第百十八話、始まりと運命のセーブポイント
お父様は空気を変えて、ネコの姿に戻り。
雄々しい毛並みを膨らませ。
魔王軍最高幹部としての、黒い魔力で大地を揺らした。
さきほどの魔術映像の魔術式が改変される。
音声と映像が向こう側にも伝わるようになったのだ。
もちろん、並の技術ではないが……、もうその辺はいいわよね。
べ、別に技術で負けているのが悔しいわけではないっ。
ともあれだ。
映像の連中が、こちらに気付きそれぞれに反応を示していた。
皆の注目が集まった、その最高潮を狙い。
父がゆったりと語りだす。
『やあ初めまして、人類諸君。突然の介入、申し訳ないね。単刀直入に告げよう、私がCだ』
お父様、こういう演出、大好きだからなあ。
今頃は画面の向こう側の連中は大騒動。
全ての異能妨害を強制的にキャンセルさせ、各国のお偉いさんにまで映像をつなげてるし。
『多くは語らない、今すぐ不快な介入を中断したまえ。意味が分かったのならば従えばいいし、分からないのであればそれでも問題ない。けれど、意味が分かってなおかつ従わないというのなら、君達は滅びることになる。これは確定事項だ』
告げてお父様が肉球を鳴らす。
ぺにょん♪
なかなか愉快な音だが、あたしたちの家に侵入しようとしていたどっかの組織が、全員セミへと姿を変えられ。
むっしゃむっしゃむっしゃ♪
街を歩く猫にその身を喰われて、胃袋にイン。
ただネコがセミを食べている、そんな食物連鎖の一端に見えるが……実際はどっかの武装勢力の殲滅なので……。
画面の中の、異能や魔術にも詳しい者がいる組織は、即座に作戦を中止していた。
中止しなかったところは。
まあ……言わないでおこう。下手すればそのままお父様の機嫌を損ねて、アウトだったし。警告されたのに止めない方が悪いんだし。
季節外れのセミの群れに目をやりながら、父が演説するように肉球を広げ。
『さて、人類諸君。話を戻そうか――。知っているだろうが、この世界に異能を蒔いたのは私だ。そして今、君達人類は異能や魔術を巡ってまた騒動を起こそうとしている。あの異能は世界を救うための奇跡、平和を望んだ施しであったというのに、実に嘆かわしいね。結局のところ、今の情勢は君達人類の誰が私達家族を味方につけるか、そういう話になっているのだろう』
強い目線と共に語り掛けられ。
政府筋の人間代表のおっちゃん、牧瀬氏が――頬を掻きながら。
「と、いうことになるでしょうな。先ほども姫殿下にお伝えしましたが、あなたがたは影響力が大き過ぎます。まさか、どこの組織も国も、このまま放逐できるほどの余裕はない。事実、中東の国家は石油王を通じて、あなたがたと接点を持っていらっしゃいます。同級生である石油王の息子との婚姻の話もでているとか――」
「あちゃー……。ホークアイ君もそういう事に巻き込まれてるのね……」
ここでお父様が、知り合いかい?
と聞いて来ないという事は、やはり彼の事情も把握しているのだろう。
どーでもいいけど、牧瀬さん、本当にかわいそうだなあ……。
もしこの騒動を乗り切ったら、確実に人類側代表としてCと対話をした存在として、名を残す事になるだろう。
本人の胃袋は大ダメージを受けているようで、ご愁傷様であるが。
父が言う。
『ただまあ私は神であっても鬼じゃあない。そもそも騒動発生の原因の一つには、私の介入があることも承知している。異能を発生させたことで世界は救われた、これは変えようのない事実。しかし、騒動の種も同時に蒔いてしまったわけだね。だから――私は私で自分で責任をとるつもりだ』
本題に入るべく、お父様がゆったりと瞳を閉じる。
『この世界から異能を回収し、ファンタジーという異物を撤去しようとそう思っているんだよ』
まあ、これは予想できていた。
全部持って帰る! と言い出すのではないかと言っていた、アレである。
ただ、それはそれで問題が大ありだ。
「撤去って、お父様……もう十五年、この世界には異能がある状態になっているのよ? 異能で生計を立ててる人もいる、なのに突然奪ったら、それこそ無責任なんじゃない? あたしは反対よ」
あたしの正論攻撃に、父は首周りのモフ毛を横に振り。
『問題ないさ。救世主ディカプリオと、人類に殺されたことで発生したパンデミック。改心した彼らの記憶だけを維持したまま、異能が発生したあの日に時を遡らせるのさ――セーブポイントまでやり直すということだね。そして私は異能を発生させずに、そのまま帰還する』
はい、まーた、とんでもないことを言い出した。
『全てのファンタジーの痕跡を拭い、私達はこの世界を去る。まあ、その前に私達家族と関係者だけを異世界に連れ帰るけれどね。異界に帰るモノだけはこの十五年を維持したまま、けれど人類は異能があった事も忘れ――異能のない十五年をやり直す。後は好き勝手に平和に生きるなり、全面戦争で人類が滅ぶなり――好きにやり給え。その後どうなるか、我々ファンタジー世界の住人は関与しない――それで解決だよ』
ヤナギさんを含めてだろう。
人類の方々が理解できていないようなので、あたしが言う。
「ようするに、十五年前に全世界をタイムスリップさせて――滅びの原因だった人に転生する前のパンデミックを回収、異能も蒔かないように改変。滅びの原因を取り除いた結果だけをそのままに、他は全てなかったことにするつもりなのよ。地球人類は異能を知らないまま、けれどパンデミックという滅びが存在しない世界で、あのターニングポイントからやりなおすって事。そうすれば災厄による滅びも、異能もない、ごく普通の現実的な社会になって、普通の日常に戻るとは思うわ」
まあ結局、異能やパンデミックがなくても人類は争うのだろうが。
「そ、そんなことができるのかね!?」
驚くカマキリおっちゃんに、あたしは頷き。
「そういうことができるから、お父様は魔王軍最高幹部なのよ。ハッキリ言ってチートよチート」
「い、いや、しかしだね! 十五年前に戻って、異能がなかったことにと言われても……」
カマキリおっちゃん牧瀬さんだけでなく、他の中継されている方々も同様である。
ま、困惑するわよねえ。
構わず父は淡々と宣告する。
『元よりこの世界は、私達の介入がなければパンデミックに滅ぼされていた世界だ。それを取り除いただけ、感謝して欲しいと私は思ってしまうけれどね』
細める瞳は、超ドヤ顔にゃんこ。
そのピンピンになった髯のまあ、偉そうな事。
しかしあたしはあまり納得していなかった。
「それは少し横暴なんじゃない? 異能があったことで救われた人もいる。最愛の人と出会った人もいるわ。異能を断ち、十五年の時を遡るって事は……そういう人たちの人生を殺してしまうってことじゃないかしら」
『大丈夫さ。アカリ、そのために世界は何度もループしただろう?』
お父様が瞳を、キィィィィィィンと赤く染める。
その瞳から投影された膨大な魔術式が、広がっていく。
部屋を真っ赤に染め上げたのだ。
それは全ての人間の因果律を魔術式として表示したもの――。
ようするに、運命と呼ばれるモノである。
『繰り返す時の中で、強く惹かれ合ったもの達ならば、必ずや再び再会するだろう。運命とはそういうものさ。君がどのルートを歩んでも、池崎ミツルと出逢い、時に反目し、時に協力し合ったように――もっとも縁の深い者と、また巡り会うのさ。そして、死なぬ運命が一つでもあったものは、死なぬ選択を辿ることになる』
やり直した場合の具体例を、疑似映像で生み出し。
お父様が解説をつづける。
『ホワイトハウルが助けていた、あの気丈な女性のようにね。二ノ宮くんだったか、ほら、ご覧の通りだ――彼女も死なぬ運命を進んで平和に暮らすことになるだろう。そのように、都合よく運命が集束されるようになるのは、既に実証できている。まあそれも十五年間だけの話、その後の事は保証の対象外だけれどね』
あたしは魔術師としての思考で考える。
異能によって有利になった……つまり、生きることになった人も、リスタートされた世界では生き残れる。
そのようにループの時に歩んだ因果律を読み取り、生存ルートを自動で通るようにしてある。
そういうことか。
まるで魔法のようなご都合主義だが、あたしたちは正真正銘の剣と魔法の世界の住人だしねえ。
全てが、お父様の肉球の上で動いていた。
そんな錯覚が脳裏をよぎっている。
あたしはちょっと、腑に落ちない様子で溜め息に言葉を乗せていた。
「無限の時は、お父様の実験場でもあった。最初からこうなさるつもりで、あのループを維持なさっていたのですね」
魔術師としての差を感じつつ。
漏らしたあたしの言葉に、父も反応し。
『言っただろう、力ある者の責任というものがあるからね。私は皆に異能を与えた責任がある。力を世界に蒔いた時には、既にその対応策も考えていて当然だろう? 別に、突発的に思い付きでバラまいたわけじゃないのさ』
言い切るお父様の尻尾が、なぜか左右にブンブン揺れているが。
まさかその場の思い付きで、魔術の亜種ともいえる異能を発生させるとは考えにくい。
お父様の程の人が、それほど短慮とは思えない。
つまり、世界を異能で救い。
異能も回収することで、デメリットなしに世界を救う計画だったのだろう。
ったく、そこまでできるならあたしたち三兄妹の力を借りずに、自分でやればよかったじゃない!
そう怒鳴ってやりたくもあるが、まあ本当に、お父様たちは強大なので、影響力が大きすぎる。
自分たちだけでは、うまくいかない部分もどこかにあったのだろう。
異能のない平和な世界で時をやり直す、ねえ。
……。
あたしはとある答えに辿り着き。
すぅっと胸を冷やしていた。
ゆっくりと、唇を上下させる。
「待ってお父様。じゃあ、池崎さんはどうなるのよ」
父は何も答えない。
それが答えなのだろう。
ヤナギさんが眉間にシワを作り。
「アカリさん? どうなさったのですか?」
「どうもこうもないわよ」
揺れる紅茶の波紋とテーブルの前。
あたしは声を荒らげないように、あくまでも冷静に告げる。
「あの池崎さんは――異能が発生した事によって転生したパンデミック、その彼が死して完全なる魔性となった後……五年後のあたしとの出会いを果たして、タイムスリップしたことで初めて発生した存在でしょう。異能がない世界にやり直すことになったら、池崎さんは――」
『消滅するだろうね――けれど、それは彼も了承済みだ』
父が告げたその時。
ネコの影空間を渡って顕現したのは、無精ヒゲのイケオジ未満。
今、ちょうど話題になっていた池崎さんである。
まあ、彼の肉体の器はお父様が用意したもの、大魔帝ケトスの眷属ともいえる存在だった。
父の影から出現することに違和感はない。
飄々とした顔でお父様の後ろに立ち、ふぅっとタバコを吸い。
渋く眉を下げて、男は言う。
「ま、そういうわけだ――だから、お前さん達とはこれでお別れだ」
「なっ、正気なのですか!?」
ヤナギさんも知らなかったようで声を荒らげるが。
当の本人は、キシシシシっとコミカルに笑い。
「オレの目的は果たされたからな。なに、どうせパンデミックから派生した存在だったんだ、元に戻るだけだろうが」
達観した様子で、やり切った英雄のような顔をしているが。
あたしは、じぃぃぃぃぃぃっとその顔と父の顔を眺め。
「あのねえ、あ、消えちゃうんですか。いままでお疲れさまでした~。あたしたちは驚異の無くなった世界で、明るく元気に、楽しく生きていきます~♪ なんてできるわけないでしょうが! どういうことよ、お父さん!」
『しかし、この十五年は異能のせいで様々なことが狂ってしまった。異能力者誘拐事件について、君も知らないわけではないだろう、アカリ』
「そ、そりゃあまあ……」
言いたいことは理解できる。
異能力者誘拐事件は、異能力が発生しない限りは起こらない事件。
あの事件に巻き込まれて不幸になった人は、それなり以上にいる。
世界を救うためとはいえ、異能を蒔いたことで不幸になった人もいる。
それは事実。
しかし――。
「でも、やっぱり納得なんてできないわよ!」
「いいじゃねえか、本人が納得してるんだしよ」
あたしは、ムカっとしつつ。
お父様の後ろで、呑気にタバコをプカプカする男を睨んでいた。
「あたしが納得してないんだから、ダメ」
「おいおい、勝手に決めるなっての」
「なによ! 先に勝手に決めたのはそっちでしょう!」
ガルルルルっと影のネコを伸ばすあたしに返ってきたのは、渋い苦笑。
「あのなあ、もうオレはそれこそ厳密にループを再計算して合計すりゃ、百万年は生きてることになるんだぞ? それに比べて人間はせいぜいが百年、もうオレは十分生きてるんだよ」
まあもっともな考えかもしれないが。
あたしは赤い魔猫としての影を、キシャァァァァと威嚇させていた。
「納得できないわ、却下よ却下! いくらお父様の提案でも、それだけは認めないんですから!」
『おや、では力尽くで止めてみるかい?』
できやしないからこその言葉だったのだろうが。
あたしは髪を赤く染め上げ、赤雪姫モードに変貌。
ニヒィっと言質を取った、弁護士のような悪い顔で――くすりと姫の微笑を浮かべてみせる。
「つまり。それは裏を返せば、力尽くで止めるならいいって事かしら」
『君がかい?』
お父様は困惑しつつ。
『確かに、いずれ君は私にも並ぶ使い手になる可能性はある。なにせ魔王陛下の血統だからね。けれど――それはもっと未来でのこと。今の君では力不足。私に勝てると本気で思っているわけじゃないんだろう?』
「ではお父様はあたしに、戦う前から諦めろと?」
『力の差は君だって分かっているだろう? 無駄な時間になるだけだよ。私は、娘と闘う気などない。もっと成長してから出直してきなさい』
あたしは敢えて、無効化される挑発の魔術を発動させていた。
「娘に負けるのが怖いのかしら?」
『言うじゃないか』
魔術としての挑発は失敗している。
けれど、言葉としては成立していた。
ゴゴゴゴゴっと互いの魔力がぶつかり始めたせいだろう。
世界が、軋み始める。
揺れる世界を天上から支えたのは、ロックおじ様とハウルおじ様。
んーむ……。あのお二人が同行していたのは、お父様のため。お父様がうっかりで世界を破壊しないように、フォローするためだった可能性が高いわよねえ。
もう部外者みたいな感じになっている牧瀬さんが、必死に椅子にしがみつき。
「な、なんとかしてくれ池崎! こ、この二人のせいで、世界全土が揺れまくってるぞ!?」
「いや、オレに言われても困るんだが……おい、暴走親子。おめえらは、周りの迷惑をもうちょっと考えてだな……」
言われたあたし達は、くわっと同じ表情で。
「世界を破壊しようとしていたあなたに言われたくないわ!」
『世界を破壊しようとしていた君には、言われたくないね!』
別に打ち合わせをしていたわけじゃないが。
やっぱり親子なのねえ、と他人事のように思ってしまうのである。
ともあれだ。
あたしは――本気だった。
せっかく平和に向かい始めていたのに。
せっかく、ループから抜け出して前向きに歩み始める筈だったのに――。
それが一方的に壊されるなんて、絶対に嫌。
これは負けられない戦いである。
それに実は、勝算がまったくないわけではない。
多くの異能力者達の異能を纏めた強大な書、あの魔導書を手に乗せ。
ビシ!
赤い髪を靡かせ、白い肌に雪色の魔力結晶をキラキラキラ!
あたしは高らかに宣言していた。
「勝負よ、お父様――! あたしが勝ったら、その計画。中止させていただきます!」
『いいだろう。私が勝ったら、魔王城に戻った君に、三日間のトイレ掃除を命じる!』
父も、ビシっと肉球であたしを指差し。
くははははははっと邪悪な哄笑をあげていた。
その尻尾も肉球も、角度が計算されているのだろう。あたしの白結晶の魔力を受けて、白銀色に輝いている。
な!?
父も、どうやら本気のようだった。
あたしは掃除があまり、というかかなり苦手な方。
三魔猫が慌ててあたしの影から顕現し。
必死の形相で訴える。
『我らが神よ! それはあまりにもご無体!』
『姫様にトイレ掃除など……っ』
『野猿に連立方程式を解けといっているようなものでありましょう!』
クロシロ三毛色の魔猫が、ネコの神にして王たる父に訴え叫んでいた。
あ、あたしを擁護しに来てくれたのだろうが。
こいつら。
あいかわらずナチュラルに失礼なのよねえ。




