第三十話、ワゴン会議は茶虎ネコと共に ―後編―
実は十五年前に一度、死んでいた。
今回の悪魔竜事件にあたしを巻き込んだ二ノ宮さんは、そう語っているのだが。
けれど、あたしと炎兄の兄妹は平然としたままだった。
不死者の能力の可能性や、あるいは治癒能力者に助けられた可能性。
バリエーションは様々にある。
蘇生の条件は厳しいが、不可能ではないということだ。
肉体の損壊がない状態。
あるいはその肉体をすぐに元に戻せる状態にあり、なおかつそれを可能とする上位存在ならば。
考えるあたしに、二ノ宮さんが顔を引き締めたまま告げる。
「やはりさほど驚かないのだな」
「まあ、条件さえ整えば蘇生だってこの世界で発動できるでしょうし、異能でそういう力があったとしても不思議ではないでしょうね」
話を促すようにあたしは言う。
「それで、どうして死んでしまったの」
「十五年前、この世界のターニングポイント。三獣神と呼ばれる異世界の神がこの世界を救うため、魔術や異能力といった力をバラまいたことは知っているかね」
お父さんたちの話である。
「……そりゃあ、まあね」
「その中に一柱、とても正義感の強い審判のケモノと呼ばれる、白銀の狼様がいてな。そのターニングポイントの日、あれは本当に偶然だったのだろうな――まだ二十歳だったワタシはあの日、暴力団の抗争に巻き込まれ、まあ本件とは関係ないので詳細は省こう。ともあれワタシは爆発に巻き込まれ死んでいてな。そこにあの方が降臨なさったのだ」
ゆったりと瞳を閉じ、傷跡をなぞりながら彼女は言う。
「居合わせたのは偶然。なれど、若き女性の死を見てしまったのも必然か。生きたいか? 生きたいと願え、さすればこの世界にバラまかれた力を確認するついでだ、汝の魂と肉体、再生させてみせようぞ――とな」
「おそらくハウルおじ様ね」
「ほう、やはりあの御方を知っているのか」
明らかに声音を変えている二ノ宮さんに、あたしは言う。
「直接お会いしたことも何度もあるわ。とても優しいけれど、厳格な方よ。あの方なら確かに、人間の蘇生も可能でしょうね。天界から全ての生きる者を眺める狼。罪を裁き、審判を下す裁定者。神話で言うのならいわゆる主神にあたる方だわ。異世界で二番か三番目ぐらいの強者となる徳の高い御方よ」
「そうか、やはりあの方は――それほどに強大な方だったのか」
しばし瞑目し、二ノ宮さんは決意を込めた顔で言う。
「あの方は言われたのだ。この世界を救ってやったはいいが、友が滅びの未来を見ていると。ああ、人間はやはり……醜い部分もあるものなのだな――と。とても悲しい顔をしていらしたのだ。アカリさん、キミはこの世界の滅びについて何か知っているだろうか?」
ロックおじ様が見た滅びの事だろう。
ということは、ヤナギさんの他に彼女もこの世界の滅びを知っているのだ。
池崎さんと大黒さんに聞かせていいかどうか悩んだが。
あたしは考えた末に、そのまま語ることにした。
前のように考えなしに決めたわけではなく、選択したのだ。
「あたしも、この世界がいつか滅びてしまうとは聞いているわ」
池崎さんが息を呑む。
けれど何も言わなかった。
気を使ってくれたのか、大黒さんも話を聞いているだけで、隠していたあたしを責めたりはしなかった。
「けれど、悪いけれどその内容までは知らない。お父様は何も語ってくれなかったわ。ただ、既に賽は投げられたとだけ――お父様が何を考えているのか、あたしにも分からないのよ。二ノ宮さんの方は、滅びに関しておじ様からどう聞かされているの?」
記憶をたどるように横を見て。
彼女の唇が動く。
「あの方は――嘆いておられた。無数の可能性の中には、許せぬ滅びもあるとも、仰っていた。いっそ、いまここで人間を我が咢で食らいつくしてやっても良いとも――。あの方はその滅びを変えたいらしいのだ。そのきっかけとして、期待はしていないらしいが。世界を変える一石になるやもとワタシに新たな魂を授けたそうだ。あの方の期待に応えるべく、ワタシは常に己が正義を信じ歩んできた。十五年間な。時にあの方の助言を受け――ワタシは異能犯罪の対策にあたっていた。それもあの方の望み。あの方は、自らが蒔いた力による犯罪を是としなかったのだろうな」
ハウルおじ様――。
ホワイトハウルと呼ばれる神の弟子である炎兄も、どうやらその辺の話は知っているようである。
話の区切りで、あたしが言う。
「力を蒔いた後の世界をある程度管理している、ってことかしらね」
「そうなのであろうな――もっとも、本当に必要な時に神託をくださるのみで、自ら手を下すつもりはないそうだ。それは領分を超えた干渉で、我は好かぬと仰っていた。今でも、時折にあの方の声が下るのだ――稀に、そちらのグルメを食べたいと、冗談をおっしゃるときもあるがな。そんな中で、池崎とヤナギのコンビが連れてきたのが、キミだ。すぐにピンときたさ。あの方はキミの話もしていたからね。ただ、力を借りるかどうかは汝に任せると……あの方は言葉を濁されていた。正直、キミを巻き込むことの是非を悩んでいる、そういう空気ではあったな――」
なかなか難儀な人生である。
額の傷は、死んだときについた傷。
そして蘇生して貰った後にも残っていた約束の傷跡ということか。
「なるほどねえ……死んでしまうはずだった人間を蘇生することによる未来変動、か。魔術理論としてはあながち間違ってもいない筈よ。本来あの日に死ぬはずだったあなたを蘇らせ、力を授けることによって最悪の未来を避ける一石とする……確かに可能性としてはゼロじゃないわ」
軍人みたいな空気だったのに、今は違う。
二ノ宮さんはぎゅっと少女のように自らの拳を握っていた。
魔竜の件から話はそれているが。
おそらく滅びと魔竜の件は関係している。
賽は投げられたと言っていたお父様の言葉を信じるのなら、そして悪魔のような魔竜が発生した時期を考えると。
あたしがあの高校に入学した時期と一致する。
悩むあたしの前で、茶虎の炎兄キャットが動き出し。
『諦めな、この世界はどうせ滅びる運命にあるさ』
「ネコがしゃべっただと!?」
二ノ宮さんが素っ頓狂な声をあげる中。
あたしは眉間を押さえて。
「えーと、この猫はウチの兄が猫化している姿で――あのねえ炎兄……こんな時に話をややこしく……って! 炎兄、何か知っているの!?」
『そりゃまあな。オレも少しなら滅びの流れを知っている。聞きたいか?』
「そりゃあ聞きたいわよ!」
どうせもったいぶって、教えてくれないんでしょ!
そう思っていたのだが。
兄は空気を少し変えていた。
『まあいいだろう。三日間の約束は果たしたようだからな』
まるで他人事みたいな顔をして、茶虎猫の口が悠然と語る。
『人間たちは十五年前の恩を忘れて、とある三兄妹を迫害するんだよ。その三兄妹は、三獣神が十五年前に封じた厄災を、その絶大なる魔力を持って封じたままにしておく力の鍵。要するに、魔術的な話で言えばいるだけで発動する魔道具と思っていい。儀式の端末になっている神子ともいえるがな。ともあれ、そいつらがこの世界にとってのワクチンなんだが――最終的にはそいつらに呆れられて、見捨てられて、逃げられちまうんだよ。神子を失った地球は、厄災を封じている力を消失する。再び世界は十五年前と同じ状態に逆戻り。三獣神の加護を失い、魔力も異能も失った世界では、その厄災に対応できずに――ってことさ。オレが知ってるのはそこまでだが、後はまあ、厄災が解放されてその流れで滅んでいくんじゃねえか?』
その三兄妹って。
同じことを思ったのだろう。
池崎さんが言う。
「炎舞のお兄さんよ、なんでネコちゃんになってるのかは知らねえが。その三兄妹っつーのはお前さん達なんだろう?」
『かもしれねえな、まあオレが直接そうだと言われたわけじゃねえが。たぶん合ってるぜ』
「呆れられるって、人類はなにをやらかすんだよ」
あたしもそれが気になるのだが。
炎兄は、ぶわっと気配を変え。
冷徹な口調で、その猫口を蠢かし始めた。
『ヤツらは一人の女の子を殺すんだよ。その少女の名は日向アカリ。オレの大切な妹だ』
……。
池崎さんが気まずそうな声で、ぼそり。
「ああ、まあ……そりゃあ呆れられるわな」
空気が一気に重くなっていた。
まあ、変な言い方だが、あたしは死んだくらいじゃ死なないが。
さすがに一度殺されたら腹を立てて、見捨てるとは思う。
というか。
炎兄がなんか無理やりついてきた理由は、これか。
先日の学校訪問は池崎さんや、その周囲の人類を試していたのだろう。
あたしを守る気があるのかどうか。
それが一応の合格となったから、そろそろ語ってもいいと思った。
そんなところか。
……。
あたしが知らないところで、皆動いているのだろう。
けれど、今まで語ってくれなかったのに語ってくれるようになったのは、あたしが少し成長したから。
三魔猫からの信頼を得るぐらいには、心が大人になったからだろう。
あの日の交差点。池崎さん達との出会いが、子どものあたしを成長させていたのだ。
一歩進んで、また戻って。
その繰り返しで、あたしもきっと大人になるのだろうと思う。
背伸びしたり、失敗したりを繰り返すのだろう。
それが人生というやつなのかもしれない、とあたしはわりと詩人である。
ま、まあなぜかくまさんパンツの思い出も蘇ったが。
そういや、覗いた奴ら――呪い忘れてたな。
ともあれ。
お兄ちゃんは、人類をどう思っているのだろうか。
分からないが。
その猫口がまた動き出す。
『ホワイトハウルの旦那はそれを知っちまったんだろうな。だから、今もこうしてそこの傷跡姉ちゃんに神託を与え、動かしている。ヤナギとかいう男を動かしているロックウェルの旦那も、おそらくそこの未来を変えたいんだろうさ。親父は、どうなんだろうな。たぶんだが、アカリ。お前がまだこの世界の事を気に入っているから許して、静観しているだけ。おそらく本音は――自らの娘を蝕む未来を持つこんな世界、一秒でも早く滅ぼしてやりたくてたまらねえんじゃねえか』
「滅ぼすって……おいおい、冗談じゃ――ねえんだろうな、やっぱ」
池崎さんの言葉を肯定するように、あたしが言う。
「まあ人間ごときがあたしを殺せるのかって話は別として。たしかに、お父様が積極的に介入しない理由としては納得できるわ。もし自らが介入して解決するなら、一瞬で終わり。この世界をとっとと全部破壊して、あたし達を連れ帰るつもりなんでしょうね。けれど、それを我慢している。自らによるあっけない滅びを避けるために、お父様はあえて静観なさっているのよ――信頼できる配下、三魔公をあたしの護衛に配置してね」
あの時、ヤナギさんがあんなに心配していた理由も、まあこれか。
あたしの死がきっかけで、この世界は滅ぶのだから。
……。
あれ? 実はあたしって。
この世界にとって、めちゃくちゃ大事な存在なんじゃない……?
自分の立場というモノをちょっと自覚してきた、賢いあたしなわけだが。
大黒さんが空気を呼んだのか、話題を変えるように言う。
「皆、大事な話の中で悪いのだけれど。そろそろ目的地に着くわ。いつかくる滅びも重要ですけど、目の前の問題が終わったわけじゃないわ。被害者は増やしたくないでしょう? 準備をして貰ってもいいかしら」
もちろん、みなに異論はないが。
現実主義なのだろう。
軍人風の気配を纏い直し、二ノ宮さんが繁華街を見上げ。
「現状の問題の、悪魔竜の話については何も進展していなかったな」
「まあ、それは現場でもできるでしょう? これからあなたとも長い付き合いになりそうだし、ゆっくり考えればいいじゃない!」
ニヒヒヒっと微笑むあたしに彼女が言う。
「随分と、前向きな発想だな」
「それが取り柄ですからねえ。いざとなったら、滅びの未来だって何とでもなると思うのよねえ。いっそ! 全員一緒に異世界に行くって手もあるわよ!」
そんな冗談を交えて!
あたしは得意な笑顔の二乗である!
二ノ宮さんは硬い顔を緩め。
「ふふ――キミは、とても面白い女性だな。今までにいないタイプだからだろうか、反応に困るよ」
といいつつも、額に走る傷跡を揺らし彼女は笑っていた。
次の現場に向かう車内の気まずい空気など、一撃必殺!
あたしの笑顔で散っていたのだった。