第二十三話、魔術理論と動き出すケモノ
既に拠点となっている応接室で、あたしは思いを馳せていた。
前略、お父さんお母さん。
うちの兄のせいで世界がヤバいです。
「って! そんな悠長に構えている場合じゃないのよ!」
「落ち着けって、お嬢ちゃんよ。そこまで慌てなくても大丈夫だろうさ」
ミツルさんは落ち着いているが。
さすがにお兄ちゃんを未成年暴行者にはしたくない。
だからこっちは本当に焦ってしまうのだ。
大黒さんが頬に手を添え、珍しく困惑した様子で声を漏らす。
「それにしても、ヤナギさんのアレはいったいなんだったのかしら? かなり様子が変でしたよね?」
「ああ、あれじゃあまるで……高校生の初恋っつーか。なんだ、愉快な生物になってたな。ありゃ」
あたしはしばらく考える。
仮にだ。
もし万が一。
あまりにも完璧な美少女なあたしに、ついうっかり恋慕的な感情を抱いてしまったとしてもだ。
あれは異常だった。
過剰だったのだ。
少なくとも、年下の女子高生にかける紳士な対応とは言いにくかっただろう。
ならば思い当たるのは。
「たぶんだけど、赤髪姫のあたしの魔力に影響されてるんじゃないかしら」
「魔力に影響だと?」
「ええ、そうよ。たとえばだけど、群れを作る野生動物って強いリーダーを決めて行動するでしょう? あたしには強い群れリーダーの血が流れているようなもんだから……そうね、魔に魅入られた。って言葉が一番しっくりくるかもしれないわ」
大黒さんも犯罪組織に加担させられていた影響か。
魔術や異能、そしてなによりファンタジーについての知識があるのだろう。
「ようするに、アカリちゃんの魔力に酔っちゃっている。ってことかしら」
「可能性としては高いわ。あの人、もしかしたら普通の人間以外の血も交じってるんじゃないかしら」
最初に鑑定した時、本名も違ったし。
人ならざるモノの血が流れているのなら、影響を受けやすい理由も説明がつく。
まあもっとも。
実際にあたしがかわいい! ってのも影響してるとおもうんだけどね~♪
「おいおい、異能や魔術が入り込んできたってのは、お前のパパのCが十五年前にファンタジーの核をバラまいた影響なんだろう? あいつはたしかちょうど四十歳。十五年より前に生まれたやつにそんな異世界要素があるわけねえだろうが」
はい! 考えなしが目の前に居まーす!
って、冗談をやってる場合じゃない。
「あのねえ……ウチのお父さんが転生したのは十五年より前の話よ? 他にもお父さんの話だと、ダークエルフに転生した料理人もいたらしいし」
「するってーと」
「そう。あくまでもここまで表面的に異能やファンタジーな力が発現したのは、たしかにお父さんたちのせい。けれど、そういう力自体は密かに存在していたって考えるのが普通だわ。もちろん、そこまでの規模じゃないんでしょうけど」
実際。
科学で証明できない現象が多く発生している。
あの辺の一部に、本当に魔術や異能と呼べる現象があったとしても不思議ではない。
なぜそう思うのか。
それはあたしたちが実際に魔術を使っているからである。
有史以来。
人類がどれだけの人数産まれているのかは知らないが――。
その中で偶然、魔術の素養を持った突然変異、いわゆる天才がいたとしてもおかしくないのだ。
有名な魔術師と言われている者たちの中に、本物がいる可能性もある。
もしや、そういう連中もこの十五年の流れに気付いて。
動き出しているんじゃ……まあどこまでいっても仮説の領域を出ないが。
「いい、二人ともよく聞いて。魔術も異能も結局のところは、物理現象を都合よく書き換えちゃってるって事よ。すべての事象が計算式で証明できるって事は知ってるでしょう? その式を強引に書き換えてるって考えてもいいわ。書き換える規模が大きいほど強力な能力、強力な魔術ってわけね」
「まーた、魔術先生モードか?」
口ではそういいつつも、わりと興味はあったようだ。
「はい、そういう授業内容に関係のない私語は禁止でーす」
「ノリノリだが、まあ落ち込んでねえっていうならそれでいいぞ」
この反応を見る限り、あたしってやっぱり心配されやすいのかな。
色々な人に心配をかけているのだろう。
ともあれ、今はこっちに集中。
「で、話を戻すけど――あたしが知っている魔術や、あなたたちが知っている異能だけが全てじゃあない。他にも計算式を書き換えることができる力は必ず存在するわ。矛盾する言葉だけど、ありえないなんてことはありえないのよ。ただあたしたちがソレを理解できていないか、把握できていないってだけでね」
生徒二号こと、大黒さんが考え込み。
「そうねえ。まあ、昔の人からするとスマホなんて正にありえない道具でしょうし。けれど現象を把握している我々現代人にすれば、あれは便利で常識的な道具。現実にあるモノだって知っている。逆に言えば、昔の人はスマホや科学技術を知らないから、ありえないって思っているだけですものね――正確ではないけれど、言いたいことはそういうことかしら」
優良生徒の大黒さんに花丸を付けたい気分のまま。
あたしは真面目な顔で言う。
「そういうことよ。で、お父さんが転生してきたってことは、逆に異世界から紛れ込んできた――あるいは帰って来たって人達も中にはいるんじゃないかしら。信長が女狐としてTS異世界転生して、地球に戻って子供を作っていた。なーんて絶対にありえないでしょうけど、確率はゼロじゃないわ」
「なんでそこで例が信長なんだよ……しかもTSって」
だって、なんか色々と使われてるし。
てか、ミツルさん、TSって言葉知ってるのね。
と、とにかく!
「信長ってのは冗談だけど――それがどれだけ超低確率な現象だとしても、世界には億単位の人がいて、長い歴史を刻んでいるのよ? それを全て試行回数だと思えば、奇跡ぐらいは何度か起きる計算になるわ。それがあたしの考える、あの人に人間以外の血が混じっている仮説の一つよ」
話がそれることを感じたのか。
ミツルさんは話の先を促すように皮肉気に肩を竦めてみせる。
「まあ魔術や異能が昔からひっそりと存在していた可能性も、あの公安クソ野郎の奇行の原因もいいが――それで、例の犯人捜しはどうするんだ。そっちの方が大事だろうよ」
「どっちも解決する手段は考えてあるわ」
告げてあたしはふふんと微笑し。
闇の煙を纏って、宙返りをするようにジャンプ。
着地した時には、プニっと音が鳴っていた。
「ア、アカリちゃんが!」
「ネコになった、だぁ!?」
そう、あたしはカラスの濡れ羽色の、美しい黒美猫に変身していたのである!
ふわふわゴージャスな黒猫なあたしは、ふふん♪
長いしっぽをふぁさっと揺らしながら、ドヤァァァァア!
『これで赤髪姫としての魔力影響は減少する、ヤナギさんが”魔に魅入られる”こともなくなると思うから様子を見ましょう。で! 猫ちゃんだから不法侵入とか、銃刀法違反とか面倒な規則の適用外になるわ! これであたしを狙ってきた連中の後を辿って、脅すなり記憶を操作するなりすればいいって寸法よ!』
実際。
法律の網を潜り抜けることができるのはかなりの利点。
女子高生がどっかに殴り込みに行くのと、麗しいネコが入り込んできていきなりキックをするんじゃあ結果がだいぶ異なるだろう。
女子高生なら逮捕されるが。
ネコちゃんなら許され……るかどうかは微妙なところだが、少なくとも逮捕はされない。
「なるほど、おまえさんにも魔猫王だっけか。お父さんの血が流れているわけだから」
『こうやってネコの部分を引っ張り出すこともできるって事ね♪』
まさに完璧な作戦である。
しかし問題が一つある。
「で? なんでおまえさんは、あの三魔猫のキャットタワーの上でドヤ顔を維持し続けてるんだ」
『いやあ、このネコ状態も本当の意味であたしの一部なのよね~♪ だから~』
「アカリちゃんもネコの本能に縛られちゃうってことみたいですね」
冷静に眺めながらも大黒さんがタブレットを操作し。
「変身系の異能所持者は、その変身先の肉体の影響をかなり受けるらしいとデータがでていますしね。アカリちゃんも例外ではなかったのかもしれません」
「なるほどな。っておい! てめえ! 上からモノを投げつけてくるなって!」
……。
は!
『あ、ごめんごめん! つい転がってる消しゴムとかでジャれたくなっちゃって』
「その消しゴム。おまえんところのクロネコが集めてるやつだろ? ちゃんと戻しておけよ」
言われた通り、飛ばした消しゴムを魔力で浮かべて元通りにして。
っと。
まあ猫モードでもちゃんと魔力操作はできそうかな。
あたしはキャットタワーから降りて。
ガリガリガリ!
設置されている爪とぎをバリバリしながら言う。
『とにかく! ちょっと行ってくるから、そっちはそっちで異能力攻撃をしていた生徒を探して、説教するなり止めさせるなりしておいて。あたしはあたしで令状とか、許可が必要な部分を省略できる場所に入り込んでくるわ』
「なぁ……それ本当に大丈夫なのか? 不安しかねえぞ」
「そうですね、しばらく様子を見たいですし。怪しい生徒の場所の途中まで一緒に行きましょうか。アカリちゃん」
いって大黒さんがあたしを抱き上げ。
モッフモッフとあたしの背を撫で、肉球をぷにっとし。
ぱぁぁぁぁぁぁっと表情を明るくさせる。
「うふふふふふ! ねえアカリちゃん、このままウチの子にならない?」
『あのねえ、大黒さん……。あたし、たしかにこの姿になれるし、これもあたしの心と魂の一側面を結晶化させたようなもんだけど、基本的に人間なんですけど?』
「あら? それも含めて、理解した上で言っているのだけれど?」
この人。
最初の事件で黒幕やってただけに、わりと黒い部分もあるからなあ。
まああれは仕方のない状態で強制されていたわけだが。
ネコ好きなのは確かなようである。
非道な目に遭った後に助かった人間って、異常なほどにモフモフ好きになるっていう魔術研究がでてるしなあ……。
この人もそうなのかもしれない。
「アカリちゃんの眷属の子達にも声をかけてるんですけど、お嬢様のことが心配だからって、首を縦に振ってくれないのよねえ。ねえ、どうかしら? ちゃんと幸せにするわよ?」
『そういう冗談は終わった後にやりましょう。とりあえずはこのくだらない騒動を解決するのが先よ』
とはいいつつも、抱っこの仕方うまいなあ。
大黒さん、隙あらばウチの三魔猫を抱っこしてるし。
抱っこの安定感が凄い。
ついつい四肢をびにょーんとしてしまうが、これ、ネコの時の癖が人間の時に出るとまずいな。
それにしても――……。
むにむに。
安定感の謎を理解し、あたしはちょっと複雑だった。
「あら? どうしたのアカリちゃん? 抱っこの仕方、間違ってたかしら」
『う、ううんなんでもないわ。あはははは、大丈夫だから行きましょう』
あたしを支える二つのメロンが、女子高生の敗北感を誘っていたが。
気にしない……っ。
気にしないったら、気にしないんだからね……っ。