃花が一日に一度に変更されているのさ」
「待ってください。それでは九十分の一では!?」
「本来夢現逃花は三か月に一度、二十四時間その花を閉じる。だから恐らくその半分。十二時間だけ花を閉じるはずさ。ヴィベル、システム異常は無いのかい? 時刻表示がおかしくなっているとか」
ヴィベルがパチパチとキーボードを叩いた後、首を左右に振った。
「いいえ。システム上は何の異常もありません。ただ単に時刻同期の間隔が狭まっただけのようです」
「何が起こっているんだ。分からないということが腹立たしくて仕方が無いね」
「ファメール。カウントダウンの数値が減ったということは、メギトへの命令も早まったということですか?」
「……当然さ」
ヴィベルはすぅっと血の気が引いた。メギトへの命令は二千二十六年十一月と言っていた。日付に換算すると今から千五百日以上先の事だった。ところが、それが四十五分の一となると……。
「あとひと月程で、メギトへの命令が発令されてしまうということさ」
俯いたヴィベルにファメールがきっぱりと言い放った。今ここにある花を全てむしり取ったのだとしても、それは変わらない事なのだろうかとやや自暴自棄な考えを思い浮かべ、唇を噛みしめた。
「とにかく、プログラムの作成を急ぎます。あともう少しですから」
急いで里桜を助けにいかなければならない、と、ヴィベルは焦った。キーを打ちながら、室内は気温が低いというのにつっと汗が背中を流れる感覚を味わう。
「……なんてこった」
アダムが珍しく顔面蒼白になり、義手に表示されているカウンターを見つめた。
「俺が鼻くそほじったら日付が進んだ……?」
「そんな訳あるものかっ!!」
「義手で鼻をほじったんですか!? よく鼻に入りましたね」
「ちょっと試してみたら入った」
「どうでもいいよ! 汚いなぁっ!!」
「ちゃんと洗ったから汚くねぇよっ! 鼻毛切カッター搭載なんだぜ、便利だろ!? ガブリエルの奴に髭剃り機能もつけられねーか頼んでみようかと……」
「ちょっと、集中したいので邪魔しないで貰えますか!?」
「全くだねっ!」
ファメールが『げしっ!』とアダムの背中を蹴り、マシンルームから出ていく様に促した。手で触りたくもないと思ったのだろう。
アダムは「ちぇー、結局邪魔者扱いかよー」とブツブツ言いながらマシンルームから出て行き、ファメールはやれやれと肩を竦めた。
「アルカの復旧プログラムを入れる空のマイクロチップを、今アリエルが取りに行っているからね。特殊媒体だから、ジグラート社の研究所に直接取りにいかせたんだ。完成次第それに格納してくれ」
——アルカの復旧プログラム? そういう言い方をすれば聞こえはいいが、アダムの殺人プログラムの事だろう。
と、皮肉を考えながら、ヴィベルは「わかりました」と答えた。
自分は愚かだ。
そうやって責任をファメールに押し付ける事で、自分は綺麗なままでいたいと願っている。なんて浅はかなのだろうか。
「ヴィベル」
ファメールは小さく言葉を放つと、すっと金色の瞳を向けた。
「キミは、僕の命令で仕方なくそのプログラムを組んでいるんだ。キミに責任は無いよ。だから自分の事を責める必要なんかない」
ファメールの言葉にヴィベルはズキリと心が痛んだ。
「……里桜やレアンがダイブしたままでアルカの復旧プログラムを使うのは、少々危険かもしれません。現状創成者が存在しない状態でシステムが稼働しているわけですから、そこにアルカの存在が復活する事でどんな影響を及ぼすのか分かりませんので」
「分かってるさ。だから急がなきゃならない。二人を現実世界に連れ戻した後に、プログラムを実行しなければね」
二人を救った後、アダムを殺す……。
里桜は何と言うだろうか……? きっと悲しむに違いない。ならば何も言わずに……?
「責任は全て僕が負うよ。キミは心配することなんかない」
そう言い残すと、素早く踵を返し、ファメールはマシンルームから出て行った。
視線を落とした先では、咲き乱れていた夢現逃花が全て閉じ、白く輝いていた室内が暗く光を落としてしまったかのように感じられた。
里桜からプレゼントされた時計の秒針が音もなくゆっくりと時を刻んでいる。
指を動かすと、パチリ……パチパチと室内にキーボードを叩く音が響いた。
「一人で、全部背負う必要はない、とアルカに言われたばかりじゃないですか。ファメール……」
ヴィベルは、自分もファメールと共に責任を負うのだと決心した。




