第三十九話、ペスの終わりの物語。
悪魔竜事件を起こしていたヤクザ達は逮捕され、事件は一応の終わりを迎えていた。
どんな罪状で捕まえたのか。
どんな罰を受けるのか。
その辺の話にあたしは関与することなく。
とりあえずのところ、あたしは日常に戻っていた。
鈍感なあたしが気づいていなかった嫌がらせ騒動も、もちろん終わっている。
事件にかかわっていたヤンキー。
サボテンプリン頭の梅原くんを中心とした学友から、ボス的な扱いを受けているような気もするが。
その辺も心の広いアタシは受け入れている。
そして、犠牲となった極道だが、その大半は成仏済み。
おそらくは転生することになるのだが。
その中にはもちろん、例外が存在する。
アンデッドマフィア……? だっけ?
それともアンデッドヤクザ……?
ともあれ、合成されてフレッシュゴーレムとなった振り込め詐欺の連中は、ゾンビのまま。
正式名は忘れたけど、あの経験値装置はいまだにあたしの魔導書コレクションとして保管されている。
いつかは成仏させてあげるのかもしれないが。
まあしばらくは経験値装置として善行を積んで貰おう、そう思っているのである。
そんなわけで!
表向きの事後処理を大人に任せ、あたしは行動中。
今いるのは異世界と現代日本の狭間。
狐印のコンビニ前。
狐の嫁入りの時に迷い込みそうな、霧深いエリアを想像して貰えばいいだろうか。
ここで父と会っていたのである。
黒く美しいが、ちょっぴり太々しい顔をしたネコに報告書代わりの書を差し出し――。
話を語り終えたあたしが、ゆったりと瞳を閉じながら言う。
「とまあ、これが今回の冒険のあらましですわ。お父様」
『なるほど。ロックウェル卿にホワイトハウル、やはり彼らも既に色々と動いているという事だね』
シリアスな顔で瞑目しながら。
ほかほか肉まんをはふはふ♪ クッチャクッチャ♪ するのは、あたしのお父さん。
大魔帝ケトス閣下。
見た目も心も、ネコそのものである。
一応、一時的な追放。
という形になっているので、あたしはここでお父さんと会っていたのだが。
はてさて、父も何を考えているんだか。
あいかわらず、ふわふわモカモカの大きい黒猫ちゃんな父に、あたしは言う。
「それでね、お父様。あたしがお願いしたいのは、知識なのよ。影の牢獄に確保してある悪魔竜化している人間、その治癒方法もお父さんなら何かわかるんじゃないかしら」
ま、たぶんお父さんのことだから。
『ふむ、なるほどね。それは人助けだから――いいよ。後で魔竜化している部分を魂から引き剥がす魔道具を送っておく、好きに使うといい』
ほら、こうなった。
いつだってそうなのだ、父はあたしの前を肉球で歩き。
こうして一手も二手も先回り。
「やっぱり、また見ていらしたのねお父様」
『おや、なぜそう思うんだい』
「そんな魔道具があるって事は、あたしが助けを求めるって分かっていて――既に開発していたってことですもの。まあ、助かるけれど……」
これで悪魔竜化したヤクザ達も無事に元に戻ることができる筈。
……。
あ、あとでちょっと報酬を要求しても問題ないわよね……!
と、そんな計画を練りつつも。
あたしは真面目な顔で、ちらり。
「それで、お父様。あたしが未来で人間に殺されるっていうのは本当なのかしら?」
『……。そういう予言が出ていることは確かだよ』
あたしも肉まんを一口味わい。
タケノコのコリコリ感を味わいながら、自然な形で問う。
「分からないのですけれど、それってお父様でも覆せないの?」
『いや。覆すこと自体は簡単さ。君も分かっているだろう? そちらの世界を滅ぼしてしまえば、君を殺す者はいなくなる。残酷だが、極めて簡単な答えさ』
ま、そうなるか。
これも予想されていた答えではある。
「でもあたしたち兄妹全員が異世界に帰ってしまうと、十五年前の厄災が復活して世界は再び危機となる――か。あまり明るい未来ではないのですね」
『君がこちらに来たいというのなら、追放を解除して迎えに行くが』
「嫌よ、あたしはこの世界が好きですもの。嫌なところも嫌いなところもあるけれど、それでもあたしの故郷はこっちだって思っているんですから……ってか、お父さん。そろそろ出張から帰ってこないの? まあ、こっちにいると、つい人類を滅ぼしちゃうかも……って自重してるのは分かってるけど」
あたしは言葉を区切り。
「やっぱりお父さんもお母さんも家にいないのは、寂しいわ」
『そうだね……すまない。お母さんも勇者だからね、今はちょっと世界を救っている最中でまだ戻れそうにないらしい。しばらくは我慢しておくれ』
「ま、お兄ちゃんたちがいるからそこまで寂しくはないけど」
告げるあたしにお父さんは口をうにゃっと開き。
『私がいないと寂しいって言っていたじゃないか!?』
「あのねえ……っ。あたしが聞きわけのいい子をしてあげてるのに、それはないでしょうが!」
ったく、お父さんって本当にネコなんだから。
『ところで、君と一緒に居る元刑事の男。池崎くんだったか』
「ええ、彼がどうかしたの?」
『彼を鍛えるのは良いが、ほどほどにしておきなさい。情が移ると別れが辛くなるからね』
ん? なんだろう。
お父さんの忠告としては珍しいが。
「いや、ペットみたいに言われても反応に困るんですけど……なんで?」
『年頃の娘が、成人男性と一緒に行動するだけでもお父さんっ、とっても心配なのに。レベル上げまでしてあげただなんて、もしそのまま情が恋慕的ななんかに変わったとしたらっ!? お父さん、許しませんからね!』
そーいう心配かい。
「大丈夫よ、あの人、まだ微妙に若いからイケオジじゃないし」
『しかし、五年ぐらい経てば――そう思っているんだろう!?』
うわ、すっごい面倒な父親になってる。
たしかに、そろそろあたしもそういう歳だから、実際心配なのだろうが。
こりゃ、これ以上話してもダメそうかな。
「それじゃああたしは日本に帰るわね。まだやらないといけないこともあるし、寄らないといけない所もあるし。またね~♪」
『待ちなさい! アカリ、お父さんの話をだね!』
ブニャアブニャア!
肉球を伸ばし騒ぐ父の口を魔術で封じ――。
ニヒヒヒヒっとブイサイン!
「どうよ!? あたし! 一時的とはいえ、お父さんの魔術封じもできるようになったのよ! いつか本当に追いついてやるんですから、待っててね~♪」
『××××!? ××××××!』
口の封印を解いているお父さん。
そのネコ顔に一方的に勝利を告げて。
あたしは満足!
異世界と現実の狭間のエリアから抜けだした。
◇
現実世界に戻ってきたあたしを出迎えたのは、池崎さん。
イケオジ未満のなんとも困ったような顔だった。
学校の応接室なのだが――その机の上の灰皿には、剣山のようなタバコの束。
三魔猫はいない。
大黒さんもいない。
あたしは空気の異変に気が付き、声を引き締めるように息を吐き。
僅かに黒髪を揺らしながら問いかける。
「なにかあったの?」
「それがその……」
言いにくそうにしているところを見ると、きっと、悲しいことがあったのだろう。
そして誰がそれをあたしに伝えるのか。
そうなった時に抜擢されたのが、池崎さんだった。
そんなところだろう。
あたしは大人な表情で告げる。
「どうやら、あなたが貧乏くじを引かされたようね。あたしは何を聞いても驚かないわ、言って」
「あの犬、ペスが……なんつーか。ちゃんと警察で預かっていたんだが……」
答えは分かっていた。
あの子はアンデッド使い。
そしてあのダンジョンを作り出していた魔術式に、答えは載っていた。
「そう……やっぱり消えちゃったのね」
「は!? やっぱりって、どういうことだ!? おまえさん、何か知ってるのか!」
レベルも千になったんだし。
自分で魔術式を読み解けるようになって欲しいのだが、まあ無理やりレベルだけあげたみたいなもんだし。
仕方ないか。
「指示されていたヤクザ達が作り出したあのダンジョン。初期デッキみたいだって言ったけれど、何を元に作っていたと思う?」
「なにをって……そりゃ……――」
しばし考え、池崎さんはお手上げといった様子であたしに目線を返してくる。
「まあ、しゃあないわね。じゃあちょっとついてきて、消えたあの子の居場所の見当は、もうついてるから」
「あ、おい! 行くって!?」
あたしは彼の手を引き、次元の扉を作り出し。
マーキングしてあった場所へと影転移を開始する。
次元の揺らぐ影の道。
あたしに手を引かれた池崎さんが言う。
「なあ、どこに向かってるんだよこれ」
「ペスがいる場所よ。見つからないって後で問題になっても困るでしょ」
「ったく、知ってたんなら先に言えっての。お前さんが慌てるんじゃねえかって、こっちは心配してたんだぞ」
と、ガジガジと頭を掻くミツルさん。
池崎さんと呼んだらいいのか、ミツルさんと呼んだらいいのか。
実はまだ、あたしの中で距離感を把握できていないでいるのだが。
ともあれだ。
あたしは次元の扉と影渡りを使い、そこについた。
まず目に入ったのは、桜の木。
けれど、別に桜並木や森に出たわけではない。
ここは公園。
とはいっても普通の公園ではない、いわゆる公園墓地と呼ばれる場所の跡地だった。
もはや忘れられた場所。
人もまばらな、桜だけが綺麗な場所。
あまり親しくない家族が送られる、安い墓所。
そこにはお墓が一つ、立っていた。
あたしはその人の名も顔もあまり知らない。
けれど誰の主人なのかは知っていた。
潮騒のような音を鳴らす桜の木を屋根とした――寂れたお墓。
その横にあるのは、古ぼけた白い塊。
木漏れ日の隙間から太陽を浴びて――主人の墓に寄り添うように横たわる骨だ。
それが彼。
ペスだった。
池崎さんが言う。
「こいつは……っ、あの犬、なのか」
「ええ、そうよ」
おそらく、カラスから主人の最後を聞いて――。
ペスはたくさん走ったのだろう。
新しい飼い主のもとから脱走し、主を求め、何日も何日も――。
道行く動物に話を聞き。
分からぬ漢字を読み解いて。
冒険の果てに、ペスはここにたどり着いたのだ。
最後に会いたいと願った。
主人の眠る墓へと。
そしてずっと、主人の墓に寄り添い。
雨の日も嵐の日も、飢えた体でやせ細っても――ここに居続けた。
主の墓に頬を寄せ、その手のぬくもりを思い出していたのだろう。
当然、そんなことをしたら結末は見えている。
きっと自分でも自分の結末を知っていた筈。
けれど、最後の主人の願いを果たしたかったのだろう。
その結果が、ここで横たわる骨。
ペスはこの場で、その生涯に幕を閉じたのだ。
墓の横には、犬の爪跡が残っている。
きっと起きて欲しいと、死ぬ前に何度か爪で掻いたのだろう。
かつて、まだ幸せだった頃。
眠る主を起こそうとしたあの日々のように――。
ペスが起こした事件は多くの犠牲者を出した。
けれどあたしは……。
この子の気持ちも理解ができてしまった。
この寂れた主の墓所で。
見送る者もいない中。
彼はたくさん泣いたのだ。
「なるほどな、じゃああのダンジョンで出逢って戦ってたあいつは」
「そうよ、幽霊みたいなものね。アンデッドがいるんですもの、犬の幽霊がいても不思議じゃないでしょう? きっと、彼、幽霊化した後にあのタブレットを渡されたのね」
犬の霊は非常に強力だ。
それを利用したあのアプリの開発者は、まだ見つかっていない。
なにをしたいのかは分からないし、許されることでもないのだろうが――。
その開発者のおかげで、この哀れな犬は復讐を果たすことができた。
それだけは真実だった。
だからあたしの心境は複雑で、言葉を探すがうまく見つからないのである。
悪魔竜化のアプリを、駒とし利用する極道達に渡し。
極道達を恨む犬の亡霊を利用し。
結果として多くの命を奪った――その目的を、あたしには理解できなかった。
いったい、どんな奴なんだか。
ともあれだ。
あのダンジョンが地下墓所だった理由は明白だった。
あのダンジョンは、ペスの魔力がベースとなって構成されていたのだ。
主人の墓への想いと、ヤクザ達を墓所に送ってやろうという恨み。
そして、自分自身の墓。
そんな心をダンジョン化させた結果が、あの迷宮の完成だったのである。
まるで人の心を読んだような顔とタイミングで、池崎さんが言う。
「なんか、やりきれねえ事件だったな」
「ねえ――あなた前から思っていたんだけど……」
いや、いいか。
心を完全に読めるわけではないが、ケモノのように、ある程度、他人の心を察知する性質が彼にはあるのかもしれない。
そういや新しく目覚めた異能、炎兄ですら鑑定できなかった能力はいまだに未開化。
なかなか謎の多い男である。
「どうした嬢ちゃん」
「なんでもないわ! それよりも、花を持ってきたの。お線香もあるから、火、貸して頂戴な」
あたしは次元の扉を閉じて、用意していた花を手向け。
愛しい者に寄り添い死んだ犬に向かって。
語り掛ける。
「聞こえているんでしょう、ペス。返事ぐらいしなさいよ」
告げると、骨の上に一つの魂が浮かび上がってくる。
強大な力を持ったビーグル犬。
今回の事件で多くの人間を狩っていた、主人を愛した犬。
本当の意味で復讐を達成したからか、満足そうな顔をして犬顔をヌフゥっ。
垂れた耳をぺこりとさせて――。
彼は言った。
『世話になったな、娘よ――』
それだけ告げて――。
現世への未練もなくなったのか、魂が細くなっていき。
やがて、その骨は役目を終えたように色を失い。
塵となって、消えていた。
「あっさり逝っちまいやがったな」
「そうね、ペットになる筈だったのに! って、きっと、あたしに文句を言われるのが嫌だったんでしょうね」
「かもしれねえな」
言って、池崎さんがあたしの頭をポンと撫でた。
あたしは泣かなかった。
けれど。
やはり、どこか心が物悲しい空気に包まれていた。
桜の木の下。
主人を愛した犬の塵が、自然へと帰る中。
あの犬が最後に見た世界を、あたしも振り返る。
寂れた墓所だった。
きっと、誰も。
お墓参りをしてあげなかったのだろう。
少しあたしは、寂しくなった。
桜の屋根で曇る中。
一陣の風が吹いた。
ざぁぁぁあぁぁぁっぁっと。
樹々の泣く音を聞きながら。
池崎さんが言う。
「んじゃ、しゃあねえから――あいつの代わりに綺麗にしてやるか、雑草も抜いて、花も、ちゃんと花立に入れてやらねえとだからな」
「へえ、意外。そういうのを面倒に思うタイプだと思ってたわ」
彼は大人の顔で。
あたしに言った。
「バーカ。面倒でも、してやりてえ気分になる時もあるんだよ」
それは本当に何の気なしに言ったのだろうが。
どうしてだろうか。
苦く笑った彼の顔から、少しの間、あたしは目が離せなかった。
風が吹く。
揺れる樹々の隙間から、光が差した。
あたしの心は、少しだけ温かくなった。
木漏れ日の太陽を浴びながら。
あたしの口が動く。
「そうね。ま、これくらいはペスにサービスしてやるか!」
この後二人で、彼の主人の墓を綺麗にしてあげて。
あたし達は墓前に手を合わせた。
いつか天国で再会できますように。
あるいは、互いに生まれ変わったいつかどこかの世界で、巡り会えますように――。
と。
そんな願い。
天に祈りを捧げ。
この事件の表の物語は幕を閉じたのだった。