第五十八話、異能力:《ザ・フレンドリー》
黄昏時の学校の廊下は、どこかが物悲しくて。
あたしたちの影をぼんやりと、伸ばしていた。
ジャラジャラと、たくさんの思い出のグッズをつけた学生カバンを肘にかける少女。
沢田ちゃん。
そのかばんの中には、魔力で増強された爆弾が感知できる。
ゴテゴテしたネイルを輝かせ、夕焼けに輝くリップに爪を当て。
彼女が言った。
「つーかさあ、アカリっち。なんであーしの事、覚えてるわけ?」
「いや、さすがに沢田ちゃんみたいな滅茶苦茶に存在感の濃いのを忘れろって方が……無理じゃない?」
いつもと変わらぬジト目のあたしも可愛いわけだが。
沢田ちゃんはムッとして。
「っかしーわねえ、アカリっちはあーしの異能で友達になったっしょ? あーしが異能を解除すれば、今までの事は全部忘れて、思い出せなくなる筈っしょ? なーんで! 覚えてるのさ!」
これだからファンタジー素人は困る。
「あのねえ、あたしのレベルをいくつだと思ってるのよ。そっちの異能力……たぶん、誰とでもいつのまにか友達になる能力? かしら? 精神を操作する系の魔術に分類されるわけだし、レジストできるに決まってるでしょうが」
「レ、レジスト!? なんよ、それ! ずるくない!?」
そう。
沢田ちゃんはおそらく、いつのまにか終わっていた学校へのテロ事件の時にいつのまにか忍び込み。
いつのまにか、学校の生徒となり。
いつのまにかあたしの友達になっていた。
鑑定能力名は、《ザ・フレンドリー》。
文字通り、相手の心を操作し親友と思わせ、齟齬すら感じさせず仲間と認識させる能力である。
魔術として考えても、高位魔術となるだろう。
が――。
所詮はレジスト判定の対象内。
あたしに効くはずもない。
沢田ちゃんが学校生活を演じていた時と同じ顔で、くわっと唸る。
「ていうか! 効いてなかったなら! なんであーしと一緒に遊んでたのよ!」
「いやあ! あたしもギャルっぽい娘のセンスを学びたかったしさあ、それに話してみれば結構いい子だったし? 友達が増えることは悪い事じゃないし? なにより、沢田ちゃん。たぶんあたしのチャンネル登録してくれてるっしょ?」
そう、何よりも重要だったのは、それ。
この娘! アカリンちゃんねるを見てくれてるのよね~♪
「そ、それは! アカリっちを騙しやすくするためにアカリンちゃんねるを勉強してただけっしょ!」
「どんな理由であれ、あたしの事を知ってくれたのは嬉しいのよ。あんたと話してると楽しいしね」
少なくとも。
いつのまにか始まっていたあの日の出会い。
綴られることのない、あの日のこの娘の泣きそうな顔は、あたしの記憶の中には残っていた。
異界の姫と知っていて。
おそらく、残酷な一面もあると知っていて。
この娘はあたしに異能を仕掛けたのだ。
上目遣いに、恐る恐る。
フレンドリーの効果が発動していたかどうかを眺める彼女の顔は……。
間違いなく……守ってあげないといけない、怯える少女の顔だった。
さて、ここからが本題か。
あたしは声のトーンをわずかに変え、髪を赤く染めていく。
サディスティックな姫、赤雪姫の姿へと変貌したのだ。
ここは学校というダンジョンの中だから、むろん、この形態にもなれる。
あたしの声が廊下に響く。
「それで、そんな物騒なモノを持ってきたって事は、あなた――どこかの組織に雇われてるって事でいいのかしら?」
「ちゃうわよ、単に個人的な恨みっしょ」
へらへらっと告げて、彼女は見慣れたタブレットをカバンから取り出して見せる。
それは上司を悪魔竜化させた極道達も持っていた、魔術と機械の合成品。
あたしの眉が微かに跳ねる。
「そう。あなたもペスと一緒で、誰かに感情を利用されたのね」
「もしかしたらもう分かってるん? まあいいけどねえ~」
彼女の目的は、自分を誘拐したあの組織に復讐することか。
そこを利用されたと判断できる。
「あーしがあの糞みたいな連中に拉致された時は十歳の頃。拉致されるときにお母さんは殺されて、お父さんはいまだに行方知れず。あーしはどこかの海外に売られて、そこで異能力者として働かされていた」
ホークアイ君のお父さんに、買われたのだろう。
「でも、ほら。あーしって便利な異能力をもってるわけっしょ? だから、そこまで酷い生活じゃなかったわ。でも、パスポートとかお金とか、そーいうのがないと帰れないし。途方にくれたんだけどさ?」
沢田ちゃんは、タブレットを起動させ。
複雑そうな顔で、その液晶を眺めていた。
「そんな時にね、このタブレットが届いちゃったんよねえ」
ペスの時と経緯も似ている、か。
悪魔竜化アプリの犯人と同一人物だろう、そういった心の隙間を察知する能力があるのだろうか。
異能であるかどうかは分からないが。
こうやって捨てても問題のない手駒を使い、暗躍。
何かを起こそうとしているとみるべきだろう。
「沢田ちゃんは話を持ち掛けられ、それに乗った……ってことか。んじゃあ、そいつの行動目的とか理由とかも知らないっていう、いつものオチね」
「あはははは、悪いわねアカリっち、そーいうことっしょ! あーしはここでこの爆弾と、この憎悪と一緒に、吹き飛んで消えるわ。それが名も知らない親切な人との契約。魔導契約っつーんでしょ? 全部、この日、この瞬間のために――今のあーしは生きてきた」
つまり。
自分が使い捨ての駒だと分かっていても。
利用されていると分かっていても、為したいことがあったのだろう。
「復讐ってさ、自己満足だとは思うのよ? あーしもね? でも、チャンスを得ちゃったら活かさないのは違うっしょ? だから――」
明るいギャルの仮面を投げ捨て。
彼女は言った。
「殺すわ。あの男を。あたしの人生をめちゃくちゃにしてくれた、金持ちオイル野郎をね」
憎悪は確かなものだった。
そう、彼女――沢田ちゃんはあの事件の関係者。
石油王に買われた犠牲者の一人なのだから。
「あーしね、日本に戻って家に帰ろうとしたわ。でも、そこにあったウチはもう無くなっていて、これが現実なんだって分かっちゃったのよ。それまではね。もしかしたら、日本に帰ったら、お母さんとお父さんが待っていて。お帰りって言ってくれるんじゃないかって思ってた。でも違ったの。やっぱりお母さんはあたしを守ろうとして、殺されてて、お父さんもそのままきっと殺されてて。あたしのせいで、みんな死んじゃったのっ、死んじゃったのよ。アカリ!」
叫びが、廊下に響き渡る。
これが。
ホークアイ君のお父さんも結果として加担することになった、異能力者誘拐組織の犠牲者の声。
思い出も、日常も壊された被害者の慟哭。
あたしは事件の始まりの裏にあった、父性愛を見た。
けれど、これもまた事件の裏側にあった怨嗟の声。
けして目を背けてはいけない、現実なのだ。
あたしは彼女の悲鳴を噛み締めるように、瞳を静かに閉じ。
告げた。
「そう……、分かったわ。それじゃあ気を付けてね」
「って!? ちょちょちょ! アカリっち!? 止めに来たんじゃないの!?」
ずっこける沢田ちゃんの指先、夕焼け色を浴びるネイルにあたしの顔が反射していた。
そこには異界の姫としての顔をもつ、皇族がいる。
赤雪姫は言う。
「あら、おかしなことをいうのね、だって――話を聞く限り正当な復讐でしょう?」
「そ、そうっしょ!?」
距離感が掴めないでいる彼女に。
あたしは悪友の顔で、淡々と告げる。
「なら、いいじゃない。異能力者誘拐組織に誘拐されて、その組織を間接的にとはいえ育てた石油王を恨むのは当然だわ。殺されて当然と思う人もいるでしょうね。実際に、人身売買であの人に買われたのならなおさらよ。あなたにはその権利があると、あたしにも思えるもの――他の人も巻き込んで爆弾を使うなら止めるけど、そうじゃないなら止める必要もないわ」
告げてあたしは、赤髪を広げ。
キラキラキラと赤と白の魔力を、雪の結晶のように散らし。
コツンコツン――と、偽りの友に向かって歩み寄る。
「でも、そうね。友達としてあなたに加護を与えるわ。その爆弾じゃあ、あの親子を殺せない。だって、一人は暗黒神話の流れを汲んだ混沌の魔猫とも呼べる貴公子の部下、もう一人は正当なる神の血族と言えるあたしと共に冒険をした者なのですから。だから――」
あたしは彼女の顔先に、ぶわっと顕現し。
慈悲に満ちた顔で微笑する。
そっとカバンの中に手を翳したのだ。
「な、なによ、今のは!」
「あなたの爆弾を強化してあげたわ。それなら確実に、あの親子だけを殺せるはずよ。他の人を巻き込まないで、あなたも死なないで済むあたしの特注品。全てを終わらせるための魔道具。ああ、マジックアイテムと思って頂戴。それを中に投げ込んで起動させれば、はい、そこで終わり。あなたを苦しめる原因の一つを作った親子の物語はここで終わるわ」
復讐を果たせる凶器を渡し。
立ち去ろうとするあたしの背に、声が響く。
「アカリっち! あんた、自分が何を言っているのか分かってるの!?」
「当たり前でしょう? なに? 何か問題でもあるの?」
ちょっと辛辣に言ってやる。
顔をぐしゃっと年相応の少女のように、崩し。
沢田ちゃんは叫んでいた。
「殺せって言ってるようなもんじゃない!」
あたしは異界の姫、異邦人としての顔で魔力をキラキラ揺らしながら。
そっと胸元に指を当て、静かな声で語る。
「そうかもしれないわね。でも、それのどこがいけないのかしら? 赤穂浪士といったかしら、忠臣蔵の復讐劇。それって今でも語り継がれているじゃない。復讐は美談、後世で綺麗な物語として語られることも多いわ。もちろん、批判や否定意見もセットで語られるでしょうけど――それでも一つのエンドですもの。原因となった彼らは罪を少しでも償って、物語は死をもって終わりを綴る。それが彼らの結末。彼らが受け入れているのなら、あたしが口を出すことじゃないわ」
沢田ちゃんの瞳が揺らぐ。
言葉が遅れてやってきた。
「――え……?」
「もしかして、気づいていないの? たぶん、御曹司……あたしたちに気付いてるわよ」
そう。
彼女は叫んでいた。
大きな声で、心から――”叫んでいた”のだ。
その声は保健室の中にまで聞こえている筈。
なにしろ彼は音波の異能力者。
昔から、聞きたくない事さえ聞こえていたのだから。
それでもホークアイ君は何も動きをみせていない。
それで犠牲者の心が少しは救われるのなら――父と共に罪を抱いてこの世から去る、そういう選択を選んだのだろう。
親の罪を子が背負う必要はない。ましてや押し付けるなんて、愚かなことだとあたしは考えている。
けれど。
逆にだ。親の罪を背負う自由もある筈だと、そう思う。
親のために子が死ぬ。
それはとても悲しい物語だ。
それでもあたしには、彼が選んだ決断を止める権利はなかった。
国際問題になろうが、生徒同士の殺し合いとなろうが、それを止めなかったあたしが皆から責められようが――関係ない。
あたしはあの事件で傷を負った者達の物語を、観測するだけ。
肩を震わせる少女が言う。
「ねえ、アカリっち……あたし、どうしたらいいの」
「それはあたしが決めることじゃないわ」
突き放しとも取れるあたしの言葉に。
沢田ちゃんはぎゅっと、唇を噛んで。
「ねえ、お願い……っ。教えて、アカリ! ねえ! どうしてあの親子はっ、惨めに命乞いをしてくれないのよ! あたしを守ろうとしたお母さんが、アスファルトに頭をこすりつけて縋ったみたいにっ、もっと惨めに、無様にっ、死にたくありませんって泣きわめいてくれないのよっ!」
その言葉全てが、保健室の中で死を待つ彼には聞こえている筈だ。
それはおそらく、罰となって。
一生……、彼の心に傷をつけるだろう。
これくらいで、いいだろう……か。
あたしは言う。
「つまり、あなた――まだ迷っているのね」
「そうよっ……だって、人なんて、殺せるわけないでしょうっ」
自分も一緒に爆弾で死ぬ。
それならまだ行動できたのだろうが、あたしはあえて、その道も絶っていた。
あたしは泣く彼女を抱きしめて、その異能を解析する。
赤い瞳に、青い魔術式の光が走る。
異能を、解析。
解析、解析、解析。
《ザ・フレンドリー》をあたしの魔術として昇華させ。
あたしは言った。
「助けて欲しいとあなたが願うのなら、あたしはあなたに手を差し伸べるわ。けれど、あの親子は死ななくなる。あたしはあの親子をこの手で殺すつもりはないもの。それでもいいのなら、願いなさい。祈りなさい、心に思い浮かべなさい……そうすれば、あたしがあなたの願いを叶えてあげる」
スンスンと真っ赤になった鼻をすすり。
沢田ちゃんは、言った。
「助けて……アカリ……。助けてよ、アカリィィ」
「いいわよ。それがあなたの望む結末ならば――あたしはあなたの願いを叶えるわ」
言って。
あたしは異能を発動する。
いつの間にか友達になっている能力を解析し、利用し、応用し。
光が、夕焼けの中で泣く犠牲者の少女の身体を包んでいく。
あたしは黒髪のいつもの美少女に戻り。
そして、指を鳴らす。
「異能解放:終わるあなたの復讐譚」
それが合図。
魔術は発動されていた。
彼女の中から、復讐の物語が一時的に抜かれていく。
あたしの腕の中で泣いていた少女が、瞳を開ける。
「あ、あれ!? ちょちょちょ! なによアカリっち! いきなりあーしをぎゅっとしてて! マジびびるんすけど?」
そこには、初めからあたしの友達だった少女がいた。
そう。
あたしは、《ザ・フレンドリー》の力を使い、彼女の中の記憶をわずかに弄ったのだ。
あたしと沢田ちゃんは友達。
そもそも異能力をレジストしていたのだから、本当に、友達になれていたのだとあたしは思う。
だから。
何もなかったことにして。
あたしははぁ……と呆れ顔で。
「沢田ちゃん……あんたねえ! どーせダイエットしたいからって、今日、お昼抜いたんでしょ? いきなり倒れたから、こっちがビビったんだから!」
「うわ、まじ!? ご、ごめん! 今度、マック奢るから許してニャン!?」
「それ、アカリンのお決まりの許してニャンでしょ……? 学校でいうのはやめてくれる? まあ、他校だからまだいいけど」
あたしのセリフに周囲をキョロキョロ見て。
何も知らない、忘れてしまった沢田ちゃんは言う。
「って? なによここ」
「あたしのお兄ちゃんの学校よ?」
「マジ!? アカリっちのお兄ちゃんなら、絶対イケメンっしょ? どこよ! どこ! イケメンハンターの血が騒ぐっしょ!?」
明るい彼女を見て、あたしは苦笑し。
「はいはい、分かったから。今度紹介するから、行くわよ」
「約束だかんね!」
言って、沢田ちゃんは爆弾が消えたカバンを肩越しに背負って。
一瞬、保健室を振り返る。
きっとあそこには、全てを受け入れた親子の姿がある筈。
忘れてしまったはずなのに。
どこか心の奥の方で、覚えているのだろう。
気付かぬふりをして。
あたしは言う。
「どうしたの? 沢田ちゃん」
「ううん、なんでもないっしょ!」
復讐を忘れた少女が微笑む。
あたしは彼女を家へと送ることにした。
森のレストランは……まあ、後でいいか。
と、あたしはしばしステーキの味を思い出しつつ、我慢我慢。
黄昏に包まれた、音のない空間。
誰もいない静かな廊下を歩きだした。
◇
泣いたせいで崩れたメイクを直しに、化粧室に入り込んだ沢田ちゃん。
その待機時間に、黄昏の影が蠢き始める。
そこに現れたのは三柱の、クロシロ三毛の魔猫。
大魔族。
シュヴァルツ公爵、ヴァイス大帝、ドライファル教皇。
夕焼けの灯りを吸った獣毛が、ぶわりぶわりと揺れている。
三魔猫だった。
いつものように代表し、黒猫なシュヴァルツ公が頬のモフ毛を揺らす。
紳士な声を漏らしたのだ。
『お嬢様、よろしかったので?』
「よろしかったって、何がよ」
『てっきり復讐を果たさせてやるものだとばかり――』
まあ、そういう選択もあっただろうが。
「彼女はあたしに助けてって言ったわ。どう助けろとは言われてない、だから、あたしのやり方で救っただけよ」
答えに満足したのか。
ぶわぶわぶわっと黒毛を膨らませ、シュヴァルツ公は恭しく礼をしてみせる。
『お嬢様は、成長なさいましたね――』
真にあたしを想う、家臣としての言葉である。
一応、認められているという事なのだろう。
ま、まあステーキソースが口の端にべっちょりしてるのは……見なかったことにしよう。
ヴァイス大帝が言う。
『姫殿下――あの少女の今後の暮らしなどについて、ヤナギ様と二ノ宮様と相談してまいります。こちらで動いて宜しいでしょうか?』
『偉大なる三獣神、神鶏ロックウェル卿様にはワタクシから仔細、伝えておきましょうぞ。石油王の親子についても、我らの方で……どうか、今宵はこちらの事を気にせず。あの少女についてあげてくださいませ』
続いて恭しく告げ、慈悲をみせるドライファル教皇の言葉にうなずき。
あたしは皇族としての声音で言う。
「そうね――ありがとう。後の事は任せてもいいかしら?」
『御意』
『全ては赤き魔猫の異界姫様、貴女の御心のままに――』
許可を出したあたしに、三魔猫は従者としての礼を残し。
ざぁっぁぁっぁぁぁ。
影の中に消えていく。
化粧室からでてきた沢田ちゃんが、不思議そうな顔をして。
「どったの、アカリっち?」
「ううん、なんでもないの。んじゃ、帰りにマックでも寄ってこっか?」
「うわ、アカリィ……いきなり奢れってこと? まあいいけどさあ」
もしいつか。
彼女がまたあの復讐の物語を続けたいというのなら。
あたしはその物語を彼女に返すのかもしれない。
けれど、今、助けて欲しいと願った彼女は……こうして笑っている。
今はそれでいいと。
あたしは思う。
「ほら行くわよ、沢田ちゃん!」
明るい声で。
あたしは微笑んだ。




