第九十八話、原初の神父 ~真実を辿る魔導書~その1
神父の物語を辿る魔導書の先にあったのは――とある孤児院。
少年ディカプリオは、まだあどけない顔で黒衣の神父の手を握っていた。
池崎さんがジト目でこの穏やかな光景を眺めているのだが……。
その口が、煙と共に辛辣な言葉を漏らす。
「これ、魔導書化に失敗してるんじゃねえか?」
「してないわよ! ちゃんとばっちりくっきり! 全部ディカプリオ神父の過去よ!」
それでも彼は信用していないのか。
腕を組んで、筋張った指をトントンしながら。
「んじゃあ、この糞神父の妄想を過去として認識してるってオチじゃねえか? いくらなんでもこりゃあ、ねえだろう。これがアレになるなんて、考えられん」
気持ちは分からないでもない。
そこには清貧ながらも穏やかな生活が、広がっていた。
ディカプリオ少年は孤児院の大人、黒衣の神父に懐き――天使のような笑顔を浮かべているのである。
それでもあたしは言う。
「残念ながら真実よ。あたしの異能はそういった本人による記憶の改竄とかを除外して、過去にあったことを物語として再現、文字に書き起こす魔術ともいえるわ。本当にあった日常なのよ、この光景は」
「それがどうして、あんなに歪んじまったんだろうな」
言って、無精ひげをザリっと擦り池崎さん。
繰り返す時の中で、何度かディカプリオ神父に煮え湯を飲まされていたのだろうか。
わりと彼に対して否定的である。
「良くも悪くも、人は変わる生き物でしょうからね。あなたやあたしだってそうでしょう?」
「おまえさんはともかく、オレは人って言われるとなんか違う気もするがな」
呟くイケオジ未満にあたしは言う。
「あら、あなただって人間に転生したわけですから、人間も含まれている筈だし。そもそもその肉体の器は人間そのものよ? お父様が生み出し、異世界の主神たるハウルおじ様が再生してくださった神が作りし人間。もし人が神によってつくられた存在なら、ある意味で最も人間らしい人間と言えるじゃない」
「神話なんてオレは信じねえがな。人はサルから進化した、上位のサルだろう」
そこまで言って。
池崎さんがこの穏やかな光景に目線を戻す。
「って、んなことはどうでもいいが。それでオレ達はなんで糞神父のどーでもいい過去を見てるんだ」
「彼がどうしてああも狂ってしまったのか。狂人に成り果てたのか、あたしはそれが知りたいのよ」
この無垢に笑う金髪の少年が、なぜあんな。
……。
いや、マジでどこがどうなると、この天使があんなになるんだか。
過去の中の少年が言う。
「神父様、大好きです! ずっと、ずっと一緒に居てくれますよね!」
うわ……っ!?
あの狂人なのに、眩しい!
キラキラキラっと尊敬と信頼を向けられた、黒衣の神父が微笑する。
「君は明るいね、ディカプリオ。でも、いつまでもは無理だろうね」
「どーしてですか?」
「君もいつかは大人になる。そうしたらここから巣立っていかなければならないだろう?」
孤児院の子どもが成長し、独立する。
それは孤児院の本懐であるのかもしれないが。
幼きディカプリオ少年は、顔をむく~っと膨らませて。
「嫌です! わたしは神父様とずっと、ずっと一緒に居ます!」
「慕ってくれているのは嬉しいけれどね――君はずっと子どもでいるつもりなのかい?」
「神父様と一緒に居られるのなら、ずっと子どもでいいんです!」
いつものジト目であたしと池崎さんは、ミニディカプリオを見てしまう。
微笑ましいやりとり過ぎて。
んーむ……なんともこちらは困ってしまう。
池崎さんが言う。
「これがどうすると、ああなるんだ。全くの別人だろ、こりゃ」
「もうそのやりとりは、さっきやったでしょう……」
まあ彼がそう繰り返してしまうのも理解できる。
謎の神父の手をぎゅっと握って、エヘヘヘっと微笑む少年のまあ愛らしい事。
この子が歪んで大人になると、あんな狂人になるとはあまり考えたくはない。
自分が救世主になるために、手段をまったく選ばない問題児になってるしねえ。
「なあ、どうあがいても敵となる男の、こんななんとも反応に困る過去を見ちまったのは……なんつーか、失敗じゃねえか。これから元の世界に戻った時に、やりにくくなるぞ」
「だぁあああぁぁぁぁ! 分かってるわよっ、あたしだって驚いてるんですからね! と、とにかく! まあ……こんな少年を変えてしまうほどの事件が起きるって事でしょうね」
あたしは冷静に周囲を観察し――。
魔術師としての思考を働かせる。
「彼にとって重要な記憶の底を選んで入り込んだわけだから……この場面もあの歪んだ性格の形成に、強く影響しているんでしょうね。たぶん、ですけど――彼のゆがみの原因はこの男、無駄に見た目がいい怪しい神父のせいじゃないかしら」
言われて池崎さんも黒衣の神父に鋭い視線を向ける。
「こいつ何者なんだ」
「人間……だとは思うんだけど、なんか変なのよねえ……魂に違和感があるっていうか。もしかしたら魔術のない世界でも稀に生まれる、魔力の強い人間だった可能性はあるわね。でも、まあ今はそれが重要ってわけじゃないわ」
どこか懐かしい空気のある、やたらと人間離れした蠱惑的な美丈夫なのだが。
その顔に見えていたのは、死相。
「この神父、近いうちに亡くなっちゃうみたいだから――それが原因だと思うわ」
告げるあたしに池崎さんはポカーンとした顔をみせる。
あたしが言う。
「なに?」
「そういやお前さんには他人の死を見る能力もあったんだったな」
「いや、こんな重要な能力、何度も繰り返してるなら忘れないでしょう」
おどけた表情で手を広げてみせた池崎さんが、口角にニヒルな皺を刻む。
「そうは言うがな、嬢ちゃんは能力が多すぎるんだよ。ルートによってはもっとやべえ能力を発揮する時もあるし――全部把握してたらキリがねえ。本気でな」
「ねえ、敵になった場合のあたしってそんなに厄介だったの?」
問いかけに、彼は珍しく黙り込んでしまう。
ものすっごい苦い顔をして、露骨に目線を逸らしているのだが。
「……まあ、その、なんだ。嬢ちゃんが敵になった時点が分岐点、大抵はそこでゲームオーバー確定。そのルートはどう足掻いても詰むんだよ」
「なんつーか、あたし……ゴジラみたいな扱いじゃない?」
交渉やコミュニケーションに失敗するとゲームオーバーにしてくる、美少女で天才な女子高生。
池崎さんの人生はゲームではないが……。
たとえとして、もしそれがループから脱出するゲームならば。あたしは絶対厄介なキャラとしてユーザーから目の敵にされている事だろう。
悪戯少年みたいな顔で、池崎さんが嬉しそうに言葉を刻む。
「お、近いんじゃねえか? ゴジラの名前の由来を知ってるか? ピッタリかもしれねえぞ?」
「神のようなクジラ、ゴッドクジラでゴジラって聞いたことがあるわ。まあ本当かどうかは知らないけれど」
けれど池崎さんはキシシシっと笑い。
「それは英語の方だな。元祖ゴジラの由来は、ゴリラとクジラ。合わせてゴジラらしいぞ?」
「うそ、それ本当? ……ってか! ゴリラってなによ! ゴリラって!」
「そうは言うがおまえさん、わりと脳筋だろ……。魔術をどうにかしてやっと対処できたと思った途端、即座に物理に切り替えてきて殺された時はマジで。がぁああああああぁぁぁぁってなったぞ?」
まああたし、本職は剣使いだからなあ。
「でも、ゴリラはないじゃない、ゴリラは」
「悪い悪い、だがまあ……ゴリラならまだ可愛いもんだったよ。おまえさんは、いつだってオレのラスボスだったからな。厄介で、掴みどころがなくて――初めて説得できた時は、本当にゴジラの説得に成功した気分だった……かもな」
なるほど。
最初のパンデミックはあたしに滅ぼされたわけだし。
彼にしてみればラスボスが仲間になってるってわけか。
「まあいいわよ。とりあえずこっちに話を戻しましょう。ちょっと鑑定してみるわ」
言って、過去視に集中。
この黒衣の神父に鑑定の魔眼を発動させてみる。
過去視の映像ともいえる幻影に鑑定を発動させるのは、ほぼ不可能に近い技術なのだが、まああたしなのでそれくらいはできてしまう。
自慢できる相手がいないのはちょっと寂しいが。
「おまえさん、いま褒めて欲しいと思ってるだろ?」
「べ、べっつに~。そんなんじゃないですしぃ」
変なところで勘の良い男である。
それはともあれ。
鑑定結果に、あたしはまともに顔色を変えていた。
「ウソ、なにこれ……っ」
「どうした? おまえさんにしては珍しくガチで驚いているようだが」
「って、なによその珍しくってのは」
「いつもはなんだかんだで先読みとかしてやがるだろ。でも今回はマジで驚いてるみてえだからな――」
こいつ、本当によくあたしをみてるな……。
もしかして、マジのガチであたしにそういう感情を持ってるんじゃなかろうか。
あんなに何度も巡り会っていたら、そりゃまあ――。
ある程度特別な感情もありそうだが……――。
……。
ま、冗談はともかくとして。
「で? 嬢ちゃんには何が見えたんだ。オレはダメだ、鑑定をキャンセルされちまった」
「この神父。本物の聖人よ」
鑑定結果を表示しながら、あたしは言った。
けれど池崎さんは露骨に肩を落とし。
「はぁ? そりゃあ孤児院の経営に携わってるような連中なんて、金目当てでもなけりゃあみんな聖人だろうさ。清く正しく子どものために身を尽くします、そりゃあ偉い連中だわな。ま、茶化しておいてなんだが嫌いじゃねえがな」
対するあたしは驚愕したまま。
わずかに掠れた声を出していた。
「違うのよ。そういう良い人、悪い人っていう分類の聖人じゃなくて。正真正銘の聖人。輪廻から解脱した悟りの人や、人間すべての原罪を背負って再臨した例の人とか。そういった分類での聖人。神と呼ばれる素質のある者。長い人類史の中でも滅多に発生しない、イレギュラー中のイレギュラーよ」
ようするにだ。
救世主となる器の人間、ということである。
これこそが――ディカプリオ少年の異能。
救世主の力と関係している可能性が高いかな。
過去の物語が、更に動き出そうとしていた。