第百二話、原初の神父 ~真実を辿る魔導書~その5
神父の思い出を辿る物語は進んでいた――。
ここは宗教を母体とした病院。
先ほどの場面から五年が過ぎている。
物語を追うあたしが言う。
「たぶん、二十歳になったディカプリオ神父の物語ね。異能が発生した年、シスターの死のあの瞬間――神父は救世主としての異能を手に入れていたってところかしら」
「救世主の異能。言い換えればどんな奇跡でも叶えてしまう万能の力か」
呟く池崎さんの前。
ディカプリオ神父がちょうど奇跡を発動させていた。
医者に頼まれ、当時の医療では治せない病気の治療薬を奇跡によって授けたようだが――。
「これだけ見てるとまともだな。ただ病人の治療に手を貸しているだけにしか見えねえな」
「実際に人を救いたいっていう願望はあるんでしょうからね。この時の彼はまだ、今の狂人になってはいないのかもしれないわ」
そう。
ディカプリオ神父の評判はすこぶる良かった。
病院の相談室に若き神父として招かれた彼は、誰の、どんな相談でも親身になって聞いていたのである。
そして奇跡を披露する。
医者では治せない病や傷を治し、信頼を勝ち得ていく。
やがて絶対的な信仰を得た彼は、こう切り出すのだ。
「探している人がいるのです――と」
彼は言葉巧みに過去のカルテを提供させた。
物語は進む。
物語は進む。
物語は進む。
病院を巡る彼の軌跡と執念を眺め、あたしはなんとも反応に困ってしまっていた。
「入り込める病院全部を探っているんでしょうけど……」
「まあ、部外者にドナー情報はなかなか提供できねえわな」
そうなのだ。
彼は信頼を得て、初めてその情報を手にすることができる。
あの黒衣の神父の臓器移植を受けたかもしれない人間を探るまでが、本当に長い。
もし彼が悪人だったら、データ化されたカルテをハッキングするなり、病院に忍び込み資料を盗めばいいのだろうが。
変なところで真面目なのである。
しかも、そこに欲しい情報があるとは限らない、というか今のところ全部ハズレである。
だからディカプリオ神父は人々を癒し、奇跡を披露しながら病院を渡り歩く。
亡き恩人の臓器を辿り――。
無数の病院を巡る彼は、いつしかこう噂されるようになっていた。
奇跡の人、と。
宗教系の病院の中。
だんだんと世界を覚えた糸目の金髪美青年は――静かな微笑を浮かべていた。
患者や医師たち、そして看護師や清掃スタッフの相談も受け、にこりと、穏やかな笑みを浮かべているのである。
事情を知らない人が彼を知れば。
こう思うだろう。
無償で皆を癒し続ける、聖人――と。
実際は、あたしのお父さんの面影を一心不乱で追っているだけなのだが。
……。
それをイライラとした様子で眺めていたのは池崎さん。
「だぁああああああぁぁぁ! 見てらんねえな! こんな奴らのご機嫌を取ってねえで! 異能を使って情報を提供させればいいじゃねえか!」
「あのねえ、この時の彼はまだ二十歳よ? それも、あまり社会経験のない宗教系の施設で十五年も暮らしていたんですからね? あなたみたいに割り切った考え方はできないんでしょう」
しかし、だ。
「ここまで真面目なのも考えものね」
「なにが言いてえんだ」
「真面目な人って真面目な分だけ反動が怖いっていうか、キレたら溜まっていた風船が爆発したみたいに――けっこう凄い事があるでしょう? それと一緒よ。真面目だった神父がどこかで壊れてしまう、そんなきっかけがあるのかもしれないわね」
言葉にした途端。
それは現実となった。
ここはあたしが生み出した魔導書の中。
あたしが知りたい部分に連動させたのだろう。
ディカプリオ神父がついに、臓器移植に関わった人物を一人発見したのである。
それは古い病院の、倫理観が薄い医者からの情報。
その医者は昔、怪しい仲介業者から違法な遺体を購入したと、告白したのだ。
一人の臓器提供者から臓器を抜き取り――ドナー提供を待つ患者と、その仲介業者に臓器移植を行ったとのこと。
ディカプリオ神父は神に手を合わせていた。
彼にしてみれば、やっと愛しい神父に辿り着いた気分だったのだろう。
しかし問題は、その仲介業者。
ようするに、あの老いたシスターの昔の悪い仲間、といったところか。
新鮮な臓器提供者の遺体を買い取ったという仲介業者は、他の臓器を譲る代わりに、自分にも移植をしてくれと言い出していたのだ。
おそらくその男もどこかが悪かったのだろう。
倫理観の薄い医者は、その話を受け入れた。
医者にとってはどこで手に入れたのかは知らないが、本当に新鮮な遺体といまだ機能する臓器提供の話である。
臓器移植を待つ患者は山ほどにいる。
罪であると知っていても、それで助かる命があるのなら――。
利害が一致したといったところか。
医者は買い取った神父の臓器を使用した。
治療を待っていた患者と、その仲介業者に臓器を提供したのである。
医者に言わせれば命を救うため、多少の犯罪を見なかったことにした。
そういうことだったのだろう。
池崎さんが言う。
「人の命を救うために違法の臓器に手をつける、か。どうなんだろうな、これは」
「道徳の時間じゃないんですもの、その辺の是非はこの際抜きにして――移植を受けた人は基本的に”誰から”移植されたかは知らされないモノよ。だからたぶん……本人も違法な臓器だとは知らないまま、生きているんじゃないかしら」
手に入れた資料をもとに、ディカプリオ神父が走り出す。
彼が追ったのは、医者以外で唯一、違法な臓器であると知っている者。
ようするにシスターの悪い仲間だった、仲介業者である。
その男は海外に渡っていたのだという。
海外に行った男を探すのは本来なら困難だ、けれど――彼は異能力者。
それも万能たる救世主の異能。
少しの手がかりさえあれば、発見することはそう難しくなかったようだ。
話はとんとん拍子に進んだ。
本当に再会できることになったのである。
まあ、それを再会というのかは……いまいちわからないが。
あくまでもドナーから提供を受けただけの、他人ともいえる。
けれど、大好きだった人の一部分を持つ、大事な人ともいえる。
そもそも彼は臓器提供を受けた人たちにあって、どうしたかったのだろうか?
おそらく、本人も考えてはいなかったのではないだろうか。
ただ、あの日に帰りたい。
平和だったあの穏やかな日に――。
そんな、漠然とした――。
子どものようなメルヘンが、真面目な青年の胸にはあったのではないだろうか。
そして、海外でついに、彼は大好きな恩人の臓器を譲り受けた一人と出逢う事になった。
もっとも、それは良き再会ではなかったようだが。
切り替わった景色に、池崎さんが眉を顰める。
「ここは――」
「海外の刑務所、でしょうね――臓器を違法に売買するような人ってことですもの、こうなる未来もあるってことでしょう。でも……、様子が変ね。収監されているなら、そんなに簡単に面談なんてできないと思うんだけど」
けれど理由はすぐにわかった。
神父が案内されたのは刑務所がある建物とは別、土地の一番端にある場所。
引き取り手のいない死者たちの、寂れた墓だった。
そう。
父の臓器を買い取った仲介業者は海外で罪を犯し。
既に処刑されていたのだ。
どこの国かは分からない。
けれど、いわゆる聖書宗教圏内の、西洋の国だという事は分かる。
ここは土葬が認められている。
処刑されたモノであっても、埋葬されていたのだろう。
わざわざ慰問に訪ねてきた、ということになっている青年神父に施設の異国人が言う。
「それでは神父さん、一応、こいつらでも死者なんでね。祈りの一つでも捧げてやってくださいな」
「案内してくださり、ありがとうございます――あなたに神のご加護があらんことを」
告げた途端、施設の人間たちが洗脳されたかのようにボゥっと立ち竦み。
何事もなかったように、戻っていく。
救世主の異能で、邪魔者を追い払ったのだろう。
彼は一人となった。
青年となったディカプリオ神父は――動いていた。
迷わず。
侮蔑が刻まれた犯罪者の墓に手を伸ばしたのだ。
土を掻く音がする。
モグラとは違う、人の手で、土を何度も掻き分ける鈍い音だった。
真っ黒な顔をして。
一心不乱に、牙さえ覗かせ――神父は独りで墓を掘る。
その表情があまりにも黒かったからだろう。
あたしは思わず反射的に瞳を逸らしてしまった。
けれど、池崎さんの赤い瞳は真実を直視するように、神父の凶行を眺めていた。
「聖職者が墓荒らしとはな――」
「彼の目的はあくまでも、聖遺物でしょうから……まあ、こうなっちゃうわよね」
やがて神父は、糸目に一条の雫を流し。
墓の前。
掘り返した棺を眺め、唇を蠢かした。
「やっと、再び、お会いできたのですね神父様――」
まるで生き別れとなっていた父や母と再会したような。
そんな、絞り出すような。
切ない声だった。
神父の異能が棺を開く。
「主よ――奇跡をここに」
中には、腐らずそのままになっていたアジア系の犯罪者の、大柄な躯が横たわっていた。
神父は躊躇することなく、土に塗れた長い指を伸ばし。
その汚れに気が付き、浄化の奇跡で清め。
そして――。
まるで赤子を抱き上げる聖職者の顔で――。
ぐじゅ!
その瞳を抜き取ったのだ。
彼に移植されていたのは眼球だったのだろう。
正確に言うのなら、角膜なのだろうが。
ここで問題が発生した。
池崎さんが考え込んでしまった過去の神父の、揺れる金髪を見て。
「どうしたんだ、これで一応、目的の一つは果たせたわけだろう」
「あのねえ、臓器売買していたこの仲介業者……死刑囚に移植されていたのはたぶん角膜だけ。眼球そのものは違うでしょう? だから、扱いに困っているんだと思うわ」
「まあ角膜だけ抜き取っても……ってことか」
その答えが――これか。
神父は聖書を開き、異能を発動させていた。
「なにしてやがるんだ」
「これは――聖書を魔導書として自分の異能と合成させたのね。魔術と異能の魔術式を強引に結びつけたのよ――完全に独学なんでしょうけど、凄いわね。オリジナル魔術みたいなものですし。ちょっと……いえ! だいぶ興味があるわ!」
思わず髪の先に猫耳と猫しっぽを生やしてしまったあたしに、池崎氏。
渾身のジト目である。
「いや、こういう場面ではブレろよ。なかなか気持ち悪い光景だぞ、これ。さっきまで目を逸らしてやがったくせに。魔術の事になると目の色を変えやがって……」
「いいじゃないの、別に~。魔術体系として確立されていないオリジナル魔術ってけっこうすごいんだから! これだけで、神父への評価はかなり上がったわよ!?」
ともあれ、そんなやりとりをしている最中にディカプリオ神父の異能は完成していた。
死刑囚の遺体は変貌し、神父の眼球を取り込んだまま光となったのだ。
そして――。
これこそが最初の天使の誕生だったのだろう。
今のディカプリオ神父が使役している天使の、第一号が降臨したのだった。
歯だけが見える。
あまり頭は良くなさそうだった、死によって呪いを解除するため神父を食い殺したあの天使。
ギシリトールである。
天使の肉体構成はいわゆるエーテル体。
死者の遺体を改造したのではない。
朽ちぬ死肉を材料として一度光に変換――そこから遺伝子を組み替えるように、天使の配列へと魂を組み替えたのだろう。
聖人の遺体から生み出されたゴーレム、ともいえるか。
ゲーム的発想で言えば、天使という架空の存在を、人間の遺体から合成したということだ。
聖人の加護を受けていた遺体とはいえ、これもやはり高度な技術。
あたしはちゃんと術構成をメモしているのだが。
やはり池崎さんは呆れ顔である。
そんなあたし達の目の前で、ディカプリオ神父が天使に命じる。
彼が最初に下した指令は――。
……。
「どうか、ずっと一緒にいてくれませんか――あの時のように、あの日のように……。わたしはただ、それだけでいいのです。ただ、それだけで――幸せだったのですから」
本当に、心を裂くような。
失ってしまった過去を懐かしむような、悲しい願いと声だった。
それと同時に。
神父は壊れた笑みを浮かべていた。
天使が言う。
『主人、命令は? 意味、分からない』
「そう、ですか――」
しばし考え、神父が言った。
「なら、わたしの頭を撫でていただけませんか?」
命令をされた天使は、まるで意思なき昆虫のようにギシりと首を傾げていた。
それでも術者の命には従うのだろう。
歯だけを覗かせる悍ましき天使の腕の中。
神父はまるで、子どものように安堵した顔で。
頭を撫でられ。
泣いていた。
これが遺体から合成された歪な天使でなければ――。
神父の美貌も相俟って、宗教画のような清らかな荘厳さがあるが……。
現場は刑務所の端の、引き取り手がいない遺体の墓の群れの中。
狂った美しさが、ここにはあった。
神父が、掘り起こした墓の土の上で、声を漏らす。
もう、独りにしないでください。
わたしを置いていかないでください。
わたしを、孤独にしないでください。
どうか。
ずっと。ずっと……。
永遠に……。
神父様と、終わらぬ平和を過ごしたかった。
それが。
彼の願いそのものだったのだろう。
あたしが言った。
「なんだか、ちょっと……可哀そうに見えるわね」
「この時のこいつはまだ、大した罪を犯してるわけじゃねえからな……まあ、この光景を見る限り。もう心のどっかが、ぶっ壊れてるんだろうが――」
と、池崎さんはタバコに火をつけ、複雑そうな顔で渋く唸っていた。
あたしは別の可能性を危惧し。
「しかし、これ――力にほとんど影響しない角膜だったから良かったけど。他の臓器、特に内臓系を譲り受けた患者さんってどうなってるのかしらね――」
「角膜だけで遺体が腐ってねえ状態になってたからな。まあなんか影響は受けてるだろうな」
これから神父も他の臓器を探すのだろうが。
あたしは彼らにもう一度、目をやっていた。
天使――それは死刑囚から生み出された、いびつな肉人形。
歪んで、不安を煽るような光景だが。
それでも楽園を失った神父にとっては、これでも確かな救いだったのだろう。
異世界転生。
勇者召喚が招いた、悲しい神父の物語。
この魔導書も、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。




