ガーディアン
コンソール画面を覗き込みながら、ヴィベルはため息をついた。画面に表示された「0」の数値が絶望の光を放つ。
「ファメール……」
ヴィベルと一緒に画面を覗き込んでいたファメールにポツリとヴィベルは言葉を発した。
「アルカとエルティナのデータは、ここにある筐体には存在しません」
「含んだ言い回しじゃないか。それはどういう意味だい?」
「痕跡が残っているのに、データが存在していない。削除されたのかと最初は疑ったのですが、どうやらここでは無い、別の筐体にデータがある様なのです。いえ、あったというべきでしょう」
「回りくどい言い方は止めてくれないかな。今はそんな場合じゃないだろう?」
ヴィベルは唇を噛むと俯いた。
「……リンク先のIPアドレスから追ったのです。その筐体は、もうこの世に存在していません。つまり……」
「キミと里桜の自宅にあった、あの筐体か」
頷くヴィベルに、ファメールは苛立った様にため息をついた。
「なんとかならないのかい? 例えば、アダムをバックアップとみなして、アルカを復旧させるとか」
「アダムの中にアルカが生きている、と?」
「恐らくね。アダムに自覚は無いかもしれないけれど」
そうでなければ、あんな風に僕と会話できるものか、と、ファメールは正気を失った時の事を思い出してぎゅっと拳を握りしめた。皮の手袋が僅かに音を発する。
ヴィベルは俯き、言いづらそうに口を開いた。
「……ですが、それはアダム自身のプログラムにも影響を及ぼしかねません。アルカとアダムのプログラムが完全に分離している保証は無いのですから」
「どうなるっていうのさ?」
「つまり、アルカというデータを救う為には、アダムを削除するしか無いんです。ある種コンピュータウイルスの様に、アダムという人格はアルカに巣食っている状況なんです。例えばアダムがアルカの記憶を一つ思い出す度にその記憶にアダムのリンクが張られていきます。そうやってアダムは浸食するようにあの身体を乗っ取っていっているのです。リンクを切り離した時に、アダムという存在を残す事は不可能です」
「アダムなんかどうなったっていいよ!」
メギトへの命令はアルカでなければ止められないのだ。どんな命令なのか詳細までは掴めないにしても、養父の考える事だ、ろくでもない事に決まっている。メギトの構成を考えると、世界規模に及ぶ事は間違いないだろう。知らなかったとはいえ、そんな事に加担したのだと思うと虫唾が走る。なんとしてでも阻止しなければならない責任があるのだ。
——アルカを救えればそれでいい。そうするしかない。
ファメールは自分に言い聞かせる様にヴィベルを怒鳴りつけた。
「アダムなんて、エデンで創成されたただのデータに過ぎない存在じゃないか! アルカを救う為にアダムを消すしかないというのなら、それは仕方の無いことだろう!」
ヴィベルは俯き、自分の手を見下ろした。アダムを殺す事になってしまうかもしれない。そんな事は赦されるのか? いくらエデンで創成されたプログラムだとはいえ、アダムはここに存在し、会話を交わした相手なのだ。
プログラムとは何だろうか。アダムという人格を形成したということは、それは魂を創ったというのと変わりは無いのではないだろうか。肉体が無く、魂だけの存在を生み出すシステム。そしてその魂だけで存在できる世界すらをも作ってしまうのだから、改めてエデンというシステムの恐ろしさを痛感する。
もしもアルマゲドンも同様にアダムの様な存在を創る事ができるのだとしたら、今現在この筐体の中では肉体のない魂が多数存在しているのかもしれない。
ゴクリと息を呑み、ヴィベルは黒く四角い筐体を見つめた。夢現逃花の白い花に囲まれて、正に墓標のようなソレは、見た目だけではなく死者の世界が詰まった混沌の箱と言えるだろう。
「こうなってしまったら、エルティナを復旧する理由も無くなるね」
舌打ちをし、苛立った様に言葉を放ったファメールに、ヴィベルはすかさず反論した。
「ですが、アダムは納得しないと思います。彼はエルティナを救いたいとあれほど一生懸命に……」
「知らないよ。エルティナを壊したのはアダム自身じゃないか。義手なんかを飛ばしてね!」
ヴィベルは言いづらそうに眉を寄せて俯くと、「それが……」と、口を開いた。
「アダムの義手に組み込まれたプログラムは、わが社の社員、ジエルが作成したものです」
「ああ、以前はジグラート社と契約をしていたんだったっけ」
「ええ。社名が変わっていたので里桜は最初気づかなかったようですが。死の商人であると発覚した今、契約は打ち切っています。……それでそのプログラムを解析したところ、アダムが義手を放った時に落下地点が強制操作された様なのです」
あの義手は、真っ直ぐにエデンの筐体を狙い、破壊した……。
「そのジエルというのが、里桜の家にある筐体を破壊しようとしたというのかい?」
ファメールは、僅かに金色の瞳を細めると、気まずそうに瞳を反らし、「そんなの、バカには黙っておけば気づかれないさ」とサラリと言葉を放った。
ヴィベルは俯き、首を左右に振った。
「そうじゃないんです……そのプログラムは里桜を狙っていたのです」
「……は?」
ファメールは苛立った様に眉を寄せた。
「どういうことさ? キミの会社の社員が、里桜の命を狙ったということなのかい?」
「……そうなります」
「妙じゃないか。あの義手はガラスを割った後、里桜では無く真っ直ぐに筐体に狙いを定めていたように見えたけれど」
ヴィベルは頷くと、悲し気に瞳を伏せた。
「ガラスを割ったと同時に、自宅にあった筐体から義手へのアクセスがあった事が分かりました」
ドキリとして、ファメールは僅かに息を飲んだ。
「それはつまり……」
アルカが、里桜を守った?
もしも里桜があんな鉄の塊を頭部に受けたのならば即死だっただろう。ファメールの魔法障壁も間に合わなかった可能性は高い。現に、障壁はガラス片のみ弾き、凄まじい勢いで飛んできた義手は間に合わず、筐体を大破させたのだから。
アルカが自分を顧みず、里桜を守った。残されたデータを失ったのは、アルカ自身による自殺行為ということになる……。
悔しそうに俯くと、ファメールは金色の瞳を細めた。
適わないな、アルカ。と、小さくため息をつく。
「それと、もう一つ」
ヴィベルの言葉に、ファメールは「まだ何かあるのかい?」と、うんざりしたように眉を寄せた。
「自宅の火災の発火元は、あの義手でした」
「……じゃあキミの会社の社員とやらは、里桜の命を狙い、挙句自宅に放火したということかい?」
「ええ。以前からストーカーの如く里桜にメールを送り付けていたので、里桜のアカウントを凍結しておりました。送り方は巧妙で、彼が犯人だという事実も最近やっと発覚したところです。技術は一流ですよ。人としては最低ですが」
ファメールは明らかに怒りを込めて金色の瞳を細めた。ただでさえ里桜とレアンがアルマゲドンにダイブしてしまい対応が追い付かないというのに、その上更に問題が発生するとはと、苦々し気に思った。
社員の管理不行きは自分の失態でもある、と、苛立つファメールに申し訳なく思いながらヴィベルが俯き、ファメールは苛立っていても埒が明かない、と、ため息交じりにヴィベルを問いただした。
「それで? そのキミの会社の『社員』とやらの目的が気になるじゃないか。今どこに居るんだい? 問い詰めてやろうじゃないか」
「恐らく彼も総一朗と共にアルマゲドンにダイブしているのではと。ファメール達の育った邸宅へと、総一朗と向かった様でしたので。彼は元々、ジグラート社の社員でした。そこを辞めてうちへと転職に来て、総一朗が迎え入れたのです」
「ああ、なるほど。ジグラートは元々里桜の父親の会社を、僕達の養父がのとった会社だからね。そこからの転職ともなれば、受け入れざるを得ないということか」
ヴィベルは渋い顔をして項垂れた。
「とはいえ、彼は人格的に難があったので、流石に私も言及しましたよ。ですが、総一朗は私の言う事など聞く人ではありませんから」
総一朗どころか、誰一人自分の言う事等聞きやしない、と、ヴィベルは無性に悲しくなった。
「その社員の名前は?」
「カフジエル・ステヴナンです」
ファメールはその名を聞いた途端眉を寄せた。
「……嫌な予感しかしない名じゃないか」
「と、言いますと?」
「七大天使の一人の名だよ。『ミカエル・サマエル・ガブリエル・ラファエル・アリエル・カフジエル・ザドキエル』尤も、七大天使の構成は書かれている書によって異なるけれど、サマエルが七大天使として登場するのはゲオニムの教説しかないから、恐らくその構成で合っているだろう」
「待ってください、それでは皆登場人物として、既に設定されていたということですか?」
私も含めて……? と、ブルートパーズの瞳を困惑させたヴィベルに、ファメールは頷くでもなくため息をついた。
……そんな事が可能なのは、名づけ親の養父のみだ。
「今の所出ていないのは『ザドキエル』だけだね。敵と出るかどうかな」
「……いえ」
ヴィベルが顔面蒼白になりながら、ジャケットのポケットから名刺入れを取り出し、一枚の名刺をファメールへと差し出した。
「総一朗・ザドキエル・東郷。『ザドキエル』は、総一朗の洗礼名です。彼はアメリカ国籍ですから」
ファメールは唇を噛みしめながら黒い筐体を睨みつけた。この筐体が作り出しているアルマゲドンという世界は一体どんなものなのか。創成者であるアルカを失っても尚稼働している様子が不気味でならない。
そして、七大天使。養父は敬虔なクリスチャンだった。あの男がこの箱の中で繰り広げられている世界創成に関わっている事は最早明確だ。
……養父が関わっているのだと想像するだけで悍ましいというのに、ここまで用意周到な要件が加われば悍ましさは最早最高レベルだ。そんな中に、里桜とレアンがとりこまれていると考えると吐き気がする。そして、恐らく自分もそこに創成されている事だろう。
「今ダイブしているのは、里桜と、レアン。そして恐らく総一朗とそのカフジエルという男か。アルカのデータが喪失した以上、本来の目的。つまり、ダイブしてアルカを助け出すということは不可能になったわけだけれど」
「なんにせよ、私は里桜を助け出さなければいけません」
「勿論、レアンもね」
ふっとファメールは鼻で笑い、ヴィベルを見つめた。
『ヴィベル』の呼び方で定着してしまったものの、彼の本名は『ラファエル』だ。年齢も三人の養子達と一歳差しかない。
確かヴィベルは、里桜とは血が繋がっていないと言っていた。フランスから里桜の母親によって強引に日本に連れてこられたのだと……。
「ラファエル」
「え? あ、はい」
ファメールに突然本名で呼ばれ、ヴィベルは戸惑いながらも返事をした。ファメールはニコリと微笑むと、「引き続き、調査を頼むよ」と、マシンルームから出て行こうとした。
コンソールへ向かうヴィベルの背を睨みつける様に見つめながら、ファメールは拳をぎゅっと握りしめた。
——ラファエルは、裏切者だ。




