第三十七話、無限湧きの恐怖
戦闘フィールドは床の抜けた地下墓所。
ひしめくアンデッドの群れを操るのは、ヤクザ達の抹殺をもくろむビーグル魔術師。
主の幸せを奪われた犬、ペス。
もふもふな見た目だが、強敵の部類に含まれるだろう。
垂れた耳が特徴的な彼の能力。
すなわち異能は殺した人間をアンデッド化させ使役することと推測できる。
その膨大な死体自体が武器なのだ。
アンデッドが合体しはじめ、ビルより巨大な一体の魔物となって顕現。
死骸合成の魔術だろう。
池崎さん百人分ぐらいのレベルになって降臨していたのだ。
けれどあたしはそんな強敵だって怯まない!
ふふっと赤い髪を靡かせて、ネコのように瞳を細めて赤く染める。
キラキラキラ。
雪の結晶にも似た魔力が、イルミネーションのようにあたしの周囲を覆い始めたのだ。
映画ならばこれは最後の戦闘シーン。
といったところか。
さあ、あたしの気分も高揚してきた。
魔術戦、久々の魔術戦!
わくわく! どきどき!
と、あたしはウッキウキなのだが、なぜか隣で我が兄が超ドシリアスな顔をして。
「バ! バカ野郎! てめえ、おいコラくそ妹! 本気を出すつもりじゃねえだろうな!」
「全力は出さないけど、ある程度禁術の解放はするつもりよ? 別にいいでしょう? ダンジョンなんだし」
告げて妹のわがまま声で。
「だって! ずっと、ずぅぅぅっと我慢しているんですもの! 発散できるときに発散しておかないとでしょ!」
「がぁぁああああぁっぁあ! 月影のバカといい、おまえといい、どうしてオレの家族は暴走野郎しかいねえんだ!」
あたしがとまる気がないと知るや否や。
ダンジョンの空に緊急詠唱の波動が浮かぶ。
炎兄が大慌てで炎の結界陣を構築。
あたしを除くこちらを覆ったのだ。
さて、これでお兄ちゃんは防御に回ってくれた。
つまり。
ペスサイドに回るという危険はとりあえず回避できたのだ。
一番厄介なのが、炎兄が敵に回ることだからね……。
実はこれもあたしによる誘導だったりする。
大黒さんのちょっとしたお説教のおかげか。
あたしは前よりクール! 冷静な判断ができるようになっているのである。
兄が利用されていることに気付いた時には、既にあたしは動いていた。
「さあ、ペス! まずは小手調べよ!」
宣言したあたしは空に浮かび、ふふふふふ!
左手を翳し、魔導書を浮かべ分裂させ。
空に魔導図書館を構築。
もしロボットアニメを見たことがある人なら想像しやすいかもしれないが。
兵器が独立して空を飛び動き。
ビュンビュンビームを放つアレである。
「あたしの師匠の一人でもあるウサギ司書ちゃんから教えて貰った、この魔導図書館。簡単には突破できないわよ!」
『ウ、ウサギの司書……娘よ、キサマはなーにを訳の分からんことを言っておるのだ……』
▽ペスが困惑している。
い、犬にバカにされた!?
まあ……異世界ではウサギもそこそこ強くて、図書館の司書をしている魔導ウサギがいるとは知らないのだろう。
ともあれだ。
あたしの周囲に浮かぶ一冊一冊が、計測限界の十重の魔法陣を操る魔導書。
守りの布陣も攻めの布陣も完璧!
にひぃっと赤い瞳を輝かせる。
「ワンちゃん。降伏するなら今のうちよ!」
『それはこちらのセリフだ! 舐めるなよ、人間に味方をする裏切り者めが!』
「そう――なら遠慮なくいくわよ!」
発動するのは基本的な魔術ではなく、神の力を借りた奇跡。
集うのは光の柱。
あたしの周囲に神聖で厳かなる塩柱が、キィィィィィンと連なり始める。
「魔力解放――魔の姫たるあたしが命じます。神話再現、アダムスヴェイン:《死海西岸の塩柱》!」
これは魔術体系の一つ。
逸話を再現する、知る人ぞ知る魔術なのだが――。
『アダムスヴェインだと!?』
どうやら相手も、この魔術体系を知ってはいたらしい。
ワンコの瞳が驚愕に歪む。
驚くのも当然である。
神話再現とは、神話で語られる事象や逸話を魔術効果として再現する魔術の奥義。
誰でも使える類の魔術ではない。
この魔術体系を扱えるというだけで、異世界ではそれなりに大きい顔ができる。
一種のドヤ顔確定の魔術なのだ!
いやあ、相手も知ってて良かった!
相手が術の強大さを知らないでポカーンとしていたら。
なんかもったいないモノね!
あたしは細く白いお姫様な指先で、座標を指定。
発射!
「さあ諸人よ! 神に逆らった罰よ、塩になりなさい!」
高層ビルのように栄えた塩柱が、漫画のようにジャンプして!
アンデッドゴーレムに向かい急降下!
シュシュシュ――ッ!
ズジャジャジャジャジャジャジャジャ!
アンデッドを浄化する槍となって襲い掛かる。
本来なら振り返ってはいけないと言われていたのに振り返ってしまい、塩の柱となってしまったエピソードの再現魔術なのだが。
まああくまでも再現は再現。
人という形をした存在を塩にする変化魔術として、アレンジ再現している。
なので塩柱をぶつけるだけで、アンデッドを塩にできるのだ!
ま、まあ人型なら人間も問答無用で塩になっちゃうから。
現実世界で使ったらアウト。
大量殺戮犯確定の禁術ではある。
しかしペスも負けじと魔力を解放。
モフ毛をぶわぶわぶわっと膨らませ、赤い瞳をカカカカカ!
『我が憎悪、舐めるでないわ! マフィアゴーレムよ、弾き飛ばしてやれ!』
これ、マフィアゴーレムって名前なんだ。
ともあれ。
塩の柱を直接触れないようにだろう、魔力を込めたアンデッドの腕が受けとめ。
そのままこちらに投げ返す。
じゅぅぅうぅぅぅぅっと、塩の柱はあたしの目の前で、魔導図書館に妨害され撃ち落とされるが。
『小癪な、自動迎撃だと……っ』
「まだまだレベルが足りないわね、ワンちゃん。ふふ、まあ嫌いじゃないけれど、あなたいいわね」
崩れた柱のせいか。
塩の香りが、あたしの鼻孔を撫でる。
ちょっとしょっぱい。
「じゃあ、これならどうかしら?」
あたしはそのまま十字の光を背後に纏い。
マリアの如き後光も纏い――。
ぷっくらとした唇から聖なる言葉を紡ぎだす。
ダンジョンの空に、聖女の祈りが発動する。
「主よ! 迷える死者たちに救済を!」
光が浄化の炎となって大地を抉る。
のだが……。
『神話再現と、浄化魔術の二重詠唱と発動か! ぬはははははは! だがしかーし! 無駄であるぞ、小娘よ! 邪悪なる血筋でありながら神の奇跡を扱えるその器用さには感服するがな!』
ん? この余裕はなんだ?
あたしは考える。
戦場を言葉にすると、まず空に浮かんでいるのは味方。
聖剣と魔導書を浮かべる美しいあたし。
保護中ヤクザと、公務員二人を守る炎兄。
地下では無数のアンデッドが群れとなり、死肉の巨大ゴーレムとなっている。
いわゆる死体で作られたフレッシュゴーレム。
そのレべルは素材に使われているアンデッドのレベルの合計値。
一体が百ぐらいあるので、レベルはめちゃくちゃ凄いことになっている。
普通の存在ならその不死性と耐久度とレベルの暴力で、あの肉の壁を突破することは不可能。
その肉団子の奥にペスがいる。
で――戦場には塩の柱の雨攻撃と、あたしによる浄化の光が敵を成仏させようと二重攻撃中。
あたしの浄化の塩柱と浄化の炎は効果を発揮している。
ゴーレムに取り込まれたアンデッドヤクザ達を、徐々に成仏させているのだが。
……。
『ワフフフフフ! どうだ、見たか! 異界の姫よ! 浄化対策を怠るほど、我も愚かではない!』
天に召されていく筈の、アンデッドマフィア。
光に導かれ消えゆくその魂が鎖に引かれ。
ん? 鎖……!?
浄化できていない? いや、浄化した瞬間に浄化をキャンセルされている。
「へえ、やるじゃない。魂の束縛。昇天を禁ずる呪いをかけているのね」
『いかにも! 死なぬ軍団を使役する魔術師。アンデッド使いネクロワンサーの弱点は明白。聖職者どもの浄化の力に弱い、そこを対策せずに魔術師は名乗れまい!』
んーむ。
うちのレベル二百ちょっととレベル百な公務員より、よっぽど勉強家でやんの。
炎兄に守られている、レベル二百ちょっとの池崎さんが言う。
「は!? なんで浄化されねえんだよ!」
「魂と無理やり契約して、現世に縛り付けているのよ。強制地縛霊みたいなもんね。これじゃあ除霊もできないし、ゾンビを倒しても無限に湧き続けちゃうか」
ダンジョン内は大騒ぎ。
成仏とリポップを繰り返すエフェクトと音が響き続けている。
ペスは耳をパタパタさせながら宙を舞い。
『ワフフフフフ! さて、どうする娘よ! 降参するのなら許してやらんでもないぞ? 山盛りのちくわに、チーズを詰めて持って参れ! グハハハハハ!』
ぶわはははっと笑うワンコの尻尾がもっふもっふ♪
ブンブンブンと音を鳴らしている。
実はこれ、《挑発》の魔術。
相手をからかったり、神経を逆なでさせたりして効果を発動。
攻撃を自分に集中させる精神汚染の一種なのだが。
おそらく、自分に攻撃を向けさせてヘイトコントロール。
ゾンビで背後から攻撃するつもりなのだろう。
が――!
挑発を無効化させた天才的なあたしは。
しばし考え。
「ねえ池崎さん、ヤナギさん。真面目な相談があるんですけど、いいかしら?」
「ああ、オレ達は何をすればいい」
シリアスな顔で問い返す池崎さん。
ヤナギさんもタロットを握ったまま、コケリと頷いている。
……。
かわいいけど、ニワトリ人形っぽいままだとシリアス度がちょっぴりダウンである。
ともあれ。
「こいつはどれだけ倒しても、たとえ成仏させても例外的に再配置される強力なアンデッドよ。おそらく、ここに入った時に出会ったグールみたいに、肉の塊となって合体。複合ゾンビとして無限に襲ってくると思うのよ――ここまではいいわね?」
「ああ、強敵だって事も肌に刺さる嫌な気配で察してるよ」
言いながら、池崎さんは一呼吸。
クールになろうとしているのだろう、筋張った指の隙間にはさんだタバコを吸って煙を漏らす。
だが、その頬には汗が浮かんでいる。
シリアス度がちょっと向上した。
「アカリさん、僕もできる限り動きますので、どうか指示を――。ああいう手合いなら、池崎の言葉ではないですがファンタジー案件ですので、あなたの作戦に従うのが一番である。僕はそう考えます」
「ありがとう。指示に従ってくれるってのは助かるわ。作戦があるのよ」
炎兄を見るが――犬の事も気になるのか、協力してくれる気はないようで肩を竦めてみせている。
まあ、敵対しないだけありがたいか。
炎兄の師匠は狼の神、つまり犬も束ねる獣神なのだ。
本来なら敵に回っていても不思議ではないのである。
ともあれ、敵対はしないということで。
現状を把握。
あたしは全てを計算する。
巨大アンデッドゾンビとなった敵を前に――して。
更に計算。
計算を終えたあたしの赤い瞳が、闇の中で輝いて。
そして全ての答えが解放される。
「無限に湧くアンデッド――滅多に見ることはないけれど、浄化さえキャンセルしてリポップする特殊な連中。対策しないと永久的に戦わされることになる。なら、答えは決まっているわ。無限に湧く強敵。終わらない戦い。ここまで言えば、もう分かったわね?」
緊張からだろう。
池崎さんの隆起した喉が、生唾を飲み込み動く中。
あたしは作戦を告げた。
「ねえねえ! これでレベリング! つまり、経験値稼ぎをしましょうよ!」
効率的な経験値増殖。
半永久的にレベルを上げる条件は様々にあるのだが。
こんな好条件、滅多にない!
こっちはキラキラと瞳を輝かせているのだが。
はて。
なぜか公務員二人の顔は現代アートのように歪んでいた。
しばらくして。
池崎氏が一言。
「は……?」
「はって、なに? 聞こえなかった? レベリングよ?」
兄も、大きな手でぺたんと顔を覆い、ため息をついていた。
敵であるはずのペスも、同様。
詠唱を忘れて目を点にしている。
「おい、嬢ちゃん。経験値ってのは、ゲームとかである……あれか?」
「そうよ? 当たり前じゃない、何言ってるの?」
こっちはちゃんと真面目に答えているのに。
池崎さんの頬はヒクついている。
え? なにこの空気。
チャンスを活かすのは戦士の基本。
この機会を逃すのって、絶対ないわよ……ねえ?
『コラ、小娘! 我との戦いの最中に、なーにを阿呆なことを抜かしておるのか! まじめに戦わんか!』
ペス、激おこである。
あ、ぶんぶんしてる肉球がけっこう可愛いかも!
なぜだろうか。
シリアスは完全に散っていた。