第五十一話、彼のモノは長く、ぬめりてしなるモノ
対峙するのは史上最大の敵。
その名もミミズ。
ここは魔猫学園のダンジョン内。
あたしの前に悠然と立つのは、普段は頼りない大人。
タバコ大好き池崎さん。
あたしはミミズにビビってネコの姿となり、死にまくりなホークアイ君の腕の中でモフ毛をボフ!
毛を逆立て、威嚇をしていた。
ふしゅーふしゅー!
猫鼻から荒い息を漏らすネコのあたし。
とってもかわいいわね?
『さあ! 世界からミミズとかいう、邪悪の権化、生きとし生ける者の仇敵。土を食べるしか能のないくせに、ウネウネうねるそれを、バシっとドガっと、ズガアガガガガ! っと、やっちゃいニャさい!』
輝く肉球がダンジョンを照らすのだが。
必死に歯を食いしばるホークアイ君が、ダメージエフェクトを出しながら、ぜぇぜぇ唸る。
「い、異界の姫君よ! 暴れられるとダメージがっ」
『ダメージ!? やっぱり……っ。ミミズの攻撃ってヤバイわねえ。そんな遠距離攻撃もしてくるなんて……っ。もはや大地ごと消滅させるしかないんじゃないかしら』
肉球をパフパフ、口元にあてながら考える知的なあたしを見て。
あたしを腕に抱えているホークアイ君はなぜかジト目。
呆れが混じった声で言う。
「……。のう、もしやそなた――わたしが思っている以上に、けっこうアレではないか?」
『アレってなによ、アレって』
「いや、なんでもない……。自覚がないのであるのなら、とやかく言うまいて」
イケー! ヤレー!
っと、じたばたネコ足と肉球をクイクイするあたしの目の前。
戦場は動き出した。
『さて、ではやってください! エンシェントアースワーム達よ!』
相手はジェントルマンなステッキを装備したタキシード猫。
お兄ちゃんの部下でイケオジ声な守衛猫さん。
と、エンシェントアースワームとかいうミミズが数匹。
一体の大きさは、人間の大人二人分ぐらい。
先端には大地を抉る鋭い牙がついている。
これ以上観察すると、またぶっ飛ばしたくなるのでこれくらいにして。
先攻はコートの端っこを翻した池崎さん。
煙を風に流しつつ。
筋張った指に挟んだ、タバコの火を強く灯らせ。
にぃっとまるで悪役のように邪悪に笑む。
ダンジョンの暗闇の中。
足元から天を衝く赤い魔力に照らされ、彫りの深い顔立ちが浮かび上がる。
「我が命ず、爆ぜな――!」
んーむ。
タバコの火で催眠状態にし、相手に強制命令させているのか。
これは、なかなかエグイ術構成である。
自爆さえ強制できるような強烈な催眠魔術なのだ。
死ね!
と命じれば、死に向かうコマンドを強制できる魔術!
の、ようなんだけど。
……。
このミミズって、目がないからたぶん効かないんじゃ……。
案の定、ミミズさんは熱に反応するように火に誘われただけで、そのまま突進!
格好つけている池崎さんに一直線。
おい……。
「って!? なんで効かねえんだよおぉおぉぉぉお!?」
紙一重で回避した池崎さんの頬に、ミミズの牙による血が浮かぶ。
そのままミミズ胴体の体当たりが襲うが。
ドスススス――ッ!
器用に、ミミズの胴体を足場にして駆け、緊急回避。
コートの端っこはやられたが、軽傷である。
セコンド的な立場であたしが叫ぶ。
『当たり前でしょう! ミミズに人間と同じ視覚があると思う!? ミミズって体の皮に視細胞があるから、そういう光による催眠をかけるなら、牙がある部分じゃなくて全身にやらないと駄目なんだから!』
輝く神の祝福つき拳銃で、ミミズの群れを威嚇しつつ。
歯をぎしりとさせ、彼が言う。
「そーいう事は早くいえ! てか、てめえ! 嫌いなくせにやけに詳しいじゃねえか!」
『嫌いだから調べるんでしょうがっ。完全駆逐をするためには、まず敵を知ることから――ああ、もういいわ。やっぱりあたしが地球ごとやるしかないってことね!?』
目をぐるぐるにさせるあたしに。
くわっと牙を剥いて池崎さんが唸る。
「アホ! おい、御曹司! しばらくそいつの気をそらせ! アイテムボックスにサンドウィッチが入ってやがった、たぶんあのニワトリ神の計算だ!」
「心得た!」
照り焼きチキンのサンドウィッチを鼻の前に出され。
あたしはじぃぃぃぃぃぃ。
猫髯をうにょっと蠢かし、はふはふはふ♪
困惑しているのか。
守衛猫さんが、トラのような手で頬を掻きながら。
『あなたがたは……遊んでいらっしゃるので?』
「うるせえ、ばか! こっちはこれで本気なんだよ!」
言いながらも長い脚での回し蹴りが、ミミズを一匹蹴り飛ばし。
奥にいる三匹をまとめて壁に叩き付ける。
おー、基礎レベルが上がってるからちゃんと戦闘になってるぞ!
「うおおおぉぉぉぉりゃぁっぁ! ファンタジーなんて糞くらえ!」
ちょっと汚い言葉で歯ぐきを食いしばり。
イケオジ未満が鉄拳制裁。
ようするに、普通に壁に打ち付けられていたミミズ四匹に追い打ちをかけ。
ぶしゅぅぅうううううううぅぅぅ!
拳による攻撃、胴体を吹き飛ばされたミミズさんの。
体液が。
飛び散っていた。
めちゃくちゃ気持ち悪い。
うっぷとなるあたしの目の前で。
イケオジ未満は拳をあげてガッツポーズ!
「しゃぁぁぁ! 魔術が効かねえなら、物理でなぐりゃいいんだよ!」
よーし!
ミミズさえいなくなれば後はこっちのもの!
守衛猫さんを取り押さえて、説得すれば問題なし!
あわよくば、こっちの家臣にしてしまおうと思った。
その時だった。
ネコなあたしを腕に抱いていたホークアイ君が、ゾクっと顔を青褪めさせ。
血相を変え。
ツバを飛ばす勢いで顔にシワを作っていた。
音波の異能を発動!
「避けよ! 公務員!」
音波が目視できる形となって発生していた。
叫びを異能で強化したのだろう。
ん!?
なんだ!? あたしも気付いていないのだが――。
音波による異能なので、あたしの猫耳は過敏に反応していた。
あたしのネコの瞳に、複雑な魔術式が走る。
それは一瞬の世界。
マクロとは反対のミクロの直感。
体感時間としてはコンマの話。
けれど、無限ともいえる思考時間があたしには与えられていた。
音波の異能という魔術現象が、原因だろう。
あたしに思考加速に突入できる時間と猶予を、与えてくれたのである。
あたしは見た。
守衛猫さんの影から伸びる、今、この日本で最も邪悪で混沌としたネコの影を。
あれは、あたしもよく知っている影。
その影はどこに伸びている?
答えは簡単だ。
ミミズを倒し勝どきを上げているイケオジ未満、池崎さん。
あたしは思考加速空間で、ネコ手を伸ばし。
祈り、念じた。
加速する時間が、元に戻る。
次の瞬間。
世界を紙やすりで削るような音が。
響く。
ざぁああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!
ざぁぁあああああああああぁぁぁぁああああああああっ!
ざざざ、ざ、ざ、っざぁああああああああぁぁぁぁぁぁ!
待機していた守衛猫さん。
その影から顕現した雪豹のような美青年が、腕で空を切るように。
すぅぅぅっと。
池崎さんのいた空間を魔力で抉っていたのだ。
空間そのものを虚無と化す魔術。
防御不可避の即死攻撃である。
それでも、池崎さんは生きていた。
あたしの回避の祝福。
いわゆる攻撃を一回だけ”避ける形で”防ぐ、補助奇跡が間に合っていたのだ。
尻もちをついていた池崎さんが、狼狽した様子で声を荒らげる。
「な――っ、なんだ!?」
動揺して、銜えタバコを零れ落とすイケオジ未満の視線の先。
そこにいたのは詰襟姿の青年。
眠そうな、気怠く無表情な美貌の頭上。
魔術で浮かべたハテナ文字を揺らす、銀髪赤目の絶世の美男子である。
外見を言葉にするのならば、月に住まう雪豹の貴公子――。
その頭には、モフモフの猫耳がぴょこんと聳え立っている。
腰から伸びる長い尻尾を大蛇のようにネラネラと揺らし。
貴公子が言う。
『――今のを避けた……?』
その声の主をあたしは知っている。
お兄ちゃん、月兄である。
あたしの魔の側面が際立つ赤雪姫モードと同じ。
これは月兄の魔の側面を際立たせた、月豹獣人モード。
ありえない現実を見る顔で、あたし達を眺めていた。
ミミズがいなくなったことであたしも復活!
元の赤雪姫モードにチェンジ!
バッと雪肌をキラキラさせて腕を伸ばし、赤い髪を揺らしていた。
「踊りなさい、我が剣たち!」
池崎さんとホークアイ君を守る形で聖剣をフル投入。
あたしの魔術式に導かれしは、剣の顕現!
伝説や神話に名を連ねる武器が、雨となって降り注ぐ。
ズジャジャッジャア!
ズギギギジジジジギギギギ!
ジャジャジャズジャズギギギギキキキィィィィン!
剣の神殿ともいえる空間を構築し、周囲を覆い。
更に指を鳴らし、魔導図書館で空間領域を支配。
影からの干渉を強制遮断。
影から飛び出そうとしていた、兄の眷属たる魔猫軍団の気配が消えていく。
間に合った!
こちらの表情を見る前に、兄は静かに告げていた。
『また、防いだ――? やっぱり――そうだ。強くなったね、アカリ』
あたしは、ぎりっと奥歯を噛み締める。
「どういうこと、お兄ちゃん。いま――本気で彼を殺すつもりだったわね」
アリスの森の中で、無数の聖剣が共鳴し合う。
しかし。
発生した戦闘フィールドに気圧されることもなく――兄は悠然としていた。
冷たい顔をし。
悍ましい程の美貌と謳われる赤い瞳と、モフモフの尻尾を揺らしている。
兄の尻尾は長く、まるで蛇のような光沢を持ち、しなっていたのだ。
そう、獲物を狩る前のネコのように。
こちらを眺める男の唇が、ゆったりと動く。
『けれど。おかしいな――俺がみていた未来と違う』
「未来視による、攻撃? そう……守衛猫さんを使って隙を狙っていたのね――」
面倒くさがりで、眠たげな兄とは思えない本気――ということである。
ホークアイ君がいなければ、今頃池崎さんはロスト。
完全に消失していた筈。
『運命を捻じ曲げる力。フラグブレイカー……アカリの仕業かな。でも、どうやって――分からないな。うん、分からない。教えて欲しいな』
「お兄ちゃんが見えている世界だけが世界の全てじゃない。あたしはあたしの物語を進んでいる、そういう事よ」
兄に種明かしはしない。
だが答えは単純だ。
あたしだけの力ではないのである。
おそらくこの瞬間のために、ロックおじ様はこのメンバーを選んだのだろう。
推測になるが――。
きっとホークアイ君は、ロックおじ様が用意していた危険察知のアイテムか装備の効果範囲にいたのだろう。
だからあの必殺の一撃を察することができた。
ホークアイ君以外のメンバーでもそれを察知することはできたのだろうが、数手遅い。
声をかけることすら間に合わない。
けれどだ。
音波の異能力を持つ彼なら例外。
なにしろ音は早い。
光には負けるが、その速度は言わずもがなだろう。
こちらは聖剣の神殿と魔導図書館を既に展開。
兄は本気だ、こちらも本気を出さなければ池崎さんが殺される。
そんな直感がある。
存外に冷静だった。
敵わない筈の兄相手なのに、なぜか余裕があった。
あたしは硬質的な声を漏らしていた。
「答えて、お兄ちゃん。どうして彼を本気で殺そうとしたの。それも、蘇生ができないほどの攻撃で――普通に考えたら、やりすぎよ」
『そいつが悪いんだろ――』
並々ならぬ魔力を浮かべ。
兄が言う。
『俺と師匠との時間を奪っただけでは飽き足らず――今度はアカリに手を出そうとする、変態』
「ん? なんの話?」
『とぼけても無駄――……そろそろ四十歳になるのに、女子高生であるアカリを惑わせ、ニワトリの姿に化け誑かす公安男。ヤナギ――俺はここでアンタを殺す。妹を、変態には渡さない』
そこには。
悪い大人に誑かされそうになっている妹を、変質者から守る凛々しい兄猫の姿。
ただし、睨む相手はヤナギさんではなく池崎さん。
まあ、たしかに。
あたしとヤナギさんとの前回のダンジョン攻略を誤解すると、そうなるかもしれないが。
……。
どーしよ、これ。
人違いだ。
ヤナギさんのことを、あたしをつけ狙う変態かつ。
師匠であるロックおじ様との時間を奪う、許せない敵と勘違いしているうえに。
そもそも池崎さんを、ヤナギさんと勘違いしている二重ミス。
ふつうなら、そんなミスはしないのだが。
あたしは知っていた。
お兄ちゃん。
基本的にネコそのものだから。
人間の男の人の顔の区別……。
苦手なのよね……。
『妹はまだ高校生だ――なにをかんがえている』
美しい銀の髪の隙間から。
赤い眼が、敵を睨む。
ゴゴゴゴゴっと、雪豹の貴公子様は滅多に見ない、マジ顔である。
これが月兄クオリティ。
シリアスな空気なのにっ、まったくシリアスじゃない――っ!