一生を賭けるルール
気が付けば、客席には人が座り始めているようだった。皆一様に笑みを浮かべ、楽しげに私たちを見下ろしている。
これは、紛れもない見世物。
私は、そのためにこの場に連れられたのだ。
唾を飲み込む。
目の前に座るシルビアという女性は、見た目に反して悪魔の類に相違ない。
「こんな世界だと、住民はみんな娯楽に飢えていてね」
後ろに立つ紳士からコップを受け取り、シルビアは机に並べていく。合計で九つ。三列三段に並べられたそのガラスを見れば、彼女が几帳面な性格である事が見て取れる。
「今の流行は、もっぱら度胸や知恵を比べるゲームだ。町にはそれ専門のお店もいくつかあるよ」
十個目のコップは、机に並べず手で持つ。横にしたり逆さにしたりしてよく観察したのちに、九つとは少し離したところに別にして置いた。
「それでね、旧大地は万年資源不足だから、住人全員に充分な環境を与える事ができないんだ。差別だって言われるとちょっと弱いんだけど、どうしても区別が必要になる」
「全員平等じゃあ、全然足りないと」
「そうなんだ。だから、裕福な人間と貧しい人間を意図的に作っている」
正直、あまり気分のいい話ではない。表層では、広い大地を利用して生み出された多くの資源が確保されている。それによって、貧富の差は近年なくなりつつある。その価値観を持つ私からすれば、この状況下は考えられない事だ。人間を意図的に差別するなど、本来あってはならない。
……まあ、“私のような人間”が言うような事でもないが。
「どうしてもね、社会を円滑に回すためには、必要なところに必要なだけ支援しなくてはならないんだ。そのためにどこかが削られてしまうのも、まあ仕方がないかなって思わなくちゃいけない」
「……それで、何が言いたいんだ。娯楽の話と差別の話に、一体どんな繋がりがある」
「おやおや、こりゃ手厳しいね」
ニコニコと笑い、シルビアは真っ白な手袋をつける。布製ではない。水を吸い込まない、ゴム製の物のようだ。
そして、それと同じ物を私の方にも投げる。
「なんだこの手袋は。決闘の申し込みか?」
「おっかないね。付けると良い。あっても意味はないかもしれないが、ないよりはるかにマシだろうと思うよ」
「…………」
返事はせずに、その手袋をつける。
「これからゲームを行う。私はその経過を見て、君がどの程度の階級で過ごすべきかを決めるのさ」
会場が、湧く。
私を値踏みしようという不愉快な宣言に、多くの人間が喜んでいる。
「なるほど、人生を賭けた……」
「理解が早くて助かるよ」
嫌味なほどに、嫌味がない。明るく返される事が、あまりに苛だたしい。
「ルールを聞こう」
私を軽んじている。値踏みをしようというその態度が、どうしようもなく腹立たしい。
「簡単な事さ」
にこやかに、朗らかに。彼女は笑う。
およそ命をかけた勝負をする前とは思えないその様子に、私は悪寒が走るのを感じた。あまりにも、不気味だった。
「こっちの九つのうちの八つには、ただの水を入れる。大した事のない普通の水だ。危険はない」
コップが取り出された麻袋から、ペットボトルが一本取り出された。その中は透明な液体で満たされており、シルビアはその液体をコップに注いでいった。
その後に、安全な液体である証明としてペットボトルに残った液体を飲み干す。
「残り一つには、これを注ぐ」
今度は紳士がもう片方の手に持っていたビンを受け取り、残りの一つに注ぐ。一見して無色透明のその液体は、注視していなければ他のコップに紛れてわからなくなってしまいそうだ。
「流石にこれは飲んで確かめるわけにはいかないから、もう一個のコップにも注ぐ。この二つが同じ液体である事は間違いないね?」
「それはそうだろう。今ここで同じ容器から注がれたんだから」
二つのコップを並べて、シルビアは微笑む。
「その通りだ。で、最後にこの金属棒なんだけど」
シルビアが麻袋から最後に取り出したのは、箸にも楊枝にもならないような微妙な太さの金属だ。指で弾いたり、机を叩いたりしてそれが硬質な物である事を見せる。確かに、なんの変哲も無いただの鉄棒だ。長さはだいたい二十センチ、太さは五ミリもない程度。表面に凹凸はなく、どの部分で切り取っても同じ太さ。円柱というには随分とスケールが小さいが、図形の名称という意味では間違っていない。
そんな物体。
「これでこの液体を混ぜると……」
「何を……っ」
融けた。
液体に浸かっている部分がグニャグニャと形を崩したかと思うと、次の瞬間には液体となって沈殿した。コップの底には、銀色の液体が揺らめいているのが見て取れる。
「驚いたかい? 金属をとかす物質というのは、存外多いものさ。古代の錬金術師たちは、金をとかす事のできるアクア・レギオを重宝したと聞く」
「それを、どうしようと……?」
残った棒の端は、そのコップの中へと落とされた。余す事なく融けて崩れる銀色は、決して無色の中に消えてはいかない。混ざらずに、その存在を確かに主張している。
せめて目の前から消えてくれるのなら、それは夢か幻程度に思えた事だろう。無色の中に消えてくれたならば、いずれそこにあった事すら思い出さなくなるのかもしれない。
しかし、未だにそこにある。
水の揺らめきに従う銀色が、いつ先ほどまで自らは硬質な固体であったのだと主張している。
それは、既に形を成す事などできはしないにも拘らず、どうしようもなく私を威圧しているのだった。
「このコップと他の八つのコップに混ぜ、私達はそれを交互に飲み干す。簡単だろう?」
事もなげに、涼しげに、シルビアはそう言った。
簡単であるものか。これは人生はもちろん、命まで賭けた悪辣な勝負だ。
しかし、私には断る道はない。この辺り一帯を取り仕切るシルビアの提案を断るという事は、また極寒の暗がりに放り出される事に他ならないからだ。
シルビアは分かっていて言っている。
自らの立場と、私の現状。この二つを鑑みて、これが断る事のできない勝負なのだと知っている。
先ほどからの余裕の正体はそれだ。私の命を弄び、嘲笑っていたのだ。
涙を流しそうだ。
歯軋りをしそうだ。
しかし、それでは何も変わらない。
私に残された唯一の道は、現状を嘆く事などではない。
「なるほど、簡単だ……」
強がり、澄まして、凛とする事。
そして勝利する。
それこそが、私の取るべき最善の選択。




