第五十四話、終わる親子の物語
親子の再会は突然に――。
けれどそれは既に起こっていた事実。
父を求めて日本にやってきた異能力者の青年、ホークアイ。
そして。
その父にして異能力者誘拐事件にも関わっていた、石油王。
罪を償うためにネコ獣人化して働く石油王は何を思うのか。
息子たるホークアイもまた、どう思うのか。
親子の会話は始まらない。
何を語るべきか、互いに分からないのだろう。
ダンジョンの中に作られたキノコの椅子の上。
緊張とは裏腹――ファンシーな空間の中では、沈黙と、あたしと月兄のクッキーをむさぼる音だけが漂っている。
バリバリ♪
ズズズズズ!
なぜかジト目で池崎さんがあたしたち兄妹を睨んでいるが。
どれくらいの時が経っただろうか。
このままだと話も始まらないし、終わらない。
そう思ったのだろう。
ホークアイ君が鷹のような瞳を細め。
ようやく、動きを見せ始めた。
「父上、確認したいことがあります――」
『あ。ああ、なんだい――』
ダンジョン攻略で死を知り。
その身で何度も経験した息子が拳をぎゅっと握り。
歯を食いしばるように、父に問う。
「なぜ、なぜあなたは――あのようなことをしたのですか?」
なぜ……。
異能力者が拉致されていた被害者だと知っていて、人身売買に手を染めたのか。
そして、そのせいで死者がでていたということを知っていたのか。
良識を持っている息子には、父の享楽の理由が分からないのだろう。
感情を揺らすように、瞳の色を揺らし。
犯罪者の息子は、父の言葉を待っていた。
守衛猫……。
ネコの執事となったかつての石油王が、小さくかぶりを振る。
『もはや、何を語っても言い訳となろう――全ては、わたしが愚かな人間であったということだ』
「そう、ですか――」
会話が終わってしまう。
机を挟んで向き合う二人の距離は近い。
けれど、心の距離はどうだろうか。
視線を下げる美青年は絵になるが。
生憎とあたしの守備範囲ではない、乙女ゲームでも攻略対象にはしないだろう。
そんな彼の口から、別れの重さを持った言葉がこぼれていた。
「ご無事だったのは、嬉しいです。それだけは――本音です」
『そう、か……』
息子からの会話を拾う資格がない。
そんな空気が、守衛猫と化した石油王から伝わってくる。
それでも義務を果たそうとしているのだろう、彼が池崎さんに髯を向け。
『失礼ですが――公務員の方、ですね』
「オレか? あ、ああそうだが――」
気まずさに横を向きタバコを吹かせていた男が、ギクっと!
慌てて振り向いていた。
ったく、部外者だと油断してたわね。
『後で一時的に、元の姿で無事を知らせる連絡を政府と我が国に伝えておきます。資財はこちらの研究に必要な分を残し、息子に継がせることとなりましょう。名義もまた然り。わたしは既に死んだような男ですから。ですが、まだ息子は若い。どうかもう少し成長するまでは、あの異能力者の学校で預かっていただけませんか?』
父としてのまっとうな対応が、逆にホークアイ君には衝撃的だったようだ。
……。
この石油王、前はどんな性格だったんだろ……。
池崎さんが、顔を渋く引き締める。
異能力に目覚めた若者を保護する政府の交渉人。
《煙の魔術師》としての顔でいう。
「そりゃあ構わねえが……。御曹司を日本に滞在させる必要が、本当にあるのか?」
『と、おっしゃいますと』
「言っちゃなんだが、今の日本は異能力やこいつらみたいな糞ファンタジーが根付き始めてる国。海外はまだ、ここまで汚染が広がってねえって話じゃねえか。ここは魔境と化し始めている。正直、ここにいるよりは帰国した方が安全に暮らせると思うんだがな」
なんか、さりげなく糞ファンタジーとか言いやがった気がするが。
こ、ここは、我慢……っ。
ぐぐぐっと我慢するあたしの頭を、猫手で撫でる月兄の前。
石油王が言う。
『そもそも異能とは――なんなのでしょうか』
「そりゃ、どっかの神様が残した恩寵……まあ呪いみたいなもんだろうよ」
誰が発現させたのかを知っているイケオジ未満が――。
じぃぃぃぃっと、こっちを見ているが気にしない。
『もし本当に、そんな神がいたとして――異能を授けた神はいったい、我らに何を求めていたのでしょうか。何を授けたのでしょうか。何を、望んでいるのでしょうか。わたしには、それが分からないのです』
「おいおい、石油王さんよ――オレにそんな問答をしても意味ねえだろう」
『そう、ですね――しかしあなたがわたしと一番、歳が近いでしょうから』
歳が近いのは、まあたしかか。
イケオジ声とイケオジ未満。
優美なダンディさで言えば守衛猫さんの勝ちである。
『わたしたちの宗派では、異教の力と判断されたら――白い目で見られてしまいますからね。息子にとって、あの国は、あまり心落ち着ける場所でもないでしょう』
親としての声と顔で、彼が言葉を語り続ける。
『息子は生まれてしばらくしてから異能に目覚めました。それまでは普通の子でしたのに、全てが変わってしまった。妻は厳格な教徒でしたから……あまり、この子に愛情を捧げてあげることができなくなってしまいました。だから、色々と考えてしまうのです。異能は本当に必要だったのかと。わたしという直接的な後ろ盾がなくなるとなれば、猶更……ホークアイ、この子はきっと故郷に居辛くなってしまうだろうと』
んーむ、言葉が重い。
「なるほどな、まあ……言及はしねえが、戒律の厳しい教えなら。異能なんてもんは、悪魔の御業と思われても仕方ねえって事か」
池崎さんの目が、ちらっとこちらを向く。
う……っ。
た、たしかに。
日本だからこそ、そういう異能の力にはある程度の寛容さがあるのだろう。
しかしだ。
それこそ一神教が根強い地域だと、けっこう問題になるのかもしれない。
お父さんたち……。
世界を救うために、仕方なく異能や魔術を蒔いたみたいだけど。
そういう問題になる部分を、ちゃんと考えていたのかしら。
そりゃあ……滅ぶよりかは。
そういう問題を抱えてでも、行動した方がいいんだろうけど。
これも……まあ、難しい問題かもしれない。
手を出さなければ世界が滅ぶ。
けれど、手を出したことによって、複雑な思いをした者もいる。
――か。
あたしは異界の姫君としての顔で、顎に白く繊細な指をあてる。
お父様に相談してもいいのかもしれないけれど……。
考えるあたしをよそに、池崎さんが話を続ける。
「分かったよ。とりあえずこちらとそちらの政府に、連絡を入れるだろう? あんたがあんた自身で無事を知らせる連絡をする時に、ついでに息子の事についてもそちらさんの口から告げてくれ。なにしろ国際問題を避けたいこちらとしては、そちらの事情を聞くってのが重要だろうからな。たぶん、動いてくれるだろうさ」
国の名前が非公開。
あくまでも私的に動いているということになっているからか。
こちらとか、そちらとか、なかなかわかりにくいが。
まあ言いたいことは伝わったのだろう。
『感謝いたします』
頭を下げ。
守衛猫さんがホークアイ君を向く。
『そういうわけだ。これからおまえはしばらく、あの学校で世話になりなさい』
「はい――それで……父上は、この後どうなさるおつもりなのですか」
罪を償った後の話、だろう。
それがいつになるかなど、誰にもわからない。
それだけの事をしていたのは事実であり、兄もその点だけは、けして許したりはしないだろう。
やはり小さくかぶりを振る父親に、息子もまた静かに告げる。
「そう、ですか――」
別れの気配が生まれる。
このまま、親子はきっと二度と会うことなく、運命が離れてしまうだろう。
そんな直感があった。
親子の物語は、ここで終わり。
ジ・エンド。
もう交差することなく、互いの道に流れてしまう。
それはとても寂しい事だと感じていた。
あれほどに何度も死んで。
ようやく再会したのだ。
これはハッピーエンドかしら?
いや違う。
それって、とてもつまらないわ。
そうつまらない。
つまらないから、あたしは静かに紅茶を啜った。
紅茶の波紋を眺め。
あたしは考える。
きっと、まだこの親子の物語が続く道もある筈だと。
このままビターなエンドなんて、あたしの登場する物語にふさわしくない。
ああ、そう思ってしまったら、ざわざわする。
だって、またいつか、彼らが笑い合える日がくるかもしれないのに。
それを捨ててしまうなんて、とんでもない。
だからだろうか。
空気が変わる。
あたしの好奇心は、徐々に世界を取り込み始めていた。
月兄が、肉球の表面に汗を浮かべ始める。
『アカリ……?』
「あたしね、やっぱり知りたいわ。どうしても気になるの」
あたしの赤い髪が、好奇心に惹かれて波打ち始める。
石油王。狂ってしまった彼の心を知りたい。
だから、あたしの魔の姫としての部分が、酷く刺激されていた。
キノコの椅子の影が、揺らぎ始める。
周囲から音が、消え始める。
くすりと微笑するあたしの唇が、赤く蠢いた。
「あたし、あなたの物語に興味があるわ――」
『アカリ様……っ?』
ネコ獣人へと変わり果てた石油王に向かい、赤い視線が突き刺さっている。
あたしの視線だ。
月兄が、モフ毛を膨らませ――しかりつける様に口を開く。
『アカリ――! なにをするつもりだ』
「ごめんなさいね、お兄ちゃん。でも、駄目なの。我慢できない、あたしは知りたいわ。どうしても、知りたいの。きっと、まだルートはある筈なのよ。あたしも満足できる結末が。だから――邪魔するならお兄ちゃんでも排除するわ」
魔力が、音を鳴らす。
ざざ、ざざざ。
……。
ざぁああああああああああぁぁぁぁあぁあぁ!
キラキラキラと、雪の結晶のような魔力を散らし。
ズジャジャジャジャジャジャギギギィ!
あたしは聖剣と魔導図書館で、アリスの世界を侵食する。
本気の兄が肉球を翳す。
けれど、あたしの魔導書が兄の行動全てをキャンセルさせる。
池崎さんが慌てて叫ぶ。
「お、おい! 突然どうした!?」
『アカリの悪い癖だ――』
魔力を浮かべ始める月兄の答えを受け。
池崎さんが唸る。
「いや、あいつの話だとおまえさんが格上なんだろう!? こいつがなんかやらかすなら、止めてくれ!」
『それは普段の時だけだ――』
「は!?」
シリアスな顔で美猫顔を顰め、兄が言う。
『アカリが本気で知りたいと思ってしまったら――誰にも止められない』
「マ、マジか?」
『だからこそ、異界の大物三魔公。シュヴァルツ公、ヴァイス大帝、ドライファル教皇。父の影ともいえる腹心魔猫が常にアカリを守っている……それは監視の意味も含んでいる。本来なら、あの三匹の力を借りれば、こうなったアカリを止められるが――師匠のせいで、分断させられて、無理かも? うん、今のアカリを止めるのは……ちょっと、俺にもできない……、かニャ?』
兄はあたしを止めるのを諦めたのだろう。
既に普通のネコのフリをして、気分を切り替えクッキーを食すことにしたようだ。
池崎さんがジト目になりつつ。
「するってーと、もしかしたらだ。おまえら三兄妹で一番危険なのって、おまえさんじゃなく……」
『ああ、アカリだ。その証拠に、俺たちには見張りのネコが、ついていない、まあ、相手を殺しはしないだろうし。過去や理由を知りたいだけだろうし。このままで、いっかな……っと、俺は思う。アカリのやりたいようにやればいい』
しばし考え、池崎さんがため息を漏らし。
タバコを一服。
うがががががが! っと頭を掻き。
「だぁああああああああぁぁぁ! ったく、やっぱりおまえら兄妹は、そういうやつらだよ!」
『褒められるのは、悪い気分ではない』
兄が、うんうんと頷く中に響くのは。
「褒めてねえよ だからファンタジーは嫌なんだっての!」
シリアスブレイカーな池崎さんの叫び――。
外野の言葉を聞き流しつつ。
あたしは赤い魔力を纏って、指を翳す。
「あなたの物語、その心の中。あなたの鐘の音を――聞かせて貰うわ。いいわよね? だって、このあたしを巻き込んだのはあなたたち親子なんですもの――」
赤い魔力のドレスの中。
周囲の空気を凍てつかせ。
あたしは――詠唱を開始。
「異能発動:《ザ・カムパネルラ》~綴るあなたの鐘の音~」
異能なので、発動は一瞬。
赤き魔猫の異界姫としてのあたしが、既に魔術と異能を発動させていた。
守衛猫の魂から、一冊の魔導書が顕現する。
それこそが、石油王の物語。
彼の人生を綴る書。
守衛猫の過去。
なぜ異能力者を集めていたのか。
なぜ、あの事件の片棒を担いでしまったのか――その始まりの物語が知りたい。
そこに別ルートの道が必ずある筈だ。
だから、あたしは発動した。
石油王、彼の物語を魔導書にし。
覗き込んだのだ。
あ、もちろん、後でちゃんと直せるわよ?
あたしは彼の過去の物語に、入り込んだ。