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決まりはいつも驚きに満ち溢れている

 意外な事だ。

 正直のところ、この辺りで降参すると思っていた。なにせ、彼の思惑はすでに外れてしまったわけだから。


 一応は見え辛い場所にしていたようだが、それでもすぐに分かった。私とて、ただ運に任せてこんなゲームをするつもりなどないのだ。ならば相手にしてもそうだろうと警戒する事に、一体何の不自然があるだろうか。


 指紋。

 私の提案したゲームに対して、即座にその対策を考案した事は賞賛に値する。指紋ならば全くの準備なく、その上で扱う際におかしな挙動をしなくてすむ。見た目にしても、ごく自然に取り繕う事ができる。

 私が用意した手袋が、意外なところで相手の助けになった。しかし、これを省く事はできないわけだから、間が抜けていたわけでもなく完全に利用された形だ。


 個人的には、今この時点で評価を与えてもいいと思っている。たとえ降参したとしても、それを理由に下級層として使い潰すような事はしない。冴樹香葉は、そんな器の相手ではない。


 しかし、なんとも勝気な男だ。

 まさか飲んでしまうなんて。


「さぁ、お前の番だ」


 肌にじっとりと汗を滲ませて、まさかそんな事まで言ってしまうなんて。

 ここに来て、さらに強気な言葉だ。自らの有利を踏みにじられてなお、彼は後ずさる気がないらしい。


 ブルブルと震える獲物などではない。

 この旧大地において、()()()()という事はそれだけで価値がある。誰もが震えて縮み上がってしまう場所にあって、なおも胸を張れるというのはそれだけで貴重なものだ。


 私は適当に、三つあるうちの真ん中のコップを手に取り、飲み干した。

 挑発するわけでなく、蔑むわけでなく、これが一番圧力がかかるはずだ。これ以上にない攻めの姿勢。果たして、香葉はどのような行動に出るだろうか。


 願わくば、終ぞ降参してしまうなどという事にはならないで欲しいが。


 ——あぁ、でもそれだと表層がどんなところか聞けなくなる。


 奥歯を噛みしめる香葉を前にして考えるには、ちょっとのんきすぎるだろうか。


 ◆


 私は、詐欺を働いて地下送りとなった。


 女性関係がこじれた事も、相手の親が権力者であった事も、罪状に対して明らかに重すぎる刑を受けた事も、全て本当の事だ。シルビアに話した内容に、偽りは何一つなかった。

 しかし、事実を余す事なく話したかと言われれば、それは否だと言わざるを得ない。


 今までに五人の女性と関係を持ち、総額二千万以上を騙し取った。到底許されるべきではない私は、一般的に言われる罪人というやつに他ならない。

 悪人だ。それも自他共に認めるほどの。


 しかし悪人にも、いやだからこそ、プライドというものはある。

 長く他者を貶めてきた経験が、私に確かな自信を与える。


 視線、指先の動き、声の抑揚、呼吸のタイミング。全ての挙動が情報だ。前の番では恐る恐るコップを手に取ったが、今この時はそうもいかない。今コップを飲む挙動を見て、私は確かな真実を見た。

 シルビアは、手元をほとんど見ずに、悩まずに、コップよりもむしろ私の方を気にしていたのだ。

 思惑はおそらく私へのプレッシャー。しかし、それはむしろ逆効果だと言える。


 全く悩まない理由は何か。すでに、自らの安全が確保されているからに他ならない。事実、先ほどまでの私がそうであったし、それならばこんな運に任せた勝負でこれほど余裕ぶっていられる理由にも納得がいく。

 彼女もまた、策を弄しているのだ。


 考えてみれば、当たり前の事だ。

 管理者という責任ある立場の者が、いたずらに命賭けていいはずがない。いくら命に貴賎はないと言っても、その背に多くの者の生活がかかっている以上身の安全は保証されなくてはならないはずだ。

 それを前提に、自らで勝負内容を決められるとしたらどうするか。

 当然、必勝のものを用意するに決まっている。

 例えば自分の得意分野で。

 あるいは不正を隠した勝負で。


 つまり彼女は、“当たり”を把握している。その把握方法さえわかれば、私はまだ勝利する事ができる。

 目の前の二つのコップから勘で選んでしまうより、遥かに安全な勝利と言える。


 どちらを選ぶか悩むふりをして、シルビアを盗み見る。

 すでにコップなど眼中になく、私の選択を楽しげに待っている。当然といえば当然か。なにせ、私が選んだらシルビアの番には残りの一本しかなくなるのだから。もう、一々どちらが本物なのか確認する必要などないのだ。

 ならば、シルビアの挙動からどちらが本物なのか判断する事はできない。


 もしも、私がもっと早くシルビアの思惑に思い至っていれば違っていたかもしれない。先手を打った気になって、必勝など思い違っていなければと今更悔やんでしまいたくなる。

 ただ、その行為は全くの無意味だ。かつて存在したかもしれない勝機にすがったとしても、それはどうせこの手に掴まれはしないのだ。所詮、手に掴む事のできない霞だ。どれほど必至に追ったとしても、最後にはその先の崖下の転がる事となるだろう。


 ならば当然、確かにそこにある物を探すしかあるまい。

 すでに過ぎ去ったものなどではなく、今手にできるものの中から。


 きっと、シルビアもそうしたはずだ。

 私に不正をとらせない事よりも、不正を潰す事を考えた。

 私の不正を看破したのち、それにあたかも気づいていないふりをしていた。おかげで私はありもしない優位に安堵し、まんまと慢心していてしまった。ならば私もまた、そうしてこの状況を突破しなくはならないだろう。


 ——私の不正を……


 私の指紋がついたコップを見て、きっとシルビアはそれが“当たり”だとわかったはずだ。そして、その中身を、どうにかしてどれかと入れ替えた。

 問題はここだ。そうして入れ替える際に、必ずコップを持ち上げる必要がある。その時に、全く同じようにコップを戻す事ができるだろうか。きっと、適当な物と入れ替えたはずだ。カモフラージュとして。

 で、あるならば、入れ替えられた場所にある物が正当なのではないか。


 つまり、もともと私が“当たり”を置いていた場所。指紋をつけたコップがもともと置かれていた、その場所に“当たり”が入れ替えられているのではないか。


 根拠としては、あまりに乏しい。

 もしかしたら、ともすれば、あるいは、はからずも。そんな言葉をひたすらに並べて、自分の望みに沿わせた想像。仮説とすら言えない、単なる妄想の類い。しかしそれでいて、私がようやくたどり着いた可能性の話だ。

 たったそれだけの事だが、私の一歩を踏み出すためには、それだけで充分だ。

 日常的な犯罪と、誰かを貶める思考によって鍛えられた精神は、意外にもこんな事に役に立った。賭けに出る思考。あるいは度胸。ならばこの一歩、踏み出すに充分な状況は今揃っている。


 手に取るべきは右側。


 止まらず、滞らず。


 恐れがこの手を凍らせてしまわぬように。


 腕を振り上げ、流し込む。


 味すら感じる間も無く、口の中を満たす間も無く。


 ——遅れて、喉を温もりが包んだ。心地よい温度と、液体特有の舌触りを感じた。

 プレッシャーに乾いた口の中を満たす。額の汗を拭う余裕すらある。


 勝利だ。

 賭けに勝った。残るは一つ。掛け引きも戦略もなく、ただ一択の勝利。


「凄いね、まさか飲めるとは思わなかったよ」


「ほぼ賭けだ。しかし、勝ったぞ。私の勝ちだ」


「ああ、素晴らしい」


 笑う、嗤う。

 シルビアは私を見て、私はシルビアを見て。


 なぜ、笑っているのか。そんな事は、考える間もなかった。問いかける事はおろか、疑問に思うよりも早くシルビアは行動を終わらせた。


 シルビアは、()()()()()()()()()()()


「引き分けだな。君の待遇は追って知らせる。それまでの宿は都合しよう」


 そして、変わらぬ笑顔を浮かべたまま、颯爽と部屋を出る。

 そういえば、彼女はこの勝負をずっと“ゲーム”だと言っていたか。


「やられた……」


 そういう事か。完全にしてやられた。

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