第2話 頼みごと
その日の放課後、俺は指定された場所にすぐ向かった。約束の時間まではまだ少々あったが、こんな経験は如何せんある訳なく、何分前に行けばいいのかもわからなかった。対してカフェで時間をつぶすにも呑気に椅子に座って落ち着くこともできそうになかったので、そのまま向かうことにしたわけだ。
「でも早く来すぎたな」
俺は公園の池をぼーっと眺める。汚い池だ。魚一匹いそうにない。俺は、近くのベンチに腰掛け、教科書を開く。
「あいつびっくりしていたな……」
俺は今日の事を思い返す。何科目か試験の答案が返された。大方クラス一位は、俺。皆びっくりしていた。特に幸弘は、魚みたいに口を開けたまま、目を丸くしていた。たしかに俺自身学校で勉強できるキャラを演じていたわけではないし、中学時代の話は内緒にしている。この見た目からしても、勉強できるとは周りも思っていなかっただろう。
「まさか中村さんも俺が勉強できることを知ったことで……?」
たしかに中村さんも頭よさそうな感じではある。今回の試験はどうやら体調を崩して追試になったみたいだけど、実際受けていたらどのくらいの成績を取ってくるのだろうか。気にもしていなかった彼女のことが、あの手紙のせいで気になってくる。そうあれやこれやと考えていると、いつしか時間は過ぎ去っていて、
「おわっ!?」
トントンと誰かが俺の肩を叩いた。俺は慌てて振り返る。そこにいたのは、やはりあの中村さんだった。
「こうして一対一で話すのは、初めてかな? 来てくれてありがとう」
そう言ってこちらに笑顔を向ける中村さん。近くで見る彼女の笑顔は、確かに魅力的というか破壊力があった。俺は少し緊張気味に中村さんに話しかける。
「この公園お気に入りの場所なの?」
「えっ? うん、そうだけど……」
「そ、そうなんだ。花も植えてあるし綺麗だよな。歩いていて楽しいかも」
「あっ、うん」
中村さんが言葉に詰まる。中村さんは困った顔をしていた。俺は自分の話の下手さに頭を抱える。こういう場面で陽キャを演じるには、俺にはまだ早かったようだ。
「ここいいかな?」
一方で中村さんは緊張していない様子だった。それどころか何の躊躇いもなく俺の隣に座ってくる。すぐ隣の彼女からは、甘い花の蜜のような香りがした。俺の心臓が高鳴っていく。
「今日ここに呼んだのはね。光君に伝えたいことがあって……」
「お、おう」
やっぱりそういうことなのだろう。まさかこの俺にそんな時が来るとは。
俺はゆっくりひと呼吸おいて、彼女の口からその言葉を聞くのを待つ。中村さんの雪のような白い頬は、わずかに紅潮しているように見えた。
「私、あなたが…………」
「…………」
「私、あなたが勉強できることを知って、頼みたいことがあるの!!」
「へ……??」
思わず変な声を出してしまった。告白だと思っていたのに、俺の見当違いだった。勉強できることを知った上での今回のイベント発生はあながち間違いじゃなかったが、ただの頼み事だった。
俺は恥ずかしさに顔を手で覆いたくなる。
「それでね、頼み事っていうのは……」
そんな俺のことは気に留めることなく、中村さんは話を続ける。
「私に勉強を教えてほしいの」
「勉強?」
「うん、そう。光君は学年一位だし、先生より人に教えるの上手そうだなって」
「えっ、そうかな。たぶん中村さんが自分でやったほうが効率いいと思うけど」
勉強を教えることは嫌ではない。中学の頃は、妹に勉強を教えることもあった。だけどそれはあくまで何学年か下の学習範囲で既に自分もよく理解している内容だったからだ。同じ学年のましてや勉強のできそうな中村さんにそれを教えるなんて、自分にできるのだろうか。正直自信がなかった。
「____光君もそう思う?」
中村さんをちらっと見る。中村さんは少し悲しそうな表情をしていた。俺は慌てて弁明する。
「ごめん! 勉強を教えること自体が嫌なわけじゃないんだ。ただ自分に自信がないだけで!!」
「ううん。いいの」
「え?」
「私の説明不足が、悪いの。きっとそれなら大丈夫だから」
中村さんはそう言うと、持っていたカバンから何かを取り出す。それを見た俺は驚愕した。
「これって?」
中村さんの手に握られていたのは、点数の書かれた試験の答案用紙だった。左から順に、数学Ⅰ32点、英語28点、現代文43点。英語に至っては赤点だった。追試とはいえ、この点数は酷い。
「まさか、中村さんって……」
それ以上は口に出せなかった。なんとなく皆の理想像である中村花凛という人物が崩れ去っていくような気がして。だがそんな俺の気遣いも虚しく、
「私、バカなんだよね」
衝撃の事実を知ってしまったのだった。