第百話、原初の神父 ~真実を辿る魔導書~その3
太陽と木漏れ日に包まれた孤児院は消沈していた。
樹々が揺れている。
大人のすすり泣く声と、子どもの号泣がまるで礼拝堂を揺らしているように見えるが……。
揺れているのは過去の映像だった。
この記憶の観測者たるディカプリオ少年が、泣いているせいだろう。
映像も揺れているのだ。
棺の中で眠るように亡くなっているのは、例の神父。
聖人と素質と悪の素質を持ち合わせた、異形なるイレギュラー。
ここは既に太陽を失った世界と化していた。
カリスマや求心力のありすぎる存在が消えた後、その者を中心に成り立っていた世界は崩壊していくのだから。
おそらく、この孤児院も長くはないだろう。
子どものすすり泣く声が苦手なのか。
池崎さんが、きまり悪そうな顔で頭をガシガシと掻き――。
ぼそりと呟いた。
「死因はなんなんだ?」
「魂だけが召喚されたのよ。結果としてどんな強者であっても肉体を滅ぼすことができる。召喚なので攻撃でもないでしょう? だから防ぐことも難しい。そして、魂が抜けた肉体は……長くは生きていられないわ――」
訪れたのは突然死。
本当に眠るように死んでいる。
神父の頬には、子どもたちの涙が伝っていた。
魂が召喚された形跡は普通の人間には見えないだろう。
だから、本当にただ心臓が止まっただけにしか見えないかもしれない。
けれど、あたしには見えていた。
召喚術式を、魔術師としてのあたしが解読していたのだ。
あたしはまた一つ、答えにたどり着いていた。
……。
全ての始まりは、この神父――だったということだろう。
そして、なぜ池崎さんのタイムリープが終わらないのかも、少し理解できた。
確認するようにあたしが言う。
「池崎さん、ディカプリオ神父を助けたり共闘したりするルートを辿ったことはあった?」
「いや、一度もねえな――なんだ、こいつそんなに重要な分岐点だったりするのか?」
やっぱり。
池崎さんは一度も、ディカプリオ神父と同じ道を歩むことをしなかったのだろう。
……。
ま、まああの暴走サイコ神父を見れば仕方ない事だが。
あたしも消しちゃう気満々だったし。
「もし、もう一度ループすることになるのなら覚えておいて。ディカプリオ神父とも和解するなり、納得できる形で彼の物語を終わらせるなりしないと、たぶん駄目。やり直すことになるわね」
まああたしはこのあたしで、このループを断ち切るつもりだが。
念のため、というやつである。
口調を変えて彼が言う。
「どういうことだ――」
「ループのからくりは単純じゃない、あたしが発生させたループ現象にお父様が改竄して成立している。それは理解してるわよね」
「ああ――」
渋い男の声を聞きながら、あたしは続ける。
「おそらくお父様にとってはこのディカプリオ神父も救済の対象なのよ。死んでしまうにしても、彼自身が報われる形じゃあないと、たぶん駄目ね。世界が滅びるとか関係なしに、また最初からやり直しになる可能性が高いわ」
「待ってくれ嬢ちゃん。すまねえが、茶化してるわけじゃねえが……本当に意味が分からねえ――お前の親父さんと、こいつは何の関係もないだろう」
ループの話なので、彼も真剣で凛々しい顔をしていた。
わずかな高ぶりが赤い魔力となっているのだろう、彼の足元で揺らめいていた。
赤い瞳も、煌々と照っている。
「関係ない、あたしもそう思っていたわ。ただの三下。救世主であることにこだわりすぎて、世界を滅ぼしてしまうどうしようもない狂人。そう誰しもが思うでしょうね。だって、本当にどうしようもない感じでしたしね――無理もないわ」
けれど、だ。
神父の命を奪ったこの魔術式。
異世界転生――勇者召喚の魔術式を読み取ったあたしは気が付いてしまった。
「重要なのはディカプリオ神父の方じゃない。彼を教育し、そして異世界召喚で死んでしまったこっちの黒衣の男の方」
「この男が――? そりゃあ、まあ特別な存在だったっていうのは理解できてるが。どう足掻いても、所詮は人間の器。オレのような存在だとしてもできることは限られている。クイズじゃねえんだ、悪いがそういう謎かけは今はなしにしてくれ――」
池崎さんも棺に納められた聖人に目をやる。
言葉を探し、あたしはわずかに目線を下げ。
考える。
横たわる聖人の遺体を眺めながら、唇を上下させていた。
「この神父はこれからきっと、長い冒険を送ることになるわ。異世界に転生して、人間を恨んで……本当に、長い、長い物語を歩むことになるのよ。いくつもの戦争や、いくつもの出会いと別れを繰り返して――この神父の物語は、後に英雄譚として異世界で語られることになるの」
「つまりは嬢ちゃんも知ってる奴ってことか」
あたしはなんと答えるべきか、少し悩んだ。
けれど。
語らないでおくのも違うと思って、言葉を口にしていた。
「あなたもよく知っている人よ。あたしにとっては知らない筈がない人。まあ、人っていうとまたちょっと違うかもしれないけれど。もう、ここまで言えばなんとなく察したんじゃないかしら」
しばらくして。
ポロリと、煙草の灰が空を舞った。
その直後。
「……まさか、この神父は――」
銜えタバコを落としかけた池崎さんが、煙と共に、続けて言葉を漏らしていた。
「こいつは、嬢ちゃんの――」
「ええ、たぶん。間違いないわ」
彼も察したようなので、あたしも結論を言葉にしていた。
「この神父は本来邪悪な反救世主でありながらも、勇者の素質に目覚め聖人としての側面も手に入れた存在。世界最強の魔猫が転生する前の、普通の世界に生きていた人間。あなたに協力している三獣神が一柱、大魔帝ケトスの原初の姿。あなたたちがCと呼ぶ者」
回りくどい言い方を投げ捨てると。
こうなる。
「ようするに、あたしの父さんよ」
言葉にしてみれば、あっけない。
もしこの黒衣の神父がお父様で、自分が死んだ後のディカプリオ神父の人生を気にしていたとしたら。
少年自体が暴走して、道を踏み外し――狂人と化していたとしても。
救いたいと願っただろう。
だからディカプリオ神父の事もおそらく、必須条件。
お父様はおそらく、彼の人生を放置したままの結論を認めない。
再び神をも超える猫の力で、時を戻してしまう事は目に見えている。
「嬢ちゃんが出した結論を疑ってるわけじゃねえが、分からねえことがある。いいか?」
「ええ、もしかしたらあたしが間違っている可能性もあるし」
言葉を聞き、彼が言う。
「まずは一つ。時間のズレだ。ディカプリオ神父が五、六歳の頃に親父さんが亡くなって転生したんなら――おかしくねえか? 何年前かは知らねえが、これはたぶん異能力が発生したターニングポイントよりも前の出来事にはなる筈だ。とはいえだ、百年も二百年も前ってわけじゃねえ。スマホもまだそこまで普及してねえみたいだが、テレビゲームもある時代だ。せいぜいが二十五年前ぐらいってところだろう? お前さんの親父さんの年齢と合致しねえんじゃねえか」
なかなかいい着眼点である。
「そっか、池崎さんは異世界を話でしか知らないから把握していないのね。世界によって時間の流れって異なるのよ。特に、お父様や魔王陛下が住まう世界は、他の世界よりも時の流れが速いから……こっちでは一年でも向こうでは十年とか二十年とか経っていたって話よ」
もっとも、その流れ自体も一定ではなく早かったり遅かったりするらしいが。
たぶんその辺の誤差の犯人も、お父さん。
父もあたしと同じく時魔術を使えるので、その辺を便利に乱用しまくってる影響なんじゃないかとあたしは睨んでいる。
「その言い方だと、今は違うってのか」
「ええ、今はこちらの一年もあちらの一年も同じ時が流れているわ。たぶん、あたし達兄妹やお母さん達があっちとこっちを行き来することになるから、時間の流れを同期化させたんでしょうね」
しばし眉間にシワを作り。
池崎さんが言う。
「なら、この黒衣の神父はマジで――あの大魔帝ケトス、ってことか」
「まあ、この状態のお父様にはそこまでの力はないでしょうけどね。ただ人を扇動することの上手い人間ってとこね。本当に力をつけるのはネコに転生してからの話。そこで父は愛する者を人間に奪われて魔性と化すのよ。そして魔王陛下に拾われて――……と、まあその辺りは今度本人の口からでも聞いてちょうだい」
つまるところ。
お父様がループを繰り返す池崎さんに協力していた理由の一つは、これもあるのだろう。
父は孤児院の子ども達の運命も、どうにかしたいと考えているのかもしれない。
「なんで、親父さんは自分で動かねえんだ――無責任とまでは言わねえが、回りくどいだけだろう」
「動いた結果があなた――なんでしょうね」
そのままあたしは言う。
「三獣神がこの世界で直接動けば、下手すれば全てが台無しになるわ。この世界はそれほど丈夫じゃないもの。だから、お父様もおじ様たちも強すぎるが故に直接の介入ができないでいる。なら、直接的じゃない方法で手を加えるしかないでしょう? けれど、そんな都合のいい存在、見つかる筈もない――本来ならそうだったんでしょうけど、そこにあなたが現れた」
ここら辺は想像することしかできないが――。
おそらくは答えである。
「父はきっと、餌を見つけた猫みたいに喜んであなたに近づいたんでしょうね。黒死病でもあったあなた自身も罪を犯している、人間と世界を恨んでいるとはいえ――罪のない人まで殺しているわけですからね。その贖罪の意味も込めさせてあなたを使い、世界を救おうとしているのよ」
池崎さんが無言のまま。
けれどあたしに先を促すように、真剣な顔をしている。
魔術講師の顔で、あたしは魔術式を提示してみせる。
「罪を犯したペスが、世界を救う事に協力することで飼い主と再会できるように。そう、あたしが願ったように――父はあなたに世界を救わせたいのよ。自分の利害も含めて、色んな部分で合致したんでしょうね。だからあなたを使徒として、このループをずっと補助して支え続けているんだと思うわ」
口にしている事は、一応筋が通っている筈。
しかし疑問が一つ湧いてきた。
お父様がこの辺りの重要なことを語らないのは、前からの事。
それは特に不思議ではない。
自分で気づけ、自分で対処しろ。気づけないのならそれも運命。
そんな達観した部分もあるからである。
あたしが気になっているのは池崎さんの方。
「ねえ、なんであんなに時を繰り返していたのに、ディカプリオ神父と共闘しようとか、運命を変えて協力する道を探そうってならなかったわけ?」
これである。
あたしは池崎さんの苦労を知っていた。
本当に、様々なルートを進んでいるのに、まさかディカプリオ神父のルートを完全に放棄していたとは思っていなかったのである。
「そりゃあしゃあねえだろう。オレの誕生の原因を、よく考えてもみろよ」
「誕生の原因って……ああ、そういうことか。悪かったわ」
答えを察し、詫びるあたしに彼が浮かべていたのは――。
優しい苦笑だった。
「お嬢ちゃんは察しが良すぎるな――知りたい故に、頭が回る。様々な世界や物語、魔術を知っているから答えを導き出してしまう。全てを暴かずにはいられない。そんなんじゃあ逆に疲れるだろう。全てを知りたいと思うのは悪い事じゃねえだろうが、知らなくてもいい事を知っちまうのは、良い事ばかりじゃねえだろう」
どう答えたらいいかわからず。
あたしは眉を下げただけだった。
あたしの赤い視線は、孤児院に移っている。
福祉施設ともいえる清廉な場所。
ここの教会が直接何かをしたわけじゃない、けれど――。
ネコが受けた仕打ちと、魔女が受けた仕打ち。
その両方の憎悪が、彼、憎悪の魔性イケザキさんを生み出した。
つまり――。
「あなたは教会、聖職者が嫌いなんだったわね」
だから一度も。
ディカプリオ神父とは手を組まなかった。
憎悪する瞳が、教会の神像を睨んでいた。
「オレ達を火にくべ、時には祭りとして遊んで惨殺してた連中を、どうして信用できるって? 腐ってもこの男は神父だったからな。しかも狂っていても信心だけは本物だった。こいつ、どう狂っても神を信じてやがるのさ。心からな。――協力の道なんて、考えたこともなかったよ」
実際、池崎さんはいまだに教会を憎んでいるのだろう。
教会を恨んでいるからこそ、パンデミックは今もディカプリオ神父を騙し、終末装置にしようとしているんだろうし。
誰が悪いわけではないのかもしれないが――。
あたしの胸には、やるせなさが滲み始めていた。
バラバラで、全てが関係ないと思っていた欠片が――。
収束している気がした。
池崎さんと出会ってからのあたしの物語には、なにひとつ偶然などなかったのかもしれない。
全てが全て、繋がって関係しているのだ。
直接かかわっていなくても、どこかで交差する部分がある。
あるいは、人の人生とはそういうものなのかもしれないが――。
一つ、明らかになった真実の前――ディカプリオ少年の物語は進む。
子ども達がシスターに問いかけていた。
あたしはそれを聞いていた。
どうして、神父様は動かなくなってしまったのですか?
どうして、起きて下さらないんですか?
どうして――どうして。
ディカプリオ少年が神父の身体を揺さぶっていた。
五歳の少年ではまだ死を理解できていないのか。
あるいは、理解したくなかっただけか。
顔色を黒く染めたディカプリオ少年が、床に向かい言葉を捨てる。
「シスター。どうして――どうして神様は、神父様を殺したのですか……」
言われたシスターは聖職者としての言葉で返していた。
「殺したのではありませんよ、ディカプリオ。神父様は主のもとへ召されたのです、神父様はこれから天国で我らを見守ってくれるでしょう。そしていつか、主の再臨の日、最後の審判の日には再会できる。そう、これは一時の別れ。寂しいですけれど、悲しい別れではないのです。主のもとへと旅立たれただけなのですから。教会では、そう……教えているでしょう?」
よくある言葉。
よくある聖職者の言葉。
けれど、ディカプリオ少年は言った。
「そんなの嘘ですっ。嘘つきです、シスターは……」
「ウソではないわ。少なくとも、ここの教えではそうなっているのですから」
少年が、言う。
「悲しい別れではないのなら、どうして……。どうしてシスターも――泣いているのですか?」
「え……?」
言われてようやく、シスター本人も泣いていることに気が付いたのだろう。
頬を伝う涙を拭う事もせず。
ただ安らかに眠る神父に目をやり――。
「だって、別れは……寂しいですから」
「なら、やっぱりおかしいですよ! 神様がいらっしゃるのなら、どうして、わたしたちの大好きな神父様を奪ったのですか? 納得できません! それでも、それでもシスターはまだ、神様を信じるおつもりなのですか?」
ディカプリオ少年の叫びを正面から受け止め。
シスターは頷いていた。
「そうですね、世界はとても残酷で――弱者に厳しいのでしょう。本当に神がおわしますなら、見て下さっているのなら。なぜ? 我らのような弱者にばかり試練をお与えになるのか、そう考えることもあります。今も、本心ではきっと、神を醜い言葉で誹り、罵り、抗議したいと思っているのかもしれません。けれど――それでもわたくしは主を信じます。だって――しょうがない、じゃないですか」
シスターは敬虔なる信徒の顔――ではなく。
家族を失った失意の顔で――。
迷える少年に言葉を授けていた。
「普段あんなに生臭神父だったのに。あの人が、神父様こそが他の誰よりも――っ。本当に誰よりもっ。神様を信じて、愛していらっしゃいましたから――」
神父様が誰よりも神を愛していたから。
言われたディカプリオ少年は言葉を失っていた。
納得するしか、なかったのだろうか。
この言葉が、いけなかったのだろうか。
誰よりも尊敬する神父は、それでも神を愛していた――。
それが彼への呪いとなったのかもしれない。
魔導書に綴られた神父の物語が、また進む――。