好きになれなかったネコのはなし
好きになれなかったネコのはなし
「ミケ、こないだ死んじゃった。」
美香子は僕にそう告げた。高校のころと変わらない、黄色のチェックのワンピースが、夏空にじりじりと焼かれていた。
「…あんまり、懐いてくれなかったな」
そっか。でも、美香子は大好きだったんでしょ。
「わたしは大好きだったのに。ほんと、わからずやだよ」
そうだね、わからずや、だね。
不満げに彼女はそう言った。長いまつ毛は、幼い頃から君の瞳で揺れる。
美香子は小学校から親しくて、それは高校生になっても変わらなかった。周りからカップルだとからかわれたこともあったけれど、十七の僕には恋とは何か分からなかった。中学からの帰り道で美香子にそう話すと、「優斗って、わからずやなんだね」って言って苦笑いを投げつけられた。
僕らはいつも、家の近くの河川敷に寄り道をした。大人に秘密でネコを飼っていたのだ。ネコにとっては都合よく餌を持ってくるヒト、という印象だろうが、誰がなんと言おうと僕達はネコを飼っていたのである。中二の頃、豪雨で早くに下校するよう命令されたとき、ネコは道路に転がっていた。それはネコというよりは、鳴きもしない千切れたぬいぐるみのようだった。僕は、そのいのちであった何かを見て恐怖した。
「優斗、ダンボールとタオル、持ってきてよ、直ぐに!」
すぐさま美香子はそう言った。いつもと形相がまるで違っていて、それに押されるまま、僕は家に走った。周囲で雨と泥が飛び散っていた。
それから僕らは河川敷でネコを飼うようになった。ミケと名付けたぬいぐるみを僕はあまり好きになれなかったが、美香子は酷く気に入っていた。皮肉にも、ミケは僕に懐いていた。本当は大人に相談しなくてはならなかったのだけど、僕の心の何かがそれを止めた。幼い子供が秘密基地を壊されるのを嫌がるように、僕はこの空間を壊されるのを嫌った。
その年の夏、また酷い雨が降った。河川敷はひどく増水していて、誰も立ち入れなかった。美香子は哀しい目をしていた。彼女はミケの心配をしていて、僕はミケの心配をした美香子を心配した。美香子が河川敷にでも行ってしまったら。化け物の濁流に美香子が飲み込まれたら。そう思って雨の海をかき分けてミケのもとまで行った。
ミケは凍えていた。ミケが凍えていてかわいそうだと思うよりも先に、美香子がいなくて安堵したのが先だった。ミケは相変わらず僕を見ると嬉しそうに鳴く。それを聞いて、僕は苦い気持ちになった。君のことなんか、少しも心配してないのに。
「…僕は、ミケに嫉妬しているのか」
ポカリとつぶやかれた歪んだ言葉はすぐさま、川からあふれた水流に飲み込まれた。芽生えた苦い気持ちは、ふわふわ浮かんで流れていく。ぬかるんだ泥に足を取られ、僕は水彩絵の具を全部混ぜた濁流へと誘拐された。僕の最後の記憶はミケの瞳と水性の世界、そして少しだけわかり始めた恋心だった。
「今頃、そっちにいるんじゃないかな」
そうだね、案外近くにいたりするのかも。
「餌やり、忘れないでね」
もちろん、任せておいてよ。
「ねえ」
どうしたの?
「たまにはさ、帰ってきてね」
そうだね。来年はさ、ミケもつれて逢いに来るよ。