第七十二話、まだあたしは子どもだから。
崩壊した地下街に作られた、仮設キャンプ。
ホテルのような一室で驚くのは――、一人の男。
糸目金髪変人ディカプリオ神父くん。
彼でもさすがに予想外だったのか。
どひゃどひゃお腹を抱えて笑うジブリールくんを睨み、低い唸りを上げていた。
「黙りなさい、笑い事ではないでしょう――」
「いや、笑い事だぜ! 大将よお。だってまた預言書と違う未来になってるって事じゃねえか?」
預言書?
前も一度、そう口にしていたが。
聖剣による結界を確認しながら、あたしは話を引き出すように口を開く。
「ふーん――あなたたち、誰かの未来視に従って行動しているってことかしら」
「ああ、そうだぜ? こいつの行動のほとんどは預言のまま。全てが神の導きってやつなんだとよ。キシシシシ! 自分の意志なんてそこまでねえ、お綺麗なお人形さんってことさ」
中性的な天使さんなのに、相変わらず口は悪い。
歯を見せキシシシっと笑むその顔は、まるで悪魔のようでもあるが。
ま、元死刑囚っぽいし……。
神父が言う。
「それの何が悪いというのです? わたしは神の意志に従い動くだけ――そこに一切の私利私欲などありません」
「おうおう、よく言うぜ、この糞神父様。てめえは出逢ったあの日から、私欲まみれじゃねえか」
空気は険悪。
「わたしの意志で簡単に消えてしまう死刑囚風情が、吠えてくれますね」
「その死刑囚を使わないと並の人間とそう変わらねえ聖人様が、偉そうに吠えてくれて。さぞや気分がいいだろうな。糞雑魚野郎」
まるで誰かに説明するような口調だが。
……。
なるほど、そういうことか。
「けけっ、オレたちはてめえ様の人徳に惹かれたわけでもねえ、助けられた恩で従ってるわけでもねえ。みーんなあんたを嫌ってる。いつか――てめえは足を掬われるぞ」
「情報漏洩はそれまでですよ、ジブリール」
「ちっ――命令かよ」
ディカプリオ君が鬼を狩るような鋭い視線でジブリール君を睨む。
んー……仲悪いなあ。
しかし構わずあたしは行動するだけ。
神父を睨み。
「さて、申し開きはないようね。あなたを聖女誘拐の容疑で拘束するわ。聞きたいことも他にあるし、なによりも神父、あなた、たぶんビザもパスポートも持っていないんじゃないかしら?」
ヤナギさんはニワトリモードを解除……しようとするも、まだ効果時間なのでできず。
そのままメガネをくい♪
羽毛の中から取りだした警察手帳を提示し、宣言していた。
『ご同行願います』
「警察……? これは驚きました、日本の警察はニワトリまで公務員なのですか」
ま、まあ素で驚くわよね……。
「違うだろう、大将。こいつは異能力者、たぶん公安だろうよ」
「なるほど、組織に入り込んでくる蛆虫どもですか」
攻撃的な物言いに怯まず。
ヤナギバードさんはコケっと相手を睨み返す。
『詳しくは署でお聞かせください――不法滞在、あるいは不法入国。どちらにしても明確な罪、言い逃れはできませんよ』
「わたしを拘束? ふふ、それはやめておいた方がいい」
妙に自信満々である。
自分たちの戦力で勝てるとでも思っているのだろうか。
疑問に思うあたしに、ジブリール君の方がつまらなそうな顔で言う。
「ああ、洒落じゃなくてマジでやめておいた方がいいぜ。こいつを殺すとアウト。拘束してもアウト。洗脳してもアウト。地上世界が消し飛ぶからな」
ヤナギさんの翼が止まる。
ジブリール君の言葉に嘘が見えなかったからだろう。
『どういうことですか?』
「こいつ、自分が世界を救うんだって本当に信じ切ってやがるからな。もし自分になにかがあったら、オレらみたいな元死刑囚の天使どもに伝わって、世界各地でドカーン! 地上は全部焦土となりました。ああ、めでてぇ話だなあ! って寸法よ」
悪党にありがちなパターンか。
自分に何かがあったら、自爆でもするつもりなのだろう。
あたしは面倒になりつつも、さすがに問い質していた。
「ちょっとあんた! 世界を救うとかそういう話はどうなったのよ!?」
「わたしは世界を救いたい。その言葉に偽りはありませんよ? おそらくそちらのニワトリ……公安でしたか、彼は虚偽を見抜く能力を所持しているようですが――反応はでないでしょうね。なぜならわたしの言葉に偽りはありません。わたしは真に世界を救いたいと。常々願っているのですから」
言葉を区切り。
信者たちに演説でもするような声音で、朗々と語り始める。
「けれど、みなさんは多少誤解をなさっているようなのです。わたしは世界を救いたい、ええ、そう思っています。わたしが世界を救いたい、いつでもそう願っています。でもそこに語弊がある。わたしは、”わたし自身”が世界を救いたいのです。わたしが救えない世界になど、何の価値があるというのでしょうか」
まるで狡猾な狐のような糸目で。
男ははっきりと言いきっていた。
あたしは呆れを隠せず、つまらない男を見る顔で告げた。
「自分が救えないのなら壊れてしまって構わない、ねえ。あんた、相当の悪人ね」
ということは、あの呪いは――。
だ、だれかがこいつを止めようと頑張った結果の……呪いってこと?
いやいや。
まてまて。
ここは冷静に、あたしのせいにしないように。
そう考え、うっかり頬に汗を浮かべたあたしを見て、ジブリール君が馬鹿笑い。
「あひゃひゃひゃ! よぉおぉぉぉっやく、分かったか!? そんな糞厄介なこいつも、ついに罠にかかって呪い状態になり衰弱。そのまま自然死。オレたちは魔力が保てなくなり消えちまう。そんな終わりの筈だったんだがな。貧乳ブス女、てめえのおかげで大将は復帰。オレたちも無事、また暴れることができるようになったってわけだ!」
「うわ……最悪。あたし、依頼とはいえ面倒な人を助けちゃったってわけね」
露骨にげんなりするあたしは考える。
この男は危険だ。
おそらく同じことを考えた誰かが、この男に呪いをかけていたのだろう。
それも、普通じゃとけない強力な呪いである。
……。
そ、そうと知らずあっさり解いてしまった。
優秀過ぎるあたしがいけないのだが。
だって! そんなの分かるわけないじゃない!
一応確認すべく、あたしはヤナギさんに目をやり。
「ヤナギさん、こいつの言ってる事って」
『ウソはありません。にわかには信じられませんがおそらく真実でしょう――』
地上を滅ぼす。
そんなことが簡単にできる筈がない、とは言い切れない。
人類史は戦争の歴史。
魔術や異能を用いなくとも、手段は様々にある。
既に人類は世界を滅ぼせる技術を手に入れているのだから。
……。
あたしは姫様としての凛とした仮面など投げ捨て。
「だぁあああああああぁぁぁ! 狂人にそんな武器を持たせるんじゃないわよ!」
「狂人とは心外ですね、アカリさん」
だいぶ落ち着いたのか、余裕をもって神父は言う。
その青い瞳があたしをじっと眺めている。
「あなたとはいずれまた、じっくりと話をさせていただきたいのですが――今はやめておきましょう。こちらも状況の整理をしたいですからね」
「逃げる気!?」
「逃げるとは心外です。わたしはわたしの使命と世界のために、歩むだけの話です」
どうするか、あたしは考える。
少なくとも殺すのはまずい。
彼の言葉を信じるならば、彼を殺した時点で世界に散っている元死刑囚が何か行動を起こすのだろう。
それも自動的に。
簡単な答えは――。
あんまり言葉にしたくないが核兵器だろう。
なら洗脳する?
しかしこれも危険だ。
精神波か何かが本人と異なった場合に、発動する異能が仕掛けられていたとしたら?
こちらを見透かしたような顔で、神父は糸目スマイル。
「無駄ですよ。唯一の手段は、あの男のようにわたしの異能を利用し、治療の際に呪いを付与することだったのでしょうが。それはあなたが解いてくださった。感謝いたしますよ」
あの男?
やはり、こいつを狙って呪いをかけた人物がいるという事か。
その男を発見して、再度手を打ってもらうという手もあるが……。
おそらくはもう生きていないだろう。
そう考えるあたしの耳を、声だけは綺麗な男の言葉が揺らす。
「ああ、そういえば――あの男も公務員を名乗っていましたね。たしか名前は……池崎、とか言いましたか」
時間が止まった。
――……。
あたしは思考を冷やす。
私情や感情を断ち切ったのだ。
……。
そういうことか。
悪魔竜化アプリの事件を追っていて、現在姿を見せていない池崎さん。
その彼がこいつを止めるべく呪いをかけていた。
ならば、こいつがアプリの開発者。
あるいは、アプリの開発者と繋がっている可能性は極めて高い。
けれどアプリ開発者には異世界の知識があるようにみえた、けれどこいつにはそれがない。
分からない。
分からないが。
分かることが一つだけあった。
ここに今。
池崎さんはいない。
冷めた瞳であたしが言う。
「一つだけ聞くわ――今その男は、どうしているの」
「今ここにその男はいない、そしてわたしは生きている。それが答えではないでしょうか」
……。
……。
ああ、分かってしまった。
彼はもう。
死んだのだ。
「そう。もういいわ――あなた、死んで頂戴」
自分でも、よくわからなかった。
感情を抑えている筈なのに。
なぜかとても嫌な感情が、胸をぎしりと締め付けていたのだ。
魔力があらぶり始める。
感情を殺しているせいで、きっと今のあたしの表情は死んでいる。
赤い髪をした冷徹な雪女にみえるのではないだろうか。
ドライファル教皇とヴァイス大帝も、あたしの魔力に惹かれあらぶり始めていた。
一触即発。
世界が終りかけた、その時だった。
粗暴な天使が顔色を変えて叫びだす。
「おいこら、貧乳バカ野郎! て、てめえ! 聞いてなかったのかよ! ちゃんとした手順を抜きにこいつを殺しちまったらっ、世界がドカンで危険があぶねえんだよ!?」
「そんなことっ! どうだっていいわよ!」
思わずあたしも叫んでいた。
彼がレベル千だからって、油断していた。
死ぬはずがないと思っていた。
普通の人間に、いや普通以上の人間にだって負けるはずがないと。
けれど違った。
こうして相手を殺せない縛りや、制約があったのなら話は別。
あたしのミスだった。
もっと修行を積ませておけばよかった。
きっと大丈夫だからと、放置していたのもダメだった。
ヤナギさんが言う。
『落ち着いてくださいアカリさん。彼は死んでいません』
「どうしてそう言い切れるのよ!」
取り乱さないようにしても、だめだった。
たぶんあたしが子どもだからだろう。
『あなたのお兄さん、月影さんの攻撃ですら生き延びた男ですよ? こんな三流な悪党に殺されると本気で思っているのですか?』
たしかにそうだ。
お父さんたちのような例外を除けば間違いなく世界最強を名乗れる兄。
どんな奇跡が起ころうとも回避できなかった死を、池崎さんは回避したのだ。
理屈では分かる。
「それは……でも……っ」
『いいですか、アカリさん。僕は池崎を信じています、それは憶測や願望ではなく合理的な思考から、生きている確率が高いと考えるからです。ですが万が一、仮にです。既に死んでいたとしてもです。あの男が何の布石もなく死ぬとは思えません。あなたとの冒険、あなたとの記憶の中で必ず蘇生できる道、手段を講じている筈でしょう。このまま世界を終わらせてしまったら、それを拾うことなく全てが終わってしまう。違いますか?』
ヤナギさんの声を噛み締めて。
あたしは、ふぅと息を吐く。
たしかに、その通りだった。
……。
てか。
たしかに、あの男がそう簡単に死ぬとは思えない。
極端な話、死んでいるのだとしたら冥府から連絡が来ていても不思議ではない。
なんか、さっきまでの取り乱していたあたし……。
めちゃくちゃ恥ずかしいのではないだろうか。
あたしは言う。
「ごめんなさい、取り乱したわね――」
『いえ、あんな男でも仲間です、彼を心配してくれて、感謝していますよ』
そこまで言って。
ふと彼は考えをそのまま口にするように、言葉をつなげた。
『それにしても、驚きました。あなたでもこうして弱い所をみせたりするのですね。少し安心しました』
あたしはジト目で言う。
「って、なによそれ」
『どれほどに知識や魔力、力があったとしてもまだ庇護対象となる存在。ああ、あなたはまだ守るべき女子高生なのだなと、教師として、強く自覚をさせられたのですよ。悪い言い方をすれば、御しやすいおこちゃまだと分かったからとも言いますがね』
ニワトリの口から渋いが、落ち着く声音が漏れていた。
……。
いや、守るべき女子高生って、言葉にするとすごいことになってない?
そういう趣味的な。
てか、そんな恥ずかしい事を口にできるの、凄いわよね。
この人。
本当に……あいかわらず、変な人である。
「まさかこのあたしをおこちゃま呼ばわりとは、ねえ。あなた、今のをもしうちのお父さんが聞いてたら。肉球で地面を割って爆笑してたわよ」
言い返したあたしの頭に、羽毛が触れる。
翼を伸ばしたヤナギさんが、あたしの頭を撫でたのだ。
『おこちゃま、こども。まだ感情を制御できもしない生徒……』
「悪かったわね!」
『何を言っているのです――子供であることが悪いことの筈ありませんよ。もしあなたが大人だったら、きっと反省も悩みもしないであのまま暴走していたのではありませんか? けれど、そうはならなかった。僕の言葉に耳を傾けてくれました。ああいう場面で、大人はなかなか立ち止まれませんからね』
穏やかな顔と声で。
ヤナギさんが言う……鶏だけど。
『僕はその時に確信しました、あなたはきっとまだ成長途中の子ども。口汚い言い方をすれば、見てやらないといけない面倒なガキ。っと、これは言い過ぎですかね。ともあれ、あなたがまだ道を探している途中の生徒なのだと。そう思えたら、なぜでしょうね――本当に安堵したのです。僕にもこの感情が理解できませんが、悪い感情ではありませんね』
いわゆる教師の庇護欲。
というやつだろうか。
「あら、公安さんは嫌々教師をやっていると思っていたけど、案外天職だったりするのかもしれないわねえ」
『生意気な生徒ばかりですけれどね。それでも一度引き受けた以上は、前向きに物事を考えます。それが僕たち、大人ですから』
告げて、ヤナギさんはタロットを翳す。
ロックおじ様と連絡を取るつもりなのだろうか。
まだあたしは子どもだから。
立ち直りも早い!
落ち込んでも、復帰が早いのも子どもの特権!
「とりあえず、こいつをなんとしてでも捕縛。自爆を誘発させないように、拘束するわ」
『了解です。手段はあるのですね?』
……。
「ま、なんとかなるでしょう!」
『あなたを信じますよ。池崎と同じくらい、僕はあなたを信用していますから』
普段はいがみ合ってるくせに。
ったく、やっぱりいいコンビなんじゃない。
せっかくこっちはニワトリさんとイイ感じなのにだ。
空気を読まない金髪男の声がする。
「茶番は終わりでしょうか?」
「お生憎様、神父。あなたの敗北っていう茶番は――これからよ」
よっし、嫌味も絶好調!
あたしは相手よりも余裕をアピール!
勝利の笑みを浮かべていた。