やっと、手が届く場所に来た(side クラウス)
咄嗟に伸ばした手は、ちゃんと彼女に届いた。
空を切るばかりだった時間は終わったのだ。
初めて彼女の手を取ったのは九年も前だ。両親からも早く婚約者を決めろと言われていて、仕方なく大きなパーティーに出席した。
周囲を囲む年の近い少女たちは、もう立派に獲物を狩る女の目付きをして私を囲み、迫ってくる。一度は虫やカエルを投げつけたりして追い払ったが、二度目はないとばかりに室内でのパーティーにされてしまったために、嫌悪感ばかりが募った。
私が何も知らないと思っているのだろう。父の素行から私も愚かな子だと判断されてきた。それに乗って今までこういった場を遠ざけてきた私も悪い。
だが、周囲ですでに女を利用して王子の婚約者になろうとする連中から選ぶ気にはなれなかった。
そんな時、会場の中心を少し外れた場所で騒ぎが起こっていた。何故だか気になって、その場所に向かう。
「何の騒ぎだ?」
仮にも王家主宰のパーティーだ。騒ぎを起こされたのなら、止めなくてはならないだろう。
半ば義務感で騒ぎの中心の令嬢達に近付いた。倒れている小さな子に「大丈夫か?」と手を差し伸べる。その手に彼女の手が重なって、目線が合った。
「大丈夫ですわ。ありがとうございます、クラウス殿下」
困った様に微笑む、可憐な少女がそこに居た。いつも側に居る妖精にも似た可愛い彼女に、一瞬で魅入られた。
それこそ、魔法にかかったのかと思った瞬間だった。
咄嗟に彼女の着替えと休むための部屋の用意を頼んだが、名前を聞くことも出来ずに別れることになった。
アルヴィンの側にいた様だから、聞けば教えてくれるだろう。
そう思っていたのに、アルヴィンは口を割らなかった。もしや、彼の婚約者なのだろうかと思い始めた何度目かの問いの時、ケビンから「え、クラウス……まだ気がついてなかったの!?」と言われた。リカルドも居心地悪そうな表情をしている。
自分以外は知っているのか、と不機嫌さ丸出しで尋ねれば、彼女がアルヴィンの末の妹だということが発覚した。
父のことを踏まえて断ろうとしたグレイヴ公爵家にそれでもと。
彼女が私を好きになってくれたならば、という条件はついたけれど、彼女に婚約者を決めずにいて貰える様に頼み込んだ。
母上も、相手がグレイヴ公爵の娘ならばと学院卒業までは待ってくれるという。
彼女の理想がギルバードだと聞いてから、必死に努力をした。けれど、あれ以来フィーネを公式の場で見かけることは少なくなった。
アルヴィンに問い質したところ、親戚からの嫌がらせ行為があって、互いの評判に関わるからと一部の者達との社交を控えていると言われてしまった。
ほんの少し早く生まれてきた兄にも、ふとした切っ掛けから知り合ったという東の国の王子にも負けたくなかった。
だから、誰よりも貪欲に学んだつもりだ。
彼女が好む男の手本は幸いにも城では本人が、学院に来てはその嫡男であるアルヴィンが居た。
だった一瞬の出会い、一目惚れのために何を必死にと言われても仕方がないが、それでも私はあのひと時が忘れられなかった。
学院に入学して一年後、彼女が入学してきた。
伸びた茶色の髪はふわふわとして風に靡く。美しい緑の瞳は宝石の様で、いつまでも私だけを映してくれないかと願ってしまう。
「アル」
茶を飲むアルヴィンとフィーネの二人に近づく。
警戒するように「殿下、なぜここまで?」と聞くアルヴィンに少し笑ってしまい、彼がムッとした。表情が分かりにくい男ではあるが、慣れてしまえばなんとなく分かる様になるものだ。
「冷たいな。私とて……君たちが必死に隠してきた姫君の入学を楽しみにしていたんだぞ?」
「見ましたね?それでは」
「待て。おまえはそろそろ不敬だぞ。妹がいるならばだいたいの者は私に紹介するぞ」
「不必要です」
断言した。フィーネが驚いた顔をしている。
ああ、これは隠しても仕方がないかもしれないと苦笑する。
「アルお兄様……?」
「フィン、下がっていなさい。襲われるから」
「お兄様!?」
「同意もないのに何かするわけがなかろう!」
こちらは緊張しているのを悟られない様にするのに必死なのに、何を言うのだと睨むと、途端に無表情になった。……腹の立つ奴だ。
「アルの言うことは行き過ぎたシスコンの発言だから聞かないでほしい。改めて、私はクラウス・リディア。生徒会長も務めている。何か困ったことがあれば相談してくれ」
「お心遣いありがとうございます。わたくしはグレイヴ公爵家が三女、フィーネと申します。よろしくお願いいたします、王太子殿下」
カーテシーをして微笑んだフィーネは、あどけなさを残しながらも淑女として美しく成長していた。
可愛らしい、と手を伸ばす前に後退りする。ここで触れて、アルヴィンにこれ以上邪魔をされたくはない。
着いて来ていたリカルドがフィーネと私に時間を作ってくれようとしたが、父の言いつけだと言って、二人きりの交流は断られてしまった。
少し、困惑した様子が不思議だった。
婚約の打診自体は内々にしているのに。
アルヴィンにその件を聴くと、その後ろで苦笑したヒュバードが「フィンには婚約の打診があることなどは伝えていません。変に調子に乗ったり擦れても困りますので」などと答えをくれた。リオンまでいつもの微笑みが消えていたところを見ると、誰かに加勢する事などはしていない様だ。
色々あったが、その後も二人で長い間話す機会は中々訪れる事はなく、この合同実習まで来た。
パートナーが彼女になって浮かれていたのは否定しない。
だが、この場所に居るはずもない魔物がいたことは報告せねばなるまい。その前に生き残らねばならないが。
目の前に現れたビーと呼ばれる蜂の様な魔物は集団で行動する者であり、数匹だけということはまず有り得ない。
彼女の結界に守られながらも少しずつビーを燃やしていき、開けた場所に出た途端、クイーンビーが現れた。やはり、誘い出されていたか、とは思うものの、森を焼き尽くす訳にもいかなかった。
救援信号で駆けつけて来たヒュバードとリカルド、ゼファードと共にビー達を殲滅すると、フィーネが地中から狙っていたらしいキラーアントに地中へ引き込まれる。
咄嗟に彼女の手を掴んだ。
「フレイヤ、共に彼女を襲うものを焼き払わん!」
身体を引き寄せ、妖精と共に魔法を使うと、祝福の金の光を纏った炎が舞った。
君に伸ばした手が空を切る時間は終わった。
どうか、私に君と手を繋ぐ権利を与えてほしい。