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第五十六話、ミミズの体液がぶじゅっとなって、ぶしゃ!



 魔導書の中から帰還。

 現実世界に戻ったあたしは、魂が魔導書化されベッドに寝ていた猫守衛さんに目をやった。

 看病するように座っていたのはホークアイ君。


 ここは既にダンジョンの外のようだ。

 とはいっても、魔猫学園の中であることに変わりはないが。


 この部屋にいるのは、親子だけ。

 さすがにちょっと怒っているようだ。

 鷹の瞳が、もの言いたげな目であたしを睨んでいた。


「異界の姫君よ――」

「分かっているわ。突然説明もなしにしたことは謝るわ」


 必殺!

 素直に頭を下げる攻撃である!

 異界のファンタジー美少女が、本気で頭を下げる姿。

 これはかなり効果があると、あたしはちゃーんと知っていた!


 しゅんっと猫耳と尻尾を下げるように、髪を下げ。


「ごめんなさい、悪い癖だって自覚はしてるんですけど……止められなくて」

「あ、いや――その。参ったな……」


 案の定、ホークアイ君はキラキラと赤い魔力を輝かせるあたしに目を奪われている。

 ふっふっふ!

 これぞ美少女の特権である!


 が――。

 誤魔化しに成功しかけていたあたしに襲ったのは、タバコの香り。

 池崎さんが頭を下げていたあたしの頭を、軽くペチペチしていたのである。


 親戚のおじさんみたいな顔で、イケオジ未満が言う。


「こいつも悪気があったわけじゃねえんだ、大目にみてやってくれや」

「まあ……あなたがそういうのでしたら――」


 こ、こいつ。

 池崎さんの言う事ならちゃんと聞くでやんのっ。

 まあ頼りになる大人判定されているのだろう。


 チラっとこちらに一瞬だけ。

 ドヤァァァァァ!

 無駄に決め込んだ、ドヤ顔をしてきたイケオジ未満を、華麗にスルー!


 突っ込んだら負けである。

 無視されて、頬をヒクつかせる彼をもう一回スルーして。

 あたしは御曹司ホークアイ君に例の魔導書を差し出す。


「それじゃあ、これをあなたに渡しておくわ」


 御曹司が長い腕で受け取り、眉を顰める。


「異界の姫君よ、これはいったい」

「あなたのお父さんの人生を綴った物語よ。これを寝ている彼に重ねればちゃんと目覚めるわ」


 しかし。

 彼がそれを実行する前に。


「けれど――その中にはあなたのお父さんが今まで感じていたこと、心の中が書いてあるわ。どうして、誘拐事件の片棒を担いでいたか、狂気に囚われてしまったのか。あなたのお父さんの視線から見た、物語が刻まれているのよ」

「物語……?」

「ええ、あたしの異能は他者を魔導書化させること。その応用よ」


 重厚な父の本の表紙を眺めながら、彼が言う。


「そのような異能力、聞いたこともないが……」

「当たり前でしょう? あたし、異界のプリンセスよ? 下々の異能力と比べて貰っちゃ困るわ! なーんてね♪ 今のは冗談だけど、その書をお父さんに返す前に読むこともできるから」


 ウインクをして、あたしは赤い髪を妖艶に靡かせ。

 異界の皇族としての声で、荘厳な空気を纏い告げる。


「もしあなたが――このまま父と袂を分かつつもりならば、読まずに戻しなさい。あなたはあなたの父と完全に外れた道を歩むはずだわ。たぶんもう、二度と会う事はないでしょうね。それも人生、運命ならば仕方がないのかもしれない。絶縁という形で親から巣立つことも悪い事じゃないもの、それも一つの物語なのですから」


 言葉を待つ石油王の息子をまっすぐに捉え。

 けれど、と。

 姫たるあたしの唇は、そのまま淡々と言葉を告げる。


「もしあなたが――少しでも父という存在に向ける感情があるのなら。この書を読むことを薦めるわ。その先の未来はあたしにも分からない、結果は変わらないかもしれない。けれど、想いは変わる筈よ」


 踵を返し。

 あたしは部屋を立ち去る空気の中。

 余韻と共に言葉を残す。


「あとはあなた達の問題だから。これ以上は口を出さない。けれど、きっかけは与えたから――好きにするといいわ」


 本の表紙に目線を落とした息子。

 石油王の御曹司、ホークアイ。

 母に愛されず、その埋め合わせとして父に大事にされた少年。


 その本のタイトルをなぞる指は、わずかに揺れていた。

 刻まれたタイトルは――。

 いや……これは報告書に残す必要はない、か。


 だってそれは、彼ら親子の物語なのだから。

 あたしたちはしばらく、親子を二人にすることにした。


 ◇


 部屋を出た途端。

 アリスの学園祭の空気を纏ったままの学校の廊下を眺め。

 池崎さんが言う。


「つーか、ここ。保健室だったのかよ……」

「ま、まあ魔猫学園? 学校? どっちだかは分からないけど、学校だしねえ……」


 応えるあたしも保健室の文字を見て、頬をポリポリ。


 あたしに魂を魔導書化されて倒れた守衛猫さん。

 彼を運ぶ先としては、間違ってはない。


「で、どうなるんだあの二人は」

「さあ?」

「さあって、おまえさんなあ……」


 何か言いたげだが、あたしは眉を下げる。

 いつもの黒髪美少女女子高生に戻り、肩を竦めてみせたのだ。


「言ったでしょ。後は彼らの問題よ。過去を見る力は禁術に分類されるの、禁術ほどの力があれば未来は変動する――過去の心を知るだけでも未来に新しい道ができるってことよ」

「おまえさんなら、あの親子の未来をもっと近づけることもできるんじゃねえのか」


 まあ、やろうと思えばできるだろう。

 けれど、あたしは唇をぷっくらと動かしていた。


「それじゃあただのあたしの操り人形じゃない。きっかけを与えるのと、操るのは違うでしょ? 彼らの物語に、これ以上介入するつもりはないわ」


 魔術講師としての顔であたしは静かに告げていた。

 廊下に吹く風を受け、あたしの黒髪がバサリと揺れる中。

 目の前の男は、長い指でザリっと無精ひげを擦り苦笑している。


「そういうもんかねえ。おじさん的にはだ、だったら最初っから介入しなくてもいいじゃねえかって思うがな」

「だって、あのままさよならなんて――やっぱり悲しいわ」


 別れるにしても、選択して欲しい。


 そう思うのもあたしの我がままかもしれないが――。

 猫と似た聴覚を持つあたし。

 その耳には聞こえていた。


 ホークアイくんの指が、ページをめくる音である。


 彼は父の物語を読むことにしたのだろう。

 この後どうなるか。

 どのような人生を進むか、やはりあたしには分からない。


 けれど。


 与えてあげることができなかった母の愛を補うため。

 息子に友達を作ってあげるため。

 その感情が次第に狂ってしまったとしても、根底にあったのは息子への想いだった。


 息子への贖罪。


 父としての心が全ての始まり。

 多くの犠牲者を出したがそのきっかけだけは、けして汚れたものではなかったのだと。

 知ることはできるだろう。


 あるいは知らない方が良かったのかもしれない。

 何も知らずに、そのまま親子としての縁を切った方が幸せになれたのかもしれない。

 答えなんて、ないのかもしれない。


 あたしには、分からなかったのだ。

 でも。

 あたしの行動そのものが、我がままな自己満足かもしれないという自覚もあった。


 それでも。

 こう思うのだ。


「その愛だけは本物だった。そう、彼にも知って欲しかったのかしら……あたしは」


 と。

 思わず漏らしていたあたしの言葉を聞き。

 じぃぃぃぃぃっと、ドン引きするようなジト目をして。


「お……おまえ、いきなり何くさい事言ってやがるんだ?」

「な!? くさいってなによ! 女子高生に向ける言葉として、最低ランクの罵倒よ、それ! あんたのタバコの方が匂うでしょうが!」


 しかし、思い当たることが一つある。


 あたしの中に思い浮かんでいたのは、ダンジョン攻略での事件。

 あの、長くてウネウネとしているアレと対峙したこと。

 池崎さんはあれをパンチで吹き飛ばしたわけだが……。


 とーぜん、あんな巨大なミミズを鉄拳制裁でブジュっとしたら、体液も飛んでいるわけで。

 それがかかっていた可能性は、大いにある。


 あたしは背に怒りの炎を、纏い。

 ふしゅぅぅぅぅぅぅう!


「お、おう? どうした? いきなり!」

「た、たしかにねえ! あんたが吹き飛ばしたミミズの体液が、ちょっとかかったかな? とは思っていましたが! こっちはずぅぅぅぅっと、考えないようにしていたのよ!? あぁぁぁぁぁああぁ、ミミズ、あの世界一おぞましき邪悪生物を思い出しちゃったじゃない! どうしてくれるのよ!」


 デリカシーのかけらもないイケオジ未満の腹筋を、魔力弾でブスブスつつき!

 あたしはゴゴゴゴゴ!


「あたたたた! お、おい! そんなにマジギレするなよ!?」

「言っていい事と、悪いことがあるでしょうが!」

「落ち着けって! そういう意味じゃねえって! おまえ! ミミズがかかわると、豹変して脳死モードになるのも悪癖だぞ!? そういうくさいじゃなくて、言葉が、だな!」


 またくさいと言った!

 ぐぬぬぬぬ!

 世界から戦争がなくならないのも! もしかしたら、滅びの未来が近づいているかもしれないのも! ニャンターニャンターの連載が再開しないのも!

 全部、ミミズが悪いのよ!


「問答無用よ!」


 一発、魔術でもぶち込んでやろうかと思ったその時だった。

 あたしの髪がブワっと揺れた。


 大きな魔力の流れを感じたのだ。

 廊下の角から何かが、ぐぎぎぎぎっと曲がってきて。


 ズザダダダダダダダ―――ッ!

 猛ダッシュ!


 あたしに向かって突撃してくる。

 あたしも池崎さんも気配を察知し、戦闘態勢に入る。

 が――!


『ワフワフ、ワハハハハ! どうだ、娘よ! 我のこのボディ!』

「その声は、ペス!?」


 そう、あたしに猛ダッシュで抱きついてきたのは、一匹の愛らしいビーグル犬。

 ぬいぐるみではなく、完全な生体バージョンである。

 このドヤ顔は間違いなく、ペスなのだが。


「どーしたのよ、その身体!」

『月影のヤツがな。我にどぉぉぉぉぉぉしても、肉体を提供したいと申し出おってな? 我は仕方なく、それを受け入れ、ニワトリ神の力を借り魂を移し替える儀式を受けてだな。こうなった!』


 扇風機のように揺らす尻尾を、ブフォンブフォン!

 ペス。

 舌を出してニッコリのご機嫌である。


 あたしは瞳を光らせ、ペスの肉体の魔術式を覗き込む。


「すごい……なにこれ、理論は滅茶苦茶だけど。本当にペスそのものの肉体を再構築してるわね。この短期間でできることじゃないと思うんだけど……」


 そう。

 あたし達が魔導書の世界に入っていたのは、せいぜいが一時間ぐらいだろう。

 いくらロックおじ様の力を借りたとしても、この短期間で、こんな事できる筈がない。


 事前に準備をしていなければ。


 ん?

 これってまさか――。

 ……。


 あたしの頬に、汗が滴る。


 いやいやいや、そんな筈はないだろう。

 もしそうだとしたら、色々とツッコミどころがあるのだが。

 思い浮かんだ答えを隠そうとするあたしの横。


 腹を押さえた池崎さんが、じぃぃぃぃ。

 答えを得たような顔で――。

 あたしに鋭い目線をよこしてくる。


「おい、アカリの嬢ちゃんよ。あの兄貴――未来が見えるみたいなこと、言ってやがったな?」

「い、言ってたかもねえ」

「もしかしなくとも、あの異能力者誘拐事件の犠牲者を回収して、蘇生の実験……。つまり、肉体の再構築を研究してたのってのは――全部、この犬のためだったって、オチじゃねえだろうな?」


 あらぁ……。

 やっぱり池崎さんもそう思うか。

 まあたしかに、ペスってお兄ちゃんの散歩仲間になってるのよね。


 もう家族みたいなもんだし。

 お兄ちゃん、身内となると急に激甘げきあま対応になるし。


 あたしは目線を逸らしつつ。

 スキルを発動!

 完璧に誤魔化す、天才交渉人の声で。


「ど、どーなんでしょうねえ」


 あ、しまった。

 交渉スキルに失敗した。

 あぁああああああああぁぁぁぁ! 池崎さんの基礎レベルが上がってるから、レジストされたんだ!


 池崎さんの追及が続く。


「それどころか、ダンジョンの中でのことも、全部計算だったんじゃねえか? おまえさんが暴走して、魔導書の中に入り込むことも。なんなら、あのロックウェル卿とかいうバケモノみたいな強さの神が、おまえさんに介入することまで全部読んでいて。しかもそれが、こいつ(ペス)に生前の身体を与えるために必要な準備だった。なんてことも――」


 あるわけない。

 と言いたいが。


「そ、それよりもほら! ペスのこの愛らしい顔を見て頂戴! いやあ、スヌーなんとかみたいで、愛おしいわねえ!」

『ぐはははははは! 娘よ、我を褒めても何も出んぞ! まあ撫でたいというのなら、撫でさせてやらんこともないがな!』


 薄らと口を開いて舌を覗かせ、はっはっはっは!

 あらやだ。

 ペスったら、本当にかわいい!


 あたしは褒められ待ちのペスの頭を、わしゃわしゃしながら考える。

 今回の魔猫学園の騒動全部が、お兄ちゃんの肉球の上だったんじゃないのか。

 と。


「全部じゃないよ――」


 声は背後から聞こえた。



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