黒き力によるプレリュード
「我が愛しの婚約者にこの剣を捧げよう」
そう言ったヒュバードの言葉にミーシャははにかむように笑った。
剣を受け取った彼女がヒュバードの額にキスを贈ると、歓声が沸いた。
「貴方様も参加できれば良かったのに」
そう、女が青年にしなだれる。
ビリジアングリーンの髪が風に揺れた。その彼女を引き寄せて、銀の髪の男は微笑んだ。
その男は銀髪に紫水晶のような瞳、褐色の肌を持つ艶やかな青年であった。顔立ちはどこかアルヴィンに似ている。
甘い表情で彼女を見ると、男は「こんなに早く水をささずともいいだろう?」と囁いた。
「けれど、君が望むなら少しくらいの見せ物は用意しよう」
「まぁ!さすがわたくしの愛しい方ですわ!!」
オーキッドの瞳が蕩けるように彼を見つめる。
そして、青年が黒い魔力を周囲にばら撒くとそこから魔物が現れた。
ブラッドベアーに、マーシュスネイク。レイクモス、ハイオーク。
凶暴で名を馳せる様々な魔物たちは光に集る虫のように剣術大会の会場へと向かっていく。
「ふふ、わたくしを選ばない貴方様が悪いのですよ?」
少女が恋するようにとある貴公子の名を呟くと、二人は黒い光を放つ魔法陣の中に消えていった。
黒い塊を見つけたのは、ミーシャだった。嫌な感じがして向いた先にそれがあった。覚えのある感覚に必死に答えを探してそれに思い当たった瞬間、顔を青くした。
「スタンピード…」
「ミーシャ?」
「ヒュー様、スタンピードですっ!!」
その声が会場へ伝播し、兵たちが走り出す。すでに見える範囲に来ていた黒い塊に一人でも多くの観客を逃がそうと声を張り上げる。
一匹のブラッドベアーが生徒の一人に腕を上げた瞬間だった。
カランコロン───
鐘の鳴るような音が聞こえる。
殺される恐怖に目を瞑った少年は、いつまでも訪れない痛みに目を開く。
そこには、白いローブと風で外れたフードから出た三つ編みにされた長い髪。大きな杖は身の丈以上もあり、それを片手に持つ小さな背中があった。
そして、炎を纏う剣が大きな熊を切り裂いた。
「あちらへお逃げなさい」
凛とした声に従って、震える足を叱咤して彼は立ち上がった。
それが誰かに気がついたのは、リオンハルトの張った結界に入ってからであった。
「お嬢様にも早く避難をしていただきたいのですが」
「わたくしもそうしたいの。……けれど」
フィーネは、バベルの言葉を受けて周囲を軽く見渡した。
兵士たちは突如襲ってきた魔物をよく相手取って戦っている。しかし、あくまで彼らが優先しなければならないのは国主である王とその後継者たちだ。
幸いにもリオンハルトが避難する場を作ってくれているが、魔物を倒してしまわなければそこから出ることが叶わない。
リオンハルトは自分が行くべきだと思ったが、勅命が降ったのはフィーネだった。上位の継承権を持つ王族の青年と貴族の三女。優先する命の重さは間違いなく後者の方が軽い。
だからフィーネは魔物と戦う力を持った人間たちを祝福し、癒しながら戦うことを余儀なくされた。
「ヒュバードお兄様たちと合流します」
「はっ」
少し震える手を抑えてキツく杖を握りしめ、厳しい表情でそう言うと、彼女は従者と共に戦場となった場所に向かっていった。