第七十五話、公務員、《煙の魔術師》の軌跡その1
一連の騒動は解決……とは言えないが。
とりあえず落ち着きを取り戻していた。
反面、あたしはまったく落ち着いていない。
時間にすると、神父との事件から一時間ほどが過ぎている。
現在の場所は地下街ではなく地上、夕方の高速道路。
あたしは車で移動していたのだ。
状況を説明するとこうだった。
契約済みの天使――。
中性的だが中身は男のジブリールくんは一週間が経たないと行動できないので、お休み中。
これは例の契約による影響である。
情報を握っている彼があたしにその情報を漏らす。
それ自体が追うという行為にあたるため、一週間は無理、契約により行動を縛られているのだ。
まあこればっかりは仕方がない。
なのであたしは影の中に喰らっていた皆を解放し、今後の事を話し合おうとしたのだが。
悪魔使いで露出度の高いシスター亜門さんが。
訳知り顔で、ふふっと微笑し。
――煙の魔術師と連絡が取れないんでしょう? 心配ですって顔中に書いてあって、それじゃあこっちが不安になっちゃうわよ!? だーかーらー! いいわ、こちらはなんとかするからあなたはそちらに集中なさい!
と、言ってくれたのと。
契約解除で解放された総帥ちゃんことモグラ聖女も、モグラ騎士ロミットくんもあたしを見て。
――はわわわわ! こちらはこちらでせ、政府の方とお、おはなししていますのでっ! ど、どうか、その大切な方を追ってください、姫殿下!
と、なぜか全力で見送られてしまったので。
あたしは今、車の中。
というわけなのだ。
念のため、組織にはペスと三魔猫を残し。
けれど、影移動できる範囲でこちらとは接続したまま。
池崎さんの行方を追う事になっているのだが。
そわそわなんてまったくしていないが。
あたしは組んだ腕の、二の腕を、白く細い指で――。
トントントン……、ト……ン……トントントトトトン!
なぜか、落ち着かず、無限指トントンをしてしまう。
……。
問題は多々あった。
そう、誰も池崎さんについて詳しい情報を持っていなかったのである。
極端な話、ある程度原形を保った遺体の確保をしておけば落ち着けるのだが。
……。
いや、別に死んでいて欲しいとかそういう意味ではない、念のため。
一週間はこちらは動けない。一週間経ったら、あの危険な神父を必ず押さえる。
逆に言えば今だけが自由になる時間。
その間にせめてその足取りを追いたいのだが。
だが、だが、だが。
「だぁあああああああぁぁぁぁあ! しょうがないじゃない! 心配なんだから……っ!」
思わず叫んでしまったあたしの横。
巨乳秘書風美女で、かつて黒幕だった大黒さんがくすりと微笑み。
頬に手を当て、嬉しそうに口を開く。
「あらあら、アカリちゃん。やっぱり池崎さんの事が心配なのね」
「当たり前でしょう、あれでもあたしの弟子なんですから」
そう、弟子だから仕方ない。
これは魔術の師匠として、当然の心配である。
落ち着くために外を見ようと、車の窓に反射し映るあたしの顔はというと。
うわぁ……。
めちゃくちゃ引き攣ってる。
しかし。
なんつーか、イケオジ状態で車を運転しているヤナギさんも、大黒さんも落ち着いてるなあ。
ハンドルを握ったままのヤナギさんがバックミラーを利用し、あたしをちらり。
「落ち着きませんか?」
「これで落ち着いているように見えるのなら、あなたは公安に向いていないわね」
「ふむ良い傾向です――皮肉で返せるのなら、問題なさそうですね。あなたは落ち着いていないようで落ち着いている」
冷静に分析するんじゃないっての。
ったく。
ニワトリの時はぬいぐるみみたいで可愛いんだけどなあ。
やはり無意味に外を見てしまうあたしの耳に、ヤナギさんの落ち着いた声が届く。
「念のため言っておきますが、別に僕たちも彼を軽視しているわけではありません。慣れ、とでもいうのでしょうか。こういうことが、前から度々ありましたからね」
「ふふふ、そうね。いつだってあの人はこうですもの」
大黒さんの苦笑を受け、ヤナギさんがぎゅっとハンドルに力を入れる。
「単独で暴走して、事件を追うヤツがこうして姿を隠すのは、今に始まった事じゃないのですよ――心配などしていません。どうせ今回も……そう、今回もヘラヘラした顔で、こちらの心配など知らんといった顔で、姿を見せるに決まっています」
声はやはり落ち着いている。
けれど、まあやはり心配はしているのか。
あたしを落ち着かせるために、多少無理をしているのだろう。
大人の二人の落ち着きに挟まれ、あたしは言う。
「彼の自宅とか知らないの? 何か資料が残っているかもしれないでしょう」
「ヤツはああ見えて、異常なほどの秘密主義ですからね。署に登録されている住まいには、おそらく出入りはしていないのではないかと」
「じゃあこれ、どこに向かってるのよ」
目線を前に戻し、風を切るような速度で車を走らせヤナギさんが言う。
「署には登録されていない、ヤツの寝床ですよ」
アクセルを踏まれた車が、夕方の高速道路を進む。
夜へと向かう車とあたしたちは、揺れる車の中にいた。
◇
まだ夕焼けが沈む前。
あたし達は池崎さんの寝床に、到着……。
した筈だったのだが。
さすがのヤナギさんも無言のまま、筋張った指で眼鏡をくいっと上げ。
考え込んでしまっている。
大黒さんも、いつものタブレットを抱えたまま頬をぽりぽり。
あたしが言う。
「ねえ、ここに寝床があった……ってのは分かったけど。どーすんのよ、これ」
ジト目で呟くあたしの目線の先にあるのは、空き地の看板。
そう。
そこにあったはずのマンションが、綺麗さっぱりなくなっていたのである。
猫じゃらしが揺れる草原を見て、ようやくヤナギさんが冷静な声でぼそり。
「ふむ、困りましたね」
「困りましたね、じゃないわよ!」
がるるるるっと唸るあたしに、大黒さんがタブレットで資料を眺めながら眉を下げ。
「どうやら池崎さん、この土地を数年前に売ってしまっているようですね」
「売った?」
っていうか、こんな広い土地をもってたんかい、あの人。
夕闇の中。
タブレットの灯りを受けながら大黒さんが話を続ける。
「ええ――そのお金を元手にFXと株に手を出して、まあ、なかなかどころかとんでもない金額を稼いでいるみたいで。あら凄い、これは――ちょっと驚きましたね」
……。
「ねえ、いくら池崎さんが元刑事で未成年異能力者担当の教師公務員だからって、そんな個人情報が閲覧できるってどういうこと? そういうの、登録されちゃってるわけ」
「いえ、大黒がヤツの銀行口座や個人情報を勝手に把握。ようするにハッキングしているだけです。むろん、違法ですよ」
言われても大黒さんはいつもの”あらあらまあまあ”なお姉さんスマイル。
さすが元黒幕。
この姉ちゃん。
あいかわらず涼しい顔で堂々とやらかすなあ。
「まあ大黒さんの犯罪はこの際、見なかったことにするとして。どういうことかしら」
「ふむ、未来視の能力を悪用していた、ということでしょうか。しかし、ヤツにそのような力があるなどという話、聞いたことがないのですが」
まあヤナギさんみたいなタロットを使った万能系の能力者なら、そういう事も可能だろうが。
それよりも問題は――。
手がかりが尽きた、ということだろう。
やっぱり、ジブリールくんの情報を解禁できる一週間後を待つしかないのか。
いやしかし、その間に遺体が腐ってたら……蘇生じゃなくて、アンデッド化になっちゃうしなあ……。
ま、まあペスの配下としてあたしに付き従ってもらうのも、やぶさかではないが。
ここであたしはポジティブを発動。
どんなアンデッドにしようか。
せっかくなら強力なアンデッド魔術師のリッチ系統に進化させて……。
姿かたちも、あたし好みの渋めハンサムなアンデッドで固定させて。
ゆくゆくはあたしの側近に……。
と、あたしがファンタジーな考えに頭を回していると。
ヤナギさんが、大人な溜め息を漏らす。
「アカリさん、なにかなかなか阿呆な事を想像していませんか?」
「アホとは失礼ね、現実的な解決方法を模索してるだけじゃない」
しかし、まずは池崎さんの安否を確認。
もし死んでいたら、魂と遺体を回収しないといけないのだが。
んー……次、どこにいったらいいんだろう。
猫じゃらしが鳴く草原の前。
落ちていく夕焼け。
夜の始まりを感じている中。
どうしようか。
悩んでいたその時だった。
スマホが音を奏でていた。
それはSNSアプリからの、ダイレクトメッセージを報せる音。
このタイミングになによと、あたしは電源を消そうとしたのだが。
ふと、画面に表示されている文字に指が止まる。
池崎さんではない。
けれどだ。
なぜか違和感があった。
あたしはアプリを立ち上げた。
ダイレクトメッセージを送ってきた相手は、人気配信者のジョージ尼崎さん。
彼は何故か配信界隈から姿を消し、しばらく更新していなかった。
そう思っていたのだが。
あたしは指を動かした。
その件名は――。
……。
「なにかあったのですか?」
「どうやら、こうなることを予想して――自動でメッセージを送るようにしていたみたいね」
あたしは画面をみせていた。
動画配信者、ジョージ尼崎さんのアイコンが表示されている。
ヤナギさんはあまりそういうものを見ない。
ジョージ尼崎さんと言われても、ピンとこないのだろう。
大黒さんもさすがに、ゲーム配信者への知識はないようだ。
「えーと、アカリちゃんその人は?」
「あたしよりも人気のゲーム配信者で、あなたたちと出会う前からあたしにコラボ放送をしないかって、声をかけてくれたナイスガイよ。もちろん、オンラインだけの知り合いだから、顔も本名も知らないけれどね。あたしに、親切にしてくれた……。あたしがゲーム配信を始めようと思ったきっかけの人よ」
あたしのスマホを覗き込む端正なヤナギさんのイケオジ眼鏡が、闇夜の中で光っている。
その薄い唇が件名を読み上げる。
「嬢ちゃんに伝えたいことがある、ですか」
「ええ、この呼び方にこの口調は間違いないわね。どうみても池崎さんよ。場所が指定されているわね――ここになにかあるってことなんでしょうけど」
「自動メッセージなら、本人はおそらく……そこにはいないのでしょうね」
ヤナギさんの言葉に大黒さんが続ける。
「けれど行くべきでしょうね。あの人がそこに、なにかメッセージを残してあるってことなんでしょうし」
と――三人で語尾に、でしょう、でしょう、でしょう。
池崎さん以外のあたしたちって、わりと冷静よりな考え方と言葉だしなあ。
知的なキャラが被るのである。
しかし、分からない。
あたしがジョージ尼崎さんと接点を持ったのは、池崎さんと出会うより前の話。
つまり。
あの日、あの交差点でトラックの事件があった時点より前である。
こんな偶然、あるはずがない。
池崎さんはあたしがアカリンだと知っていた、いや、逆か。
アカリンが日向アカリだと知っていて、ヤナギさんに誘導される体で接触をしてきた。
いやもっと踏み込んで考えると。
あたしがアカリンとして動画配信をするように誘導していたのも、彼という可能性がある。
そんなことができるのかは、謎だが……。
その辺の事を、ちょっと口にしたのだが。
二人の反応は鈍い。
「えーと、アカリちゃん……いったい、どういうこと。ちょっと分からないのだけれど」
「あたしにも分からないわ。まあ――でも、場所が指定されているんですもの。行ってみるしかないわね」
大黒さんが言うように、いったい、どういう事だろうか。
身近にいたのに謎の多い男、池崎さん。
その正体は……なんなんでしょうね?
ま、悪人ではないのは確かだが。
ともあれ。
あたしたちは移動を開始した。
池崎さんを追う、あたし達の物語はまだ続く。