第五十七話、忍び寄る影の正体
気配察知も天才級のあたしも、さすがに驚き飛び跳ね。
仰天して。
背後から掛けられた声に、振り返る。
黒髪がバサっとなった先にいたのは、一人の青年。
「お、お兄ちゃん!? いきなり影から出てこないでよ!」
「悪かった――」
眠そうに告げた彼は、普段の月兄。
長身痩躯だが、ちゃんと筋肉もついている超がつくほどのイケメンさん。
黒豹を彷彿とさせる、無口でクールな黒髪美男子である。
前髪で目を隠しているのは、チャームの能力が強力過ぎるから!
という、なんとも年頃の男子が聞いたら、めちゃくちゃ嫉妬しそうな理由であるが。
ともあれだ。
人間としての部分を前面に出している、お兄ちゃんである。
あたしが、人間部分を前面に出したこの黒髪モードと。
魔の姫で、ちょっぴりサディスティックな赤髪モード。
あと、一番強さとしては強力な猫モードを使い分けるように、月兄もこうして使い分けが可能だったりするのだ。
「で、どうしたのよいきなり」
「ペスの調子を確認――最終チェックの最中に、アカリに見せに行くって……飛んで行ったから。追いかけてきた」
ははーん!
あたしはペスを抱き上げ。
お腹に顔を当て、にひり!
「そっか、そっかー! あたしに早く見せたかったかー、ペス~!」
『ふ、ふん! べ、別にそんなのではないのだぞ! 我の偉大さを知らしめるには、まずはキサマからだと思っただけだわ! 調子に乗るでない!』
ツンデレさんなペスは、口ではそういうモノの。
ビーグル犬の垂れた耳をぴょこぴょこ♪
あたしに抱き上げられ、まんざらではない様子である。
月兄が腕を組んだまま、むぅ……。
ちょっと困った顔できらきらオーラを出しつつ前髪を揺らす。
「アカリ……人の話聞いてた? ペスを確認、したいんだけど」
「あははははは! そうだったわね、はいペス~。ちゃんと見てもらうのよ~」
『ふん、とくとみるが良い! 我が偉大さと、かわいさを、な!』
兄は眠そうな眼で、ペスはふふんと首周りの毛をドヤらせ。
観察を続ける兄が言う。
「ほとんどは俺の計画通り、だった。けれど――全部じゃない」
あたしは、ん? っと息を漏らし。
「ああ、あたしたちの話の続きね。で? 結局どこまで計算だったのよ。最終目標が人間の蘇生じゃなくて、ペスの肉体再構築だったんでしょってのは、理解出来ちゃったけどさあ」
「だってペス。あのままだと、うん。食事もしにくそうだった……」
慈愛に満ちた笑みを唇に刻んだせいか。
遠くで、どさ!
女生徒猫の倒れる音が聞こえる。
チャームの範囲が拡大されたのだろう。
歩く魅了装置だな……っと呆れる池崎さんの声を聴きつつ。
あたしが言う。
「ロックおじ様もそうだけど、お兄ちゃん……。正直さあ、どこまで読んでるのか計算なのか分からないから。巻き込まれてる時ってちょっと困るんですけど?」
「仕方ない。語るだけで、世界は変わる。見た瞬間の未来から、変動する。特にアカリ、おまえは――その暴走、いや、違う、破天荒。これも違う。もっと違う言葉がある筈……」
ペスが言う。
『お転婆ぐらいだと、まあ棘がないのではないか?』
「そうだね――ペスは、偉い。そう、アカリはお転婆だから、未来を読みにくい」
全部あたしの前で言ってたら……。
意味ないじゃん……。
ともあれあたしは、ふふんと妹の顔で言ってやる。
「それで、読みにくいあたしを関わらせた未来視はいいんですけど? 目的はペスの肉体再構築計画だけってわけじゃなかったんでしょ? 隠されるのは嫌いなの、言える範囲でいいから言ってよ! お兄ちゃんの義務でしょ!」
「お兄ちゃん……の義務」
兄は身内や家族といった単語に弱いのだ。
むふーっとちょっと喜んだ様子で、兄の無口な唇が動く。
「だいたいは、計画通り。ペスはこうやって、一緒に散歩しやすくなったし。ロック師匠も呼ぶことができた。あと……ついでに、あの事件の犠牲者の蘇生もすすむ――」
や、やっぱりあくまでも犠牲者の蘇生は脇道。
つ、ついでなんだ……。
お兄ちゃんだしなあ……、ネコが関係のない人間の蘇生をするってだけで、かなりの温情なのは確かなんだけど。
「でも……アカリ。ひとつだけ、完全に狂った計画がある」
チラっとイケオジ未満に目をやり。
月兄は、無言のまま黙り込んでしまう。
池崎さんが眉を顰めて、はぁ……っと露骨なため息で迎える。
「おいおい、もう誤解だって分かってるだろうが」
「それでも、あの時……俺は本気で消そうとした。なぜ、生きているのか。不思議」
なかなか物騒な事を言っているが。
気にしない。
「なるほどねえ、お兄ちゃんの計算では――あたしを狙う変態な池崎さんの事を、本当に始末する予定だったってわけね。しかし、確かに――実質ロックおじ様に妨害されたとはいえ、月兄が仕留め損なうなんて珍しいわね」
「まあ、正確に言うなら……狙ったのはこの男じゃなくて、ヤナギって男だけど――」
告げて月兄は、獲物の様子をうかがう豹の顔で。
じぃぃっと池崎さんに目をやる。
「この男――、ほんとうに……普通の人間?」
「おまえら……鑑定の能力があるんだろ……? ちゃんと人間って刻まれてるはずだぞ」
「ステータス。ノイズがある……。なにか変なモノとか、食べてない?」
思い当たることがあったのか。
池崎氏。
あたしを睨んで、いつもの嫌味な口調で。
「あー、なるほどなるほど。たしかに、どっかの女子高生様に、魔竜の炭を食わされましたから――なあ? 異界の姫君様よ」
う……っ。
そ、それは……。
「そうか、魔竜の肉を食べた人間……か。あれは禁忌だったはずでは?」
「禁忌だったんだとよ、お姫様?」
いつまでも、クドクドクドクド!
ええーい、もう三十もそこそこ過ぎているんだから!
ねちっこいのは嫌われるわよ!
「すまない。アカリがまたやらかしてたのか……兄として、謝罪する」
「納得しないでよ!」
「じゃあ、違うのか――?」
ち、ちがわないけど……。
目線を逸らすあたしの頭をコンと突き。
お兄ちゃんは一瞬だけ銀髪赤目の、魔としての側面を前に出し。
『改めて、謝罪はしておく。すまなかった――人間よ。ヤナギという男の事も、俺の勘違いだとは分かった。けれど、池崎……さん、だった?』
「おう、池崎だ。オレになんかあるのか」
銀髪の隙間から赤い瞳を、ギラっと輝かせ。
ロイヤルオーラをペカー!
覇気すら含んだ声で、その唇が凛々しく上下していた。
『今回の事は詫びよう。だが……もし、妹に手を出すつもりなら――話は別。今度は間違いなく、消す。言いたいことはそれだけ』
物騒なことを言って。
兄はしゅるりと猫の姿に戻り、灰色の身体でテクテクテク♪
闇の中へと消えていく。
当然、歩く魅了装置なので今の殺意宣言にもキャーキャー響いた黄色い声。
男女問わず、ネコちゃんがバタバタバタっと目をハートにして倒れてしまったが。
いちいち、気にしていられない。
だって、月兄だもの。
「お兄ちゃん、言いたいことだけ言って……消えちゃったわね」
影に溶けていく肉球アンヨを眺め、池崎さんがブスーッとした顔で。
「おい、おまえさんの兄貴……またなんか勘違いしてねえか」
「んー……月兄だからなあ……」
学校の廊下に取り残されたあたしたちは、何とも言えない空気となっていた。
新しい肉体となったペスも眉を顰め。
『あやつ、シスコンというやつか。少々思い込みが激しい所があるからのう……』
「そうね――あたしが池崎さんとどうこうなるわけないのに」
げんなりと漏らすあたしの言葉にうなずき。
池崎さんがペチペチとあたしの頭を軽く叩き、わはははは!
「ったく、成人もしてねえガキに――そんな気がおきるわけねえのにな。せめてあと五年は経って来いって話だわな。なははははは!」
カチン!
子ども扱いもそうだが、それよりも!
人前で、ペチペチするなー!
「そうねえ! イケオジにもなってない中途半端な男が、偉そうに選ぶ立場になれるわけないわよねえ! デリカシーもないし、レベルも千で止まってる弱々君だし。せめてあと五年は凛々しくなってから、出直してきなさいって話よねえ!」
こちらはこちらで新たな火種が燻っていたが。
とりあえず。
あたし達は場所を変え、ホークアイ君を待つことにした。
レストランにいるだろうロックおじ様と話したいこともあるし。
ヤナギさんと二ノ宮さんに事情も説明しないといけないし。
三魔猫とも合流したい所なのである。
というわけで、あたしは森のレストランへ向かう事にした。
別に、ステーキ目当てではない。
だが、その前に。
あたしは言った。
「ちょっと悪いんだけど、先に森のレストランへ向かってて。あたしはあたしで、保健室に用事があるから」
「ん? そりゃ構わねえが。一人でいいのか?」
「うん、あたし一人の方が都合がいいの――だから、ペスを頼めるかしら?」
あたしの真面目な口調に気付き。
池崎さんは優しい微笑を頬に刻む。
はらりと垂れた前髪を揺らし。
男は存外に、渋く凛々しい大人の声を出していたのだ。
「しゃあねえな。おまえさんがそういうのなら……何をするのか知らねえが、気をつけろよ」
こういう時はちゃんと信用してくれるのね。
なんか、まあ、そういうところがこの人のいい所なのだろう。
あたしは笑顔で返していた。
◇
誰もいなくなった保健室の前。
御曹司がページをめくる音が響く、静かな廊下。
あたしは言った。
「というわけで、もう出てきてもいいわよ」
「ありゃ、どーいうこと? もしかして、アカリっち、あーしに気付いてたん?」
そこにいたのは、沢田ちゃん。
いつのまにか一緒にお昼を食べる仲になっていた。
クラスで一番ギャルっぽい、クラスメイトである。
敵意を向けずに。
あたしは言う。
「そりゃあね。ああ、でも話をする前に。お願いがあるのよねえ。いいかしら?」
「アカリっちがあーしに? なによ」
ゆったりと瞳を閉じて。
それを見ないようにして。
「その手に握っている爆弾を、あたしには見せないで欲しいの。もし、見ちゃったら、止めないわけにはいかなくなるから」
彼女の能力の、見当はついていた。
おそらく、石油王がかつて息子に自慢していた力。
いつのまにか、友人になっている……。
そんな。
諜報向きな異能力である。
冷たい廊下を、夕焼け色のオレンジが覆い始めていた。